多摩丘陵でフットパス 〜よこやまの道(前編)〜


 

 「よこやまの道」(前編)

【東京都 多摩市 令和2年6月20日(土)】
 
 赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ 
 万葉集にただ一首、多摩の横山を詠んだ歌だそうです。大意としては、「夫が防人として旅立つというのに、赤駒を野に放ってしまったせいで、長旅を歩かせることになってしまった」 概ねこんな意味のようです。
 この歌を詠んだのは、今の豊島区あたりに住んでいた夫婦の妻とのことで、武蔵国近在で招集された防人はいったん国府(現府中市)に集められた後、多摩の横山の尾根道を通って遠く難波の津を目指したのだそうです(そこからは瀬戸内海を船で北九州へ)。

多摩の横山

 その府中市の多摩川左岸から望む多摩の横山。写真はその東端部あたりで、標高はおよそ150mほど。ほぼ同じ高度でここから西に向かって約10kmほど続いています。「よこやまの道」は、防人をはじめいにしえに多くの人の往来があったその尾根道を、近年になって標識などを設置して整備した歩道のことです。
 防人として旅立つ夫を、妻はここから見送ったのかもしれませんね。今生の別れを覚悟しつつ。
 
                       
 
 今回の野山歩きは、そのよこやまの道を、逆に西側から東に向かって歩きます。全長約10kmと長めなので、2回に分けて歩くことにしました。
 梅雨の晴れ間、しっかり汗をかけそうなフットパスです。

 Kashmir3D

 今日のコースは、よこやまの道の西端、八王子市立長池公園近くからスタートし、概ね尾根伝いの道を東進して、一本杉公園までです。

 南多摩尾根幹線道路

 午前11時30分、スタート地点にやって来ました。この広い道路は南多摩尾根幹線道路。通称「尾根幹」でサイクリストには有名な道路です。その向こうに見えているこんもりとした森が長池公園です。



 目を左側の歩道に転じると「よこやまの道」との標識が。ここがコースの西の端であることが分かります。

 スタート

 さあ、この階段を上って行きましょう。すでにギラギラの日差しで、飲み物とタオルは必携です。

 ガクアジサイ

 涼しげな色合いのガクアジサイ。園芸品種でしょうか。
 アジサイが青くなるのは土壌が酸性だからと聞いたことがあります(リトマス試験紙の反応とは逆)。実際に発色に作用しているのはアルミニウムだそうで、酸性土ではアルミニウムが溶けやすく吸収しやすくなって、もともと持っている赤色色素アントシアニンと反応し青色になるのだそうです。土壌が中性からアルカリ性だとそのような反応が起こらず、赤色のままということなんですね。



 この道を歩く人はそう多くはないのでしょう。階段も草むしています。

 ヤマホタルブクロ

 ヤマホタルブクロもこの時期の花。花冠の中に入った蛍がほんのり内側から光を放つ、そんな情景から名が付けられたんでしょうね。実際に蛍の光量で花冠は明るく見えるのだろうか。



 木立が切れたところがあり、南東側に眺望が得られました。



 アップで。遠くのビル群は横浜のみなとみらいのようです。ここからだと直線距離で30km弱です。

 Kashmir3D

 多摩丘陵の地形図をみるとこんな感じ(赤線がよこやまの道)。侵食が進み、大小の谷戸が複雑に入り組んでいます。特によこやまの道の南側、鶴見川が刻んだ谷戸は浸食の程度が大きいことが分かりますね。よこやまの道の北側はそれほど細かく浸食されてなく、多摩川に流れ込む大栗川など比較的大きな川筋が北東に向かって延びています。よこやまの道の北側斜面のエリアが多摩ニュータウンの範囲と概ね一致していますが、あまり細かく浸食されていなかったことが開発に都合が良かったのかもしれません。
 多摩丘陵の南西に広がるのっぺりとしたところは相模野大地です。相模川の堆積作用で造られた河岸段丘で、多摩丘陵が約250万年前くらいにできた地層を削ってできていることを考えると、それより後に相模川が何度も大暴れして、大量の土砂で谷戸を埋めつつ平坦な地形を造り、同時に自らの川筋を深く削っていったのでしょう。

 Kashmir3D 
 SuperMapleDigital

 上の地形図に現代の地図を重ねるとこうなります。
 ところで、多摩の横山を歩いた防人たちは、その後どういうルートを辿ったのでしょうか。行く手正面には丹沢山地があるので、その北側か南側を回らざるをえないのですが、去年登った南足柄の矢倉岳の近くに防人たちが通った峠というのがあったので(こちら)、丹沢山地の南側を通り、足柄峠を越えて箱根の北側を回って、御殿場、沼津と歩いて行ったのだと思います。

