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いろいろあった2020年が暮れていきます。
年の瀬にすべきことはとりあえず終えたので、小山内裏公園を散歩しながらこの一年を振り返りました。概ね納得のいく仕事ができ、家族もみんな健康で、十分に満足と言える一年だったと思います。

内裏池の上の傾斜地。落葉樹が多く、冬場は明るいです。

鮎の道は小型の野鳥の声で賑やかでした。
純と蛍が雪の富良野の丘から「さよーならー、1980ねーん!」と叫んだのは40年前。いろんな想いに区切りを付けて新しい年に希望を託す気持ちは、時代を超えて共感のできるものですね。
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先日、定期的に通っている病院で、家庭でも継続して血圧を測るよう勧められました。数値は高血圧予備軍といった段階を示していて、ちょっと高かったりするとすかさず計り直したりしているのですが、まあ一喜一憂しないことでしょうね。
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高度経済成長期、静岡県富士市は製紙業が盛んで、yamaneko世代には「公害」、「ヘドロ」といったネガティブな言葉が頭をよぎるのですが、本来は「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」と百人一首にもあるとおり、富士山絶景ビューの名勝だったわけです。
写真は、ふじのくに田子の浦みなと公園の展望台から撮ったもの。愛鷹山を前衛にどっしりとした姿の富士山が素晴らしいのですが、その富士の高嶺に雪はなく、なんか変な感じです。異常気象ですか?
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この年末年始は、子どもも孫もだーれも帰ってこないことになりました。「コロナだから無理しないように。」と言ったものの、やっぱり残念です。暇を持て余してもと思い、妻と検討した結果、ニンテンドースイッチを買いました。
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誕生日にバカラのグラスをもらいました。ずっしりと重く、でも持つと手に上手く収まる感じです。(ただ、これで飲むにふさわしい酒がない)
生まれてから十干十二支が一回りしたので、そろそろこのグラスが似合うような人間になれというエールと受け止めました。
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どんなところかかねてから気になっていた羽村取水堰に行ってみました。玉川上水の取水口です。

上流側左岸から見た取水堰。右岸から左岸へと斜めに固定堰が延び、最も奥まったところにある投渡堰(なげわたしぜき)(写真左)に流れを集めるように配置されています。
投渡堰は、大水の時には堰の部材(丸太)を水と共に下流に流し、堰本体が破壊されるのを防ぐことができるようになっているそうです。

日常的なオーバーフロー分は投渡堰から流れ出します。取水は投渡堰と直角に配置された第一水門(写真左)から。この水門の左側から水路が始まります。

第一水門から30m先に第二水門。用水はこれを越えて滔々と流れていきます。

投渡堰を下流側から。水をせき止めているのが積み上げられた丸太であることがよく分かりますね。いったん第一水門から取り込んだ水を第二水門が水量調節し、余分な水は小吐水門(写真右)から本流に戻しています。

第二水門の先500mほどの所にある第三水門(村山貯水池・山口貯水池に向けて分水)を過ぎるとぐっと水量が減り、穏やかな流れになりました。土手には見事な桜並木があるので、春には花見で賑やかでしょうね。
現在、実際に導水路として機能しているのは、小平市の西端にある小平監視所まででの12kmほど(そこから東村山浄水場などへ送水)。その先は清流復活事業として下水の高度処理水を流しているのだそうです(高井戸から先新宿までは暗渠化)。
羽村取水堰。なかなか面白い構造物でしたが、なんと江戸時代初期に作られた頃のものとその構造は同じなのだそうです。当時は石と木と土のみで作られていたこと、そして、この流れを40数km先の江戸市中まで自然流下のみで導いたことを考えると、その技術力の高さに驚くばかりです。
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今年もふるさと納税を申し込みました。「この町を応援したい!」といったピュアな動機ではなく、返礼品目当てであることはいうまでもありません(スンマソン)。選んだ返礼品は定番の肉、カニ、果物、お酒です。北は北海道から南は九州まで。確定申告が免除されるよう5自治体を超えないように選びました。
ふと思ったのは、受ける側の自治体の担当者の気持ち。ありがたいとは思いつつも日々舞い込んでくる申し込みに「人の欲」のすさまじさを見るようでしょうね。
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田舎で法事があった後、宮島に行ってきました。海に立つ「朱の大鳥居」で有名な宮島です。

