塔ノ岳 〜表丹沢登山道を行く(前編)〜


 

 (前編)

【神奈川県 秦野市 平成25年5月25日(土)】
 
 5月も下旬となりました。このところ日中の気温が高く、日射しが強いと夏日となることも。季節は春から初夏へと移り変わり、もう梅雨も近い頃です。ならば本格的な雨の季節が訪れる前に山歩きに出かけなくては。
 で、今回登る山は丹沢山塊の表正面に聳える塔ノ岳。標高は1491mですが、水深1600mの相模湾の海底から一気に立ち上がる姿を想像するとそれは3000m級の高峰です。都心からも望めるほど近いところにありながら(yamanekoの家からも丹沢山塊の稜線が望めます。冬場、雪を戴いた姿はなかなか凛々しいです。)、奥深い山襞を連ねる丹沢の山々。毎年遭難者が出るほどの険しい山塊です。(丹沢山塊についてはこちら参照。)
 
                       
 
 新宿駅発6時01分の小田急線急行に乗車。今日は土曜日なので飲み会明けの朝帰り客と山に向かうハイキング客とが半々くらいでした。運良く座ることができましたが、車内は通勤時間帯並みの混み具合です。途中からは中学生の部活軍団なども乗ってきて、車内はさらに賑やかになってきました。そして1時間後、7時8分に秦野駅に到着しました。
 秦野からはバスです。登山口のヤビツ峠に向かうのは、7時台には7時35分発の1便のみ。あとは8時台に2便、9時台に1便で午前中はそれでおしまいです。
 駅北口のバス乗り場に行ってみると、7時35分発の前に臨時便が停車していて、もうじき発車とのこと。ラッキーと思いつつ乗車。ただし、車内は立錐の余地もないほどの激混みです。35分発の列に並べば座って行けたかもしれませんが、今日は行程が長いので、登山口に早く到着する方を選択しました。


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 今日のルートは、標高761mのヤビツ峠からいったん富士見橋まで60mほど下り、そこから樹林帯を登ります。二ノ塔で稜線に出てあとはアップダウンを繰り返しながらひたすら尾根道を登っていきます。いわゆる表丹沢ルートです。塔ノ岳の標高は1491m。そこから北に向かえば丹沢山塊の奥深くに分け入っていくことになりますが、ちょっと根性がいるルートなので、塔ノ岳から南に延びる稜線を下っていきます。下りの標高差は1200m。膝への負担が心配です。

 ヤビツ峠

 秦野駅からバスで山道を登ること約30分。丹沢登山の玄関口、ヤビツ峠に到着しました。峠の上はロータリーになっていて、バスはここで折り返します。ここには一般車用の駐車場もありますが、すでに満杯でした。
 ところで「ヤビツ峠」とは何やら曰くありげな名前。ヤビツは漢字では「矢櫃」と書き、戦の際に矢を入れて持ち運んだ入れ物のことだそうです。ここの峠道の改修の際にその矢櫃が大量に発掘されたことが名前の由来なのだとか。戦国時代にこのあたりで甲斐の武田氏と小田原の北条氏が激戦を繰り広げたときのものだそうです。
 さて、トイレとストレッチを済ませ、午前8時ちょうどにスタート。今回はyamaneko一人での山歩きです(妻は会社の友人と別の山に行っています。)。

 ナツトウダイ

 ヤビツ峠からはまず舗装路を秦野とは反対側に下っていきます。この峠道は休日には走り屋やヒルクライムの自転車が頻繁に走り抜けるとのことで、yamanekoが歩いている間にも何台もが脇を通り抜けて行きました。
 道路脇にはナツトウダイの花が咲いていました。名前は「夏燈台」ですが春に咲く花です。

 ホソエカエデ

 見上げると緑の天蓋が。ぱっと見ウリハダカエデのようですが、葉柄が赤いのでホソエカエデでしょう。カエデの仲間の葉は、イロハモミジのように葉が深く切れ込むものやウリハダカエデのように切れ込みの浅いもの、また、チドリノキのようにまったく切れ込みのないものと様々です。

 富士見橋

 8時20分、富士見橋までやって来ました。この橋を渡って建物(トイレ)の向こうを左手に上っていきます。ここにも数台分の駐車場がありました(満車)。
 ここには富士見山荘という山小屋がありましたが、去年(平成24年)の夏に火災で全焼してしまったそうです。

