衣張山 〜年の瀬の古都を歩く〜


 

【神奈川県 鎌倉市 平成21年12月19日(土)】
 
 いやぁ、いよいよ押し詰まってまいりました、平成21年も。オフィシャルな面ではかなりハードな一年でしたが、こと野山歩きに関しては、箱根の金時山に始まり、春の生藤山、初夏の霧ヶ峰、試練の利尻山、紅葉の磐梯山などなど、楽しいことの多い一年でした。今日は、ちょっと早目とは思いつつ、そんな一年を締めくくる本年最後の野山歩きです。場所は古都鎌倉。その市街地を東側から見下ろす衣張山です。この山は、源頼朝が、夏に雪が見たいと言う妻政子のためにこの山一面に白い布を張り、雪景色に見立てたところから名が付いたともいわれています(史実かどうかは別として、いかにも権力者の逸話って感じです。)。果たしてどんな山なのか。
 
                       
 
 首都高3号線を用賀で下りて、環八を経由して第三京浜へ。そのまま横横道路に入り、朝比奈ICで下りて金沢街道から鎌倉を目指します。JRの鎌倉駅とは反対側、東側から街に進入する格好です。


Kashmir 3D

 鶴岡八幡宮の手前、金沢街道沿いにあるコインパーキングにドリーム号を駐車したのは12時前。とりあえず近くにある喫茶店で昼食をとって、ゆっくりしてから歩き始めました。衣張山に向かう前に、来た道を戻るかたちで、まず杉本寺に寄ってみたいと思います。

 杉本寺

 杉本寺は、鎌倉幕府が成立する500年も前に行基によって開かれたという、鎌倉最古の寺だそうです。本堂へと続く階段も何ともいえない風情。いかにも名刹といった趣です。

 本堂

 拝観料と引き替えにもらったしおりには、この寺の縁起が書いてありました。鎌倉初期、この寺が隣屋から出火した火災で類焼したとき、ご本尊の十一面観音は自ら近くの大杉の下に避難したと伝えられているとのこと。以来「杉の本の観音」と呼ばれたのだそうです。(ん? それまでは杉本寺という名じゃなかったってこと?)

 衣張山

 境内の先からはこれから登る衣張山(右のピーク)が望めました。間にある住宅地の中を左右に貫く形で金沢街道が通っています。

 紅葉

 参道には燃え立つような紅葉が。わずかに青葉も残っていて、まさに今が見頃といった感じでした。まだ葉の1枚1枚がピンとしています。

 トビ

 杉本寺を後にして、金沢街道を渡り、反対側の住宅地の路地に入っていきます。このどん詰まりに登山口があるのです。見上げると雲一つない冬の空にトビが輪を描いていました。長閑だなあ。

 地ネコ

 路地にはつきものの地ネコ(地元在住のネコ)がやって来たので、「こんにちわー」って挨拶すると、こっちをチラ見して軽く目礼して通り過ぎていきました。ネコのこの距離感がいいですな。

 登山道近し

 坂を登っていくとだんだん民家が少なくなってきました。冬の午後の日差し。入射角が小さくて眩しいです。

 登山口

 1時35分、登山口に到着しました。思ったより鬱蒼とした林です。

 ジャノヒゲ

 薄暗い足元に光るジャノヒゲの種子。自然界の色とは思えないコバルトブルーですね。輝いています。

 時刻はまだ2時前なのにこの薄暗さ。まるで夕暮れのようです。

 道祖神

 つづら折れの道の脇にかわいい道祖神が祀られていました。寄り添う姿が微笑ましいです。

 テイカカズラ

 テイカカズラの種子。本来風に吹かれてあちこちに運ばれていくのですが、林の中で風も強くないのか、遠くに散らばることもなく比較的狭い範囲にたくさん着地していました。

 リョウメンシダ

 とっつきにくいシダ植物の中でその名を知っている数少ないシダうちの一つ、リョウメンシダです。表面なのにまるで裏面のような状態になっていることから名が付いたもの。分かりやすいです。

 鬱蒼

 近所の人のウォーキングコースとなっているのか、登山道はしっかりとしたものでした。

 ???