これは往きの飛行機から見下ろした富士山。西から雲が押し寄せてきて山体にぶつかっているのが分かります。

島に着いたら、観光客が少ない町屋通りを歩いて塔の岡へ。なかなか絵になるスポットです。

紅葉谷公園へ向かう道。老舗旅館「岩惣」前にて。

肝心の「朱の大鳥居」はこんな感じ。なんと改修中でした。
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秋もすっかり深まってきました。
休日の午後、小一時間ほどふらふらと公園を散策。過ぎゆく紅葉を楽しみました。
春先からの役目を終え、最後の装いをして枝を離れた落ち葉たち。お疲れさんでした。
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「相模野基線」 地理好きの人にはご存じの向きも多いのでは。日本の三角測量の最初の一辺となった目には見えない「線」です。(三角測量の最初の三角作成につについてはこちら)
最初の「線」を引くためのキャンバスとなったのは、だだっ広い相模野台地。その北端を高座郡下溝村(現・相模原市南区麻溝台四丁目)の下溝村三角点とし、南端を高座郡座間入谷村(現・座間市ひばりが丘一丁目)の座間村三角点としたそうです。ここに基線を引くこととなったいきさつに興味が湧きます。
今日はその両端を見に行ってみました。

北端の三角点は住宅地の中にひっそりとありました。路地から入り込んだ一角にあり、民家の敷地とはなっていませんでした。

辺りはこんな感じ。大規模な倉庫や工場がありましたが、これは近年誘致されたもののようで、平成になる頃までは田園地帯に集落が点在していたような所だったのでは。明治初期は原野だったのかもしれません。

一方、南端の三角点は民家の敷地内にありました。外から見られるような柵にしていただいて、土地所有者の方の配慮がうかがえました。
基線の全長は約5.2km、北端と南端との標高差は約22mあり、100mで40数cm(1mで4mm!)下るというなだらかな勾配です。なので当時はよく見渡せたのだろう、と思いきや、Kashmir3Dで見通しのチェックをしたところ「見えません」との判定。南端手前に平坦地があり、それが邪魔をして見通せないよう。でも、当時はきっと高いポールを立てて測量したでしょうから、問題はなかったのかもしれません。

こちらは北端よりも市街化が進んだ地域のよう。交通量も多く、沿線に商店も並んでいました。

南端の三角点の近くに水上の雪松餃子の無人販売店があったので、つい買って帰ってしまいました。
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世の中「GoToトラベル」キャンペーンで賑やかで、テレビなどでも「こうすればこんなにお得になります。」とか、「予算が底をついたらそこで終わりになります。」とか、しきりに煽ってきます。小市民のyamanekoとしては、こんな声にせき立てられるように、東北のとある観光地に紅葉狩り+山登りに行ってきました。(山登りの様子は別途「野山歩き」で)

紅葉はまさに今が盛り。掛け値なしに錦絵のようでした。

キャンペーンで宿泊代も安くなり、更に地域クーポン券もいただけました。おかげで貸切り露天風呂やお土産品もそのクーポンで。

旅館のロビーに置かれていた盆栽。なんかかっこよかったので写真に収めました。しっとりと落ち着いたいい旅館でした。
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都心に住む娘夫婦。月に1度くらいのペースで孫を連れてきてくれます。
今回はあらかじめお気に入りのプラレールをセットしておきました。真ん中に空間があるのは、孫が陣取って遊ぶためのスペースです。
今から四半世紀ほど前、子どもたちのために作っていたことを思い出しました。
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丹沢山地の向こうに沈んだ夕日が雲を下から照らしています。まるで巨鯨の背骨のよう。
秋の夕暮れです。
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バルコニー花苑は秋真っ盛りです。

