尾瀬ヶ原 〜遙かなる天上の湿原(後編)〜


 

 (後編)

【群馬県 片品村、福島県 檜枝岐村 平成22年10月7日(木)】
 
 尾瀬ヶ原の後編です。(前編はこちら

 牛首の紅葉

 尾瀬の風景に感嘆しながら昼食をとりました。目の前には牛首の森。紅葉が鮮やかです。

 尾瀬エリア
 Kashmir 3D
〔今回のルートを大きな地図で〕

 今日の行程は尾瀬ヶ原の東端にある見晴まで。まだ半分以上は残っています。食事を終えたら再び歩き始めましょう。

 逆さ燧

 鏡のような池塘に燧ヶ岳が映っています。山では午後になると上空の大気が不安定になりがちで、雲も多くなってきます。秋空にちぎれた雲が流れていき、それに伴って地上の影も移動していきます。なので、その影に入るとあたりが暗くなりますが、ほどなくまた明るい日射しが降りそそいでくるのです。

 中田代へ

 上ノ大堀川の拠水林です。ここを越えると中田代に入ります。木道の高さが高いのは増水を想定してのことでしょう。

 上ノ大堀川 

 橋の上から川面を覗いてみると、一面水草に覆われていました。川の水量は豊富で、その流れに長い茎や葉をそよがせています。調べてみると、これはスギナモという植物で、寒地性の水草なのだとか。姿がスギナに似ることからこの名が付いたということです。

 ズミ

 中田代に入りました。木道脇にズミの赤い実が。日射しを受けて輝いています。ズミはもともと湿った環境が好きで、そんな中でも高木に育ったりするのですが、さすがに湿地のど真ん中だからなのか、膝下くらいの高さにしか育っていませんでした。

 尾瀬ヶ原三又

 上ノ大堀川から500mほど行くと、左に道を分ける分岐にやって来ました。12時25分です。
 ここは尾瀬ヶ原三又(牛首三又)と呼ばれる分岐点で、休憩ポイントがあります。昼ご飯時ということもあって大勢の人が休憩していました。この分岐を左に行くと、ヨッピ川に沿って湿原の北縁を辿り、ヨッピ橋方面に至ります。yamanekoたちは直進し、別ルートでヨッピ橋に向かいます。

 分岐の先

 三又から左に延びる木道。その先にはヨッピ川の拠水林が見えています。奥の山々は湿原の北側に居並ぶもので、左のピークが景鶴山(2004m)です。

 中田代を行く

 さて再び中田代のど真ん中を歩きます。あー長閑…。こんなに静かなのは平日だからですよね、きっと。 

 オヤマリンドウ

 木道は複線になっていて、その木道の間にオヤマリンドウが咲いていました。陽が差しても花冠はこの程度にしか開きません。実際には赤紫色だったのですが、デジカメの性能上の限界で…。

 浮島

 池塘の中の浮島。といっても本当の意味で浮いているものは尾瀬にはほとんどないそうで、底の泥炭層とつながっているのだそうです。バックの拠水林、高さが一定ですね。その奥の山頂が影になっているのが景鶴山です。右のなだらかなピークは与作山。

 下ノ大堀川

 用水路ほどの幅の川を渡りました。下ノ大堀川です。魚の影が濃いですね(というか密集しています。)。この辺りが中田代のちょうど中心部になります。

 

 どうやらこれもイワショウブのようです。もうドライフラワーの状態です。

 

 中田代の東南端あたり。白樺の並木がいい感じです。

 ジャンクション?

 どうも同じような構図の写真が続きますが、まあ湿原の中を延々と歩いたということです。
 ここは分岐点ではなく、メインルートの左右の湿地を観察できるように木道が「Φ」のように敷かれているのです。で、何を観察するのかというと「竜宮現象」です。竜宮現象とは、泥炭層の下に水の浸食で水路ができ、入口と出口との間で水が流れる現象だそうで、5、6月頃、雪解け水で増水した入口では渦を巻いて地中に流れ込む現象が見られるのだそうです。写真の右に入口があり、左に出口があるそうですが、もちろん今日は何も見られませんでした。
 奥の樹林帯は中田代と下田代を区切る、沼尻川の拠水林です。