 おっ、これは。サカキの木の根元に小さな丸い穴が空いていて、その前に大量の丸い木くずが。穴は直径8ミリ程度で、木くずはそれよりもちょっと小さいサイズです。どう考えてもあの穴の中から出てきたものでしょう。これについてはこちらを。

 急に眼前が開けてきました。頂上が近いようです。

 衣張山山頂

 登り始めて30分弱、衣張山(120m)の山頂に到着しました。広さは20m四方くらい。桜の木があって花見にはもってこいのロケーションです。

 西方向の展望

 山頂からは北西から南にかけての展望が開けていました。標高は120mと低いですが、その眺望はご覧のとおり。鎌倉の街並み、相模湾、その奥には丹沢、富士山、箱根、伊豆半島と大パノラマが広がっています。

 材木座海岸

 材木座海岸辺りをアップで。鶴岡八幡宮から延びる若宮大路をまっすぐ南下するとこの海岸に至ります。夏には海水浴客で賑わうんでしょうね。ちなみに材木座とは、鎌倉時代に炭座とか米座とかという商工組合が7つあって、材木商の組合が材木座だったそうです。その材木座があった辺りがそのまま地名になったということです。

 蕾は固く

 山頂の桜はすべての葉を落とし寒々としていますが、枝先には次の春に開く蕾がちゃんと用意されています。

 イガアザミ

 この山で唯一花を見かけたのはこのイガアザミだけ。図鑑によるとナンブアザミの変種で、関東地方の沿岸部に生えるのだそうです。名前の「イガ」は栗のイガのこと。総苞片の刺が栗のイガのように荒々しいことから付けられた名だそうです。

 尾根道

 山頂で展望を楽しんだ後は稜線にそって南の尾根道をたどります。

 伊豆大島

 5分ほどで隣のピーク、浅間山に到着。ここからは南に伊豆大島がくっきりと見えました。直線距離で60qほど。肉眼で見ると巨大でした。
 ここからまた尾根道を南に向かいます。

 ハンショウヅル

 3出複葉で粗い鋸歯。ハンショウヅルの葉です。

 コゴメウツギ

 こちらはいい感じに黄葉しているコゴメウツギの葉。里山も冬を迎えていますね。

 ヤブコウジ

 小さな小さな樹木、ヤブコウジです。センリョウ、マンリョウに対して「十両」の別名があり、正月の縁起物としても扱われるそうです。落語の「寿限無」に出てくるおめでたい言葉を並べた長い名前の一部に「やぶらこうじのぶらこうじ」というフレーズがありますが、これがヤブコウジのことだそうです。(確かに最初と最後をつなげるとヤブコウジになりますが…。)

 住宅地の裏に下りてきました。振り返ると上の写真のような風景です。住宅地といっても小高い山を削り谷を埋めて造成したところで、標高は80mくらいあります。なのでここからまだ下っていきます。

 ちょっと離れたところから振り返るとこんな感じ。写真のピークから下りてきました。

 スイセン

 半ば野生化したようなスイセン。枯れ色の野山にあって生き生きとした姿を見せてくれていました。もともとは地中海沿岸の原産なのだとか。日本には古い時代に中国を経由して入ったものなのだそうです。

 名越切通し

 2時50分、名越の切通しまでやって来ました。ちょうど峠のてっぺんにあたる場所です。ここは「切通し」という名のとおり、山を開削して造った古い道で、鎌倉から三浦半島方面に抜ける数少ない陸路だったそうです。鎌倉は三方を山に囲まれ、残る一方は海に面し、鎌倉に入るには「鎌倉七口」と呼ばれる隘路を通って入る構造になっているのだとか。これは戦略上も重要な構造だったのだそうです。名越の切通しはそのうちの一つです。

 横須賀線

 切通を右に折れて鎌倉方面に下っていきます。すると眼下にJRの横須賀線が。電車は名越の切通しをトンネルで抜けていきます。

 安国論寺

 線路のところまで下りきるとあとは平地。ここからはおおむね線路に沿ったルートで鎌倉の中心部を目指します。
 しばらく行くと安国論寺という立派なお寺がありました。鎌倉という場所といい、安国論寺という名前といい、日蓮にゆかりのお寺と思っていましたが、調べてみると、日蓮が立正安国論を記した岩窟のあった場所に日蓮の弟子が建立したものなのだとか。他宗を邪宗と断じた立正安国論。当時は浄土宗の宗徒から襲撃されたりしたそうですが、さすがに現代では諍いはないでしょうね。ちなみに鎌倉のお寺のうち4分の1は日蓮宗なのだそうです。
 yamanekoの実家も日蓮宗の檀家で、どちらかというと念仏より御題目の方が親しみがあります。

 小町通り

 鎌倉駅までやってきました。ここからは若宮大路の一本西側にある筋、小町通りを歩きます。お土産物屋や洒落たお店が軒を連ねていて、大勢の観光客であふれていました。

 鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮に到着。以前はときどき初詣で訪れていましたが、ここに来るのは久方ぶりです。今日は祭礼でもあったのか、参道には出店も並んでいました。
 さあ、ここから駐車場まで戻ります。
 
 今年ももうすぐ暮れていきます。なにはともあれ健康に過ごすことができたことに感謝。来年も楽しい野山歩きができることを願いたいです。(結局、鶴岡八幡宮には参拝しませんでしたが。)