筑波山 〜初登りは信仰と巨岩の山〜
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【茨城県 つくば市 平成25年1月19日(土)】
正月も終わりましたな。元日こそ子どもたちが帰ってきていましたが、翌日からは静かなもの。夫婦二人だけなので、「ま、いいか」で今年は七草粥も鏡開きもパスしてしまいました。新年早々ゆるい感じになっています。
で、正月で鈍った体を目覚めさせるために、ここらで一発野山歩きでもという展開に。今回も職場のTさんとMさんと3人で出かけることにしました。向かうは茨城県の筑波山。もう6年とちょっと前に登ったきり、久しぶりの山です(そのときの様子。)。
北東方向 |
上の写真はyamanekoの家から北東方向を眺めたところ。ひときわ高いのは池袋のサンシャイン60。その左にある細い棒のようなものは豊島清掃工場の煙突です。そしてそのちょうど真ん中、丸印のところに見えるのが筑波山です。ここからの距離は約70q。晴れた日には肉眼でもはっきりと見えます(マウスオーバーで拡大)。
朝8時前の中央・総武線に乗って秋葉原へ向かいます。そこで京浜東北線でやってくるTさんと待ち合わせ、8時30分発のTX(つくばエクスプレス)に乗換えます。TXは駅も車両も新しいので気持ちいいです。発車後ほどなくして北千住から乗ってくるMさんと合流。そして秋葉原からわずか45分で終点のつくば駅に到着しました。
地下ホームから地上に出ると、そこは大型商業施設が建ち並び、思ったより都会の雰囲気。そういえば昔はつくばの研究機関などに行くときは常磐線の荒川沖駅が最寄りで、駅舎を出るとローカル感満点でした。
北条地区から |
TXつくば駅からは筑波山までシャトルバスが出ているので、観光客には便利です。でもまだ時間が早いせいか、乗客は全員山登りの格好をしている人たちでした。
バスは筑波研究学園都市として整備された街並みの中を走っていきます。そしてほどなく、この辺り本来の田園風景が広がってきました。シャトルバスの乗車時間は30分ほど。車窓からはだんだん大きくなってくる筑波山を見ることができ、徐々に気分が盛り上がってきます。
神社入口 |
10時すぎ、筑波山神社入口バス停に到着しました。ストレッチをして出発です。
バス停前の広場の先がちょっとした展望スペースになっていて、そこからの眺めがこれ(↑)。関東平野が一望です。そしてちょっと見えにくいですがその最奥には富士山が(肉眼ではくっきりと見えました。)。ここからの直線距離は約160qもあります。でも、さすがは富士山、この広さの中でも存在感がありますね。
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さて、今日のルートは、まず筑波山神社に向かい、そこから女体山の東側の尾根に出る白雲橋コースを辿ります。帰りはケーブルカーの軌道に沿うように延びる御幸ヶ原コースで下りてくる予定(でしたが、ちょっとしたハプニングがあり、ケーブルカーそのもので下りてくることに。)。
筑波山は、女体山(877m)と男体山(871m)との二つのピークを持つ双耳峰です。関東平野から見ると独立峰に見えますが、南北に延びる筑波山塊の最南端に位置しています。富士山と並んで江戸の庶民に親しまれた山で、西を向いた風景画では富士山を、また、北を向いた風景画では筑波山を描き入れるのが定番だったのだそうです。高い建物がなかった時代には双方とも江戸の町からよく見えたんでしょうね。
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バス停から歩くこと5分ほどで筑波山神社に到着しました。この階段は足の裏側を伸ばすストレッチにちょうどよいです。
筑波山神社 |
階段を登り切ると筑波山神社の拝殿が現れました。本殿は男体山と女体山の山頂にそれぞれあります。この拝殿は明治時代になってほどなく造営されたもの。それまではお寺が建っていたそうです。
もともと筑波山は古来より神様として信仰の対象となっていたところで、奈良時代になって仏教が広まり、その神域に中禅寺という寺院が建立されたのだそうです。いわゆる神仏習合です。異教を排斥するのではなく、折り合いをつけて共存を図ったということで、仏教伝来後全国各地で起こった現象だそうです。いかにも日本的ですね。一般的には同じ敷地内に神社と寺院があるのですが、ところによって寺院メインであるとか、その逆とか、その後に歩んできた歴史によって力関係もまちまちだったのだそうです。明治時代になってすぐに発せられた神仏分離令によって、神道と仏教をはっきり区別しなければならなくなった結果、ここでは中禅寺が廃されて現在の形になったとのことです。
御朱印 |
