アヤメ平 〜山上の別世界にただ一人〜


 

【群馬県 片品村 令和5年9月14日(木)】
 
 尾瀬。その地に行ったことのある人もない人も、この地名からイメージする情景があるでしょう。特に野山歩きを愛する人にとっては特別の感慨を湧かせるものではないかと思います。広い空の下どこまでも続く湿原、それを抱くように居並ぶ山々。yamanekoにとっても、日々の生活の場とは隔絶した場所にあって、慌ただしさの中でふと思い起こされる、そして思い出すと無性に訪れたくなる特別な場所です。
 そんな尾瀬ですが、ここ3年ほど訪れることができずにいました。それが今年はコロナ禍から徐々に日常が戻ってきていることもあって、今回4年ぶりに歩きに行くことにしました。まさに想いに想いを重ねたようやくの尾瀬行きです。
 
                       
 
 午前4時、まだ暗い中、1泊分の荷物を詰めたいつもより大きめのザックを積んで、ドリーム号Vで出発しました。圏央道はびっくりするほど大型トラックだらけで、この国の物流の最前線に迷い込んでしまったような一種場違いな感じで走っていました。
 関越道に入り、寄居PAで休憩した後沼田ICまで一気に快走。一般道に下りてからもスイスイ走って、戸倉の駐車場には7時30分に到着しました。正味3時間ちょっとかかったことになります。
 

 尾瀬エリア
 Kashmir 3D
〔今回のルートを大きな地図で〕

 今回は、尾瀬の群馬県側の玄関口、鳩待峠が基点です。まずは峠から東側の尾根をたどってアヤメ平へ。そこから富士見峠に下って、八木沢道を歩いて見晴に向かいます。この八木沢道はyamanekoがまだ歩いたことのない道です。1日目は見晴の山小屋に宿泊。翌日は尾瀬ヶ原を西進し、山ノ鼻経由で鳩待峠に帰ってくる、というのが今回のルートです。

 戸倉第一駐車場

 戸倉の駐車場からは乗り合いタクシーです。鳩待峠への道は途中からマイカー規制がかけられているので、バスかタクシーの利用がマストなのです(もちろん徒歩は可)。今回は1泊2日なので、ドリーム号Vにはここで一晩待っていてもらわなければなりません。駐車料金は1日千円です。
 乗り合いタクシーはハイエースタイプで、運転手さんを除いて9人乗り。基本的に席が埋まったら出発です。yamanekoはちょうど9人目だったようで、チケットを買って乗り込んだらすぐに発車しました。

 鳩待休憩所

 タクシーに揺られること20分、鳩待峠に到着しました。写真の建物は鳩待休憩所。お土産物売り場や食堂もあります。この建物の左に鳩待山荘という山小屋がありましたが(泊まったことあり)、現在リニューアル工事中で建物の跡形もありませんでした。これから向かうアヤメ平への登山口は休憩所の裏手にあります。

 登山口

 準備体操をし、さてスタートです。時刻は8時15分、今日はトータル12kmくらい歩くので、yamanekoのペースでは見晴到着は午後1時を回ると思います。



 階段を登るといきなり森の中に入りました。尾瀬では今年もクマの目撃情報が多数寄せられていると注意喚起がされています。特に朝夕はクマの活動時間帯とのこと。せっかく尾瀬に来たので静かな森の空気を感じたいところですが、クマ鈴を付けて歩かなければなりません。



 ブナの古木に丸い穴が多数空いていました。キツツキが空けたものでしょうか。木の中にいる虫を食べるだけならここまで大きく穴を空ける必要もないと思うのですが。元々の穴を誰か別の生きものが拡幅して利用したのでしょうか。



 急な坂道が続きます。地図によるとこの道は登山口から一気に70mほど登り、その先で若干緩やかになってくるようです。

 ドクツルタケ?

