小菅村 〜人工林の手入れを学ぶ〜


 

【山梨県 小菅村 平成19年12月1日(土)】
 
 前回の古道再生プロジェクト「松鶴のブナを守る」から2週間、巷では師走に突入しましたが、当方、再び小菅村で楽しんでこようと思います。今回は「人工林の手入れを学ぶ」。森の役割、森の現状、森との関わり方などを、体験を通じて学び感じてみようというものです。(前回はこちら 11/1711/18
 
 このまえの教訓に学び、始発の新宿駅からホリデー快速に乗車しましたが、なんのことはない、車内はガラガラでした。前回は奥多摩の紅葉がピークだったからで、普段はやっぱりこんなものなのでしょう。普通に中野駅から乗ればよかった。

 奥多摩駅

 9時50分、中央線の新型車両は青梅線の終着、奥多摩駅に滑り込みました。駅前も前回ほどの混雑はなく、まっすぐ受付へ。そしてマイクロバスに乗り込みました。今回は内容が山仕事なので、参加者は若干少なめです。その中で相変わらずたのもしいのは農大の学生さんたち。彼らはウイークデイも小菅村に入っていろいろ勉強しているとのことで、その過程で村の人たちとのふれあいが生まれ、徐々に受け入れられつつあるようです。

 奥多摩湖

 この9月の台風以来、奥多摩湖の水は白緑色に濁ったままだそうです。奥多摩湖は正式には小河内貯水池といい、その貯水量は1億8千万立方メートル。水道専用としては日本一の貯水量だとか。今、まさに満々と水を湛えていますが、村の人によるとこれほど水位が上がっているのは40年ぶりくらいなのだそうです。ちなみに、東京が使う水道水の8割は利根川から取水していますが、利根川水系は渇水期に弱く、ここ奥多摩湖の水が最後の切り札としての役割を負っているそうです。

 源流大学

 バスは奥多摩湖から分かれて小菅川に沿った谷をさかのぼっていきます。そして小菅村の白沢地区にある多摩川源流大学に到着。ここは平成4年までは小菅小学校白沢分校だったところです。
 10時45分、開講。まずは小菅村役場の青柳課長から挨拶です。この方も土日関係なく飛び回っていて忙しい人。先日も全国水源の里協議会(加盟146自治体)を立ち上げ、過疎・高齢化に歯止めがかからない限界集落(=水源の里)の地域活動の維持などについて議論してきたとのこと。明日は友好都市関係にある多摩川下流の東京都狛江市の祭に招待されていて、そこで小菅村をPRしてくるのだそうです。
 次に、このプロジェクトを共催する東京電力から環境部グリーンサポートグループの矢野さんのお話。概要は「森はCOを閉じこめておいてくれる」ということ。ご存じのとおり植物は昼間光合成を行ってCOを吸っています。これは木が大きく育つ過程でその体内にCOをたくさん固定するということ。すなわち森はCOの貯蔵庫で、その森が荒廃しないように手入れをするということは貯蔵庫の役割を損なわないようにしていくということになるのです。さらに、森で育った木で作ったものを長く(その木が育ってきた期間より長く)使ってやることで、COをさらに有効に固定できるということ。もちろんその木を伐った後には新たな木(CO貯蔵庫)が育つという仕組み。そうやって活用した木も、最後には薪にして燃料にするのですが、その際放出されるCOはもともとその木が吸収したもの。なので新たなCOの放出にはならず、COは定量で循環することになるのです。これはいかに化石燃料の使用を少なく済ませるかという観点で意味深い話です。

 CO固定中

 その話を聞いて教室を見渡すと、テーブルはもちろん、壁の腰板にもヒノキが使われていました。これらはここで長く使われることで長期間にわたってCOをとどめておいてくれるのです。木を使うということはそういう効果もあるのですね。

 菅原先生

 続いて、東京農業大学の菅原先生から、人工林の管理の考え方について素人向けにかみ砕いた講義がありました。
 先生の講義によると、スギやヒノキの植林地の管理として間伐は欠かせないものですが、ただやみくもに切り倒せばよいというものではないとのこと。この森をどのような姿にしたいのか、どのような木をどの程度生産できるようにしたいのか、十分に検討して取りかかる必要があるのだそうです。
 具体的には次のような説明でした。
 スギやヒノキは原則として森の密度が疎であるほど太く育ちます。森の混み方が限界に達した状態を1として、「密仕立て」の状態は0.9〜0.8、「中庸仕立て」の状態は0.8〜0.7、「疎仕立て」の状態は0.7〜0.6。これを収量比数といいます。「密仕立て」の場合は収量は多いですが1本1本は細め。逆に「疎仕立て」とした場合は収量は少なめですが1本1本は太くなるといった具合です。これとその森の木の平均樹高(高層木の平均的な高さ)とに一定の法則性があって、これを図にまとめ、密度管理の計画を立てるのに用いたり、どれくらい切るのかの目安にしたりするものを「林分密度管理図」といいます。この管理図を用いれば、例えば、平均樹高18mのヒノキ林で中庸仕立てにするには、1haあたり約1000本とするのが適当といったように導き出せるのです。これと現状の1haあたりの本数とを比較して、どの程度間伐すればよいかの目安となるというわけです。初めて知りましたが、森林管理は科学的なものなんですね。また、実際にどの木を伐るかということについては、優勢なものを残して劣勢なものを間伐するのが原則ですが、優勢なもののみを残そうとするあまり森が疎になりすぎるのもよくないとのことで、そういうときには小さくてもあえて残すということもあるのだそうです。
 この林分密度管理図の使い方は、今日の午後実際に体験してみることになっています。

