津久井城山 〜晩秋・兵どもが夢の跡を辿る〜


 

【相模原市 緑区 平成26年11月23日(日)】
 
 11月も下旬となり、街にも紅葉が下りてきました。家の前の歩道では、車道を隔てるツツジの生垣が真っ赤に色づいて、そのレッドカーペットの中から立ち上がる常緑のクスノキや黄葉したイチョウの並木との間で鮮やかなコントラストを見せています。都もなかなか心憎い演出をしてくれているものです(都道なので。)。
 さて、そんな晩秋の一日。紅葉見物を兼ねてどこか気軽に行けるところはないかと考え、津久井湖畔にある城山に行ってみることにしました。ここなら人ごみに揉まれることもないと思います。
 
                       
 
 城山は相模原市の緑区にあります。区といっても広大なエリアをもっていて、平成の大合併や政令市移行の際の合併で巨大なった相模原市のさらにその7割超(!)を占めるほど。ほとんど相模原市=緑区といった感じです、面積では。でもって旧相模原市域以外(合併した城山町、津久井町、藤野町、相模湖町の4町)はほとんど自然豊かな地域です。

 橋本駅バスターミナル

 まず京王線でお隣の橋本駅に行き、そこからはバスです。橋本駅北口のバスターミナルを起点とするバス路線はたくさんあり、それこそ合併した4町方面へはもっぱらここを基点とするバスで繋がれています。yamanekoは10時48分発の橋01三ヶ木行きに乗り込みました。目的地は津久井湖観光センター前というバス停になります。
 橋本は、人口70万人の相模原市の北の中核で、JR横浜線と相模線、京王相模原線が乗り入れています(いずれリニアの駅もできるようです。)。ちなみに南の中核は相模大野で、こちらは小田急小田原線と江ノ島線が乗り入れています。橋本も相模大野も新宿まで最短で40分弱という立地なので、ベッドタウンの色合いが濃いですね(古くは軍都という一面も。)。

 バス停前

 バスが出発してからの所要時間は20分ほどでしょうか。渋滞もなく目的地に着きました(休日の午後は行楽地から戻る車でかなりの渋滞になる道ですが。)。 目的地には順調に着いたのですが、ザックの中にデジカメが見当たらないというアクシデントがあり(額に掛けたメガネを探してたみたいなオチで出てきました。)、そうとうドタバタした末に城山散策をスタートしたのは11時55分になっていました。
 で、バス停のすぐ脇からいきなり階段が始まります。さあ、出発。ここは山の北側になるので、午前中は日差しがなく、空気はシンと冷えていました。

 
Kashmir 3D

 今日のコースは、まず城山の北側斜面を登り、稜線に出ます。そこから稜線を辿って山頂へ。下山は南側の斜面を下り、一つ先のバス停がある北根小屋地区に出るというものです。
 城山は、その名のとおり鎌倉時代に築井(つくい)城という城が築かれた山で、今でも稜線上に連なるようにして城の遺構が残っています。城は秀吉の小田原攻めの際に落城し、その後廃城となったそうです。ちなみに、数km先の奥高尾にも城山という山があり、それと区別するため、こちらを津久井城山、向こうを小仏城山と呼ぶのだそうです。

 展望デッキへ

 右手に緩やかな坂道もありましたが、ここは階段を直登して、展望デッキに寄ってみます。

 津久井湖畔

 城山の北側に横たわる津久井湖。対岸の紅葉も盛りのようです。津久井湖は城山ダムの建設でできたダム湖です。ちょうど正面に見える稜線の裏側に城山湖(本沢ダムのダム湖)があって、昼間は津久井湖との標高差160mを落水させて発電し、夜間には余剰電力を使って再び城山湖に揚水しているのだそうです。都市近郊などの昼夜の電力需要の差が大きいところでは有効な方法だそうですが、めずらしいのはその発電を電力会社ではなく地方公共団体が行っているところ(こちら)。

 江川杉

 展望デッキから登山道に向かうとすぐに森の中に入りました。立派なヒノキの森です。解説板によると、江戸時代末期に伊豆韮山の代官だった江川英龍という人が植林したものだそうです(実際には領民達だと思いますが。)。それが150年経ったのが今の姿なのだとか。この辺りも領地だったようで、近隣では高尾山にも植林されたヒノキがあるそうです。ちなみにこの代官さんは日本で初めてパンを焼いた人ということでパン業界では有名な御仁とのことです。

 

 城山の北側斜面を登っていきます。

 「クサリ場」

 出発地点のマップに「クサリ場」と書いてありましたが、どうやらここがそのクサリ場のようです。ただ、見てのとおり鎖で手すりが作ってあるだけで、岩の上が滑りやすいものの、傾斜がきついとか特に危険だとかではありませんでした。

 

 標高が上がってくると頭上が空いてきて、少しずつ陽が差してきました。陽の光とは本当に偉大だと思うのは、一筋の光が差してくるだけで気持ちが明るく前向きになるところ。太古、太陽を敬い畏れる気持ちを人間が抱き、それが信仰にまで発展していったのも肯ける話だと思います。

