雨引山 〜野辺の春を歩く〜


 

【茨城県 桜川市 平成22年3月14日(日)】
 
 寒い寒いと言っていながらも既に3月半ば。ときには最高気温が20度近くにも達する日があって、東京にも確実に春の足音が聞こえてきています。
 暖かくなると、当然に花粉の飛散量が増すわけですが、かといって家の中でじっとしているのももったいないし。ということで、今日はその花粉覚悟で春の野山を歩いてこようと思います。
 
                       
 
 今回向かったところは茨城県の中西部、桜川市にある雨引山です。
 朝7時にドリーム号で出発。首都高中央環状線から6号三郷線を経由し、そのまま常磐道へ。まっすぐ北東に向かって走ります。晴天の休日ということもあって車の量は多めですが、渋滞はしていませんでした。埼玉県、千葉県をかすめて、ほどなく茨城県に突入。霞ヶ浦と筑波山との間を通りぬけ、友部JCTで北関東自動車道へ。去年開通した桜川筑西ICで一般道に下りました。
 この北関東自動車道は茨城、栃木、群馬を横断する高速道路で、去年、常磐道と東北道が連結され、来年には東北道と関越道が連結される予定になっています。ちなみに南関東の千葉、埼玉、東京、神奈川は圏央道によって弧状に結ばれつつあります。
 インターを下りたら少し引き返す形で旧岩瀬町の中心部に向かいます。JR水戸線の岩瀬駅の先にある踏切を渡って、細い道を谷間の奥に向かって上っていくと突き当たりに駐車場があり、そこが登山口になっています。9時10分に到着です。

 登山口

 駐車場は車5、6台分のスペース。ちょうど1台分空いていたのでラッキーでしたが、しばらくして上がってきた車はそのままバックで来た道を戻っていきました。
 装備を整え準備運動をしていると、ウオーキング中の地元のオバチャン2人組みがやってきました。ドリーム号の練馬ナンバーを見て東京から来たのかと驚いた様子。こんな近所の裏山みたいなところにわざわざ来たのかというのです。知り合いにでも会ったような親しさにちょっと面食らいましたが、なんでも息子さんが練馬区の上石神井にいるとのことで、「このまえ初めて車で行ってきたのよ〜。」と石神井周辺の話題に。どうもyamanekoも練馬に住んでいるものと思い込んでいるようでした。練馬ナンバーだからって、みんながみんな練馬に住んでいるわけではないのですが。でも、気のいい人たちだったので、話を合わせておきました。
 
 ちなみに23区のナンバーは、「練馬」の他に「品川」と「足立」があります。yamanekoの住んでいる新宿区も練馬ナンバー。23区内の北西部8区が練馬ナンバーの地域です。品川ナンバーは南部の8区。先代のドリーム号は港区に住んでいるときに購入したので品川ナンバーでした。そういえば小笠原など島嶼部も品川ナンバーだそうです。足立ナンバーは東部の7区。下町一帯は足立ナンバーですね。都内では、あと「多摩」と「八王子」があります。


Kashmir 3D

 今日のコースは、登山口から尾根筋に沿って御岳山に登り、そこから雨引山へ向かいます。山頂からは反対側に下りて、雨引観音にお参りして、あとは平地を歩いて戻るというもの。休憩込みで4時間もあれば十分でしょうか。
 なんだかんだで時刻は9時20分。そろそろ登山開始です。

 不動の滝

 登山口から100mほど歩くと、バチャバチャと水音が。ちょっとした崖の上から樋が伸び出ていて、その先から水が落ちています。近くには東屋があり、「不動の滝」と記されていました。きっと水ごりができるようにしつらえてあるのでしょう。崖の上にはお不動様でしょうか、それらしい石像がありました(丸線内)。

 朝日

 不動の滝から左に折れて、山肌を斜行します。木立から漏れる朝日、ツツピー、ツツピーと鳴くヤマガラの声。清々しく気持ちいいです。今日は最高気温13度という予報。林の中にいてもそんなに寒くはありません。

 稜線の道

 ほどなく稜線の道に出ました。左手は開けた落葉広葉樹林なので明るいです。木々はまだ芽吹き前。でも、あと1、2週間もすると一斉に若葉が萌えるでしょう。

 ヤマツツジ?

