利尻山 〜最北の富士に挑む〜


 

【北海道 利尻富士町、利尻町 平成21年8月23日(日)】
 
 あれは今年の4月中旬、札幌に転勤する同期の送別会でのこと。みんな酔って元気がよくなっていたせいで「よっしゃ、北海道の山に登りに行くぞ!」、「おぉ、だったら利尻だ、利尻!」というノリでスタートしたのが今回の利尻行き。
 後日、ネットで検索するうちに利尻富士町の観光協会のサイトで目にした清々しい利尻山の姿に、「こりゃやっぱり行くしかないっしょ!」とあらためて決意を固め、ちゃくちゃくと準備をすすめたのでした。といってもyamanekoは決意を固めただけで、登山計画を立てたのも飛行機や宿の手配をしてくれたのも同行の仲間達。「ありがたや、ありがたや」と心で感謝しつつ、とうとう北海道行きの日がやって来たのです。
 
 準備をするふりをして全て人任せにしていたことを、神はちゃんと見ていたのでしょう。天気予報では数日前から北海道宗谷地方の雨マークが消えることはなく、どうやら思惑どおりの清々しい状況にはなりそうにないことが分かってきたのです。なんとか好転してくれないかなと思いつつ羽田を飛びたったのですが、津軽海峡を越えたあたりから眼下に雲が現れはじめ、北上するにつれてどんどん密になってゆくのです。せめて雨さえ降らなければと思い直すも、機内アナウンスで「現地の天候は、雨…」。それどころか「着陸できない場合は旭川か札幌に向かいます。」と稚内空港への着陸も危ぶまれるほどの荒天だったのです。

 最北端の碑

 それでもなんとか着陸できたところをみると、神も完全に見放したわけではなかったようです。東京からやって来たのはyamanekoを含めて3人。札幌から6時間かけて車でやって来た仲間(送別会をした同僚ではなく、1年前に赴任していた先輩。)と空港で落ち合って、総勢4人のメンバーが揃いました。
 利尻島に渡るフェリーの出航時刻は午後3時半。まだ3時間以上時間があるので、宗谷岬の「最北端の碑」を見に行ってみることに。するとそこはご覧のとおりの暴風雨。車から出るのも躊躇するほどで、この写真も車内から撮ったものです。さすが本土最北端、半端な状況ではなかったです。
 ほうほうのていで岬を後にしましたが、稚内に戻ってきた頃には風も収まり、出航の頃には小降りになってきました。そして、夕方、利尻島の鴛泊(おしどまり)港に着いた頃には雨は上がって、西の水平線にはオレンジ色の光も見えるほどになっていました。


Kashmir 3D

 利尻島での宿泊は沓形にある「ホテル利尻」。鴛泊からは車で15分ほどです。

 沓形からの利尻山

 明けて23日は4時半に起床。ホテルの朝食は7時からなので、昨日のうちにコンビニで買っておいたおにぎりなどで朝食を済ませてから、装備を整えます。
 出発間際にホテルの窓から撮った利尻山は、6合目くらいから上が雲に覆われているものの、朝日をバックに雄大な姿を見せてくれました。登山計画書は昨夜のうちにホテルに提出済み。時刻は5時半、さあ、登山口のある利尻北麓野営場に向かって出発です。
 現在、一般の登山に開放されている登山コースは、北からの鴛泊コース(上図赤線)と西からの沓形コース(同青線)の2コース。パンフレットによると両コースとも8合目から上に危険箇所が多いようですが、特に沓形コースには「背負子投げ」とか「親不知子不知」といった高所恐怖症のyamanekoには耐え難い難所があるようなので、鴛泊コースでの登山を強硬に主張しました。

 登山口

 午前6時、登山開始。所要11時間の長丁場の始まりです。
 利尻山では登山者のし尿による土壌汚染から山の環境を守るため、登山者はあらかじめ携帯トイレを購入して入山しなければなりません。コース上には3箇所ほどトイレブースがあり、使用後の携帯トイレは下山時に登山口にある回収ボックスに入れて帰るのです(自治体が燃えるゴミとして回収します。)。値段は一つ400円です。

