角島 〜NACS−J指導員交流会〜


 

【山口県下関市 平成17年8月27日(土)〜28日(日)】
 
 いよいよ8月も終わり。世間では去りゆく夏の影に軽い焦燥感を覚えたりする人が多くなる頃ですが、そんな中、思ってもいないリゾートな気分にひたってきました。その場所は本州の最西端、角島(つのしま)です。
 今年の自然観察指導員交流会は山口県が担当。その会場となったのが角島だったのです。(→H16H15

 朝7時半に広島ICのゲートをくぐったドリーム号が角島大橋の手前のパーキングに入ったのは、11時。
 うわっ、海の色が普通じゃない。一言で言えばエメラルドグリーンなんでしょうが、碧、翠、蒼…、いったい何段階の青があるのか。まるで空の色が映り込んでいるかのようです。ここは本当に山口県なのか?しかも日本海なのか? そう、まぎれもなく日本海に浮かぶ角島なのです。なんかもうこの景色を見たらこのまま帰ってしまってもいい気がしました。(帰りませんが)
 照りつけるような真夏の日差しのもと、ドリーム号は海の上をすべるようにして角島に渡り、そのまま島を東西に貫く新しい道を進んでいきます。

写真:豊北町自然観察指導員会編「角島自然観察ガイドT」より

 角島の名の由来は島の形が牛の角に似ているからだそうです。確かに西の夢崎と東の牧崎が角に見えないこともありません。
 島を横から見ると、東西に二つの丘のような盛り上がりがあり、その間は狭くまた標高も低い「地峡部」になっています。これは2つの島がつながってできたものではなく、もともと1つの島がちぎれそうになっているのだそうです。というのもこの地峡部には断層があって、断層の周辺の岩石は破壊され浸食されやすいので、このような地形になっているのだそうです。

 つのしま自然館

 地峡部の北側海岸はコバルトビーチという海水浴場になっていました。砂浜はあくまでも白く、海はあくまでも碧い。まだまだたくさんの海水浴客で賑わっていました。でも、我々はここは通り過ぎて、その先の大浜にある「つのしま自然館」へ向かいます。
 自然館はキャンプ場の一画にありました。周囲にはバンガローやテントサイト、野外ステージなどがあり、目の前に広がる大浜海岸はコバルトビーチとはまた違った雰囲気のある海水浴場になっていました。、ここは今年6月に公開された映画「四日間の奇跡」のロケ地で、丘の上に建つ教会(今はトイレ施設に改修)が撮影当時の面影を残しています。

 開会

 12時30分、自然館の入口で受付を済ませてからレクチャールームへ。交流会の開会です。まず、山口県自然観察指導員協議会会長の清木さんから、歓迎の挨拶がありました。同協議会は県内の各エリアで活動する指導員グループの連合体。今回の交流会の事実上の進行役は地元豊北地区で活動している指導員会が中心となっているようでした。
 プログラムを見ると盛りだくさんで、どれも興味をそそるものばかり。参加者の中には1年ぶりに見る懐かしい顔もあったりして、今回の交流会が楽しいものになることを予感させます。

 キャンプ場  教会(実はトイレ)

 1時30分、参加者が二つの班に分かれて自然観察T(大浜の貝類、野鳥の観察)が始まりました。貝殻を採集して種を同定するのがメインで、途中で見かける鳥も観察しようというものです。貝殻の中でも特に「ユリヤガイ」に注目して採集してみてください、とはリーダーの杉村さんの弁。ユリヤガイとは、イイヅタ類の海藻に着生する貝で、二枚貝のような一対の殻をもちながら実は巻き貝という、なんだか意味不明の貝だとか。暖海のごく狭い範囲にしか生息しないとのことで、ここ角島を特徴づける貝でもあるのだそうです。
 説明を聞いて、ふーん、と感心したあと、どんなものか実物の標本を見せてもらったのですが、なんとこれが驚くほど小さい。径3oほどでしょうか。こんなサイズの貝殻を砂の中から見つけるのは容易なことではありません。

 ユリヤガイ
 
(大きく見えても、実は3oほど)

