鷲頭山 〜小春日の沼津アルプス(後編)〜


 

 (後編)

【静岡県 沼津市 平成26年12月23日(火)】
 
 沼津アルプス縦走、後編です。(前編はこちら

 Kashmir 3D

 午前10時に多比からスタートして、大平山を経由し、最高峰の鷲頭山までやって来ました。アルプスの最高峰といっても標高は392mですが。

 小鷲頭山へ

 鷲頭山の山頂で昼食と休憩を終えて、午後1時20分、再び歩き始めました。まずは一段下がった小鷲頭山に向けて急な坂を下っていきます。

 小鷲頭山山頂

 10分弱で小鷲頭山に到着。ここには十数人が休憩していました。

 千本浜

 眼下の緑地は沼津の旧御用邸(現在は記念公園)。その向こうには千本浜のアーチが田子の浦の方まで延びているのが見てとれます。いやあ、これも絶景ですね。

 急降下

 さて、小鷲頭山を過ぎると本日のハイライト。上の写真は見ようによっては平坦な道にも見えますが、実際は急傾斜の坂をのぞき込むようにして撮ったものです。ガイドロープがあるので雨でぬかるんででもない限りは危険ではありませんが、一旦転がりだしたらなかなか止まらないでしょうね。

 ロープを頼りに降りてくる妻。結構長い下りです。

 この写真も仰ぎ見るようにして撮ったものなんですが、臨場感が今ひとつ…。

 お手植え松跡

 標高差にして120mを一気に下りきると、こんな場所に出ました。この石組みは大正天皇が東宮時代に植えた松があったところだそうです。もともとこの場所は平家の中将、平重衡(清盛の五男)が源氏の追っ手を逃れて隠れ住んでいた岩窟があったところだとか。お手植え松の正面(写真右手)にその岩窟があり、解説板なども整備されていました。どうやらこの平重衡という人物、地元の民からは慕われていたようで、この岩窟を「中将岩」と呼び、ここに阿弥陀如来像を納めて長年供養をしてきているのだそうです。

 

 中将岩からは比較的穏やかな道。尾根の北側を通っているので陽射しがありません。

 志下峠

 1時50分、志下峠まで降りてきました。引き続き稜線の道を辿ります。

 ぼたもち岩

 登山道沿いにこんな岩が。凝灰岩です。下の方に「ぼたもち岩」と彫られた石板が置いてありました。拳大の礫をたくさん含んでいるので、これは粒餡のぼた餅ですね。

 

 この板状になっているのはチャートか。

 しばらく小さなアップダウンが続きます。ああやっぱり陽射しの中を歩く方が気持ちいい。

 クロモジ

 林縁には黄葉しているクロモジもありました。

 伊豆半島の山々

 南には駿河湾。黄金色に輝いていますね。その向こうには伊豆半島の山が続いています。こんな風景を眺めながらの山歩き、人気があるはずです。

 カシワ

 大きな葉を枝にたくさん残したままのカシワ。落葉樹の中でも葉をなかなか落とさないものの一つです。

 トベラ

 トベラの実が割れて種子が出ていますね。この葉も光を反射しています。

 鷲頭山

 振り返ると鷲頭山とその手前に小鷲頭山。あの斜面をほぼ直線的に下ったのですから、やはり結構な斜度です。

 シロダモ

 葉の表面に蝋を塗ったかのようなテカり具合。シロダモの葉は他の照葉樹の葉に比べて少ししなやかです。

 志下山

 2時15分、小ピークの志下山に到着しました。ここは通過です。

 写真の後ろ姿の人は、地元沼津市のSさんという方。さっきのクロモジの辺りから一緒に歩いてきた人で、植物はもちろんいろんなことに詳しい人でした。あれこれしゃべりながら、何となくこの先も一緒に歩いて行くことに。旅は道連れです。

 南斜面の広場に出ました。特に案内標識は立っていませんでしたが、一級品の眺望です。志下山(写真左)越しの鷲頭山、堂々としています。

 大トカゲ場

 後の方の木に掛けられているプレートは、その形からすると案内標識に付いていたものでは。ということはもともとこの場所には案内標識が立っていたということじゃないでしょうか。プレートには「大トカゲ場」と書いてあるようです。Sさんによると、トカゲとは「休憩」という意味なのだとか。昔、歩荷(ぼっか)さんが海辺の集落と内陸の集落との間で荷運びをする際にここで休憩をとっていたのだとか。腰を下ろして休む様子をトカゲがピタッと動きを止める様に例えたのだそうです。大トカゲなのできっと大休憩をとっていたのでしょう。