コムラサキ。たわわです。

シュウメイギク。といってもキクの仲間ではありません。

サンシュユの赤い実。鳥には人気はないようです。

リンドウは今期今日初めて咲きました。花期はこれからです。

ホトトギス。まさに今が盛りです。
この花たちが終わったら、今年の花苑は閉店ガラガラです。
来期は年末のロウバイの開花から始まり、次にジンチョウゲ、ユスラウメと続いていきます。
楽しみは尽きません。
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マイナポイントの手続きをしました。
鉄道系カードにポイントがたまるよう設定したのですが、マックスの5千円分をゲットするには2万円のチャージが必要となります。ただ、もともとチャージは2万円が限度なので、ポイント付与分も考慮しながら何回かに分けてチャージしなければなりません。
しかも鉄道系カードで決済できる店が限られて、少し失敗した感があります。
でも、一回ポイントの付与先を決めたら変更不可なので、もうしょうがないですね。
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今年は10月1日の月が「中秋の名月」とのことでした。幸いきれいに晴れたので、写真に収めてみました。色の違いはホワイトバランスを変えているためです。
じっとしているように見える月が、ファインダーの中をけっこう早いスピードで移動していくのに、あらためて驚きました。
ちなみに、よく見ると真円ではないような。そう、中秋の名月=満月、では必ずしもないのだそうです(満月は翌2日)。
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先日、永山界隈を散歩していたら、こんな可愛い小径を見つけました。鎌倉街道に並行している「瓜生せせらぎ散歩道」だそうです。ここから山手に遡ったところにある瓜生緑地から直線的に細長く延びていて、元は乞田川に流れ込む小川だったのだと思います。
なかなか楽しい道でした。
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先日、山梨県の夜叉神峠に行ったときに食べたソフトクリーム。ソースはスモモとキウイで、果肉にしっかり酸味があって美味しかったです。「夜叉神」の名のおどろおどろしさとは対照的なビジュアルです。
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小山内裏公園のパークセンターの前に季節のオブジェを飾る場所があり、そこに秋の実り盛り合わせが置かれていました。もうこんな季節になったんですね。コロナコロナでつい見逃しがちですが、季節はちゃんと巡っているようです。
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息子がバイクを買ったと言って写真を送ってきました。何か早そうなバイクです。
いろいろ話をしているうちに40年近く前に自分が乗っていたバイクのことを思い出しました。ホンダのウイングという400ccのバイク。当時としては珍しい水冷エンジンで前面に大きなラジエーターが付いていました。駆動方式もチェーンではなくシャフトドライブでした。なのでとにかく重たいバイクでした。ずいぶんこけたり怪我をしたりしたものです。(今でも向こう臑に傷跡あり。)
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国分寺界隈を散策しました。
昼食はたまたま見つけた喫茶店「カフェ穂高」で。コロナ対策バッチリのお店でした。デザートで食べたケーキも美味しかったです。
食後は国分寺跡を見学したり、あと国分寺崖線からの湧水を見に行ったりしました。
ゆったり時間を使った散策でした。
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台風10号が九州を直上して去った翌朝、丹沢山地の向こうにこんな雲が現れました。
まるでWi-Fi のマークみたいです。
実はこの雲の根元部分には富士山があるのです(雲で隠れいています)。風が作った芸術作品ですね。
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3月下旬の送別会を最後に外飲みをしていません。もう5箇月にもなります。よく考えると酒を飲むようになって以来こんなことは初めてなわけで、なんか不思議な感じです。仲間とワイワイ言いながら飲みたいなと、ときどき思います。箱弁と缶ビール持参で河原ででも飲みますか。
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スイカが好きなので、だいたい切ってないやつを丸々1個買ってきて、夫婦二人で一度に結構な量を食べてしまします。それでも残ったものは当然冷蔵庫に入れるのですが、そうでなくても混み合っている冷蔵庫の収納効率を上げるために、妻がこんなことをしていました。最初はギョッとしましたが、確かにこれだとこの上に物を重ねられますね。
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日帰りレジャーで宮ヶ瀬ダムへドライブ。湖畔の「絆」という茶屋で涼をとりました。
ソーシャルディスタンスを考慮して野外席へ。自分は抹茶ラテ、妻はカフェラテを注文したところ、それぞれTHERMOSの二重アルミグラスで出てきました。うれしいサービスです。
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バルコニーで育てている植物の様子です。