御朱印ハンターのMさんはさっそく御朱印をゲット。この参拝者に御朱印を授けるというシステムは神社にもお寺にもあり(これも神仏習合の名残か)、Mさんは神社用とお寺用と御朱印帳を使い分けていました。念が入っています。
「是より女體山」 |
神社から登山口方向に歩いて行くと「是より女體山」と刻まれた石碑がありました。道しるべかとも思いましたが、「是より」とあることから、ここから女体山の神域が始まることを示すものかもしれません。筑波山南面の標高270m以上が神社の境内地になっているそうで、ちょうどこの辺りの標高が270mなのです。
登山口 |
石碑からほどなく登山口が現れました。この鳥居をくぐって登ります。時刻は10時45分。ちょっとゆっくりしすぎたか。
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森の中に入ると常緑樹の梢を通り抜けて斑に陽が差し込んでいます。いい雰囲気です。
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登山口から10分も経たないうちに分岐が現れました。白雲橋コースは左へ。右はつつじヶ丘を経て女体山に向かう迎場コースです。
白蛇弁天 |
11時すぎ、白蛇弁天までやってきました。看板には「ここに白蛇が住むといわれ、白蛇を見たものは財をなすといわれています。」と紹介。今年は巳年なのでダブルで縁起がよいのではと辺りを見回しましたが、この寒いのに蛇がうろうろしているはずもありませんでした。
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登るにつれ少しずつ雪が出てきました。いや、雪というより雪が固まったものといったほうが当たっていると思います。滑らないように慎重に歩を進めます。
雪(氷)はますます多くなり、やがて登山道を覆い尽くすようになりました。こうなるともう普通には歩けません。アイゼンの登場です。6本爪の簡易アイゼンですが、これがあると嘘みたいに楽に歩けます。ただアイゼンをスパッツなどに引っかけて転ぶことがあるので、調子に乗って歩いてはいけませんが。
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高度を増してくると少しずつ頭上が開けてきます。今日は快晴で心も軽くなるようです。
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すわ、雪山でUMA(未確認動物)発見か。ビックフットか。いや、これは前を行くTさんとMさんです。
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しばらく行くとつつじヶ丘から女体山に向かうロープウエイが見えました。昨日は強風で運休だったようですが、今日はしっかり稼いでいるようです。
弁慶茶屋 |
12時15分、弁慶茶屋(跡)という広場にでました。ここにはつい6年前まで茶屋があったとのことですが、今は更地。270年も続いた歴史のある茶屋だったそうです。その廃業から一月後にyamanekoはここを通ったのですが、そのとき既に更地だったような記憶があります。
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弁慶茶屋からは南西方向の眺望が開けています。ここは分岐点になっていて、その南西方向に向かって下りて行く道もあり、つつじヶ丘に通じています。
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反対側を振り返ると木立の隙間からピークが。あれが女体山の山頂です。ちょうど見えるようにここだけ木を切ったのでしょうね。
女体山山頂 |
山頂には柵があり、何人かの人影も見えます。ここからの標高差は170mほどです。
弁慶七戻り |
弁慶茶屋から先には巨岩がごろごろ出てきます。これは「弁慶七戻り」という岩。左右の大きな岩の上に橋を架けるように岩が乗っかっていて、細い隙間を通り抜けるようになっています。今にも巨岩が落ちてきそうで、弁慶が通り抜けるべきか止めようか、7回行きつ戻りつしたという言い伝えのある岩です。
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岩の間を縫うように進んでいきます。この岩たちは斑糲岩。溶岩が地中深くでゆっくりと冷え固まってできた岩石です。
筑波山は、溶岩噴火でできた火山ではなく、地質学的には堅牢残丘と呼ばれるものなのだそうです。これは周囲の軟らかい地質のところが浸食され、堅く浸食されにくいところが残ってできた地形。筑波山の場合、アポロチョコのように、花崗岩の土台の上に堅い斑糲岩が重なっている構造になっているのだそうです。