 一輪だけ開こうとする花に出会いました。ヤマツツジでしょうか。本番は5月。さすがにちょっと気が早いようですね。

 岩瀬の街並み

 9時45分、北の方角が開けた展望台に出ました。すぐそばに鳥居があって、どうやらここは御岳山神社の裏手に当たる場所のようです。
 ここからの眺望はご覧のとおり。麓の岩瀬の街並みが一望にできました。旧岩瀬町は人口2万2千人(合併前)。車で通りぬけただけでしたがこぢんまりした静かな町でした。正面の山は富谷山といい、南斜面に採石場があって山肌が大きくえぐられています。標高は370mほどです。

 御岳山神社

 ひとしきり眺望を楽しんでから、境内の方に回ってみました。大きなシラカシが立っていました。今日一日この山で遊ばせてもらうことへの感謝と無事に家まで帰り着くことができるようにとのお願いをして、再び登山道に戻りました。
 神社を過ぎると今度はヒノキの明るい林の道。急な坂道にふくらはぎが伸びるのを意識しながらぐいぐい登ります。体の筋肉の隅々にまで血液が巡るようで、気持ちいいです。

 御岳山山頂

 ほどなくなだらかなピーク状のところに出ました。ここが御岳山の山頂。標高231mです。ここにはコナラ、ヤマザクラ、イヌシデなどの落葉広葉樹の林となっています。夏場は緑の葉陰の場所でしょうが、今は写真のとおり明るい広場になっています。
 関東地方のどこに行ってもこういった小高い山々には山歩きが楽しめるルートがあります。案内板などもしっかりしていて、しかもそれが地元の人たちによって手入れされている。みんな地元の山を大切にしているのでしょう。自分の暮らす場所を愛する心っていいですね。yamanekoもいずれどこかを終の棲家とするでしょうが、こんな里山の麓だったらいいな、とぼんやりと考えています。

 シュンラン

 御岳山を過ぎ、いったん下ってからもう一度上り返します。
 登山道脇にシュンランの花芽が。ハイカーの踏みつけから守るために竹組みがしてありました。写真では分かりにくいですが、花芽が伸びてきているところからすると、この先暖かな日が数日続くと花を開くかもしれません。
 
 左手に緑色のフェンスが現れました。木立越しにフェンスの向こうを見てみると、どうも採石場があるようです。帰宅後に調べてみると、この辺りは日本有数の採石地だそうで、石材業が盛んなのだそうです。特に桜川市南部の真壁地区(旧真壁町)は特産の真壁御影石を加工した石灯籠が有名で、国の伝統工芸品に指定されているそうです。御影石は花崗岩のことで、石材として呼ぶときに御影石というのだとか。瀬戸内海から中国山地にかけて広く露出している花崗岩はベージュっぽい色味ですが、この辺りのものは薄青味がかっています。

 倒木

 採石場のところから道は右手に折れ、谷に向かって一気に下りだします。
 倒木がフェンスに倒れかかって、フェンスをへし曲げていました。切り口がチェーンソーで切られていたものだったので、伐採に失敗してフェンスを壊してしまったのかと思いましたが、倒れた木が登山道を塞いだので邪魔にならないように通り道のところをカットしたというのが真実でしょう。どうせなら残りの木も撤去すれば良かったものを。

 谷底

 標高差にして一気に100mくらい下ったのではないでしょうか。谷筋まで下りてきて、そこからまた雨引山を目指して上り返します。

 ヒメカンスゲ

 やや薄暗い登山道脇ではヒメカンスゲが目立っていました。先端の花穂は雄花です。

 急登

 さっき下ったぶん以上に急な上りが続きます。最近メタボ予備軍脱却を心がけているyamanekoにとってはむしろありがたいくらい、と考えることにして、黙々と登ります。
 登山道にはホオノキの葉が散らばっていました。遠目に見ると融け残った雪のようです。これはホウノキの落ち葉の葉裏が白いからです。

 陽光

 急な階段の連続で、汗がにじんできました。歩を止めてアウターを一枚脱ぎます。それにしても日差しが暖かいです。

 次世代へ

 倒木の切り株が朽ちて崩れ、そこから小さな芽が生えています。命の交替ですね。
 小休止して今日3回目の目薬を入れることに。こうしておかないと、夕方あたりに目が猛烈にかゆくなって大変なことになるんです。
 
