筑波山 〜東の秀峰へ久々に(前編)〜


 

 (前編)

【茨城県 つくば市 令和6年6月20日(木)】
 
 6月も下旬になりました。今年は梅雨入りが大幅に遅れていて、まだ梅雨入りしていません。既に平年より2週間遅れているとのことです。やっぱり雨は鬱陶しいので梅雨入りは遅い方が嬉しいような気もしますが、このところ梅雨明け後のような暑さが続いていて、このまま真夏に突入するのではないかといった勢いなので、それはそれで困ります。
 そんな状況の中、週間予報を見てみるとこの週末には雨マークが。いよいよというか遅ればせながら今年も梅雨がやってくるようです。なのでそれまでに山に行っておこうと準備を始めました。行き先は茨城県にある筑波山に決定。前回筑波山に訪れたのは平成25月の1月。実に11年ぶりです(その時の様子)。
 筑波山は最も標高の低い「日本百名山」だそうですが、江戸時代には「西の富士、東の筑波」と称されるほど敬われ愛された山だそうです。富嶽三十六景のように筑波山を背景に入れた絵が多数描かれていて、確かに今でも都心のあちこちから筑波山の秀麗な双耳峰を望むことができます。

                       
 
 午前6時半、今回はドリーム号Vで出発。高速道路で茨城方面に向かうときは都心を回避して圏央道経由で行くか都心を通過して常磐道で行くかいつも迷います。前者は渋滞にハマる確率は低いですが距離が長い(以前は料金も高かった)。一方、後者はその逆でしかも渋滞は慢性的。今回も迷った末に都心経由を選択しました。結果はというと、都心に入る前の中央道で既に渋滞。幸い首都高と常磐道は順調に流れたものの、谷田部ICを降りたときは出発から2時間半が経っていました。

 筑波山

 その後の下道もそこそこ混んでいたのですが、筑波山に近づくにつれてスイスイと流れ出しました。上の写真は国道125号線の道端から撮ったもの。端正な姿をしていますね。筑波山は双耳峰で、左のピークが男体山、右のピークが女体山です。

 筑波山神社駐車場

 登山ベースとなる筑波山神社の駐車場に着いたのは10時10分になっていました。早速装備を整えて準備運動を。既に日差しがジリジリと照りつけています。

 Kashmir3D

 今日のルートは、まず筑波山神社に参拝してから、白雲橋コースの登山口へ。樹林帯の中をひたすら登って、高天ヶ原で南東方向に流れる主稜線に出たら、そこから細かいアップダウンを繰り返して女体山を目指します。女体山からは山頂連絡路を歩き、鞍部の御幸ヶ原に出たら男体山に登り返します。山頂をピストンして御幸ヶ原に戻ったら、今度は男体山を周回する自然研究路を反時計回りに歩いて三たび御幸ヶ原に戻ってきます。そこで終了。下りはケーブルカーを利用です。



 駐車場を出ると、見上げる先に男体山のピークが見えました。この辻は右に折れて筑波山神社へ。

 筑波山神社

 ほどなく筑波山神社に到着しました。立派な構えの神社です。創建年代は不詳(神社のHPには3千年前としてありますが…)、御神体は筑波山の山体そのものだそうです。

 白雲橋コース登山口

 神社では今日一日筑波山で遊ばせてもらう感謝をお伝えして、そこから小さな谷に架かる白雲橋を渡って、登山口へ。強烈な暑さに登山道に入るまででスポーツドリンクを1本飲み干してしまいました。



 石の鳥居をくぐると日陰の道となって、ほっと一息つけました。



 鳥の声(と前を行く年配ご婦人3人組の嬌声)を聞きながら、一歩一歩登っていきます。

 スダジイ

 スダジイの老木に足を止めました。ひときわ大きな木でした。「人間よ、生きているうちに好きなことをやっておけ」と言われたような気がして、分かったの合図に木肌をペチペチたたいておきました。