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少しずつ山頂が近づいてきて、のしかかるように見えてきました。
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アイゼンが小気味よく雪を咬んでくれます。天気はいいし、気分晴ればれの山歩きです。
東方向 |
振り返るとこんな風景が。さっき眼下の小ピークを越えてきました。その裏側に弁慶茶屋があります。写真右奥に見える市街地は石岡市街。その向こうには霞ヶ浦です。
山頂直下 |
いよいよ傾斜が急になってきました。もう山頂直下まで来ています。
女体山山頂 |
12時50分、女体山の山頂に到着しました。10数人が景色を眺めたり写真を撮ったりしています。山頂も巨岩が積み重なってできているので、足場はあまり良くありません。柵がなかったらちょっと危ないかも。
ここでちょっとハプニングが発生しました。山頂に到着したとたんにTさんがふくらはぎの痛みを訴えたのです。激しい痛みではないのですが、痛み止めのコールドスプレーをしたあとテーピングをして筋肉を固定する応急処置を。とりあえず様子を見ることにしました。どうやら軽い肉離れのようです。
西方向 |
さて、処置を終えたTさんはほっておいて(笑)景色を楽しみましょうか。山頂からの展望は一級品。西の方角には男体山越しに関東平野が見渡せました。こうやって見るとものすごく広いですね。その広さ、東京ドーム36万5千個分の日本一大きな平野です。(かえって分かりにくい。)
女体山御本殿 |
山頂脇にある女体山神社(なぜかバックショット)。祭神はイザナミノミコトだそうです。
東方向 |
東の方向はこんな感じ。こちらも広々としていますが、西側と違うのは40数q先には鹿島灘があるということ。
ところで、縄文時代には関東平野の大部分が海だったそうです。最終氷期が終わってから徐々に温暖化し、そのピークとなった紀元前4千年頃には今より海面は4〜5mほど高かったのだとか。筑波山の山裾もすぐそこまで海が入ってきていて、眼下には波打ち際の浅瀬や入り江が広がっていたと考えられています。その後海面が下がったということは、今はまた徐々に寒冷化に向かっているということなんでしょうか。
ガマ岩 |
眺望を楽しんだ後は、女体山を後にして男体山との鞍部に向かいました。そこにはケーブルカーの駅があり、売店や食堂などもあるのです。yamanekoは食堂で暖かい昼食をとろうと、今回は弁当を持ってきていません。
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Tさんはダブルストックでゆっくりと歩いています。じっとしていると痛みはないようですが、ふくらはぎに力を入れると「アイテッ」となるみたいです。
鞍部 |
1時30分、鞍部に到着しました。正面に見えるのが男体山の山頂。今日は負傷者が出たので登頂はパスです。いや、それは口実で、空腹で登るパワーが出ないというのが正直なところでしょうか。緑色の建物の2階に食堂があるので、そこに直行します。
女体山を振り返る |
食堂ではあつあつのカツ丼を食べて身も心もホッとしました。Mさんはなめこ汁のみを注文。彼はいつも自分でにぎったおにぎりを持って来るのです。単身赴任が長いとそういうこともできるようになるんですね。今回はおにぎりをラップにくるんで、その上下を使い捨てカイロで挟んで持ってきていました。ちゃんと暖かかったようでした。
北方向 |
食後は北側の風景を。右手から奥に向かって延びる山並みは、加波山、雨引山などの筑波山塊です。
下山 |
鞍部で1時間あまり休憩したあと、ケーブルカーで下山しました。これもTさんをだしにして単に楽をしただけです。下山に要した時間はわずか7分間でした。
ケーブルカーの駅は筑波山神社のすぐ近く。そこからは朝通った神社の参道を下っていきます。
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途中で出会ったネコ。しゃがんで呼んだら何のためらいもなく寄ってきたのですが、特段甘える様子もなく、体をすり寄せたままじっとしていました。参拝者が声をかけるので逆に人間の扱いに慣れているのでしょう。案外気を遣っているんだね、おまえも。
さて、新年最初の山歩きはこんな感じでした。バス、TX、JRと乗り継いで、家に着いたのは午後5時すぎ。正月で鈍った体を目覚めさせるのにはちょうどよかったです。でもTさんはしばらくは静養でしょうね。
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