塔ノ岳 〜表丹沢登山道を行く(後編)〜


 

 (後編)

【神奈川県 秦野市 平成25年5月25日(土)】
 
 表丹沢ルートで塔ノ岳を目指す山歩き。その後編です。(前編はこちら


Kashmir 3D

 午前8時にヤビツ峠をスタートして、ひたすら稜線を登ったり下ったり。次第に高度を上げていって、先ほど行者岳を通過しました。時刻は10時40分。道はこれから険しさを増していきます。

 そしてまた鎖場です。事故のないよう一人ずつ順番に。
 ところで、下りきったその先が真っ白なのは…。それはあそこが深く切れ落ちた崖になっているからですね。

 下から見上げたところ。右側が下り、左側が上りです。

 そしてその先にある鞍部はもう完全に空中を歩いているようなもの。ここは見た目よりもうんとスリルがありました。風の強い日ははっきり言って危険です。

 上の写真の架け橋を渡ってその先の岩場を登ったところでようやく振り返ってみました。さっきの橋がずいぶん下に見えます。これは冬場でなくても要注意ですね。崖を覆っている雲を剥ぎ取ってみたらどんな風景でしょうか。

 岩場を抜けるとこんな楽園っぽいところが。このギャップが今日の山歩きを退屈なものにしていないのだと思います。ちょっと分かりにくいですが、紅白のツツジが左右にあってまるで花のゲートのようになっていました。

 

 シロヤシオ  トウゴクミツバツツジ

 左にあるのがシロヤシオ。右のはトウゴクミツバツツジです。その昔、ここを訪れた修験者もこの花々に緊張を解かれたのでしょうか。

 書策小屋(跡)

 11時、広々としたところに出ました。ここは書策(かいさく)小屋があったところ。現在では小屋は撤去されて、空き地になっていました。丹沢で長く山小屋を守ってこられた渋谷書策さんという方が建てた山小屋が数年前まで残っていたそうです。

 

 長年の風雪に耐えてきた(であろう)アセビの大木。精霊の2、3匹は宿っていそうな風情です。

 新大日茶屋(跡)

 書策小屋跡から15分、今度は新大日茶屋に到着しました。週末のみの売店営業で宿泊は不可との情報でしたが、どう見ても稼働している雰囲気ではありませんでした(帰宅後調べてみたら、やはり閉鎖されていたとのこと。)。
 「新大日」とは、よそにあった大日如来像がここに移設されたことによる命名だそうです。行者岳といい新大日といい、やはり山岳信仰に由来する場所が多いです。

 新大日からしばらくはそんなに険しい上りはありません。むしろ靄に包まれて神秘的な尾根歩きができ、楽しく感じられました。

 

 むむ、木立の向こうに何やら建物が…。

 木ノ又小屋

 11時30分、木ノ又小屋が現れました。なんか近代的な外装の建物で少しびっくりしました。ここは通年週末営業で食事や休憩の他宿泊もできるようです。素泊まりのみ、食材持参で1泊3500円だそうです。

 木ノ又小屋を過ぎると山頂まではあと1qほど。標高差は約100mです。平均10%の勾配ですが、そんなにきつくは感じません。靄の中の森がちょっと幻想的で、歩くのが楽しいです。

 視界はおおよそ10m。相変わらず尾根道は痩せています。

 ハコネシロガネソウ

 山頂間近、ハコネシロガネソウの群落が待っていました。小さな花ですが辺り一面に咲いていて、それは見事です。端正できれいな花ですよね。7年前、西丹沢の山中で出会って以来、二度目です。

 

 山頂直下の岩場までやってきました。おぉ、なんか空が青くなってきたぞ。

 塔ノ岳山頂

 11時50分、ついに塔ノ岳山頂に到着しました。なんと、山頂到着と同時に雲が晴れたじゃないですか。こんなことってあるんでしょうか。

 富士山

 まず西の方角を確認します。うん、ありました。雲の連なりの向こうに富士山が。ここからは約40qの距離です。
 それにしてこの青空。さっきまでとは違う日のことのようです。

 