 ミツガシワ

 木道の間からミツガシワの花がのぞいていました。でも何でこの時期に? ミツガシワは尾瀬では5、6月に見られる花のはず。それこそ竜宮現象が見られる頃です。秋になって気温が下がり、その頃と季節を勘違いしたのでしょうか。

 竜宮小屋

 1時10分、中田代の東端までやって来ました。ここは十字路になっていて竜宮十字路と呼ばれています。すぐ先には沼尻川の拠水林を背負った竜宮小屋が見えています。沼尻川の向こう側は福島県です。
 この十字路を直進すると、竜宮小屋の脇を通って下田代に入り、そのまま下田代の真ん中を突っ切って見晴に至ります。右に折れると数百mで山道になり、標高差500mを登って富士見峠へ。yamanekoたちはこの十字路を左手に向かいます。

 消失点

 竜宮十字路を左に曲がると、この風景。ここから沼尻川の拠水林を右手に見ながら北上して、1.5qほどでヨッピ橋のたもとへ出ます。そこで先ほど尾瀬ヶ原三又で分かれた道と合流するのです。それにしても消失点がある風景なんて。普段そうそうお目にかかるものではありませんね。

 ヨッピ橋

 1時45分、ヨッピ橋に到着しました。「ヨッピ」というのはもともとアイヌ語で、「呼び」「別れ」「集まる」といった意味があるのだそうです。この川をさかのぼって尾瀬ヶ原を歩くと、蛇行を繰り返しながら多くの支流に分かれていくことから、このような名前が付けられたのではないかと考えられているそうです。でも、何でアイヌ語?
 昔は簡単な造りの木の橋だったそうですが、水量が多く危険なので、今では鉄製の吊り橋になっています。

 アブラガヤ

 ヨッピ橋を渡ると、その先はヨシッ堀田代(よしっぽりたしろ)です。この湿原は下田代の北側にあって、只見川(ヨッピ川が沼尻川と合流した後は只見川となります。)で下田代と隔てられた小規模な湿原です。ここの草紅葉も見事でした。
 この辺りはメインルートから外れているからか、ところどころにクマよけの鐘が設置されていました。カーン、カーンと甲高く良くとおる音でした。

 ヨシッ堀田代

 ヨシッ堀田代の端まで行くと東電小屋が見えてきます。東電とは東京電力のことで、子会社の尾瀬林業が経営しています(尾瀬林業はこのほかにも4件の山小屋を経営しています。)。尾瀬と東京電力とは切っても切れない関係があって、尾瀬保護の歴史は東京電力(当時は関東水電)のダム開発計画への反対運動から始まっているのだそうです。初めて計画が明らかになったのが大正8年。その後曲折を経てダム計画は頓挫し、昭和41年に計画は凍結。今では逆に東京電力は尾瀬の保護に欠かせない存在となっています。(東京電力が水利権を放棄したのは平成になってから。今でも尾瀬ヶ原の群馬県側は東京電力の所有地なのだそうです。)

 東電小屋

 2時10分、東電小屋までやって来ました。公衆トイレもあり、休憩ポイントです。尾瀬では宿泊施設内のトイレは別として、公衆トイレはすべてチップ制となっていて、1回につき100円ないし200円を小箱に入れます。どこのトイレも水洗で、掃除が行き届いているのにビックリします。
 尾瀬ではゴミの完全持ち帰りなど、環境保護のための対策が徹底していて、それはトイレの汚水処理でも同様です。まず微生物を使って水と汚泥とに分離し、水はパイプを通して尾瀬の外に出すか、あるいは環境に負荷がかからないまでに浄化して川に流します。一方、汚泥は温風で乾燥させ体積を小さくしてから、ヘリを使って尾瀬の外に搬出するのだそうです。なので、汚泥をいかに少なくするかが重要で、そのためトイレットペーパーはトイレに流さないルールになっています。

 

 東電小屋の裏手にはこんな紅葉が。

 運搬ヘリ

 ちょうどヘリがやって来ました。どうやら荷物を運んできたようです。わずかな時間で荷物を下ろし、すぐにどっかに飛んでいってしまいました。山小屋でビールが飲めるのもこうやってわざわざ運んできているからなんですね。このヘリはその後数回姿を現していました。