 キブシ

 花の少ないこの時期、道の両脇には既に実の生ったものも見られます。ブドウの房のように実を付けているのはキブシです。名前を漢字で書くと「木五倍子」。「五倍子」は「ふし」と読み、これは染色に使う媒染剤のことだそう。キブシの実を潰したものを五倍子の代用にしたとのことです。

 エゴノキ

 こちらはエゴノキの実です。実にはサポニンの成分が含まれているそうで、昔はこの実をすりつぶして洗剤として使ったそうです。また、サポニンの毒性を利用して、汁を川に流して漁をしたとも。キブシにしてもこのエゴノキにしても、人間の生活と密接に関係しているんですね。これらに限らず人間は身近にある植物を巧みに利用してきたということでしょう。

 ぐりーんうぉーく多摩

 北側に尾根幹沿いにある商業施設「ぐりーんうぉーく多摩」が見えました。家具、家電、ホームセンターなどが集積した郊外型のショッピングセンターです。

 ムラサキカタバミ

 ムラサキカタバミ。南米原産の帰化植物です。ちなみにバックに写っている葉や蔓は別の植物のものです。

 昼食

 ほどなくお昼になりました。開けた場所にベンチがあったので、ここでコンビニ弁当を食することに。腰掛けたとたんどっと汗が噴き出ました。が、風の通る場所だったので、しばらくするとそれも引き、のんびりと昼食をとることができました。



 目の前には近代的な建物が。右はKDDIのデータセンター、左は三菱UFJビジネスセンター(研修施設?)です。

 解説板

 よこやまの道のところどころにこのような解説板があり、その地に所縁の史実や言い伝えが紹介されています。ここの解説版には近くにある六部塚にまつわる話が記されていました。内容は次の通りです。
「江戸時代のこと、旅の尼僧が抱く赤子に地元の人が乳を与えましたが、礼を言って立ち去った尼僧は力尽きて倒れ峠に葬られました。後日訪れた身内の信州伊那郡の片桐勘四郎(旅の六十六部)もここで力尽き葬られ、二つの塚を築いた村人は農作業の合間に通っては手を合わせていたそうです。近年この六部塚(六十六部の略)は案内板から南へ80m下ったところで見つかり、小山田の田中谷戸集会場では石塔が発見され、民話が本当だったことがわかりました。」 うむ、要約されすぎていてこれだけではどこが語り継がれるような話なのか今ひとつ分かりにくいですね。
 六十六部とは、諸国全六十六箇国を巡りながら、一国に一社寺、法華経を納経して歩く巡礼の旅のこと、または、その巡礼者のことをいうそうで、中世以降江戸時代まで広く行われていたそうです。当時、街道筋は別として、閉鎖的な山村を訪れるよそ者は希であり、そのような異界の者が福をもたらしたり、逆に災いをなしたりする逸話は全国にたくさんあるのだそうです。
 とはいえこれは史実のようで、尼僧がこの地で亡くなったのは寛保2年(1742年)。片桐がこの地を訪れたのは嘉永3年(1850年)とのことで、約100年後のことだったそうです。

 野辺の道

 昼食を終え、一休みしたら再び歩きはじめます。(ここ東京です。)

 クリ

 路傍のクリ畑。まだクリの実はピンポン球より小さいくらいです。よく見ると雌しべの柱頭の先が残っているのが分かりますね。

 ヒメコウゾ

 ヒメコウゾの実は一見美味しそう。昔一度食べたことがあるのですが、味もさることながら、硬い毛が口の中に残ってすぐに吐き出した記憶があります。よく似たモミジイチゴの実は甘くて美味しいんですが。



 KDDIの裏手を歩いて行きます。データセンターが建っているということは、地盤も安定していて災害に強い場所ということなんでしょうね。

 ナツツバキ

 街路樹として植栽されていたナツツバキ。今が花の季節です。



 奥の建物は大妻女子大学のもの。大学の都心回帰が進んでいるそうですが、いずれここもなくなったりするんでしょうか。学生もここまで通うのは大変ですよね。



 ここにも勢いのあるアジサイが。雨も似合いますが強い日差しの下でも暑苦しくなく、いい感じです。



 早く木陰に入りたい。そんなくらい日差しが強いです。

 カキノキ

 カキノキ。近隣の農家のものです。実は小さいながらも形はできあがっていますね。これからどんどん大きくなっていきます。よく見ると花柱の跡がまだ残っています。さっきのクリと同じです。

 リョウブ

 リョウブも夏に花を付けます。今は花穂に蕾の準備ができあがったところ。これから純白の花を咲かせます。ただ花穂の下から順に咲いていくので、穂の先端が咲く頃には付け根の方は花が落ちている状態になります。穂全体が満開になると豪勢な感じなんでしょうが、受粉機会の拡大という観点が考えると理にかなっていますね。