ウバユリは開花後わずか2日でこの状態になります。アンテナのように残っているのは雌しべですね。
多くのユリのように花被片を大きく開くことはないのに、それでもちゃんと虫がやって来たようで、早くも実を熟させる態勢に入ってます。

アサガオは毎朝30個くらい花を開いてくれます。来年に備えて種も取らなくてはならないので、もう花殻摘みは止めて、実が熟すように温存しています。花から株元の方に蔓を辿って行って、株元に花の色を記したタグを付けました。これで来年はどの色の花が咲く種かが分かった上で植えることができます。
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先日、汗をかきに高尾山に登ったとき、途中の茶屋で蕎麦をいただきました。とろろ蕎麦です。
急な斜面にせり出すようにして設けられたテラス席で、遠く麓の街並みを眺めながらいただきました。吹き上がる風を受け、味も気分も涼しかったです。
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先日、アサガオの花殻摘みをしていたら、目が合ってしまいました。ハラビロカマキリのカマ夫です。まだ子どもですね。成長すると体長10cmくらいになります。
鳥に食べられないよう気をつけろよ、と言っておきました。
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狭いながらもルーフバルコニーがあるので、たまに焼き肉とかをします。子どもたちが帰ってきてくれたなら賑やかでよいのですが、夫婦二人きりです。
まあ、美味しかったですが。
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久しぶりに晴れたので小山内裏公園に散策に行きました。

野草見本園のミソハギ。お盆にお墓に供えるので「盆花」と呼ばれたりします。秋口くらいまでは咲いています。

正面広場にある花壇は賑やかでした。このスペースは季節に応じて様々に模様替えがされます。

のぞき込むようにして青空を背景にオニユリを撮影。
やっぱり梅雨空より青空がいいですね。

鮎道はこんなに涼しげ。でも、実際は蒸し暑かったです。

ヤマユリは大型のユリで、花冠が重いせいで茎は釣り竿のようにしなっています。
西日本ではあまり見かけることのないユリです。
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アサガオが咲き始めました。毎朝10輪から20輪くらい咲いてくれます。一日花なので、翌朝しぼんだ花冠は子房の付け根から摘んでおきます。放っておくと種子を作りはじめそれにエネルギーを使ってしまうからです。