 ヨツバヒヨドリ

 利尻島の緯度は45度を超えていて、植生分布からいえば本州の中部山岳の標高2000mくらいの植生が平地で見られます。リシリヒナゲシやリシリリンドウなど「利尻」を冠する花も多く、夏には多くの登山者が訪れるようです。でも、さすがに8月下旬ともなるとピークも過ぎ、それに伴って訪れる人も少なくなるのでしょう。この日下山するまでに出会ったパーティーはトータルで10組くらいでした。


Kashmir 3D

 利尻山は気象庁の分類する108箇所の火山のうちの一つです。その活動は約20万年前さかのぼるのだそうです。現在の姿に近い形になったのは約4万年前頃。2000年前に南麓で起きた噴火を最期に活動を休止しているそうで、有史以来火山活動の記録はないそうです。
 20万年前といえば我々の直接の祖先であるホモサピエンスがアフリカの大地に誕生した頃。アジア東部には4、5万年前に到達していたとのことですので、「種の分布拡大」という長旅の果てに噴煙を上げる利尻山を眺めていたかもしれません。そしてこの地に居残る者を除いて多くの者がベーリング海峡を越えて、北米、南米へと続く長い旅路に就いたのでしょう。

 甘露泉水

 6時15分。3合目にある甘露泉水に到着。環境省選定の名水百選のうちの一つだそうです。ここより先に水場はありませんが、ザックの中に水は十分装備しているので、ここは素通りです。

 ツバメオモト

 ツバメオモトの実のコバルトブルー。宝石のようです。

 マイヅルソウ

 4合目までやって来ました。時刻は6時45分。この辺りは野鳥の森と呼ばれ、エゾマツやトドマツの大木が茂る深い森です。クマゲラも見られるとのことですが、ここに落ち着いてもいられないので先を急ぐことにしました。

 ダケカンバ

 ダケカンバの林の中を登ります。この辺りからジグザグの道となりました。そしてほどなく5合目に到着。時計を見ると7時25分。登り始めて約1時間半が経過しました。

 ノコギリソウ

 おっ、エゾノコギリソウか? と思ってよく見てみると、舌状花の数が少ないことからノーマルのノコギリソウのようでした。
 明け方まで雨が降っていたのか、木々や草花はみな濡れています。その露で服が濡れてしまうので、レインウエアを着込むことに。ゴアテックスですがかく汗も半端ないのでどうしても蒸れてしまいます。

 ハイマツ

 この辺りで標高600mくらい。既に背の高い樹木はありません。

 トイレブース

 6合目までやって来ました。8時ちょうどです。雲の中に入り、細かい霧雨のような状態で、着ているものがしっとりと濡れてきます。
 ここにはこのコースで最初のトイレブースがあります。中には洋式トイレの便座部分だけがあり(ドーナツ状の椅子のような構造。)、これに携帯トイレをセットして使います。携帯トイレといってもその構造はいたって簡単なもの。中型ゴミ袋くらいの大きさのビニール袋の中に高分子ポリマーの吸収体が装着されていて、紙おむつ内蔵のビニール袋といった感じのものです。この袋を便座中央の穴にセットして、ビニール袋の縁を折り返して便座カバーのように便座の周囲に被せればOKです。使用後は袋の口を縛り、携帯トイレが収納されていたビニールケース(ジップロックのようになっていて、臭いはまったく漏れません。)に収めれば、ザックに入れて運んでも抵抗感はありません。もちろんビニールは透明ではないので、見た目も安心です。

 案内標識には「標高940m」とありますが、既に森林限界は超えています。

 ハイオトギリ

 8時30分、7合目に到着。6合目から7合目までは、思ったより早かったような気がしました。相変わらず雲の中で、景色はまったく楽しめません。
 水滴を身にまとったハイオトギリ。今日はどの花も寒そうに震えています。

 イワギキョウ

 7合目から8合目までは距離が長く、なかなか到達しませんでした。まだか、まだなのかと思いながら、登っていきます。
 この「○合目」という区切り、どうやらそれぞれの山によってまちまちに付されているようです。山頂までを10等分するという点では共通しているようですが、それが距離の等分なのか所要時間の等分なのか。中には見晴らしに都合のいい場所とか特徴的な大岩とか、ちょっとしたランドマークを○合目としている例もあるようです。