 山頂にはたくさんの登山客が休んでいました。ちょうど昼ご飯どきです。

 

 山頂のモニュメント。奥の方には不動明王(?)の石板なども祀られていました。やはりここは修験の地です。

 西側のパノラマ。この風景を見ながら昼食をとることにしました。これだけでも今日ここに来た甲斐があるというものです。
 写真右手前の峰は檜洞丸(1601m)。ユーシン渓谷を挟んで写真左端が鍋割山(1273m)。写真中央奥で雲を戴いているのが菰釣山(1379m)で、その向こう側は道志渓谷になります。

 尊仏山荘

 谷から吹き上がってくる風は思いのほか冷たく、しばらくじっとしていたら震えるほど寒くなってきました。風の当たらないところに移動しましょう。
 山頂でひときわ目を引く建物は、通年営業している尊仏山荘。1泊2食で6000円だそうです。ここから丹沢山塊の奥の嶺々を目指すなら、この山荘で一泊した方が楽ですね。

 下山開始

 12時35分、いつの間にかまた雲に覆われてきたので、下山を開始することにしました。全長7q、標高差1200mの大倉尾根を下ります。気合いを入れてい行きましょう。
 ところが歩き始めて30秒で左膝がズキッ!膝の外側から5寸釘を打ち込まれたような痛みが走りました。ううっ、これはヤバイ。これまでにも何回か経験したことのある痛みです。平坦なところを歩いている分には何事もないのですが、下り、特に階段状のところを下るときに激痛が走るのです。これは腸脛靱帯炎というやつで原因は分かっています。単純に膝のオーバーユースです。対処法としては痛みの初期段階で安静にする、すなわち歩かないということですが、まさにこれから下山しようというときに…。なんとかだましだまし下りるしかないか。

 鍋割山分岐

 痛みが走るたびにハウッとかヌオッとか心の中で叫びながら、それでも一歩ずつゆっくりと下りて行きます。
 12時50分、隣の鍋割山へと向かう道との分岐までやって来ました。ここは左手に下っていきます。はぁ、地獄の階段がまだまだ続いていますね。

 ときには緩やかな上りも。こんなところは何事もなかったかのように普通に歩けるのですが。

 花立山荘

 13時、花立山荘が見えてきました。入口には「氷」と書かれた幟も翻っていて、たくさんの人が休憩していました。宿泊可能で食事も提供してくれます。

 山荘前から南東の方向。写真左のピークが三ノ塔です。その左奥に大山が霞んで見えていますね。写真正面奥は秦野市街です。それにしてもさっきの青空はどこに行ったのか。あの清々しい眺望を楽しんでからまだ1時間も経っていないのに。

 戸沢分岐

 13時20分、戸沢に下りて行く道との分岐までやってきました。戸沢へはここから山肌を急降下していくことになります。yamanekoは多くの登山者がそうするように大倉へとなだらかに下っていく尾根道をたどります。

 

 痛む左足をかばうようにして下っていくと休憩スペースが見えてきました。ここで休んでコールドスプレーでも吹き付けることにしましょう。

 

 ここには堀山の家という茶屋がありました。土日営業で宿泊もできるようです。
 時計を見ると13時35分、下山開始からちょうど1時間経過です。まだ大倉までの半分にも達していないとは。先が思いやられるなぁ。

 

 しばらく休憩してから再び歩き始めました。こんな森の中を歩けるなんて嬉しい限り。痛みを忘れる瞬間です。

 ヤブデマリ

 ヤブデマリが純白の花を咲かせていました。白いのは装飾花で、後に実を付ける両性花は中央の緑色の蕾のやつです。ヤブデマリの装飾花は5個ある花弁のうちの1個が極端に小さくてぱっと見4弁の花に見えるので、すぐにそれと分かります。

 

 平坦な尾根道。こんな道なら膝は痛くありません。

 ミツバウツギ

 咲き始めのミツバウツギです。この花はこのように少し垂れ下がり気味に咲きます。ふむ、蕾のときは先端に紅が差しているのか。これまで気がつきませんでした。それともこの個体のみの特徴か? 名前の三つ葉は3個の小葉で一つの葉を構成しているからです。