 丹治先生のテキスト

 今回も丹治先生から「古典の中の森林」をテーマに講義がありました。
 はじめに万葉集から2首。スギとヒノキを採りあげたものです。 

いつのまも 神さびけるか 香具山の ほこすぎがうれに こけむすまでに (巻三の二五九 鴨足人)
 意味:久方ぶりに来てみると香具山の杉の木はいつの間にこんなに神々しくなったのか。その枝先に苔生すほどに。
 
いにしへに ありけむ人も わがごとか 三輪の檜原に かざし折りけむ (巻七の一一一八 柿本人麻呂歌集)
 意味:昔の人も私たちのように、三輪の森の檜の枝を折って髪に挿したでしょうか。(木の枝をかんざしのように挿すことは、木の精霊を身に移すためとして祭などの際に行われていた。)
 

 枕草子からは次の一段。先生は、清少納言の一瞬を捉える感性が素晴らしいと評しておられました。yamanekoとしては、その情景を思い描こうとするも、なかなか…。

 降るものは 雪。霰。霙はにくけれど、白き雪のまじりて降る、をかし。
 雪は、檜皮葺、いとめでたし。すこし消え方になりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをかし。
 時雨、霰は 板屋。霜も、板屋。庭。
 意味:降るものだったら、雪か霰(あられ)がよい。霙(みぞれ)は好ましくないけれど、白い雪に混じって降るのは趣がある。雪は檜皮葺の屋根に降るのがよい。それも少し溶けて消えかかっているときが。また、瓦葺きでも多くは降らないで瓦の目ごとに積もって黒く丸く見えるのも趣がある。一方、時雨や霰は板屋(板葺きの屋根)に降るのがぱらぱらと音がして、よい。霜も板屋に降るのがよい。
 

 「時雨、霰は、板屋」 丹治先生は自宅の一部をトタン葺き(トタンといえば波形の安っぽいものを想像しますが、知る人の話では何か特別な立派な造りのものだそうです。)にして、雨や霰の降る音のみならず、梢から落ちるどんぐりの音、小鳥がぴょんぴょんと跳ね歩く音などを聞いて楽しんでいるのだそうです。(雅(みやび)すぎです。)
 枕草子でよく用いられる言葉に「をかし」というものと「あはれ」というものがあります。先生によると、「をかし」はどちらかというと、積極的な、興味深いといった意味合いであるのに対し、「あはれ」は情緒的な、しみじみと心に沁みるといった意味合いになるのだとか。「をかし」は枕草子の中で422回使われていて、「あはれ」は87回ほど。これが紫式部の源氏物語では逆転し、「あはれ」が多出するのだそうです。ほぉ…。
 
 午前中のカリキュラムが終わると、それぞれ持参した弁当で昼食です。ゆっくり休憩して(でもストーブを炊いていても、寒い!)、午後1時、間伐を行う現場、「三つ子山」に向かいます。


Kashmir 3D

 源流大学からいったん南に下り、三つ子山をぐるっと回り込んで山の西側に移動します。

 作業の準備

 井狩集落の外れの広場で装備を整え、あらためて今日の作業の説明。これから向かう山は地元の方が所有するスギとヒノキの混合林で、ご高齢ということもあってなかなか手入れができていないのだとか。その方の了解を得て、今回間伐体験をさせてもらうことにしているのだそうです。作業は3つのグループに分かれ、yamanekoの1班を指導してくださるのは森林組合の望月さんです。人柄がにじみ出た顔と一分の隙もないそのいでたちが「プロ」を感じさせます。

