武甲山 〜高度経済成長を支えた山(後編)〜


 

 (後編)

【埼玉県 横瀬町 令和4年11月3日(木)】
 
 秩父の名峰、武甲山での野山歩き。後編です。(前編はこちら
 

 Kashmir3D

 9時過ぎに登山基点の生川を出発、約2時間あまりで山頂直下に到着しました。御嶽神社に参拝後、山頂に向かいます。



 薄暗いスギ林を延々と登ってきた後にこの鮮やかな紅葉。早く山頂からの眺めを楽しみたいのですが、あまりに綺麗なので足を止めて見入ってしまいました。

 最高点

 ほどなく山頂。ここが最高点の1304mです。この向こうが展望台なので行ってみましょう。

 展望台

 最高点から一段下がる形で展望台がありました。北側の眺望が開けています。あの柵の向こうは大規模に山体が削られ(石灰岩の採掘)ストーンと切れ落ちています。

 秩父盆地

 山頂からの眺めがこちら。秩父盆地が一望です。人口6万人。紀元前の創建と伝わる秩父神社の門前町であり、物資の集積地として中世以降の長い歴史を持つ商都です。また、観光面でも、箱根ほど有名ではないですが、こちらも東京の奥座敷的な老舗観光地になります。今、若い人たちに結構人気です。
 市街地の標高は約200m、関東山地の中のぽっかりと平地が広がる不思議な地形をしています。この秩父盆地の成り立ちについて過去に書いたことがあるので、そちら参照
(上の写真にマウスポインタを乗せると、下のズーム写真の撮影範囲を表示)

 日光白根山、男体山

 右手奥には男体山や日光白根山が見えています。ここからの直線距離は約100kmあります。

 浅間山

 左手奥には浅間山。こちらは70kmほど離れています。眼下に見えている開けた土地は秩父市に隣接する小鹿野町。秩父の市街地よりも一段高いところにあります。

 秩父市街中心部

 秩父市街地の中心部です。荒川の河岸段丘に市街地が広がっています。
 写真右の市街地に囲まれた緑地部分が秩父神社。元々はここ武甲山を神奈備(かんなび・神霊が宿る神域のこと)として、そこを遙拝する場所だったといわれています。
 大きな斜張橋は、荒川に架かる秩父公園橋。通称「秩父ハープ橋」だそうです。

 三菱マテリアル

 武甲山の麓に目を移すと、「軍艦島」見たいな工場が。石灰岩を採掘しセメントに加工する、三菱マテリアルの横瀬工場です。なんかかっこいいですね。
 
 「武甲山は石灰岩の採掘で痛々しい姿になった山」というふうによく言われます。
 事実、武甲山の北側斜面は石灰岩質で、その質、量ともに日本屈指なんだそうです。昔から漆喰の材料として掘られていたようですが、明治期から工業的な採掘が始まり、戦後になってから大規模な採掘が始まったそうです。採掘方法は、斜面に発破をかけて崩す方法だったのが、安全性などを考慮して山頂部から削り取っていく方法に変わったのだとか。令和となった現在でも採掘は盛んに行われているようです。今日、生川の登山基点まで車で上がってくる間にも、道の両側にセメント工場が連なっていました。登山者からは「ひどいことをしてるよね」といった声も聞こえてきましたが、この秩父の石灰岩が高速道路や橋やビルなどのインフラに姿を変えて日本の高度経済成長を支え、私たちの便利な生活を実現してくれていることを考えると、そう簡単に良い悪いは言えない話です。



 武甲山の地質を構成するチャート、石灰岩、凝灰岩はいずれも堆積岩なので、本来なら水平に重なるはずですが、ここでは何で縦に並んでいるのか。解説によると概略次のような成り行きのようです。
 太古、赤道付近の暖かい海の底で海底火山が噴火し、まず凝灰岩の層ができました。その後その上に発達した島の周りでサンゴが栄え、その死骸が石灰岩を作りました。この時点で凝灰岩と石灰岩は水平に積み重なっていました。その2つの地層を乗せた海洋プレートは徐々に北上していて、やがて大陸に近づきます。海洋プレート自体は大陸プレートの下に潜り込みますが、その上に乗っていた岩石の層は大陸プレートの縁にこそぎ取られるようにして大陸に張り付きます。まず、石灰岩などより大陸側にあったチャートが大陸にぶつかり、それを追うようにして石灰岩を乗せた凝灰岩が追突しました。その後も後続の岩石にぐいぐい押され、行き場を失った巨大な力が水平だった地層を90度回転させて直立させたのです。そしてそのまま隆起して地上に現れ、浸食されて山の形になったということです。
 数百万年かけて行われた壮大なドラマ。神の手による仕事のようなスケール感ですね。それを数十年で浸食(?)してしまう人間もある意味すごいですが。

 展望台

 展望台の周りを見てみましょう。

 ダンコウバイ

 ダンコウバイです。自然観察を始めた20数年前、広島県の熊城山で初めてこの木のことを知りました。その時は黄葉にはまだ早い時期でしたが。
 花にしても木にしても、初めて出会ったときの印象は長く残ります。