花の色は4、5種類あり、いずれも淡い色合いをしています。
この夏いっぱいは楽しませてくれると思います。
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今年コバギボウシの鉢から花茎が8本伸びています。近年にないことで、この夏はたくさんの花が見られそうです。
花はうつむき気味に付き、紫色の縞模様が見るからに涼しそうです。
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アサガオの蔓がネットを登り始めました。なかなか力強いです。
株元近くではいくつか花も咲いていますが、茂みに隠れてよく見えません。なのでそのあたりの蕾は摘んでしまって、蔓に付いている蕾に栄養を集中させることにしました。
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娘が父の日のプレゼントにサウンドパートナー(シャープ)を買ってくれました。首かけ式のスピーカで、テレビや音響機器とブルートゥースでつながります。
年のせいか、テレビの音が聞こえにくいことがあり、気がつくとびっくりするような音量にしていることがままあるのです。あと、台所仕事をしながらテレビを見るときなど、水音に邪魔をされずにテレビの音が聞こえるようにとか、深夜に静かにテレビを観るときなどに便利です。
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愛車(死語?)のドリーム号Vです。先日12箇月点検を終えました。大阪単身赴任に際して先代のドリーム号Uを手放してしまっていたので、東京に戻った際にどの車にしようかと考え、コンパクトなCX−3にしたのです。子どもも独立して、普段は妻と2人で乗ることがほとんどですから。ディーゼルなので経済性は抜群です。
ドリーム号Uは青いレガシーB4でした('06〜)。重心が低く運動性能の良い車で、加速。・減速の反応の良さ、カーブでの踏ん張りの強さから、結果速い車でした。息子も気に入っていたようです。
初代ドリーム号は紺色のハイラックスサーフでした('94〜)。荷室の収容力がすごく、子どもたちと頻繁にキャンプに行っていた頃だったので、ずいぶん活躍してもらいました。アイポイントが高くて、サンルーフも装備していたので、開放感満点。まさに遊びのための車でした。初めてカーナビを搭載したのも(当時は後付けで、アキバで買ってきて自分で配線した。)、MDチェンジャーやETCを装着したのもこの車からでした。
その前の車は白いインテグラ('85〜)。リトラクタブルライトが特徴の初代インテグラです。山下達郎が歌うCMソングに惹かれたのを覚えています。この車で初めて東京に乗り込んできたのです。
そしてyamanekoが初めて持った車は中古のゴルフでした('82〜)。知人から安く(当時のyamanekoには大金で)譲ってもらったものです。サイドミラーが折れるとか、ファンベルトが切れるとか、オイルパンに穴が空くとか、いろいろトラブルがありましたが、思い出深い車でした。
以上がyamanekoの愛車の系譜。これまでに5台しか車を乗り継いでいないということは、1台あたりの年数がそこそこ長いということです。それぞれがyamanekoにとって「愛車」でしたから(メーカーにこだわりはなかったようです。)。
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白馬・後立山連峰の立体地図です。
8年ほど前に行った八方尾根の山の売店で買い求めたもの。帰宅後、ハンズでスチレンボードを買ってきて、サイズを合わせてカットし、背面に貼り付けて自立できるように加工しました。
普段はインテリアとして立てかけて置いていますが、これをテーブルに置き、目線を限りなく地図面に近づけて見ると、そそり立つ山々と削り込まれた峡谷を実感することができます。ただ、その姿を第三者的に俯瞰して見ると、プラレールを電車目線で遊んでいる子どもみたいなんですよね、これが。
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会社の人事に呼び出され、「定年退職日通知」というものを渡されました。そろそろいろんなこと準備をしておきなさいよ、ということです。退職金や年金の計算書、再雇用のパンフレットなど資料もどっさり。なんか辞めるとなると急に親切になるなって感じです。
できればこっちからさっさと縁を切りたいところですが、そう上手くいくかどうか。世の中甘くはないですからね。
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アサガオが大分繁ってきました。蔓が伸びてきたので、各株の一番伸びたやつを下から4、5節のところで切り落とします。これは「摘芯」といい、これをすると残った各節から枝が出て、早くから多くの花を付けるのです。
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通勤電車、もうほとんどコロナ前と同じ状況に戻っています。違うのは車内のマスク率と窓が開いていること。あと、こころなしかつり革を掴んでいる人が少ないような。確かにできれば触りたくない部分ではあります。
改札の脇あたりにポンプ式の除菌液でも置いてあればいいのですが。手をかざすとピュッと液が飛び出すとか。yamanekoが乗り換えに使っている新宿駅とかでは改札の数も半端ないんで、なかなかそうもいかないでしょうね。
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バルコニーで育てているユスラウメ。みずみずしい実が熟して食べ頃です。今年は特に糖度が高いようで、甘酸っぱく美味しいです。ついつまみ食いしてしまいます。
早春、他に先駆けて花を付け、目で楽しませてくれた後は、こうやって舌で楽しませてくれる。ありがたいことです。
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ドリーム号Vの12箇月点検のためにディーラーに行って、点検をしてもらっている時間で近くにある都立桜ヶ丘公園に行ってみました。yamanekoがホームグラウンドにしている小山内裏公園の兄弟的な公園です。

旧多摩聖跡記念館。その昔、明治天皇が鹿狩りなどのためにこの地を訪れていたのだとか。天皇が足跡を標した場所だから「聖蹟」です。この記念館は昭和5年に建てられ、その数年後に最寄りの関戸駅が聖蹟桜ヶ丘駅と改称されたのだそうです。駅の名前が変えられるほどなので、当時はよっぽどのレジャースポットだったんでしょうね。(ちょうど東武伊勢崎線の業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅になったようなもんですですね。)

公園内は静かで(時節柄か)、散策にはもってこいでした。公園の周囲は広大な住宅地で、そこの住民にとっては財産のような公園でしょう。

園内ではセンダンの花が満開でした。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀はこのセンダンではなく、ビャクダン(白檀)のことだそうです。
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GW中にアサガオの種を植えました。数日後には半分近くの種から発芽し、双葉が展開しました。上の写真は5月17日の状況です。