 UFOのような可愛らしいキノコがありました。もちろん食べる気にはなりませんが、観察を。なんとなくドクツルタケっぽいです。



 すれ違う人もいない森の中を歩いていきます。少し明るくなってきたような。晴れ間が出てきたかもしれません。

 ツタウルシ

 太いブナの幹にツタウルシが這っていました。かぶれやすい人は触ってはいけません。



 森の中にも陽が差してきました。明るくなると心も軽くなるようです。傾斜も確かに緩くなってきたし。



 ブナのゲートを抜けていきます。今日これまでにこのゲートをくぐった人はいるでしょうか。yamanekoが1番目では。



 頭上には青空が広がっています。このままなんとか天気が持ってくれればいいのですが。



 ちょっとした休憩ポイントがありました。あんパンで栄養補給です。
 このちょっと手前で二人組の登山者とすれ違いました。時刻は9時10分。いったいどこを何時に発ってこの時刻にここに至ったのでしょうか。見晴や竜宮の山小屋からならコースタイムで4時間半。5時発ちで健脚ならあり得るかもしれません。三平下の山小屋からなら5時間半。富士見下の駐車場からなら4時間。いずれもなかなかハードです。鳩待峠からのアヤメ平往復ならあり得るか。

 ダケカンバ

 ダケカンバの林に入りました。白い幹が印象的です。



 尾瀬はもうそろそろ落ち葉の季節。その前に紅葉が足早に駆け抜けていくんですよね。

 ゴゼンタチバナ

 ゴゼンタチバナの実です。緑色ばかりの森の中で赤い色を見ると何だかホッとします。



 9時25分、視界が開けました。ここから山上に湿原が広がるエリアとなります。

 ルリビタキ(幼鳥)

 コメツガの梢に小鳥の影が。写真に撮って後で調べたところ、これはルリビタキの幼鳥のようでした。図鑑には、本州では中部以北の亜高山帯から高山帯の針葉樹林で繁殖するとありました。寒くなったらもう少し標高の低いところに移っていくのだと思います。多摩丘陵でも冬になると成鳥を見かけます。

 横田代

 急に晴れ晴れとした感じになりました。ここは横田代の一部。正面の樹林を抜けると更に開けた湿原が広がっているはずです。

 池塘

 湿原にぽっかりと口を開けているのは池塘。鏡が置いてあるみたいですね。

 ミヤマアキノキリンソウ

 木道の脇にミヤマアキノキリンソウが咲いていました。低地に咲くアキノキリンソウより頭花が大きいのが特徴です。

 キンコウカ

 キンコウカ。花は7月下旬から8月中旬に咲き、今はもう終わっていますが、その後も黄金色になって湿原を輝かせています。

 小休止

 休憩スペースでザックを下ろし小休止。行き交う人は誰もいません。

 シナノオトギリ

 オトギリソウの仲間は見分けにくいですが、葉や萼片に黒点が有る無しなどが重要な手がかり。これは葉の縁に黒点があり、萼片にはなかったのでシナノオトギリではないかと考えた次第。

 横田代

 横田代をずんずん歩いて行きます。写真は振り返って撮ったもの。雲に隠れている大きな山は至仏山です。それにしてもこの広大な空間にたった一人。贅沢すぎますね。歩き始めてからここまでで人間にはまだ2人しか出会っていません。

 イワショウブ

 イワショウブ。亜高山帯の湿原で出会います。既に花は終わっていて果実ができている状態です。



 横田代を過ぎて幅の薄い樹林帯に入りました。奥に見えている小高い丘がこの尾根の最高地点、中原山です。そしてその先にアヤメ平が待っています。

 ゴゼンタチバナ

 ゴゼンタチバナは湿原ではなく木々の生い茂った森の中に生えています。葉が4個の株と6個の株がありますが、4個の株には花を付けません。葉を6個付けるほど成長してからでないと花を咲かせ実を付けるに至らないということでしょう。ちなみにこんなに小さいですが草の類いではなく樹木です。

 燧ヶ岳

 おっ、遠くに燧ヶ岳が見えました。東北以北での最高峰です。11年前のちょうどこの時期に登りました。印象深い山でした。(その時の様子はこちら

 オヤマリンドウ

 木道脇でひっそりと咲くオヤマリンドウ。陽が差してもあまり花冠を開かず、これが開花の状態。



 樹林帯を抜け、また別のちょっと小振りな湿原に入りました。ここにはベンチが2基。

 南方向

 そのベンチに腰かけて目の前に広がる光景がこれ。南に向けて眺望が開けていました。正面には谷筋が長く伸びていて、眼下は戸倉の集落あたりになります。ということは、今朝その谷を車で遡ってきたということですね。