 ゴゼンタチバナ

 ゴゼンタチバナの朱い実。秋ですね。

 長官山

 ジグザグのターンを果てしなく繰り返したと思える頃、ようやく8合目に到着しました。時計を見ると9時20分。7合目から1時間近くもかかりました。
 8合目は長官山というピークになっていて、見晴らしは最高なのだとか。目の前の礼文島はもちろん、水平線にはサハリンの島影も望めるそうです(今日は白一色です。)。長官山の名の由来は、明治の初め頃、北海道長官(現代でいえば知事ですが、当時は中央から派遣されていたそうです。)がここまで登ったことによるのだとか。ということは、ここで挫折したということですよね。山頂まで行っていたら利尻山自体が長官山と呼ばれたでしょうから。

 リシリブシ

 長官山からはいったん下って再び登り返します。ここは鴛泊コースで唯一の下りで、鞍部には避難小屋があります。この鞍部では「利尻」の名を冠した植物に出会いました。リシリブシ(利尻付子)です。多くの高山植物がそろそろ盛りを終える頃ですが、このリシリブシは今がちょうど見頃のようです。冷たい露にも負けず生き生きとしていました。
 避難小屋を過ぎると再びきつい上りです。この辺りにはリシリヒナゲシやリシリゲンゲなどの群生地があるとのことでしたが、花期が8月上旬までとあっては残り花に出会うこともかなわないでしょう。

 9合目

 9合目に到着。10時5分です。ここでちょっと長めの休憩。稜線を越えていく風が一気に体温を奪っていきます。もともと気温は10度を下回っていますが、体感気温は0度近いと思います。いつもならさほど体温を奪わずにすぐに乾いてくれるドライベクターのシャツ(肌着)も、今回はなかなかその機能を発揮してくれません。

 最難所へ

 休憩とともにエネルギー補給もすませ、さあいよいよ最難所へ挑みます。危険領域を示すトラロープが張られていますが、ちょっとよろけてバランスを崩せば簡単に踏み越えてしまいそうです。しかも、視界が悪いのでロープの先の落ち込みがどこまで続いているのか分からないところも恐怖を倍増させています。

 ホソバイワベンケイ

 高山に生えるホソバイワベンケイ。もう果実になっていました。図鑑には「風の強い礫地や岩場に生える」とありましたが、こんな過酷な条件の場所では勢力拡大にも限界があるでしょう。他の植物が進出できないところで細々と子孫を残していく道を選んだのですね。

 コウメバチソウ

 ウメバチソウといえば高原の花というイメージですが、北の果ての高山で出会うとは。これはコウメバチソウ。別名エゾウメバチソウともいい、北海道の他、中部山岳などにも生育しているとのこと。基準標本はサンタの故郷、ラップランドだそうです。

 両側は断崖

 尾根はますます細くなってきて、写真の上の方にあるようなゴロゴロとした岩の上を辿っていくところなどは、背中に涼しいものを感じるようでした。

 ナガハキタアザミ

 ご覧のとおりアザミの仲間ですが、このナガハキタアザミはトウヒレン属というグループに属しています。アザミ属のアザミと違って、茎や葉に刺がないのが特徴の一つなのだそうです。北海道の他では東北の早池峰山に分布するのみなのだとか。

 沓形コースとの合流点

 沓形コースからの合流地点までやってきました。時刻は11時です。この急斜面、沓形コースがどこにあるのかもよく分かりません。

 激しい崩落

 スコリア状の火山噴出物で覆われている山体は崩れやすく、登山道は大きくえぐれていました。足元はズリズリと滑り、体力の消耗も著しいです。利尻山では登山道保護のためにストックの先端にカバーを付けることが義務づけられています。

 ミヤマアズマギク

 避難小屋以降、道はどんどん厳しくなっていきますが、逆に花という点では楽園になっていきます。ミヤマアズマギクは北海道から東北地方にかけて見られる花。過去何度も訪れた氷期の間に分布を広げていったんでしょうね。