この写真は5月23日。双葉の間から本葉が出てきている状態です。
種まきから1箇月弱で、ここまで育ちました。蔓が伸びて上のネットに絡みつくのはいつ頃になるでしょうか。
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日比谷公園に行ったら人影がまばらだっただけでなく、噴水も自粛していました。
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今日、3箇月ごとに通っている新宿のとある病院に行ったところ、病院スタッフがいつもどおりテキパキと働いているのを見て(しかも笑顔で)、あらためて敬服しました。いろいろと大変なことが多いでしょうに。
ロビーには誰が贈ったのか大きな花飾り(高さ2mくらい)と感謝のメッセージが置かれていました。こういったこともそうでしょうが、ちょっとしたねぎらいの言葉などが、スタッフの皆さんの力になっていたりするんでしょうね。
これからもなるべく余計なことでお世話にならないように、日々の生活を慎みたいと思います。
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カレンダー上ではゴールデンウィークなんですが、今年は世の中的にそんな雰囲気ではないですな。
都内に住む孫と会うこともできず、妻と二人、静かなこどもの日を過ごしました。
早くお互いの家を往き来できるようになればいいのですが。
ちなみに、写真の鯉幟は11年前に谷中の雑貨店で求めたもの。和紙の張り子でできています。毎年飾っています。 |
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小山内裏公園を散策していて出会った白い花。梅の花によく似ていますね。これはカマツカ。ウメと同じくバラの仲間です。
カマツカの名前はその堅くしなやかな材質から来ているそうで、鎌の持ち手(柄)に適するほど折れにくいからということのようです。
公園内には、この他にも、ホオノキ、ホタルカズラ、キンラン、エビネなどなど、たくさんの花が咲いていました。野山はいい季節になってきました。
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バルコニーのプランターにチョウジソウが咲き始めました。種から育てて開花までに2年、その後はこうして毎年咲いてくれています。