 大浜海岸の浜辺に下りてみると、こちらにも海水浴客がたくさんいます。なので、いくつかの丘や入り江を越え、岩場の影にある小さな砂浜に移動して採集することにしました。あいかわらず日差しは強いですが、海から吹いてくる風が心地よくもあります。
 今日は穏やかとはいえそこは日本海。砂浜に打ち寄せる波の音も瀬戸内海のそれとは違う外海のものです。まぶしさ半分眉間にしわを寄せ、腰に手をあて遥か水平線の彼方を見つめると、遠く異国に思いをはせる中世の船乗りにでもなった気分になります。(いや、かなり大げさです。)

 コンタクト探しの方がまだ楽かも

 それにしてもこの浜辺には小さな貝殻がいっぱい。砂粒よりも多いのでは、なんて思いたくなるほどいろんな貝殻があります。でもみんな目移りすることなく夢中でユリヤガイを探していました。ときどき「あった!」という声が聞こえてきますが、中にはかんしゃくを起こして「もうやめじゃ!」などとサジを投げる人も。それでも悔しいのかまたおとなしくしゃがみ込んで砂と格闘を始めていました。yamanekoは大小合わせて16個ほど見つけることができましたが、後で聞いてみると50個という猛者もいたそうです。

 アラレタマキビ

 岩の上に小さな巻き貝が並んでいました。アラレタマキビです。この貝は貝にあるまじきことに波が嫌いなのだそうで、海水がかぶらないちょっと高い位置に並んでいました。また、暑さも嫌いだそうで、貝の口を岩に密着させることなく、器用に隙間を空けて張り付いていました。そういえば陽が当たらない岩の影になる面にしかくっついていません。
 この辺りは、夏は今日のように暑いのですが、冬には大陸からの季節風が吹きつけ、海が荒れ波が吼える日が続くのだそうです。生き物にとっては厳しい環境といえます。そんな中、こんな小さな貝までが生きようと健気な努力をしているか思うと、人間さまは夏バテだなんて言ってられませんよね。
 角島周辺では海底の地形が複雑である上に冬の季節風にあおられて大時化となり、波が海中で貝殻を巻き上げ、砕き、そしてそれを海岸に打ち上げます。これが角島のきれいな海岸を作っている理由なのだそうで、冒頭の写真のようなエメラルドグリーンの海浜は砂浜に含まれる貝殻の量が多くなることによって形成されるのだそうです。

 ハマオモト(ハマユウ)

 痛くなった腰を伸ばそうと体を起こすと、浜から一段上がったところに白い花が咲いているのが見えます。近づいてみるとハマオモトでした。草本としては大柄な方ですが花は繊細で涼しそう。この花も角島を代表するもののうちの一つでしょう。同じ島内の夢崎にある群落は市の天然記念物に指定されているそうです。

 ハマゴウ
 
 ホソバワダン
 
 ハマゼリ  ネコノシタ

 2時間も浜辺にいれば、いいかげんヘトヘトになってきます。ユリヤガイ以外にもいくつか貝殻を採集することができました。これから自然館のレクチャールームにもどって、貝の名前を調べます。

 ダルマギク

 自然館に戻る途中、海にせり出した丘の上にダルマギクの群落がありました。葉の質が厚く毛が密集しているのが特徴で、こんもりと盛り上がっています。この形状からダルマという名が付いたのでしょうか。花は晩秋以降に咲きます。植物に詳しい人に言わせると「角島といえばダルマギク」だそうです。

 貝の標本

 自然館に戻ってきました。エアコンの有り難さが身にしみます。
 まずは採集してきた貝を自分なりにグループ分けして、ビニールの小袋に入れていきます。中にはよく似たものもあって同じ種の色違いなのか別の種なのか迷ってしまいます。その後標本と見比べながら種名を特定していくのですが、結局のところ確信が持てないので、一つ一つ杉村さんに尋ねてしまいました。でもすべて即答されたのにはビックリです。

 採集結果

 これがyamanekoが採集した貝です。全部で22種。どれも初めて聞く名前ばかりでした。持ち帰ったときには袋の中でごちゃごちゃになっていましたが、こうやって分類しまとめると、なんとなくそれらしく見えるから不思議です。この中には海外のコレクターの間で人気があって、ン万円の値がつくものもあるのだとか。へぇ、どう見てもただの貝殻にしか見えませんが、そんな世界もあるのか、といった感じです。