 富士見橋から100mほどで本当の(?)登山口が現れました。ここから山道に入ります。

 まずは針葉樹の森を登っていきます。初っぱなからきつめの傾斜です。これは早いうちに上着を脱いだ方が良さそうです。

 ツクバネウツギ

 ツクバネウツギの花。花冠の中の網目模様が目立ちますが、花冠の根元にある星形に開いた萼もかわいいです。

 

 yamanekoに前後してお仲間が登っています。大人数のグループは見当たらず、1人からせいぜい2、3人程度。静かな山登りが楽しめて助かります。

 ウリハダカエデ

 こちらはぱっと見のとおりウリハダカエデです。緑が濃いですね。木々の葉を真下から見上げるのは気持ちいいです。

 9時5分、ちょっと開けたところに出ました。格好の休憩ポイントです。

 ヤビツ峠方面を振り返るとこんな感じ。左手の雲に隠れているのは大山です。天気の良い日には眺めが良さそうですね。今日は山水画のようです。

 小休止の後、再び登っていきます。岩の斜面あり、階段ありでなかなか楽しませてくれます。

 二ノ塔

 9時20分、小さなピークに出ました。ここが二ノ塔です。周囲は雲に包まれていて、何にも見えません。とりあえず荷物を下ろして休憩。アンパンでエネルギー補給をしました。

 一休みして北西方向を見やると、次のピークの三ノ塔が見えました。まだ霞んでいますがなにやら建物も見えます。この姿だけではなだらかな丘のようですが、谷底までの落差が雲で隠されているだけです。
 ところで、二ノ塔、三ノ塔とくれば、一ノ塔はどこだという話になりますよね。調べてみたところ、一ノ塔はこの南側の谷を下った麓にある加羅古神社のことを言うのだそうです。??? 「二」と「三」は山の峰で「一」は神社とは。これには次のような由来が。
 その昔、現在の秦野市横野地区にある小山に毎夜のように光るものが現れるので、不思議に思った村人が登ってみると、上空に突然御神燈(神に供える灯火のこと。)が輝きだし、その後遠く奥の山稜にも二つ目、三つ目の伸燈が灯り始めたそうです。そうこうするうちに竜馬に乗った神童が現れて、村人に神像を手渡してこれを祀るように伝えたそうです。村人は最初に神燈が灯ったところに加羅古神社を建立して神像を祀り、そこを「一ノ燈」と呼んで、二番目、三番目に神燈が灯った峰も「二ノ燈」、「三ノ燈」と呼ぶようになったとのことです。そして後世になって「燈」の文字が「塔」に置き換わったといわれています。
 加羅古神社の創建は1183年ということですから、平安時代末期の出来事ということになりますね。

 さて、再始動。ここからは三ノ塔を目指していったん下ります。

 鞍部

 ぐーっと下って、ここが三ノ塔との間の鞍部。道の左右に補強がされるほど崩落が進んでいました。浸食が樹木の生育を阻み、そのため浸食が押さえられずにまた崩れるという悪循環です。

 鞍部からは一転して上り。ハードな階段が続きます。

 傾斜が緩やかになってきました。いい感じの山道です。

 三ノ塔

 9時40分、なだらかなピークに出ました。ここが三ノ塔です。晴れていたら富士山とか相模湾とかがバッチリ見えるんでしょうが、まったく何も見えません。避難小屋の近くに「三ノ塔はどこから見える?」という解説板がありました。三ノ塔は標高1205mで、丹沢山塊では40番目に高い山だとか。そのピークは、都心の新宿からも見え、遠くは日光の男体山や伊豆諸島の三宅山からも見えるのだそうです。

 たくさんの人が休憩していましたが、yamanekoは三ノ塔では解説板を読んだだけで素通りすることに。一人だとペースが速いです。

 次なる目標は烏尾山。やっぱり鞍部を目指して下っていきます。それにしても周囲が真っ白なので、なんか変な感じ。見えている範囲からその先を推察すると、やはり稜線から谷底に向かってかなりの斜度で落ち込んでいる模様。気をつけなければなりません。