 ホオノキ

 大きなホオノキが現れました。もうあらかた葉を落としています。足下には敷き詰めたように落ち葉が。ホオノキの下ではよく見る光景ですが、逆にホオノキの落ち葉が下草に紛れている光景はあまり見ませんよね。これは、ホオノキがセイタカアワダチソウなどと同じように他の植物を駆逐する物質を出しているからだそうです。ホオノキの周りには下草が茂りにくく、その結果落ち葉が敷き詰められるような状態になるということです。

 稜線へ

 12時30分、稜線に出ました。城山の稜線は東西に長く、ここから西に向かって歩いていきます。ここのすぐ上のピークが飯縄曲輪(曲輪(くるわ)とは城郭内の区画のこと。)ですが、その前に、「宝ヶ池はこちら」という案内板に従って、山腹を北側に巻く道へ。

 宝ヶ池

 池はすぐに現れました。戦のためには水の確保は必須で、この池は日照りが続いた年でもいつも安定して水を湛えていたことから、城の重要な水源だったとのことです。ここの他本城曲輪(城山の山頂部)にも井戸の跡があり、往時この山城は水には苦労しなかったのではないかと考えれれているそうです。

 大杉

 さらに進むと大杉が現れました。といってもすっかり焼け落ちた状態です。なんと去年の8月11日に落雷に遭い、焼けてしまったのだそうです。もとから設置されていた解説板には、樹高25m、樹齢900年の大木とあります。その横の焼失後に掲げられたと思われるプレートには、在りし日の写真とまさに燃えている最中の写真も掲示してありました。
 去年の8月11日から翌12日にかけて多摩地域では激しい雷雨に見舞われていました。11日の雷雨では広い範囲で誘導雷という現象が起きて、監視カメラや火災報知器などのシステムが故障したり誤作動を起こしたりしたそうです。また、翌日の雷雨では多摩川を渡る小田急線の列車に雷が直撃し、一般の方が録画したその映像がユーチューブにアップされ、何度もニュースで放映されていました。まるで特撮映画のようでした。

 飯縄曲輪へ

 巻き道で曲輪の周囲を半周して反対側の稜線に出て、そこから引き返す形で飯縄曲輪に登ります。曲輪には飯縄神社が鎮座していました。飯綱ではなく飯縄なのに、読みは「いいづな」です。

 飯縄神社

 紅葉の下に簡素な社があり、そこで諸々お祈りをしておきました。きっと狛犬も聞き届けてくれたと思います。

 十字路

 飯縄神社に参拝してから再び山頂に向かって稜線を歩きます。しばらく行くと小さな鞍部が現れ、そこから左右に下る道が出ていました。標識には、左に下るのが男坂、右が女坂とあります。山頂に行った後はここまで引き返して、男坂を下ります。

 解説板

 またしばらく行くと、津久井城の遺構の解説板がありました(赤い矢印は今日のルートを上書きしたもの。)。ここまでは、飯縄曲輪の左側の堀切のところで稜線に出て、曲輪の北側を回り込んで大杉を見てから右側に出て、そこから引き返すように曲輪の飯縄神社へ。その後さらに稜線を歩いて、太鼓曲輪を経て「現在地」というところまでやってきました。

 堀切

 ここも堀切になっています。山城の堀切とは、もともと小さな鞍部だったところを人工的に掘り下げ、平時はそこに橋を渡しておいて、いざ戦になったら橋を落として(又は引き上げて)敵の侵入を困難にするための防御施設です。

 

 堀切から登り返すと山頂ももうすぐ。

 土蔵

 広く平らなところに出ました(堀切から2段上がったところ)。学校の教室くらいの広さです。ここは土蔵という場所のよう。ベンチがあったのでここで昼食にしました。コンビニおにぎりです。

 橋本方面

 ここからは東方向の展望が開けていました。

 

 右手前の橋本の高層ビル群の向こうに多摩丘陵のグリーンベルトが延びています。その奥左手の建物群は南大沢。写真中央奥のビルは多摩センターです。その遥か向こうに新宿副都心のビル群が蜃気楼のように見えているのが分かるでしょうか(見るんじゃない、感じるんだ。)。直線距離で約40q。そういえば新宿に住んでいたときに、ベランダからこの城山も見えていました。(こちら

 

 土蔵からまた一段上がって見ると今度はさらに広いところに出ました。木製のテーブルとベンチもあり、休憩するにはちょうどいいところです。数組のグループが昼食をとっていました。正面の看板の後にさらに盛り上がったところがあり、ここが最高地点のようですが、こちらは土塁的なものでその上部は石碑があり、平坦にはなっていませんでした。その土塁の向こう側に本城曲輪(本丸)があるようです(高さとしてはここの面と同じです。)。

 