 黄昏

 夕方、野外ステージの観客席で夕食のお弁当を広げます。日中の暑さも一段落し、だいぶ過ごしやすくなってきました。
 夕食を終え浜辺を見下ろす高台に行ってみました。寄せては返す波音が昼間の火照った空気を静めるように繰り返し繰り返し聞こえてきます。耳を澄ますと、次の波音までの余韻が心に染みこみ込んでいくようです。まるで波が砂に染みこんで行くように。(BGMは高中正義の"珊瑚礁の妖精"でお願いします。)

 トワイライトコンサート

 午後7時、野外ステージでトワイライトコンサートが始まりました。地元(旧豊北町)の方々で構成されている豊北吹奏楽団の皆さんが我々を歓迎してわざわざ集まってくれたのです。この楽団は30年に余る歴史があるそうで、メンバーは大学生からおじさんまで多彩です。中には親子二代で参加している人もいるんだとか。小さな町(失礼)ですがこんな心豊かな文化活動が長く根付いているなんて素晴らしいことです。「おらが町の自慢は巨大な箱物」なんてのはよく聞く話ですが、皆さんが楽しそうに演奏する姿を見ると自分の町に対する愛着と誇りが伝わってくるようです。
 演奏された曲目は大塚愛の"スマイリー"からご存じ"マツケンサンバ"まで。観客の年齢層を意識してか民謡メドレーなんてのも散りばめられていました。(民謡って…。これは意識しすぎでしょう。)当方としては心からの歓迎を受けて感謝の気持ちでいっぱいです。

 夜の部

 夜8時、再び研修会の始まりです。
 角島の貝類と植物について学術的な見地からの解説がありました。話の内容もさることながら、そのプレゼンテーションの技術にも唸らされました。

 (おまちかね)懇親会

 9時、お楽しみの懇親会です。やっぱりこれがないと指導員交流会ではありません。キンキンに冷えたビールと美味しい料理。中でも刺身の新鮮さにはビックリ。イサキの身がプリップリしていました。それとサザエのつぼ焼き! 絶品です。(もう多くは語りません。)
 あちこちでドッと笑い声が上がったり、互いにお酒を注ぎあったり、そんな光景が繰り広げられながら角島の楽しい夜は更けていきました。
 


 
 6時半起床。バンガローにはエアコンも設置されていましたが、夜半からはむしろ寒いくらいで、長袖のシャツを上からはおって寝たほどです。
 外に出てみるとまだコオロギが鳴いています。早朝の空気は白く、今はちょうど心地よい気温です。キャンプをしている人の中にはすでに海に入っている人もいました。

 ツノシマクジラの解説

 8時20分 今日最初の研修は「ツノシマクジラ」について。説明してくださるのは自然館のインタープリターの藤岡さん。藤岡さんは我々と同じNACS−Jの自然観察指導員でもあります。そのお話とは…
 今から7年前、平成10年9月11日の午前9時、角島と本土とを隔てる海士ヶ瀬戸で漁船とクジラとが衝突するという事件がありました。クジラは一旦は海底に沈んだのですがその時点ではまだ死んではいなかったようです。潜水してロープをかけ曳航しようとしたところ途中で暴れてロープを切ってしまいました。それが最後に見せた「生」への執着だったようです。その後間もなく息を引き取りました。
 数日後、知らせを聞いて駆けつけた国立科学博物館の研究員たちの手でこのクジラは解体されました。そして近くの砂浜に埋められたのです。こうすることによって肉や内臓が腐敗し、骨を取り出しやすくなるのだそうです。
 翌年5月、骨格の掘り出しが始まりました。砂浜にブルーシートを敷き骨を並べていきます。このクジラは雌で、当初子どものナガスクジラと考えられていました。しかし調べていくうちに、肋骨に骨折の痕跡があることが分かりました。これは何を意味するのか。クジラは繁殖期になると求愛行動として雄が雌に体当たりをしかけるのだそうです。そのとき雌が肋骨を骨折することは珍しくないとのこと。今回解体したこのクジラは肋骨の3分の2に骨折の跡があったといいます。ということはすでに成体であったということで、その数からしてむしろ何度も繁殖を経験したおばあちゃんクジラだったことが分かってきたのです。こうしてこの時点で新種のクジラである可能性が出てきたのです。
 その後遺伝子解析などにより研究が進み、平成15年11月に新種であることが突きとめられ、和名は捕獲地からとって「ツノシマクジラ」と付けられました。ヒゲクジラの仲間ではなんと90年ぶりの新種発見となったのだそうです。