 駒止茶屋

 14時、また山小屋が現れました。これは駒止茶屋。ここも週末営業です。どうやらここは宿泊はできないようです。

 マルバウツギ

 茶屋の前で見かけたマルバウツギ。丸葉というほど葉は丸くはありません。この花は花弁に縁取りがされているようで、くっきりとした印象。先ほどのミツバウツギと違って上を向いて咲きます。

 見晴茶屋

 さらに下ることしばし。ログハウス調の見晴茶屋までやってきました。時刻は14時25分です。本当は小休止でもすればよいのでしょうが、一刻も早く山道から解放されたい気持ちの方が勝って、ここでも休憩をしませんでした。でも、頻繁に立ち止まってコールドスプレーを噴射しています。
 この辺りまで来ると痛みのかわし方が少し分かってきました。どうやら歩幅が小さいとより痛みが激しくなるようです。なので階段は最悪。緩やかな下りならあえて歩幅を広げて歩くと痛みが大幅に緩和されるのです。でもこれは山歩きのセオリーに反した歩き方。地面には石ころも多く、滑ったり捻挫したりの危険性はかえって高まるのですが。

 コゴメウツギ

 はからずもウツギ3連発です。これはコゴメウツギ。白い小さな花を小米に例えたものだそうです。秋の黄葉が見事で、yamanekoの好きな花の一つです。
 ところでこの3種のウツギ、名前からは仲間のようですが、ミツバウツギはミツバウツギ科、マルバウツギはスイカズラ科、そしてコゴメウツギはバラ科と、じつはそれぞれ他人同士です。共通点は花が白いということくらいか。確かに本家のウツギ(いわゆる卯の花)は純白の花です。

 観音茶屋

 時刻は14時40分。もうずいぶん下りてきたことが周囲の山々の様子からも分かります。相変わらず痛い足を庇いながら下っていくと、登山道の上を庇で覆って、否応なしに店の中を歩く格好にした茶屋が現れました。看板には観音茶屋とありました。(ところで「庇う(かばう)」と「庇(ひさし)」が同じ漢字だったことに今気がつきました。)

 

 道が車の通れる幅になってきました。コンクリート舗装もされています。もう大倉の集落はあとわずかでしょう。この道なら足も何とか耐えられそうです。

 大倉バス停

 そして15時ちょうど。ついに大倉のバス停に到着しました。田舎(失礼!)の路線の終点にしてはけっこう立派なターミナルです。登山での乗降客が多いのでしょう。また、付近には有料駐車場がたくさんあり、ここに車を停めて大倉尾根を登る人も多いのではないかと思います。
 遠くには今日歩いた稜線が見えますね。しばらく足のマッサージでも、と思ってベンチに座ったとたんにバスがやって来ました。ここから秦野駅行きの路線は出ていなくて、行き先は渋沢駅です。渋沢駅は今朝降りた秦野駅の一つ先の駅になります。
 15分ほどでバスは渋沢駅に到着。さあ、ここからいかにして階段を使わずに家まで帰り着くかです。幸いにして最近の駅はバリアフリー化が進み、ほとんどの駅にエレベーターが設置されています。
 渋沢駅に着くやいなや上りの急行が来たので、とりあえずそれに飛び乗りました。そして秦野まで一駅乗って下車。検索サイトを見るとロマンスカーがもうすぐ来るとのことなので、秦野駅のホーム上で指定席券を買って、後から来たロマンスカーに乗り換えました。新幹線のグリーン車並みのゆったりシートで新宿まで1時間。急行と比べると15分の時間短縮です。車内ではしばし足の痛みも忘れることができました。
 ところが、新宿駅に到着してから落とし穴がありました。駅構内があまりに広いためエレベーターがとてつもなく遠くにあったりするのです。また、わずか数段ですが細かな段差もあちこちにあり、結局新宿駅で一番痛い思いをするハメに。うーん、今まで気がつかなかった視点です。
 
 さて、無事に帰宅することができたものの、これからしばらくは足をいたわる生活です。次の山歩きは完全に痛みが取れてからですね。