大久野島 〜年の瀬を瀬戸の小島で過ごす(前編)〜


 

 (前編)

【広島県 竹原市 平成27年12月13日(日)】
 
 師走の最中、金曜日に所用があって広島を訪問。せっかくなので土曜日、日曜日と遊んでから帰京することにしました。
 yamanekoは10年前に広島から東京に引っ越しましたが、引っ越してからも広島自然観察会の会員は継続していて、これまでも広島に行くたびに日程が合えば観察会に顔を出そうとチャンスを伺っていました。で、今回の広島行きが決まってから観察会の年間行事予定を チェックしてみると、12月の定例観察会がちょうどこの日曜日にあるでなないですか。ようやくタイミングが合いました。これは参加しないわけにはいきませんね。
 今月の観察会は瀬戸内海に浮かぶ大久野島です。大久野島は竹原市忠海地区(旧豊田郡忠海町)の沖合約3qに浮かぶ、周囲4.3kmの小島。大部分を丘のような山地が占めていて平坦地は少なく、最高点の標高は海抜100m弱です。ちなみに住人はいません。
 実は12年前の12月にもこの大久野島で定例観察会が行われていて、yamanekoはその回のリーダーを務めていました。懐かしいです。(その時の様子はこちら
 
                       
 
 前日の土曜日の午後、広島からJR呉線で2時間かけて忠海へ移動。もう日も暮れて暗い中、船で大久野島に渡って、島内にある国民休暇村に宿泊しました。ここでアピールしておきたいのは、休暇村の食事が予想を超えて美味しかったこと。案内では朝夕ともバイキング形式とのことだったので正直たいして期待していませんでしたが、質、量はもとより、魚介類のメニューも豊富で、鮮度も良かったです。懐石料理をそのままバイキングにしたと言ったら言い過ぎかもしれませんが、そんなイメージです。週末ということもあって、たくさんの宿泊客で賑わっていました。

 休暇村大久野

 一夜明けて観察会当日。12年前の観察会のときと同じで、抜けるような青空です。

 第2桟橋

 観察会の一行は対岸の忠海港に集合して、9時30分発のフェリーで渡ってくることになっています。なのでその到着時刻に合わせて桟橋に向かいました。

 観察会の面々を乗せたフェリーは定刻どおりにやって来ました。接岸を終え、どやどやと下りてくる人の中に懐かしい顔も見えます。お互いそれなりに進化(老化)していましたが、大きな変わりはないようでした。

 観察会開始

 上陸後、まず事務局の和田さんから今日のスケジュールの説明がありました。今回のテーマは「冬の大久野島の植生観察と忠海の民俗歴史散歩」。午前中はこの島で植物を中心とした自然観察をし、昼食後、忠海に戻って当地に残る歴史の跡を辿るという行程です。
 次に今日のリーダー、忠海歴史民俗研究会の森川さんにバトンタッチ。大久野島の自然を紹介したリーフレットが配られ、これを参考にしながら、また、森川さんの説明を聞きながら、島の東岸の散策路を歩き始めました。


Kashmir 3D

 島の東側にある桟橋から海沿いに北上し、その後山頂を目指して南下。山頂からは西側に下り、休暇村を経由して桟橋に戻ってくるコースです。

 キレハノヤマブドウ

 キレハノヤマブドウは葉の形以外はノブドウと同じ形態とのこと。ウチワのように幅広な見慣れた姿ではなく、深く切れ込んでいるのが特徴。ただ、同じ種として取り扱われることもあるそうです。

 サルトリイバラ

 サルトリイバラの実は西日本のものの方が大きいような気がするのですが、どうでしょうか。

 ハゼノキ

 見上げるとハゼノキの深紅の葉。瀬戸内の沿岸部を彩る紅葉はこのハゼノキが主役です。果実からはロウが取れるため昔から栽培されてきたそうです。

 発電所跡

 歩き始めてほどなく、発電所跡にやってきました。この島は瀬戸内海の交通の要衝にあったことから、明治期には日露戦争に備え砲台が整備されました。また、昭和に入ってからは秘密裏に軍の毒ガス工場が建設されました。現在でもそれらの遺構が島のあちこちに残っています。ここの発電所は毒ガス工場の時代のものでしょう。

 アナウサギ

 建物の前庭には仔ウサギが。島内に700羽を超えるアナウサギが生息しているそうで、いたるところで見かけます。戦後、大久野島は瀬戸内海国立公園に編入され、昭和30年代には国民休暇村がオープンしました。その頃本土から数羽持ち込まれたものが繁殖していったのだそうです。最近では「ウサギの島」としてネットを通じて海外で有名となり、外国人観光客が多数訪れているそうです。

 カナメモチ

 暖地ということもあり、「緑の葉に赤い実」という取り合わせが多く見られます。これはカナメモチ。材は硬く、扇の要に使われたことが名の由来と言われています。個体数は多くないそうです。けっこう見かけるような気がしていましたが。