 骨格標本(レプリカ)

 ツノシマクジラの実物骨格は現在は国立科学博物館に所蔵されていて、ここにはレプリカが展示されています。なんでもかんでもお金に換算するのは下品なんですが、その制作費は田舎であれば立派な家が建つほどのものだそうです。どうりで精巧にできています。
 クジラは数千万年前は陸に棲んでいたのだそうですが、生活の場を海に移してからは後ろ足が退化してなくなってしまったそうです。骨になっても流線型のフォルム。これが進化というものでしょうか。
 ツノシマクジラは今でも角島の周辺を回遊しているそうです。青い海を悠然と泳ぐ黒いクジラ。絵になります。

 ラセイタソウ  ソナレムグラ(牧崎で)

 9時、昨日の午後に続いて自然観察U(角島の大地の生い立ち、海浜植物の観察)。これから島内を巡り、植物や地質の観察をしていきます。
 まずは島の西の端、夢崎へ。ここには角島灯台があり観光スポットになっています。ラセイタソウ、オオカラスウリ、ハマオモトなど。急激な観光地化に植生の保護が追いついていないようです。とりあえず立入禁止にはなっていました。

 尾山港

 次にやってきたのは尾山港。防波堤の横の小山は海岸地帯によく見られる照葉樹林に覆われていました。岩石が露出しているところで「めのう」を発見。(教えられたのですが。)

 めのう

 慌ただしく次の観察ポイントの牧崎に向かいます。牧崎周辺では昔から放牧が行われ、棚田も作られていたそうです。川らしい川もないこの島で稲作ができたのは、その地質のおかげなのだそうです。
 今から850万年前、陸化していた角島の火山活動が起こり、尾山の火山岩層と元山の堆積岩層の上に玄武岩となる溶岩が噴出しました。(見ていたたわけではありません。)これによって、現在の角島を形作る土台がほとんど出来上がったといいます。角島には、溶岩台地や柱状節理など、玄武岩特有の風景がいたるところで見られます。

 玄武岩の柱状節理

 元山にあった堆積岩層は玄武岩よりさらに古い1600万年前、砂と泥が交互に堆積してできあがりました。この層が雨水を地下水として貯え、水田耕作を可能にしたのだということです。

 はいつくばる植物たち

 牧崎の先端にやってきました。風が強いらしく植物はみな地面にへばりつき風下側に押し倒されるようにして生えています。本当はもっと丈の高い植物なのですが。この島の一面でもある自然の厳しさを物語っていました。

 牧崎

 観察の全行程を終え、自然館に戻ってきました。あとは閉会のセレモニーを残すのみです。
 今回の交流会では盛りだくさん過ぎるほど角島の自然全般にわたってレクチャーがありました。これは遠路はるばるやってきた客人を精一杯もてなすのと同じように、自分たちの愛する角島のすべてを見てもらいたいという気持ちの表れだと感じました。豊北自然観察指導員会の方々のこの島に対する想いを感じずにはいられません。
 平成12年に角島大橋によって本土とつながる以前は、この島には軽トラック1台が通れる(すれ違える、ではない)くらいの道しかなかったとのこと。それまでは本土との間を小さなフェリーが結んでいるのみで、郵便や宅配便などの他はめったによそから車が入ってくることはなかったといいます。それが今では(観光シーズンではあるとはいえ)他県ナンバーも含めてバンバン島内を行き交っています。島の人々の生活もずいぶんと変化したことでしょう。しかも驚くほど急激に。
 どの島に暮らす人々にとっても架橋はある意味悲願だといいます。教育、医療をはじめ日常の生活全般において、架橋がもたらす利便性と安心感には計り知れないものがあるでしょう。ただ、治安の悪化やゴミの投棄など負の面もあり、島の方々も複雑な思いだとも聞きました。
 
 今回の1泊2日の交流会。一年のうちで最も明るい季節に島に訪れて、いいとこ取りのような感じがしないでもありませんでした。今度は冬の日本海と対峙する角島を見てみたいと思います。そうするとこの島のイメージがまた変わるかもしれません。
 そのときには海を望む丘の上にダルマギクが咲いているでしょうか。
 

 こんなものもたくさん流れ着いています