鶴寝山 〜あのブナに会いに行く〜


 

【山梨県 小菅村 平成20年9月23日(火)】
 
 暑さ寒さもなんとやら。日中もずいぶんと過ごしやすくなり、秋本番という感じになってきました。今日は久しぶりに小菅村のあの「松鶴のブナ」に会いに行ってみることに。ときどき、ふっと思い出すのです。あのブナが泰然と立っている姿を。前回は2月の雪の中。あれから春を迎え、夏を過ごし、下界でyamanekoが俗な生活をしていた間もずっと鶴寝山の尾根の上で枝葉を風にそよがせていたのかと思うと、なんとも羨ましい限りです。(もっとも先方に言わせると「お前になど分からないような試練や苦労があるんだよ。」と返されそうですが。)
 
                       
 
 今回は高速道路は使わずに、青梅街道をひたすら西へ走ります。途中、青梅までは広い道路ですが、その先は多摩川の蛇行に沿った片側1車線の山道となり、やがて奥多摩湖畔を走る道となります(青梅を過ぎても甲府に至るまで青梅街道です。)。奥多摩湖は小河内ダムの完成によりできた人造湖。その上流部は多摩川本流に当たる丹波川(たばがわ)、峰谷川、小菅川へと続く3つの谷に分かれています。現在、青梅街道は丹波川に沿っていますが、明治の初めまでは小菅川に沿い小菅村を通り、大菩薩峠を越えて甲州へと続いていたのです。もちろん今日は旧青梅街道を通って小菅村へと向かいます。


Kashmir 3D

 小菅村は四方を高い山に囲まれた隠れ里のようなところです。松姫峠は小菅村から南の大月に向かって車で抜けることができる唯一の峠。とはいえ標高が1250mもあり、上りも下りも激しいつづら折れです。

 松姫峠から

 峠の駐車スペースにドリーム号を停めて、装備を整えます。正面の山並みの向こうには富士山が。もともとビックリするほど大きな山なので、ぱっと見遠いのか近いのか…。それはそれとして目の前に横たわる谷もむちゃくちゃ深い!

 タイアザミ

 なんともとげとげしいタイアザミ(別名トネアザミ)。総苞片の刺が太く長いです。このタイアザミはヨシノアザミの変種とされていて、中部地方南部と関東地方に普通に生息しているそうです。葉も細く深く切れ込んでいて、三國志なんかに出てくる槍の先端のようにも見えます。

 登山口

 「大菩薩峠登山口」とあります。峠への登山口というのもなんか変ですが、中里介山の長編小説「大菩薩峠」のおかげで大菩薩嶺より峠の方が有名だからなのかもしれません。ここからアップダウンを繰り返しながら約8qを歩き続けると、大菩薩峠。そしてその先に標高2075mの大菩薩嶺が聳えているのです。

 オクモミジハグマ

 天狗の団扇のような葉が特徴のオクモミジハグマ。この天女のような花と先ほどのタイアザミとが同じキク科の植物だとは。造形の不思議を感じずにはいられません。西日本には葉の切れ込みがもう少し深いモミジハグマが見られます。

 ナガバシュロソウ

 ナガバシュロソウです。周囲の風景と一体化していて、うっかりすると見過ごしていまいそうになります。両性花には花被片の中央にドーンと果実が。確かに植物はその部分に果実を実らせますが、なんかちょっと違和感がありますよね。

 セキヤノアキチョウジ

 アルプホルンのようにすっと伸びたセキヤノアキチョウジ。ふだん見かけるアキチョウジより涼しげなのは、花柄が長くモビールのような雰囲気があるからでしょう。細かいところでは萼の先端の尖り具合も相違点です。

 鶴寝山を目指して

 お目当ての「松鶴のブナ」は鶴寝山山頂のすぐ向こう。多摩川と相模川の両水系を隔てる尾根上に静かに立っています。なんとなく懐かしい人に会いに行くような気持ちで、緩やかな坂道を一歩一歩登って行きます。

 森の分解者たち

 キノコは生きた元気の良い樹木からは生えません。朽ち木や写真のような木の切り株に棲みついて、少しずつ無機物に分解していくのです。そしてその無機物を今度は別の植物が取り込んで有機物を作り、それを利用して成長する。そしてまた朽ちたなら…。森はみごとに循環しているのです。
 キノコが地球上に現れたのは今から1億年から2億年前といわれています。時代は中生代。裸子植物全盛のジュラ紀から被子植物が台頭してきた白亜紀のあたり(人間様よりはるかに先輩です。)。植物が上陸したのはおよそ4億年前といいますから、実に2億年から3億年もの間、地上にはこの分解者がいなかったことになります。その頃の森にはいったいどんな風景が広がっていたのでしょうか。

 笑い事じゃない

 登山道沿いのところどころに写真のような注意書きが。そう言えばさっき登山口で出会った地元の老夫婦。山仕事からの帰りのようでしたが、「鶴寝山までいくだか。クマに用心せねばな。この間も出たでな。親は人を恐れっからいいが、子連れはな。ちび助は怖いもん知らずで人前にでも出てくっから。そしたら追っかけて親も来るだから。」って話を聞いたばかりなので、非常にリアリティーをもって訴えかけてきます。どうせだったら「出会ったらこうすればOK」といった張り紙にしてほしい。