 南西側の木立の間から展望が開けていました。前列が南山、その後の写真左側の山が仏果山、後列が塔ノ岳や蛭ヶ岳など丹沢の主稜線になります。

 築井古城記碑儼

 石碑のところまで行ってみました。脇に建っていた解説板によると、この石碑は今から200年前の江戸後期に建てられたもので、津久井城の沿革などが記されているようです。建てたのは、城主だった内藤氏の家臣の末裔で、麓の根小屋村の名主をしていた島崎律直という人物だそうです。その記述によると、城山は当時宝ヶ峰と呼ばれていたようで、「介立すること百余仭、相水の陰(みなみ)に聳え」とあるのは、当時ダム湖はなかったわけで、相模川の谷底からの高さを表したのだと思います。また、「上岐(かみわか)れて双丘と為る。東丘に飯縄祠有り、其の西丘を古城と為す。塁壁の址儼として存す。」とあるのは、稜線上の東のピークには当時既に飯縄神社があり、西のピークは城跡となっていていて、土塁などがしっかりと残っているということでしょう。最初に築城したのは築井太郎次郎義胤(つくいたろうじろうよしたね)という者で、後の北条氏の時代に内藤景定が城主となったとのことです。その後の城の興亡も営々と記されていました。

 本城曲輪

 石碑の裏手に回ると広い場所に出ました。ここが本城曲輪です。いわゆる本丸だと思いますが、当時ここにどんな建物が建っていたのでしょうか。鎌倉時代の築城と伝えられているので、簡素な構造だったのではないでしょうか。それでも 物見櫓や兵士駐屯の建物の形跡も見つかっているそうです。

 

 おお、紅葉狩りにちょうどいいロケーション。日向にシートでも敷いて寝っ転がりたい感じです。

 

 本城曲輪から東を望むと、眼下には相模川。左手に津久井湖の城山ダムがあり、そのすぐ下流の辺りになります。それを跨いでいるのは圏央道で、ちょうどこの辺りに相模原ICができるはずで、現在工事中。今年度中には供用開始と聞いていますが、どうやら取付道路の整備が遅れているようです。

 

 落ち葉が積もっています。季節はもうもう晩秋ですね。

 分岐

 山頂でしばらく休んでから、1時15分、山を下ります。あっという間に先ほどの男坂、女坂の分岐までやって来ました。ここも元々は堀切です。

 落ち葉たち

 登る途中に拾っていた落ち葉をベンチの上に並べてみました。特に意味はありません。簡単に捨てるのが忍びなかっただけです。

 男坂

 こちら側は陽が射すので明るい雰囲気です。男坂というだけはあって、結構な斜度。雨の日には滑りやすそうです。

 

 分岐が現れ、ここは右へ。5m先にも右への分岐があるのですが、間違ってそっちに入ってしまうと目的地とは全然違うところに出てしまいます。ちなみに緑色のラインは滑り止めのようで、人工芝的な何かでした。

 

 等高線に沿うようなほぼ水平移動の楽な道。

 ムラサキシキブ

 わずかに残っていたムラサキシキブの実。人工的な紫色をしています。そういえば今日はここまで花とか実とかの写真がなかったですね。

 

 静かな静かな午後の秋、と言いたいところですが、麓の道路の音が聞こえてきています。でも、それもまた風情のある野山歩きの一コマです。山歩きをしていて麓から生活の音が聞こえるのは嫌いではありません。

 

 途中で水平移動の道から分かれ、ジグザグの道を下っていきます。これが結構長かった。

 ウバユリ

 ウバユリの刮ハが口を開いていました。この時期、えてして中は空っぽのことが多いですが、これにはまだたくさん種子が入っていました。手に取ってみると、周りを翼に取り囲まれた薄い種子がサラサラっと。ほとんど重さを感じないほど軽いです。ふっと息を吹くと、ふわっと舞い散ってしまいました。

 

 しばらく下ると、やがて森が途切れました。麓の集落の上部に出るようです。時刻は1時50分です。

 北根小屋集落

 一気に展望が開けました。北根小屋の集落です。城山の南西麓に根小屋という集落があり、その北に位置しているから北根小屋なんでしょう。「根小屋」はもちろん地名ですが、もともと集落の形状を表す一般名詞でもあるのだそうです。中世、領主の館は台地や丘陵の先端にあることが多く、その地形を囲むように麓に家臣などの集落が形成され、この形状の集落を根小屋というのだそうです。ここでは城山の麓で山を取り囲むようにして集落が作られたんでしょうね。

 諏訪神社

 階段を下っていくと境内に大きな紅葉の木がある神社が。鳥居の神額には諏訪神社と記してありました。
 今日は出だしにすったもんだがありましたが、紅葉や眺望も楽しめて、終わってみるといい野山歩きでした。とりあえずここの神社にお礼を言ってからバス停に向かいました。
 
 (おまけ)
 バス通りまで下りてみるとバスがもうバス停に来ているではないですか。あわてて走り出したら腰のチョークバッグに入れていたデジカメが飛び出て、路面に激突。矩体がすこし歪んでパーツのつなぎ目に少し隙間が空いていたりしましたが、力業で大まかな歪みは直しました。いまでも電池パックの辺りにちょっと隙間が空いています。でも機能的には何ら問題がないようで、ホッとしました。
 この週末は親父の命日。空の上から「もうちょっと落ち着け」と小言が聞こえてきたような気がしました。