 森へ

 森に入ると3つの班はそれぞれかなり距離をとって作業をはじめました。なにしろ木が倒れるので危ないのです。木は下から見るよりかなり長いので、このくらい離れていれば大丈夫なんて思っていても、いざ倒れてくるとゴチーンと大変なことになってしまうのです。ということで、1班は山の斜面をずいぶん上の方まで登っていきました。これがかなりの斜度で、どう小さく見積もっても60度はあったと思います。
 さて、まず最初にこの森の密度と平均樹高を測ります。といっても森全体を測って回るわけにはいかないので、一定の範囲を測ってそれで推定するのです。一般的には1辺20mの田の字型の範囲(これをコドラートというそうです。)内にある木をサンプリングして調査しますが、その簡易版として、長さ5mの釣り竿を使い、それで描く円内の木をサンプリングする方法もあります。今回はこの方法で行いました。
 一人が伸ばした釣り竿を円形に動かしていき、他の一人がその竿に当たる木にチョークで番号を振っていきます。結果は円内に23本の木が立っていました。これを1haあたりに換算すると約3400本あることになります。次に平均樹高を測ります。チョークで番号を振った木の根元に2mのポールを立てて、それを目安に1本1本目測でおおよその樹高を測って記録していきます。23本すべてを測り終え割り出した平均樹高は約13mでした。これらの結果を林分密度管理図に当てはめると、この森の収量比数は0.92となり、かなり密な状態であることが分かりました。今回、間伐により中庸仕立てにしようと思いますので、林分密度管理図で導き出すと1haあたり2300本が目標の密度となりました。これを先ほどの円内に換算すると、23本中8本を間伐すればよいということになります。

 望月さんの見立て 「これ、いきますか」  凄い斜度

 さて、その8本をどの木にするかです。望月さんによると、細い木、曲がっている木、上の方が折れている木などを優先的に伐るのですが、残った木がなるべく等間隔になるように伐る木を選んでいくことも重要なのだそうです。また、所有者の意向にも配慮してできればヒノキは残す方向で。
 このような観点で選んだ木にピンクのテープを巻いて目印にします。

 
 @水平に切り込む  A受け口を作る  B追い口を切る

 木の倒し方は概ね次のとおり。
 まず倒したい方向を決め、その方向から水平に直径の3分の1くらいまで切り込みを入れます。倒す方向は斜面に対して直角が理想的ですが、実際にはその方向に別の木があったりして、なかなか思うようにはいきません。
 次にその切り込みに対して30度から45度くらいの角度で斜めに切り込みを入れ「受け口」を作ります。やってみて初めて分かったのですが、木は水平に切るのに比べて斜めに切るのは難しく、なかなか切り進めませんでした。
 最後に受け口の反対側から、「追い口」を切り込みます。追い口の位置は受け口の開口部の高さの3分の2くらいの位置です。切り込む深さは受け口の端まで切り込まず、幹の直径の10分の1程度の幅は残します。追い口を入れると木は自ら倒れはじめることがあるので、追い口を入れる前にホイッスルを吹くなどして周囲に注意を促さなければいけません。

 yamanekoの1本目

 本格的な間伐は明日行うので、今日はとりあえず一人1本ずつ伐ってみることに。
 yamanekoは受け口を作る段階で汗が出てきて、握力も弱くなってしまいました。ヤバイです。切り口を見てもなんかぐだぐだで、素人の仕業であることが一発で分かりますね。学生も力任せに伐っていましたが、「早けりゃいいってもんじゃないよ」と突っ込まれていました。

 山水館

 谷間は陽が陰るのも早く、3時すぎにはなんだか薄暗くなってきます。現場をおおまかに片付けて、今日のカリキュラムは終了。ここから今日の宿の山水館に向かい、いったん荷物を部屋に入れてから小菅の湯へ。宿から小菅の湯までは歩いて行ける距離です。
 小菅の湯では温泉にゆっくり浸かり、腕と肩の筋肉を入念にもみほぐしました。

 楽しい夕食

 小菅の湯からの帰り道はもう真っ暗。宿に帰ればお楽しみの夕食です。
 お腹いっぱいになって一段落したあと、宿のおばさんから昔の村の様子をあれこれ聞かせてもらいました。この集落では昔からワサビの栽培で生計を立てる家が多く、これが結構な収入になったそうで、他の集落からはうらやましがられていたこと。また、昔はどの家でも山に入って年中炭を焼いていたこと。戦後の一時期、木を植えろという時代があり、皆こぞって植えたこと。山の急斜面の岩がゴロゴロしているような場所でもわざわざ土を運んでいって植えていたこと。その後、木の需要が小さくなり手入れをしなくなっていること、などなど。村の暮らしは山と共にずいぶんと変わったのだそうです。
 
 今回も疲れとアルコールとの相乗効果でみんな午後9時には布団に入ってしまいました。普段はまだ普通に仕事をしている時刻ですが、yamanekoも眠くなってきたので、明日の朝までたっぷり9時間睡眠することにしました。


 

 「人々が山に入らなくなった」 一言で言ってもその背景には、中山間地の高齢化、エネルギー革命、就労や生活様式の変化、輸入木材との競合など様々な理由があるようです。
 山が荒れると豊かな水源としての機能もどんどん低下していきます。都市に暮らす人々にとっては川の水は流れてきて当たり前で、その水を供給している水源の山々についてもほとんど無関心でしょう。遠い山と自分の生活との繋がりを意識すること、そこから森を守る小さな一歩が始まるのではないでしょうか。
 さて、明日は朝から木を伐っていきます。ケガしないように頑張るぞ。(次回に続く