「丁字草」の名のとおり、花冠を横から見ると「丁」の形をしています。水平に開いた5つの裂片が1画目の横棒の部分で、萼から伸びる花筒が2画目の縦棒の部分です。簡単に言えばタケコプターを横から見たイメージですね。
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アスパラの肉巻きを作りました。まあまあの出来だと自画自賛。
アスパラの皮をむいているとき、一昨年の大阪での単身赴任生活を思い出しました。当時は肉を巻くのも油を使うのも面倒だったので、もっぱらおひたしで食べていました。
単身生活でよく作っていたのは、キュウリの酢の物とオニオンスライス。どちらも料理というのがはばかられるくらい手間がかからず、1回作ると3食くらいはまかなえていたので、多用していました。
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先週からテレワークです。出勤は週に1回くらいになり、人と会う機会は劇的に減りました。
テレワークといっても一般的にイメージされるような、一人でマイペースに仕事をするスタイルではなく、10人弱のチームのメンバーがチャットを通じて頻繁にコミュニケーションを取り合うスタイル。それぞれが会社のネットワークに接続して、普段の仕事の環境を再現しています。ただ、ちょっとしたことも文字にしなければならいので、馴れるまではなかなか大変でした。
先日、ニュースで「テレワークは勤怠管理が問題です」とか言っていましたが、これだとそんな心配は全くありません。誰が何をやっているのか全員が分かっているので。
凄い時代になったものです。
おもしろいのは、たまに出勤しても結局このチャットでやりとりするスタイルでしか仕事が進まないこと。家でやっていることと同じことを会社でやっているのです。
それでも出勤してでしか処理できないこともあるので、たまの出勤は必要。むしろそっちの方をマイペースでやっていたりするんですよね。
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今年もボタンが咲きました。
ただ、去年、花後の「芽掻き」に失敗して、今年は花が一つしか付きませんでした。寂しいです。
でもそこはやはり「富貴の花」。たった一輪でも華やかです。なにしろバレーボールくらいの大きさがありますからね。
後ろにあるのはモミジです。若葉が展開したところで、まだ赤みがかっていますね。紅葉しているわけじゃありません。
あとこれにハギの花があれば。そう、萩と紅葉と牡丹で「猪鹿蝶」が揃うというオチです。(苦笑)
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職場の部署を異動したため歓迎会があったのですが、時節柄、急遽昼休みを利用しての昼食会に変更。場所は会議室で、窓を開け放っての開催でした。スカスカの着席位置とあいまって違和感たっぷりの昼食会でした。
でも、用意された箱弁が想像以上に可愛くて、みんな大満足。幹事さん、グッジョブ!です。
「19時スタート、2時間飲み放題付き」も良いですが、これからはこういうのが主流になっても良いかもしれません。働き方の多様化が進み、必ずしも勤務日や終業時刻が揃わないですからね。
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先日の雪が嘘のように、というかやはりこの時期にふさわしく、ちゃんと春の陽気になってきました。
これはニワトコ。小さな花が寄り集まって15cmほどの花序を形作っています。
ニワトコを漢字で書くと「接骨木」。なんでもこの木から湿布薬を作っていたそうです。そのほか、食用や細工物の材料、入浴剤など、様々に利用されてきたことから、民家の庭に植えられることも多かったようです。
世の中いろいろありますが、とりあえず新年度のスタートです。yamanekoにとっても節目の年。悔いのないように日々を過ごそうと思います。
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昨日は気温25度くらいまで上がったようですが、今朝起きてみるとこの状況。昼を過ぎても途切れることなく降り続いています。
季節は冬と春との間を行ったり来たりしています。
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小山内裏公園を散歩。草地広場にあるクスノキの根元に寝転がって見上げた世界がこの写真です。地表に出た太い根と重なるように横になっていると、自分も一本の根になったような気持ちがしました。大げさに言えば命を共有したような感じです。
静かな公園でのひとときでした。
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大好物のコロッケ。工程数が多い割にメニューとしての希少感があまり高くなく、ついでにキッチンの油ハネが…、ということで、なかなか食卓に上ることが少ない手作りコロッケです。yamanekoは大好物なんですが。
ということで、今回は妻と共働して作ることにしました。yamanekoが担ったのは、ジャガイモの皮むきとふかした後のマッシュポテト作り、タマネギのみじん切り、卵かき混ぜ、ひき肉炒め、具材の混ぜ合わせと成形、最後の揚げ。と、こんな感じです。
こう書くとほとんどをやっているようにも感じますが、実は料理番組のキャストみたいなもので、周辺の細かな作業は全部妻がやってくれています。
確かにこれを全部一人でやるとなると、相当な覚悟がいるのも分かります。その後の片付けも。
味はというと、それはもう美味でした。
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スギ花粉がバンバン飛んでいるこの時期ですが、休日午後のひととき、ぶっらと散歩に出かけました。場所は小山内裏公園公園です。
早春の花たちが咲き始めていました。