 再び歩き始めます。するとほどなく腹がグウと鳴きだしました。朝は食パン1枚。それと煎餅2枚。そろそろおやつのアンパンでも食べたいところです。
 ほどなく左手下にアスファルトの林道が見えてきました。この舗装路はこの先にある電波塔の保守管理用のものでしょう。登山道はその電波塔の脇を通って雨引山に続いていて、電波塔まではその林道を通っても行けるのですが、ここは当然に気持ちのいい山道を歩くことに。

 電波塔

 10時35分、電波塔に到着。表側に回って看板を見てみると、NTTの岩瀬中継所という施設でした。
 ここで小休止。おやつタイムです。

 たわわ

 アンパンをほおばりながらまったりと。電波塔の周囲はスギ林です。この時期、雄花は花粉を満タンにしていて、ちょっとした梢の揺れにも煙幕のように花粉を飛ばします。でも今日はそんなに気温が高くないせいか、肉眼で分かるほどには飛んでいないようでした。
 10時45分、休憩を終え再出発。どうやらおやつのおかげで腹の虫もおとなしくなったようです。

 最後の上り

 山頂へと続く木の階段が見えてきました。両側にきれいに踏み跡の道ができていますが、多少歩きにくくても、ここはルールどおり階段を行きます。大腿四頭筋がギシギシ言っています。

 北西方向

 階段を上りきると北西方向の眺めが開けていました。さっき小休止した電波塔が眼下に見えています。遠くは白く霞んでよく見えませんが、この正面遙か向こうには日光連山があるはずです。
 さあ、あとちょっとです。

 山頂

 11時ちょうど、雨引山の山頂に到着しました。標高は409mです。
 山頂の解説板には「雨引山は、標高409mで筑波山塊の北端に位置し、地質は花崗岩を主体に形成されています。植生は、アカマツやスギを中心に植栽されていますが、部分的にクヌギ、コナラなどの二次林も残っており、その林内にはヤマザクラが混生しています。林床にはヤマツツジ類の花木が多く生育して、四季の変化を楽しむことができます。また、雨引観音の周辺には、本県を植物分布の北限とする暖地性のスダジイが群落を形成しているのも貴重です。」とありました。

 筑波連山

 山頂からは南から西の方向の眺望が開けていました。雨引山から続く稜線の先には加波山、筑波山がきれいに並んでいるのが見えます。その西には北関東の平野が。空との境界が霞に消えて果てしなく広がっているようです。


Kashmir 3D
 北関東の平野

 だだっ広い関東平野。遮るものは何もないので、さほど高くない山からでもずいぶん遠くまで見渡すことができます。なにしろ70q離れたyamanekoの家からも筑波山の姿を見ることができるのですから(雨引山は影に隠れて見えませんが。)。

 春の空

 まだ昼食には早いので、ここでは小休止して、反対側の中腹にある雨引観音に向かって下山することに。お昼はお寺の境内ででも食べようか、などと考えつつ歩き始めました。
 麓の方から鐘の音が聞こえてきます。里山を歩いていて面白いと感じるものの一つに、麓からいろんな音が聞こえてくることが挙げられます。遠くを走る列車の音や踏切の音、役場や学校の放送、バイクの排気音などなど。音は上に向かって広がるので、高いところにいると良く聞こえるのです。

 分岐

 11時15分、雨引観音への分かれ道までやって来ました。直進すると加波山に向かいますが、ここからは6qもあるとのこと。さらに筑波山への縦走はかなりの時間が必要となります。一方、雨引観音へは、ここを右折して約1.7qです。

 気持ちいい小径

 登山道脇にはイタヤカエデやヤマボウシの大木などもありました。季節が進むとまた楽しい道になるでしょうね。

 ヒサカキ

 頭上でヒサカキの蕾が開き始めています。まだホントに咲きはじめといったところ。yamanekoが数年前まで暮らしていた広島では、この時期すでに満開だろうな。人間の記憶は特定の臭いと直結しているという話を聞いたことがありますが、あのヒサカキ独特の香りを嗅ぐと、広島の牛田山を歩いている情景をいつも思い出します。

 道標

 雨引観音の裏手のちょっとした馬の背のような地形のところに出てきました。砂岩で作られた道標が立っています。「みぎ、はぐろ、かさま」と彫ってあります。雨引観音の参拝を終えて水戸方面へ帰る人々のためのものだったのでしょう。

 境内裏手

 11時30分、雨引観音の境内に裏から入ってきた格好に。なんだか人がたくさん来ているが、縁日か何かか? 