 キカラスウリ

 キカラスウリの黄色い実がたくさんぶら下がっていました。大きさはテニスボールほどもあり、カラスウリの実より二回りほど大きいです。根のデンプンからは天花粉ができるそうですが、これは若い人にはベビーパウダーといった方が通りが良いかも。赤ちゃんのオムツかぶれやあせもによく使いました。シッカロールという名で記憶している人もいるでしょうが、これは商標名です。

 タイミンタチバナ

 タイミンタチバナ。まだ実は緑色をしていますが、熟すと黒くなります。名の意味は中国産の橘ということ。でも、日本にも自生していて、西日本では海岸沿いで普通に見られるとのことです。

 火薬庫跡

 火薬庫跡までやってきました。大砲の弾薬を保管していたところです。屋根は残っていませんが、これは当時からわざと屋根だけ簡素に造られていたから。暴発したときに屋根を吹き飛ばして全体にかかるダメージを少なくするためだそうです。ここは毒ガス工場時代にも化学兵器の製品置き場として利用されていたそうです。

 火薬庫近くに岩壁から水が染み出している場所がありました。

 モウセンゴケ

 その岩壁に張り付くようにモウセンゴケが。和田さんから、本土から離れた島の小さな水場になぜ生育しているのかという問いかけが。どうやってここにやって来たのか考えてみると不思議ということ。うーむ、氷河期に陸続きだった時にやって来たのでしょうか。正解はとにかく、そういう視点での観察もあることを教わりました。観察って疑問を見つけることなんだと。

 イノモトススキ

 岩壁の周囲にはイノモトススキが生い茂っていました。葉はざらつきが強く、縁が刃物のように切れる大型の植物で、確か宮島では後背湿地で見かけた記憶があります。ススキと名が付いていますが、ススキの仲間ではなく、カヤツリグサ科だそうです。

 コシダ

 一面のコシダ。瀬戸内の沿岸部ではよく見る風景です。コシダは葉軸が強く弾力があるので、軸の部分を竹ひごのようにして籠を編む地域もあるそうです。

 いつの間にか散策路は海岸からかなり高いところを通っていました。一旦海岸に下ります。

 白砂青松

 小さな浜に出ました。波打ち際まで森が来ています。関東地方の浜とは違って白砂青松ですね。「松」じゃないですが。

 モチノキ

 その小さな砂浜に立派なモチノキが。こんな波打ち際でよく生きていられるものです。

 雌株  雄株

 モチノキは雌雄異株。隣り合って立つ雌株 の方には赤い実がたわわに付いていました。ところで、モチノキといえば「鳥もち」。誰かが実を囓ってみて「特に粘ってはいないね」と言うと、別の参加者の方から説明が。樹皮を剥ぎしばらく水に晒したものを金槌で叩いてほぐし、余分な滓を水で流すと、後に粘着性のある鳥もちが残るのだそうです。粘るのは実じゃないんですね。その方は子どもの頃鳥もち作りの手伝いをさせられていて覚えていたのだそうです。

 浜辺からの風景。スコーンと抜けた風景です。左の島は高根島、右は生口島です。

 元の道に戻って、再び散策路を歩きます。

 ナナミノキ

 ナナミノキがありました。西日本を中心に分布とのことですが、なかなか特徴が覚えられないんですよね。これもモチノキ科で、同じように鳥もちが取れるのだそうです。

 似たような見かけのシダ2種。コバノタチシノブ(右)とコバノヒノキシダ(左)だそうです。この島ではシダ類もいろいろあることを教えてもらいました。

 北部砲台

 島の北端近く、北部砲台跡を過ぎた辺りで反転して南に向かい、島の最高地点を目指して山を登っていきます。

 対岸には忠海の海岸線が見えています。左端の場違いに大きな建物は電源開発(Jパワー)の火力発電所。

 ウラジロノキ

 なんのこともない枯れ葉のように見えますが、これはウラジロノキの葉。名前のとおり葉の裏に白い軟毛が密生しています。

 ぐんぐん高度を上げていきます。正面に見えているのは高圧電線の鉄塔。島しょ部への送電のため山頂部に建っていて、本土からの電線を中継しています。

 シャシャンボ

 登山道脇にシャシャンボの実が。変わった名前ですが、ちゃんと「小小ん坊」という漢字名があります。ツツジの仲間なのでブルーベリーに近く、実は甘酸っぱくて美味しいです。粒の大きいものは見た目もほぼブルーベリーです。

 あと少しで山頂部です。あらためて振り返ると本土側がよく見えました。ちょうど正面に高圧電線の鉄塔があり、そこから海を跨いで電線が通っているのが分かりますね。
 さて、午後は向こう側に渡ります。(後編へ続く)