 ムラサキアブラシメジモドキ

 この色、このネバネバ感からしてムラサキアブラシメジモドキ。結構美味しいそうですが、自己責任で。

 シラネアザミ

 葉がぼやけていますが、この幅広の形はシラネアザミの特徴のひとつ。葉柄の長さもポイントです。名前に冠している「シラネ」とはおそらく白根山のことだと思いますが、日光白根山のことなのか草津白根山のことなのか。中央アルプスの北岳、間ノ岳、農鳥岳を総称して白根山と呼ぶとのことなので、どの山のことを指しているのか不明です。ところで、日光白根と草津白根。それぞれ群馬県の東端と西端に位置し、直線距離で約85qほど離れています。日光白根は関東地方以北の最高峰、草津白根は温泉の自然湧出量日本一と、双方なかなかのビックネーム。両者から下る流れはいずれも利根川に合流して関東地方を潤しています。

 鶴寝山山頂

 鶴寝山の山頂に到着。マウンテンバイクを担いで登ってきている人もいました。このまま大菩薩峠の方までいくのかも。

 鶴寝山山頂から

 ちょっと雲が出てきましたが、山頂からは富士山の姿を望むことができました。この夏は富士登山が大ブームだったとか。日帰り登山ツアーとかもたくさんあって、自分の周囲にもこの夏に初めて登ったという人がぱらぱらと。登山道に連なる人の鎖をニュース映像で見ましたが、この行動はおそらく人間の理性のなせるものではなく、根源的な感性に突き動かされて頂上を目指しているとしか思えませんでした。そう思って見ると、人の鎖がDNAの二重螺旋にも見えてくるから不思議です。
 「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」。昔、富士登山の際のかけ声として、苦しい上りをこの言葉を唱えながら登ったのだそうです。六根とは眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)のこと。すなわち五感と第六感のことで、これが人間の認識の根幹なのだとか。山に登る苦行を通じて執着を断ち、六根を清らかにするという意味だそうです。ちなみに「どっこいしょ」の語源はこの言葉だということです。

 ヤマトリカブト

 植物界の中でも最強レベルの毒をもつヤマトリカブト。葉の先から根っこまですべて有毒で、なんと花粉が混ざったハチミツを食べて中毒を起こすこともあるのだとか。トリカブトのなかではポピュラーな名前のように聞こえますが、実際の分布域は関東西部から中部地方東部と限られた範囲なのだそうです。

 「松鶴のブナ」

 山頂を越えてすぐ会えました。松鶴のブナです。圧倒的な存在感。見上げて、息を止めて、そして大きなため息を。(今ひとつ大きさが分かりにくいので、こちらもご参考に。) 葉を付けている姿は初めて見ました。 いったい何枚くらいの葉が付いているのでしょうか。以前「トリビアの泉」で満開の桜の木1本全ての花びらを数える企画がありましたが、このブナの葉の数は? きっと何万枚かはあるでしょう。それを毎年春に展開して、秋にはきれいさっぱりと落としてしまうのです。結構体力を使うでしょうね。

 「命」

 このブナが芽吹いた頃はいったいどんな様子だったでしょうか。おそらく大きな木が倒れ、そこにぽっかりと日が差し込む空間ができたのでしょう。前年の秋にたまたまそこに落ちたブナの実が地上に双葉を出し、そこから始まる長い長い命の営みの最初の一歩を記したと思われます。普通、実生から芽吹いても周囲の木々に光を遮られて大きく育つことはありません。倒れた木が自らの命を譲るかのように、次の世代に、そうこの松鶴のブナに託したのです。そしてこの木もいずれその生涯を終えるときが来たならば、きっと同じように小さな芽にその命を託すことと思います。その時には、大地に身を横たえながら自分が芽吹いた頃のことを思い出すのでしょうか。

 ハリギリ

 去年、設置した木道の上にハリギリの葉がおちていました。クマよけの鈴ともに、パシャ。

 豊かな林床

 倒れて朽ちた木を地中に棲むたくさんの菌類が分解していきます。そして栄養豊かな土壌を作っていきます。森の中では皆それぞれが役割を持っていて、無駄なものなんて一つもないのです。

 カバイロツルタケ  ドクツルタケ

 カバイロツルタケは美味しいダシが出るのでキノコ鍋にはもってこい。一方、ドクツルタケは名前のとおり猛毒で、食べればその日のうちにおだぶつです。

 アズマレイジンソウ

 おお、こんなところでレイジンソウに会えるとは。関東から中部地方にかけて分布するアズマレイジンソウです。「伶人(れいじん)」とは、雅楽を演奏する人のこと。実際に明治初期には政府職員として伶人という官職名があったそうです。現在は宮内庁に楽師という官職があります。

 サラシナショウマ

 これは花穂がちょっと短めのサラシナショウマ。薄暗い森の中でそこだけポッと灯りがともっているようでした。

 帰路

 帰り道は尾根筋ではなく、山腹をまく道を通りました。アップダウンがなく楽ちんです。
 
 ときどきふっと思い出す木があります。例えば通勤途上の街路樹とか、故郷の鎮守の大杉とか、子供の頃登った柿の木とか。そんな魅力のある木を心にもっている人もきっと少なくないでしょう。yamanekoにとってここ松鶴のブナもそんな木のうちの一つになったようです。
 今度は新緑の頃かな、また会いに来たくなるのは。