 雨引山楽法寺

 境内は参拝客でごった返していて、急に別の世界に迷い込んだようです。多宝塔の前の満開のサクラは河津桜。早咲きで有名ですね。
 解説板によると、このお寺、ちょっとした名刹のようです。6世紀末に中国の僧により楽法寺として開基。まもなく推古天皇の病気を治したとか、8世紀には聖武天皇が皇后の安産を記念して経をを奉納したとか、東国の山間にありながら朝廷との強い結びつきを示す、立派な歴史を持っているようです。
 9世紀には大干ばつが国中を襲ったとき、嵯峨天皇がここで祈ったら7日7晩雨が降り続いたとのことで、以来山号を雨引山としたのだそうです。京都から雨乞いのために天皇がわざわざここを目指してやって来たのかと思うと、当時のこの寺の名声たるや大変なものがあったのだと思われます。
 参拝客の多くは小さな赤ちゃんを抱いた若い夫婦やおじいちゃん、おばあちゃんなど。このお寺の縁起から安産、子育てに御利益があるとのことで、どうやらお宮参りでやって来た人たちのようでした。それにしても縁日でもないのにこの人出。雨引観音の境内の下には広い駐車場があって、ほぼ満車状態。それでも次から次から車が上ってきます。そんなに有名なお寺だったの?
 山歩きの格好で境内にいるだけでも浮いているのに、ごった返す人の中で弁当を広げることもはばかられるので、昼食は麓に下りてからにすることにしました。やれやれ。

 雨引山

 12時ちょうど、麓まで下りてきました。長閑な農村の春です。写真の最も高いピークが雨引山。左手にある電波塔を目指して裏側から登ってきて、山頂へ向かいました(電波塔から左に伸びるのは丸山へと続く稜線です。)。雨引観音は山頂から右下に下った小山の上に位置しています。
 からここから「つくばりんりんロード」という、昔鉄道だったところを歩いて岩瀬の街に戻ります。気分はもう山歩きを終えた感覚ですが、まだここで行程の半分強が終わったに過ぎません。

 オオイヌノフグリ  ヒメオドリコソウ

 荒起こしが終わった田圃の上からヒバリの賑やかな声が降りそそいできます。春だなあ。
 視線を地面ぎりぎりのところまで下げてみると、普段は気に留めることもないこういう小さな花の世界というか生活環境が分かります。地上わずが10pの空間で繰り広げられる生命の営み。今は春の光を存分に浴びて最も生き生きとしてる時期ですね。

 消失点

 りんりんロードはもと鉄道だけあって、無駄な蛇行はないようです。なにしろ遙か向こうに消失点が見えます。前にも後ろにもだーれもいません。
 フェンスのところに距離ポストのようなものがありました。「土浦から37q」とあります。この路線は、昭和62年に廃止される前は筑波鉄道といって、土浦駅から筑波山の西側を巡って岩瀬駅までの40.1qを結んでいたそうです。

 駅?

 12時40分、りんりんロード上にある休憩スポットで遅めの昼食をとることにしました。ここはサイクリングをする人たちにとっては駅のような存在でしょうか。
 ベンチに座って弁当を食べていると、地元の中学生くらいの3人組が自転車で通り過ぎていったのですが、みなが口々に「こんにちわ」と挨拶をしてくれました。いい子たちです。都会ではなかなか経験できないことですね。そのままいい大人になれよ。

 岩瀬駅

 1時5分、岩瀬駅の裏手に到着しました。駐車場や公園が整備されていて、りんりんロードの北の起点としてサイクリングターミナルになっているようです。芝生の広場には桜の並木があって、花見にはもってこいのスペースです。

 JR水戸線

 岩瀬駅からは線路沿いに歩いて、踏切のところで右折。今朝ドリーム号でさかのぼった細い道を谷間の奥の駐車場に向かって歩きます。
 遠い踏切の音に振り返ると、JRの水戸線を電車が走っていきました。その遙か向こう、栃木県との県境をなす山々の稜線はくっきりとして、上空には一片の雲もありません。長閑な風景です。
 
 1時20分、駐車場に到着。春らしく明るく、そして楽しい一日でした。
 これから高速に乗れば渋滞に巻き込まれることなく、都心に入ることができそうです。