 だんだん道が険しくなってきました。鎖や梯子を使ってジグザグに下りて行きます。

 露

 雲の中にいるせいか空気はたっぷりと水分を含んでいます。その証拠に、雨も降っていないのに木々の葉は露を結んでいました。大気が潤っているのです。

 

 烏尾山との間の鞍部はこんな感じ。もう完全に左右が崩れ落ちていますね。

 スズタケ

 珍しいものに出会いました。ササの花です。花弁のようなものはなく、垂れ下がっている黄色のものは雄しべの葯です。これはスズタケというササで、丹沢を代表するササですが、近年シカによる食害で大幅に減少しているのだそうです。
 ササは数十年に一度一斉に開花して枯れると言われています。あまりにも周期が長いために研究が進んでいないそうですが、種類によって異なり、60年から120年周期なのだとか。モウソウチクでは67年周期というものが数例確認されているそうです。

 

 登山道が広く削れていますね。年間を通じてたくさんの人が登るので、自然とこうなってしまうのでしょう。

 

 地面の窪みに張られたクモの巣にもしっとりと露が降りていました。

 烏尾山

 10時10分、三ノ塔から30分で烏尾山に到着しました。山頂には烏尾山荘という山小屋があり、事前に調べた情報では土日営業とありましたが、窓には蓋がしてあり戸も閉じていました。まだオフシーズンということでしょうか。

 烏尾山からも眺望は臨めませんでした。ここも休憩なしで通過です。

 次は行者岳を目指して歩いて行きます。せっかく登ったのにと心で思いつつ、鞍部に向けて下っていきます。

 少し雲が晴れると周囲の景色が確認できます。この辺りは険しい斜面になっていますね。道を踏み外すと大変なことになりそうです。

 かと思えば、こんな穏やかな尾根道も。剪定された庭木のようにみえるのはアセビです。この植物は有毒なのでシカが食べないため、アセビだけが残っているという状況です。

 ブナ

 丹沢には広大なブナ林がありますが、現在それは衰退の一途をたどっているのだそうです。原因は種々考えられており、そのうちの一つに窒素酸化物を含んだ南風が吹き上がってくることが影響しているというものがあるそうです。確かに南麓には住宅街や工業地帯があり、東名高速道路も通っていますからね。でも、なぜブナだけに影響が? いや、植物全体に影響しているのだと思いますが、個体が大きいと一本が枯死しても周辺の生態系に大きな変化をもたらすので、目立つのでしょうね。もともとが寒冷な気候を好むものですから、温暖化が進む近年では勢力も衰えているのかもしれません。また、日本のブナ林の林床にはササが生い茂るのが特徴だそうで、そのササがシカの食害でやられてしまっているというのも関係があるのかもしれません。

 行者岳

 そうこうするうちにピークっぽいところに出てきました。

 10時35分、行者岳に到着です。かつてここには役行者(えんのぎょうじゃ)の石像があったらしいですが、風雨で朽ちたため、現在では役行者の石盤が設置されていました(右)。左の新しいのは不動明王でしょうか。
 行者岳では小休止。ここから先、新大日までは表丹沢では最も険しい区間になります。靴の紐を締め直して出発しました。

 アラゲアオダモ

 頭上にはアラゲアオダモの白い花が揺れていました。この植物は丹沢山塊でも標高の高いところに多く自生しているそうです。

 さあ、さっそく鎖場が現れました。ストックを縮めて忍者刀のように背中に挿し、両手をフリーにして下っていきます。

 その鎖場を下りきって見上げたところ。高さは10mくらいでしょうか。雪のない季節であれば、ゆっくり落ち着いて下りれば初心者でも問題ありません。

 その先の小さな鞍部。ここも50pほどの幅を残して両側がざっくりと削れ落ちています。おお怖っ。
 さっきから延々と登ったり下ったりを繰り返していますが、それでもまったく飽きが来ないのはなぜだろう。きっとさっきの鎖場やここの鞍部のような様々なシチュエーションが次々に繰り出されてくるからでしょうね。これで眺望が晴れていれば、と考えると、登山者に人気のコースだというのも肯けます。
 ヤビツ峠を出発して2時間半。塔ノ岳の山頂まではまだしばらくはかかりそうです。続きは後編で。