 ウリハダカエデ

 ウリハダカエデ。若い木の木肌が瓜の模様に似ているから「瓜肌楓」。別にウリカエデというのもあるからややこしい。



 ひとしきり眺望を楽しんだ後は昼食です。南斜面に戻って、ふかふかの落ち葉の斜面に腰を下ろしました。

 昼食

 四角いプラスチック容器のは「パンチェッタ添えソフトサラミとハムのサラダ」だそうです。あとおむすび3種。いずれもセブンで購入。



 腰掛けたすぐそばに緑色のキノコがありました。モエギダケかな。



 こんなのが舞い落ちてくる中での昼食。コンビニ飯でも十分ですね。



 昼食後、あらためて三角点の場所に行ってみることにしました。写真は昼食場所から振り返って、武甲山の最高地点を見上げたところ。三角点は右手にやや下った辺りにあるはずです。

 三角点

 最高地点から東に25mくらい行ったところに三角点がありました。かなり古いですが、4つの石に守られるように置かれていました。もともと明治時代の測量で1336mの山頂に設置されていたのが、山頂部の掘削が盛んになった昭和50年代に現在の場所に移され、三角点の標高は1295mとなったそうです。



 さて、御嶽神社にもお参りしたし、眺望も楽しんだし、昼食もとったし、三角点も見たし、あとは下山です。
 その前に休憩で固まった体をほぐすためにラジオ体操を。で、体操しながら見上げると、なにやら樹上に赤い実が。

 マユミ

 双眼鏡で覗いてみると、マユミでした。ずいぶんと高い木の上に実をつけていますが、マユミってこんなに高木になるんですね。知らなかった。

 分岐

 登ってきた道を左に見ながら、南側の尾根に向かって進みます。時刻は12時15分です。

 また分岐

 すぐに右手に分かれる道との分岐が現れました。西側の尾根を下って、秩父鉄道の浦山口駅に続く道です。yamanekoはここも直進。

 カジカエデ

 カジカエデの葉。カナダの国旗にデザインされている葉に似ていますね。



 結構な傾斜ですが、こんな森の中を下って行くのは楽しいです。

 子持山・大持山

 正面に子持山と大持山が前後に重なって見えています。武甲山からあの山を経由して生川に下りていく人も多いと思います。

 シラジクボ分岐

 12時35分、シラジクボの分岐に到着。ここが子持山との鞍部になります。標高は看板には1088mとありましたが、地図を見るとそれは正面の坂をちょっと上った先にある小ピークのもので、ここの鞍部の標高は1060mあまりでした。
 ここの分岐は左手の小径を下りていきます。



 急な斜面の山腹をトラバースするように幅の狭い道が続いています。谷は深いです。さっきまでの明るい道から一点、足下に注意しながら森の中を歩きます。



 大きな岩が露出していて、道はその岩の上を横切るように続いていました。足の置き場所を間違えないように。



 しばらく行くと山腹から支尾根に出ました。道幅も広くなり、ホッとしました。ただ、油断は禁物です。落ち葉に隠れた浮き石に乗って捻挫でもしたら目も当てられません。山でのケガは下山時に多いと聞きますし。

 コハウチワカエデ

 コハウチワカエデです。小ぶりな羽団扇楓という意味の名前。葉柄が少し長めなのが特徴の一つ。

 分かりにくい分岐

 この先に分岐があり、本来の登山道は右手前側に下っていたのですが、yamanekoは幅の広い林道を直進してしまいました。地図アプリを見ていたのですぐに間違いに気がついたのですが、すぐ先で登山道に合流するようなので、そのまま進むことに。



 道は勾配を小さくするために等高線に沿うように迂回していたので歩く距離は長くなりました。でも、林道だけに歩きやすかったです。そして右手から登山道が合流してきました。

 分岐

 しばらく行くと看板が。林道は左にカーブしていますが、登山道はここを右手に分かれ暗い森の中に続いています。



 みっしりとしたスギ林の中を下って行きます。疲労からかやや右膝に痛みが。



 ずいぶん下った辺りで小さな流れを渡りました。生川に注ぐ流れです。正面の岩のところを回り込んだら、朝歩いた道に合流です。

 合流

 1時20分、生川に架かる小橋に到着。渡れば今朝の道です。ふう、これで山道は終わりました。



 舗装された道を一の鳥居を目指して歩きます。結構な傾斜の下り坂で、つま先が痛くなりました。

 一の鳥居

 1時35分、一の鳥居のある登山基点に到着。ケガもなく無事に下りて来られました。それはそうと、一の鳥居はここにありますが、参道に二の鳥居や三の鳥居はなかったような。昔はあったのかな。

 駐車場

 トイレの前の広場で整理体操です。膝もなんとかもってくれました。あとは路肩で待っていてくれているドリーム号Vの元に戻って、帰途につくだけです。

 武甲山

 家路につく前に、観光客で賑わう秩父の市街地を抜けてハープ橋のたもとにやって来ました。今日登った武甲山の姿を写真に撮るためです。
 山体を削り取られる前の武甲山の姿は、それは威風堂々としていたそうです。人々がそこに神聖なものを感じるほどに。現在の姿はというと、確かに初めて今の武甲山を見た人は少なからずギョッとするのかも。でもその姿をしてこの山の価値を下げしむるものでは決してないように思います。
 幸い、山の南側半分が石灰岩でなかったために、奇しくも山っぽいシルエットは失わずにすんでいます。それもあって今も秩父のシンボル的な山として親しまれているのではないでしょうか。日本の高度経済成長を支え、今も支え続けているという自負と共に。
 
 今日は小春日和の一日でした。晴れの特異日の面目躍如です。
 
 ※(晴れの特異日) 1月16日、3月14日、6月1日、11月3日 (雨の特異日) 3月30日、6月28日、7月17日、9月12日