モミジイチゴは下向きに花を付けます。純白で、清楚な花です。

シュンランもどちらかといえばうつむき気味に花を咲かせます。藪の中でひっそりと咲いているところがまた奥ゆかしい。

黄色の小さな花を寄せ集めて付けるダンコウバイ。葉が展開する前に咲くので、枯れ木に花が咲いているようです。
もうすぐカタクリも咲きます。
ああ、今年も春が来るんだな。
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10年くらい前、阿佐ヶ谷のアーケード街をぶらぶらしているとき、たまたま立ち寄った雑貨屋で見つけたのがこのひな飾り。ひな壇は木製で、飾りはすべて素焼きに彩色したもの。素朴さに惹かれて、つい買ってしまったものです。
「メリーひな祭り!」 これを眺めながら妻と乾杯しました。
娘が嫁いでもう数年が経ち、孫も男の子で、ひな飾りを急いで片付ける必要もなくなりました。
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以前、広島に住んでいた頃、3月になるとユキワリイチゲの咲く山里に通っていました。谷間のこととて日照時間が短く、日が陰ると閉じてしまうこの花の開花を見られるチャンスは多くはありませんでした。
写真は都内で出会ったユキワリイチゲです。
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ジンチョウゲが満開です。部屋の中に甘い香りが漂っています。
香りは香木の「沈香」に似て、花は「丁字」に似ているから「沈丁花」だそう。なるほど。
球状に寄り集まって咲く姿が可愛いです。
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インスタントラーメン(塩とんこつ味)をベースにした排骨麺。妻がササッと作ってくれました。びっくりするほど美味しかったです。
サンキュー!
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立春から数日。暦の上では春ですが、現実に小山内裏公園の野草見本園にも春の兆しが見えていました。
フクジュソウは日差しがあると開き、日が陰ると閉じてしまいます。パラボラアンテナのように光を花冠の中央に集めるようにできていて、そこだけ気温を高くして、虫が活動しやすくするといわれています。この時期、虫自体が少ないですが。
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相模湖の東岸にある「相模湖プレジャーフォレスト」。観覧車やゴーカートといった遊園地的な施設があれば、バーベキューやキャンプ場といったアウトドア施設もある、広大なレジャー施設です。日帰り温泉もあります。
先日、妻、娘、孫と出かけてみました。夜にはライトアップされ綺麗だということなので、午後から出かけて、遊びながら暗くなるのを待ちました。







この相模湖プレジャーフォレスト、十数年前までは「相模湖ピクニックランド」と呼ばれていました。30年ほど前、幼い子どもを連れて初めて訪れたことを覚えています。当時は昭和のレジャーランド感満点でした。
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「一月は行く、二月に逃げる、三月は去る」といいますが、一月もはや終わりです。
最近の出来事などを。

妻の会社にはときどき各県の出張物産展がやって来ます。昼休みにそこで珍しいものをゲットするのが妻の楽しみなのですが、おかげでyamanekoも食べたことのないようなご当地グルメを味わわせてもらっています。
先日は山口県だったようで、写真は「獺祭」の飲み比べセット。180mlの小瓶ですが、「磨き45」、「磨き三割九分」、「磨き二割三分」の純米大吟醸です。あっという間に飲んでしまいました。

先日はぶらぶら街歩き。街といっても橋本周辺です。
これは某スーパーの鮮魚コーナー脇で頑張っていた「呼び込み君」。ポポーポポポポ、ポポーポポポポ…、という一度聞いたら頭の中でヘビロテしてしまうあのメロディーを奏でていました。

横浜線の踏切です。赤いランプがお洒落だったので写真に撮りました。なぜか昭和感が漂っています。
帰り道、境川沿いを歩いているとカワセミを見かけました。ホバリングから川面に急降下。見事なハンターぶりでした。
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2000m級の峰々が居並ぶ日本アルプス…ではありません。多摩丘陵から望む丹沢山地です。丸一日雪が降り続いた日の翌日、市街地では積もりませんでしたが、正面に見える丹沢の山々はまるでアルプスのように荘厳な姿になっていました。神々しいほどでした。

ロウバイが満開です。葉がないので枯れ木に花を咲かせたように見えてしまいます。ロウバイ特有の甘い香りが漂っていました。
さあ、次にバルコニーで花を付けてくれるのはサンシュユでしょうか。
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18th どんど焼き in 小山内裏公園 |
20.1.14
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今年のどんど焼きは晴天無風で絶好の日和でした。yamanekoは去年は大阪にいて参加できませんでしたが、今年は本番にのみ参加しました(それでもカヤ刈りとか櫓立てとか事前の準備には関わっていません。ほんとスミマセン。)
点火時点(午前11時)には多くのお客さんに訪れていただきました。近隣ではこれほど大規模などんど焼きは他にないのではないでしょうか。
無事に終了して何よりでした。
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あけましておめでとうございます。
今年の年始はずっと良い天気でした。

yamaneko家のお雑煮です。
・汁 : 醤油澄し
・餅(形) : 丸餅
・餅(焼き) : 焼かない
・具 : 花鰹、刻み海苔、小口葱、紅白蒲鉾、錦糸玉子の5種類

新春早々、ロウバイが咲き始めました。おめでたい感じです。
新しい年、年齢を気にせず、新しいことに挑戦していきたいと思います。
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