 コアジサイ

 木漏れ日に照らされるコアジサイ。もう花の時期は終わっているようです。

 分岐

 登山口から15分で分岐が現れました。右手に行くとつつじヶ丘に至る迎場コース。白雲橋コースは左手です。

 万葉の歌碑

 その分岐の脇にまだ新し目の歌碑が建てられていました。「筑波嶺の 彼面此面に 守部据ゑ 母い守れども 魂そ逢いにける」と彫られています。調べてみると、読みは「つくばねの おてもこのもに もりべすえ ははいもれども たまぞあいにける」だそうで、その意味は「筑波山のあちらこちらに番人を据えて山を守っているように、母さんは私を見張っているけれど、私と想う人の魂は通じ合ってつながっているよ」というもの。どうやら娘が母の監視に抗い恋しい人を思っている歌のようです。万葉の昔にも今と似たような話があったんですね。
 ただ、読人不詳のこの歌の碑がなぜここに建てられているのかは分かりませんでした。あと、歌にあるように当時筑波山のあちこちに番人をおいて山を守ったというのは、いったい誰が何のために何を守っていたのか、yamanekoとしてはそっちの方が気になりました。やっぱり飛鳥の王朝関係者が御神体としての山を守っていたということでしょうか。だとすると神道への反対勢力がいたということか? それは当時伝わりつつあった仏教に関わる徒か? 勝手に妄想が広がります。



 分岐での小休止を終えて再び歩き始めます。



 しばらく行くと何やら祠らしきものが現れました。正確には祠を保護するように建てられた東屋のようなもので、屋根の下に祠があります。反対側が正面のようなので回り込んでみます。

 白蛇弁天社

 ここは白蛇弁天社。言い伝えではここには白蛇が住んでいて、それを見た者は財を成すとのこと。何やら面白そうな由来がありそうですが、調べてもよく分かりませんでした。ところで右の祠の前にとぐろを巻いた白蛇がいますね。



 樹林帯の中は直射日光がないのはありがたいですが、風もありません。汗が引かないので熱中症にも気をつけねば。などと考えていると、上からレスキューの人にサポートされて登山者が降りてきました。消防、警察など10人以上の体制でなかなかの大事のようでした。ケガとかではなかったようなので、おそらく途中で体力を消耗してしまったのだと思います。

 キッコウハグマ

 これはキッコウハグマの葉。キクの仲間で、花は秋に咲きます。漢字では亀甲白熊。葉の形を亀甲に見立て、花の様子を白熊(はぐま。仏僧が使う払子の一種)に見立てたものだそうです。植物の名前の由来は面白いものが多いですね。

 小休止

 時刻は11時20分。ちょっとした広場があったのでザックを下ろして休憩です。同じタイミングで女性3人組もやって来ましたが、黙っているのも気まずい感じがしたので、見た目30歳前後かなと思いつつ、とりあえず「学生さんですか」と話しかけました。いやどう見ても違うでしょ的なノリで返され、ですよねと。「学生さんですか」は山での常套句だと言うと笑っていました。少なくとも悪い気はしなかったようでした。3人は水戸在住で、休みが合ったので誘い合わせて登山に来たのだそう。若いのにいい趣味を持ってますね。



 しばらく談笑してyamanekoの方が先に出発しました。 まだ女体山までの道のりの半分にも達していないくらいです。地道に登らなければ。



 筑波山は山自体が御神体で、この辺りは神域のど真ん中。そうなると樹木も滅多なことでは切られず、結果巨木が多く残るということになるのだと思います。



 標高が上がり、道は山肌をトラバース気味に延びるようになりました。

 モミジイチゴ

 この葉はモミジイチゴですね。ちょうどこの時期、オレンジ色の甘い果実を実らせます。西日本では葉が全体に細長いナガバモミジイチゴが多く分布しています。yamanekoも東京に引っ越してきてから初めてナガバでないモミジイチゴを見ました。

 コアジサイ

 コアジサイの花序。もう花期は終わって、これから実が成熟していく時期になります。低山を歩いているとヤマアジサイも目にします。花の時期であれば装飾花の有無で見分けはつきやすいですが(コアジサイにはアジサイに特有の装飾花がない)、それができない時期には葉に着目。コアジサイの方が葉身の幅が広く鋸歯が粗いです。ヤマアジサイはやや細長く先端が長く尖り、また、鋸歯も細かいです。



 大きな岩が目につき始めました。この白雲橋コースは巨岩、奇岩が多いことでも知られています。

 マムシグサ

 マムシグサの若い実。ツヤツヤしていますね。

 ウツギ

 おおこれはウツギでは。登り始めて初めて花らしい花を見た気がします。まだ咲いているんですね。多摩丘陵では5月下旬に咲いていました。

 休憩施設

 12時5分、東屋が現れました。まだ真新しい休憩施設です。



 この場所は平成18年まで「弁慶茶屋」という軽食&土産物の店があったところです。yamanekoも茶屋があった時代に訪れたことがあります。その後、2回来ていますがそのときはいずれも更地状態でした。この東屋はいつできたものだろう。