 ノコギリソウご一行様

 ノコギリソウがひとかたまりになっていました。これも根元が崩れたら…。花たちにいわせたら「迷惑だから登ってくるなよ!」ってところでしょうね。

 タカネナデシコ

 タカネナデシコも寒そうです。細く裂ける花弁の先が濡れた髪のようになっています。

 頂上が

 おお、あれに見えるは頂上か? うぉぉ!ようやくここまできたぞ! でも手前には嫌な感じの痩せ尾根が…。しかも頂上より先がぶっつり切れているのはなんで?

 山頂の社

 ついに山頂に到着しました。やったー! 標高1719mです。11時30分、スタートから5時間30分かかりました。眺望は360度。そう360度全部真っ白です。
 山頂は狭く、この社の周囲は鋭い崖となってはるか下まで落ち込んでいます。とりあえずここまでの無事に感謝し、併せて帰路の無事もお祈りしました。

 南峰への道

 登ってきた方の反対側は立ち入り禁止。この山頂の先にはもう一つのピーク、南峰があり、そちらの方が2mほど高いのですが、崩壊が激しく極めて危険なため、現在は一般の登頂が禁止されています。ちなみに三角点はこちらの北峰にあります。

 威容

 山頂の周囲はこんなとこだらけ。あの先まで行ってみよう、なんて間違っても考えてはいけません。
 寒いし視界は悪いしで、結局山頂の滞在時間は10分ほど。あらためて社に参拝して、下山することにしました。

 斜面の花畑

 下りは上り以上に時間がかかります。さっそく右膝が痛くなってきました。こんなところから痛みはじめて、無事に下山できるでしょうか。

 リシリトウウチソウ

 苦痛を紛らわせてくれるのは、やっぱり可愛い花たちです。リシリトウウチソウはバラの仲間。葉っぱで分かりますね。雨に濡れて花穂のふんわり感がありませんが。

 シコタンハコベ

 シコタンハコベ。発見された色丹島にちなんだ名前ですが、日本では中部地方の山岳から北海道までに分布しているそうです。花冠の赤い点は雄しべの葯です。

 シュムシュノコギリソウ

 「シュムシュ」とは「占守」と書き、千島列島最北端の島「占守島」のことを意味しているのだそうです。ノコギリソウよりずいぶん小型です。

 ミソガワソウ

 こちらはシソの仲間のミソガワソウ。亜高山帯以上の高地で生きる花ですが、利尻島では平地でも見られるそうです。

 避難小屋にて

 ようやく避難小屋までたどり着きました。13時40分。ここまで下りてくるのに2時間ちかくかかっています。ここで遅い昼食です。カップラーメンを食べようとお湯を沸かしますが、気温が低いのでガスが気化しにくかったです。
 避難小屋はきれいに片付けられていて、緊急時の避難施設としては十分のものでした。詰めれば30人くらいは横になれそうです。もちろん食料品などはありませんが、ふと見ると天井の梁の上に紙パックの焼酎が。未開封でした。緊急時に寒さを紛らわせるためのものとして誰かが置いていったものなのかもしれません。
 ここで30分くらい休憩して、再び下山の途につきました。しかしここから先も長かった。膝をかばって歩いているうちに、今度は足のつけ根が痛くなり、それでも黙々と歩き続けました。
 
 そして午後5時、スタート地点の利尻北麓野営場まで下りてきました。ハァ〜、長かった。
 
 利尻山。海上の独立峰でありながら、登り始めてから下山するまでまったく眺望はありませんでした。でも、植物層のおもしろさには特筆すべきものがあり、その点では十分に楽しめた山歩きでした。残暑の東京からはるばるやってきた甲斐はありましたね。(なんか負け惜しみっぽいな。)
 


 その日の夕食はウニとカニとホタテ三昧でした。まぁ、ビールの美味かったこと。
 疲れ果てて、午後9時過ぎには寝てしまいましたが、夢で見たのはもちろん晴天の利尻山からの眺望でした(ウソ)。