 そういえばさっきから時折ヘリコプターが飛んでいます。尾瀬では山小屋に物資を運ぶヘリを見ることがありますが、このヘリが吊り下げているのは木道の部材でした。尾瀬では主に入山者が少なくなるこの時期から雪が降るまでの間で木道の修復工事が行われています。

 モウセンゴケ

 モウセンゴケの葉は粘液を分泌していて、これで昆虫を絡め取って栄養にします。食虫植物ですね。モウセンゴケとはこの葉が辺り一面に広がっている様子を毛氈に例えた名前です。でも苔ではありません。ちなみに、毛氈とは獣の毛の繊維を広げ伸ばして織物のようにしたものだとか。てっきり植物繊維で織った敷物とばかり思っていました。

 中原山

 いつの間にか中原山の山頂(1969m)に到着しました。ここが今回の行程の最高地点になります。ピークに登り立った感覚はありませんが。



 ピークを過ぎて、明るい森をしばらく行くと…、

 アヤメ平

 どーん! アヤメ平です。標高2000m近くに広がる湿原。そんな高度感はありませんが、燧ヶ岳の下半分が見えていないことを考えると、確かに高いところにあるなとは思います。麓にある尾瀬ヶ原との標高差は約600m。ここから尾瀬ヶ原は見えないし、尾瀬ヶ原からも目の前の山の上にこんな湿原があるとはまったく思えません。まさに隠された楽園です。



 アヤメ平は昭和中期に大量の観光客が訪れたことにより、かなり荒れた状況になったとのことで、60年以上経った今でも修復作業が行われています。当時は思い思いに湿原に立ち入り、池塘にはボートを浮かべたりしていたそうです。今はもちろん木道を外れることはできません。

 イワショウブ

 ここではまだイワショウブの花が咲いていました。清楚な花です。



 休憩スペースに4人ほど人が休んでいました。yamanekoも混じってしばし雑談を。中にyamanekoと同年配の男性がいて、その人はこの近くに住んでいて、早春には山スキーなどを楽しむために麓からスキーを担いでこの尾根まで歩いて上がって来るのだそう。スノーシューを履いているとはいえ雪の中を登るのは相当な苦行ですが、その分滑り降りるときは気持ちいいんでしょうね。白銀の斜面から大空に飛び立つような感覚なのではないでしょうか。

 富士見峠へ

 しばらく休憩してから再び歩き始めました。ここから、正面に見える白尾山(2003m)との間にある富士見峠に向けて下って行きます。白尾山の右奥に見える尖った山は荷鞍山(2004m)です。



 南に向かって下がる急な斜面の縁を歩いて行きます。向こうに見えているブルーシートはヘリで下ろされた木道補修の部材だと思います。こうやって所々に下ろしていくのです。これからあの脇を通ることになります。



 写真では若干分かりにくいですが、かなり急峻な斜面です。この谷には富士見下から登ってくる林道が通っていて、富士見峠まで作業車などが上がってくることができます。峠には富士見小屋がありましたが、現在は休業中。



 ブルーシートの荷物のところまでやって来ました。ふりかえるとさっき歩いてきた尾根の縁が見えています。

 作業現場

 木道の修復現場です。作業をしている人はいませんでしたが、まさに作業の途中といった状態でした。やはり新しい木道は歩きやすいです。入山料も払っていないのに、ありがたいことです。

 焼き印

 部材には「TEPCO 2023」の焼き印が押されていました。環境によって持ちが違うでしょうが、概ね10年で新しいものに更新されているようです。



 スロープにはゴム製のネットが張られていました。これは本当に助かります。でも相当お金がかかるでしょうね。
 尾瀬での事故の原因としては木道での転倒が最も多く、雨で濡れた木道を歩くのは細心の注意が必要です。以前、木道上で滑り、正座のような恰好で岩にぶつかって両膝を骨折したという話も聞いたことがあります。人の多い尾瀬ヶ原などではともかく、こんな人のいないところで骨折とか考えただけでもぞっとします。

 分岐

 10時50分、分岐が現れました。長沢新道との分岐で、ここを左に折れて下って行くと、尾瀬ヶ原の竜宮十字路に至ります。yamanekoは直進。
 
 歩き始めてから2時間半が経ちました。もう少しで富士見峠です。この先、初めて歩く八木沢道が控えていますが、天気も良くなってきたし、楽しく歩けそうです。クマが出ないかだけが不安(笑) (「八木沢道・見晴」に続く)