 ネジバナ

 道ばたにはネジバナ。スタイリッシュな和製ランです。ランとはいえ、ほとんど雑草扱いされています。

 ニワゼキショウ

 こちらはアヤメの仲間のニワゼキショウ。やはり立派な雑草扱いをされています。こうやって近くで見ると綺麗な花だと気がつくんですけれど。

 車両基地

 大妻女子大学の裏手をずっと進むと低地を見下ろす場所に出ました。低地といってももとは幅の広い谷戸地形で、この辺りがその谷戸の源頭となっています。梢越しに小田急の車両基地が見えますね。

 ネムノキ

 手前にネムノキがありました。ネムノキは樹高が高いので、普段この目線で見ることはありませんね。ネムノキは漢字では「合歓木」と書きます。「合歓」とは「喜びを共にする」という意味があり、仲の良い様子を表す言葉となっています。これはネムノキが夕方になると本を閉じるように葉が閉じ合わさることから、それを仲の良い様子と看做してこの漢字を当てたといわれています。音は「眠る木」からでしょうね。

 唐木田車庫

 少し坂を下って車庫を見渡せる場所までやって来ました。ここは小田急の唐木田車庫で、小田急多摩線の終点、唐木田駅の更に奥に作られています。



 道は小山田緑地の山中分園のほとりへ。一歩森の中に入るとこんな感じになります。

 清掃工場と東京ガス

 で、すぐにまた開発された風景に。左の煙突の建物は多摩清掃工場。右のガスタンクは東京ガスの多摩整圧所です。



 公園化された斜面を下って行きます。散策路やベンチなどもありましたが、草が生い茂っていて、あまり利用されていないようでした。



 そして、下った先には交差点が。

 多摩市総合福祉センター

 その角にはなにやらヨーロッパ風の建造物が建っていました。多摩市の総合福祉センターだそうです。

 アクアブルー多摩

 その隣には多摩市の温水プール。ウォータースライダーが建物の外に飛び出しています。多摩市って金持ちなのか?

 ニガナ

 線香花火のようなニガナ。暑さに負けず、キリッとしていますね。



 道はやがて尾根幹沿いとなりました。左手下の低いところに車道があります。
 この辺りで若干暑さにやられそうになったので、この先にあるコンビニに避難して、アイスとジュースでクールダウンしました。尾根幹はバイパス的な道路なので、沿線に商業地域はなく、コンビニはおそらくここ一軒だったと思います。なので、けっこう繁盛しているようでした。あと、サイクリスト御用達のようでした。



 東京国際ゴルフ倶楽部の脇を通り抜け、道は再び住宅地の外縁を通って行きます。



 その外縁の南側はこんな感じで、農地と雑木林が続いています。振り返ると住宅地なんです。遠くの山並は丹沢山地。

 ドクダミ

 ドクダミですが、普段見かけるものとはちょっと様子が違い、八重咲きになっていますね。普通は白い花弁(に見える総苞)が4個、十字型に付いています。八重咲きのものが園芸店で売られているという話を聞いたことがあるので、民家の花壇から逃げ出したものか、それとも自然のものか、ちょっと分かりません。
 ところで、ドクダミは日本三大薬草の一つなのだとか。残り二つはというと、センブリとゲンノショウコだそうです。



 中坂公園という小さな公園を過ぎ、奥州古道とされる小径を歩いて行きます。何の変哲もない住宅地の裏手の道ですが、昔はここが街道になっていたんですね。それにしても西日が照りつけて暑いです。

 ナワシロイチゴ

 ナワシロイチゴの実が美味しそうに熟していました。もちろん誰かが育てているものではないので、一ついただきました。で、味はというと、もちろん甘くて美味しいのですが、何しろ陽に照らされて暖まっているので、清涼感はありませんでした。

 スダジイ

 これはスダジイの巨木。高さ16m、目通り3.6mで、多摩市指定の天然記念物だそうです。樹形がきれいな半球形をしていて、天狗でも棲んでいそうな雰囲気があります。スダジイの実は人間も食用にしていますが、森の生き物にとってもご馳走です。これまでにたくさんの生き物の命を育んできたでしょうね。

 一本杉公園

 今回のフットパスのゴール、一本杉公園までやって来ました。時刻は2時25分です。道のりは5、6kmでしたが日差しが暑くて案外疲れました。続きはまた後日、この場所から歩きたいと思います。
 さあ帰途につきます。ここからはまず尾根幹に出て、恵泉女子大学前のバス停から神奈中バスに乗って多摩センター駅に向かいました。(後編に続く)