 林間の道

 東電小屋は、下田代の北の山際に建っています。だからこの辺りは山道です。たまには気分が変わっていいですね。

 落ち葉の絨毯

 木道の上はご覧のとおり。きれいです。でもツルッと滑ったりするので要注意です。

 東電尾瀬橋

 東電小屋を過ぎて小さな湿原を抜けると木道は只見川を渡ります。元は川上川であり、猫又川であり、ヨッピ川であった川。ここでは水量も増え、橋の構造もしっかりしたものになっています。

 只見川

 橋の上から眺めた上流方向。川が大きくなると拠水林ももう普通の森のようです。でも向こう側が透けていることかも分かるとおり、幅は狭いのです。この川の水は広大な尾瀬ヶ原を潤してきたものなんですよね。ここからは両側から徐々に山が迫ってきて、やがて三条の滝(落差90m!)を下って尾瀬を後にすることになります。

 錦秋

 まだ10月上旬なんですが、ここでは秋真っ盛り。東京ではまだ夏日なんですけどね。

 見晴

 拠水林を越えると遠くに見晴の山小屋群が見えました。あそこはもう燧ヶ岳の麓です。ここからは約1.5qの道のりです。

 木道の補修

 途中、木道の補修工事の現場に行き当たりました。写真のところは既に新しい木道になっていて、その脇に古い木道が積んであります。そのうちヘリがやって来て吊り上げていくのでしょう。
 尾瀬の木道の総延長は約60q。昭和29年にここ見晴地区に敷設されたのが最初だそうです。当時は歩く人の服を汚さないようにするためのもので、湿原保護が目的ではなかったのだそうです。

 見晴の山小屋

 ようやく見晴の山小屋に到着しました。時計を見ると3時。鳩待峠から約6時間の行程でした(参考コースうタイムでは3時間40分。休憩を入れても普通4時間でしょうね。)。ここ見晴には、第二長藏小屋、弥四郎小屋、檜枝岐小屋、原の小屋、燧小屋、尾瀬小屋の6軒の山小屋があって、そのほかキャンプ場もあります。

 第二長藏小屋

 yamanekoたちが泊まるのは第二長藏小屋です。第二というからには第一もあって、ただの「長藏小屋」というのが尾瀬沼東岸にあります。
 「長藏」とはご想像のとおり人の名。明治23年に福島県檜枝岐村の平野長藏(当時20才)が尾瀬沼の沼尻(西岸)に山小屋を開き、長藏小屋と名付けたのだとか。これが尾瀬に初めて開かれた山小屋で、その後、大正4年に現在の東岸に小屋を移したのだそうです。
 この平野長藏という人物。尾瀬の自然保護の始祖で、ダム建設計画が持ち上がると、単身上京して、当時の内務大臣に中止を請願したのだとか。内務大臣といえば、警察庁長官と自治大臣と建設大臣を合わせたようなもの。ものすごいエネルギーと度胸ですよね。でも、それだけに彼の遺志は確実に現代に引き継がれています。

 室内

 第二長藏小屋の収用定員は約100人。yamanekoが泊まった部屋はシンプルな6畳で、布団を重ねるように敷けば畳の上に4人、あとベッドに2人寝られます(yamanekoの身長(175p)ではベッドは無理でした。)。この日はyamaneko夫婦の他に、横浜からやって来たというカルチャースクール仲間の3人組(40代くらいの女性2人と60代と思われる男性1人)の計5人でした。

 夕食

 山小屋での生活時間帯は平地のそれと3時間くらいずれています。風呂は3時から(シャンプーや石鹸は使用不可)、夕食は5時半、消灯は9時です。夕食時には写真のとおり大賑わい。ほぼ満員の状況です。
 山小屋というと、詰め込むだけ詰め込まれて、なにかと横柄な主人に文句を言われ、流れ作業のように食事を済ませる…、なんて勝手なイメージを持っていましたが、ここの経営者の方は気さくで、なにより暖かいホスピタリティーにあふれいていました。スタッフの皆さんも丁寧でしたし。
 
 さて、明日の朝食は6時15分。7時過ぎにはスタートですから早めに就寝した方がよさそうです。幸い同室の方にも恵まれ楽しい山小屋泊となりました。アルコールの効き目もあり、消灯後は即寝でした。
 
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