 ヤマアジサイ

 こちらはヤマアジサイ。装飾花がありますね。

 弁慶七戻り

 行く手を阻むような大きな岩。隙間を通り抜けるようになっています。ここは「弁慶七戻り」と呼ばれるところで、大きな岩が覆いかぶさるようになっているのを恐れて弁慶がなかなか通り抜けられなかったという場所です。もちろん史実ではないと思いますが。それにしても弁慶をモチーフにしたご当地名所はいたるところにありますね。

 アブラチャン

 アブラチャンの若い実です。飴玉ほどの大きさがあり、愛嬌のある姿をしています。晩秋には黒褐色になります。



 弁慶七戻りからちょっと進むと、巨石に挟まれた回廊のような通路が現れました。登山道から外れる道ですが、表示板に「高天ヶ原」とあったので行ってみることに。



 巨石の裏側に回り込むように進んでいくと視界がひらけ、そこに小ぶりの神社がありました。筑波山神社の摂社、稲村神社だということです。立地的には展望所というか見張り場所といった感じの場所でした。



 登山道に戻り、巨岩の間を縫うように登っていきます。筑波山は火山ではなく、地下深くで造られた基盤となる岩石(斑れい岩や花崗岩)が隆起し、その後周囲の軟らかい地層が侵食されて現在の山体をなしているとのこと。このような地形を「残丘」というのだそうです。山頂に近いところに巨岩が多いのは、高いところほど侵食が強く作用するので岩石そのものが露出しやすいのでしょう。

 胎内くぐり

 「母の胎内くぐり」という岩が現れました。解説によると、岩の下の隙間をくぐると罪けがれない清い心身に立ち返ることができるとのことです。生まれ変わるという意味でしょうね。ザックを背負ったままではくぐれないくらいの隙間だったので、yamanekoは止めておきました。

 鎖場

 ちょっとした鎖場もありました。岩が濡れているときなどは安心、といった危険度のところでした。

 出船入船

 この巨岩には「出船入船」という名が付けられていました。2つの岩を出ていく船と入ってくる船に見立てたものだとか。多少無理があるような…。この場所は、遥か百里の先にある熊野灘の遙拝所なのだそうです。ここで航海の安全を祈願していたとは。不思議な感じがします。



 少し傾斜が緩くなってきました。



 と思ったらまた岩の坂道が。

 ウツギ

 ここのウツギもいきいきとしていました。この辺りの標高は約800m。5月下旬に咲いていた多摩丘陵との標高差は大体600mで、100m当たり0.6℃気温が下がるとすると、3.6℃低いことになります。気象庁のデータを調べてみると、多摩もつくばも5月下旬の平均気温と6月下旬の平均気温の差が3℃台だったので、筑波山で今ウツギが咲いているのはなんとなく理にかなっているのではと納得した次第。

 ヤマブキショウマ

 おお、この奔放に伸びる花序はヤマブキショウマのものですね。葉がヤマブキのそれに似ているから付けられた名前です。3回3出複葉ですが(ヤマブキは単葉)、小葉の形は確かにヤマブキそっくりでした。

 屏風岩分岐

 屏風岩への分岐付近。そこに何やら看板が。見ると、この先渋滞ポイントとありました。ただ、「混雑時は山頂に近づくにつれ、登山道が急勾配、道幅狭となり、渋滞が発生します。」と付記されていて、混雑時には何がどうなるんだって?と心のなかで突っ込んでしまいました。(つまらないところに引っかかるyamaneko)



 しばらく行くと渋滞の原因が現れました。なかなかおもしろい石の階段でした。

 シモツケ

 これはシモツケですね。これでもバラの仲間です。名前がシモツケというのは下野(しもつけ)の国で発見されたからだそう。下野国は筑波山のある茨城県のお隣、栃木県のことですね。

 女体山山頂

 12時50分、突然視界が開けました。女体山山頂に到着です。登山口から2時間半。前回登ったときよりしんどかったように思いますが、よく考えるとその時から11歳年を取っているのだから、これが普通の身体反応なのかもしれません。
 さて、とりあえず眺望を楽しませてもらいましょう。(後編に続く)