 沼津市街

 大トカゲ場からは木立越しに沼津の市街地が見えました。

 ちょっと前の方に出てみると、駿河湾と富士山もセットで見えます。これもSさん情報ですが、ここからの眺めが市報の新年号の表紙になったのだそうです。確かにいい眺めですよね。ちなみに右手前に見えているのはこれから通過する山。地図には特に名前は表記されてはいませんでした。

 サネカズラ

 さあ、一旦下ってからあの山にとりつきます。
 坂道の途中にサネカズラの実。面白い形をしていますね。ところで、野山歩きをしていると、特定の植物と以前それを見かけた特定の場所とがつながり、ふっと記憶がよみがえることがあります。このサネカズラを見たときに瀬戸内海に浮かぶ鹿島の神社で見かけたときのことを思い出しました(こちら)。

 志下坂峠

 下りきったところが志下坂峠。ここから登り返します。

 これまたきつい上りです。それにしてもトリックアートみたいな写真になっていますね。

 ヤブニッケイ

 登り切ると、そこから先はアップダウンの小さい歩きやすい道でした。写真はヤブニッケイの大木。この太さは最大クラスのものです。

 柵があります。Sさんのすぐ足元に直径1mちょっとの穴が空いていました。戦争中に掘られたもので、竪穴の底から横穴が延びていて、どうやら対空砲の関係施設があったのだそうです。実際に稼働したかは分かりませんが、終戦近くに沼津が空襲にあった頃にはもう使われていなかったそうです。

 香貫台分岐

 台地状の道をしばらく歩いた後また下り、下りきったところに分岐がありました。標識によると香貫台分岐というようです。時刻は3時5分。ここから登り返すと徳倉山のはずです。
 ここでSさんが標識の中程に付いているこのプレート(上の写真)の見方を教えてくれました。まず上半分の山影は沼津アルプスの断面図で、左が北、右が南になっています。次に真ん中にある赤、黄、白の帯はアルプスを3つのエリアに分けるシンボルカラーとのこと。大平山から鷲頭山の先の多比峠までが白のエリア、多比峠から徳倉山の先の横山峠までが黄のエリア、そこから香貫山までが赤のエリアで、一番下に付いている現在地を示す楕円形のプレートはその色に対応して塗られているのとのこと。プレートの色を見ればだいたいの位置がつかめるという仕組みなのだそうです。ここは徳倉山の手間でなので確かに黄色。そういえば前半にみたプレートは白だった。

 香貫台分岐から徳倉山に向けて登り返します。ここもなかなかの傾斜です。

 でもSさんとあれこれ話しながら登っていると、いつの間にか山頂が見えてきました。

 徳倉山山頂

 3時15分、今日の最後のピーク、徳倉山の山頂に到着しました。この山は地元では象山とも呼ばれているのだとか。山の姿がゾウに似ているのだそうです。

 ここからも富士山がバッチリ見えました。沼津在住の人をはじめ富士山を毎日間近に見て生活している人は、この神々しさに慣れて麻痺してしまっているでしょうね。
 山頂での滞在時間は5分ほど。ここから下山したところでバスに乗る予定なのですが、ネットで検索してみたら4時前にちょうどいい便があるようなので、早めに下山することにしたのです。

 下り始めてすぐに社が二つ現れました。真新しいお供え物があるところをみると、地元の人の厚い信仰を受けていることが分かります。今日の野山歩きが無事に終えられることをお願いしておきました。

 ここから横山峠に下る道も急傾斜。もう慣れてきましたが。

 横山峠

 3時45分、横山峠まで降りてきました。Sさんはここからも縦走を続け、北端の香貫山まで歩くとのことなので、ここでお別れしました。気のいい楽しい人でした。「またどこかで。」と手を振って分かれました。

 一番下のプレートが黄と赤とに塗り分けられています。なるほど、この先は赤のエリアなんですね。

 横山峠から麓に向かって下りていきます。細い谷の奥まで住宅が登ってきていてちょっとびっくり。この夏の広島での土砂災害を思い出しました。

 沼津商高前バス停

 住宅地を下り、通りに出るとそこに沼津商業高校前バス停がありました。ここが始発。3時57分の出発まで5分くらいで、往きと同様無駄のないアクセスでした。ここから市役所前までは所要20分くらいでしょうか。
 
 さて、今年もあと一週間。いよいよ暮れていきます。
 今年は、入院、手術、異動、転居、娘の結婚と公私ともにいろんなことがありすぎた一年でした。一方、野山歩きではフットパスという新しい楽しみを得たのは収穫でした。
 来年は何か地元の活動に関わってみようかな。ともあれ、穏やかな良い年であることを祈りたいです。