もみのき森林公園 〜NACS−J指導員交流会〜
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【広島県廿日市市 平成16年10月30日(土)〜31日(日)】
今年も指導員交流会の季節がやってきました。今年は我々広島県が当番です。
(指導員交流会とは?→こちらへ)
昨年は初めて中国5県の指導員が顔をそろえたのですが、今回は鳥取県と岡山県からの参加が見送られ、残念ながら3県での開催となりました。東西に長い中国地方。開催地が両県からは地理的にも遠いということもあるかもしれません。
もみのき荘 |
場所は廿日市市(旧吉和村)にある「もみのき森林公園」。今年オープン20周年を迎えました。
園内には宿泊や研修を行える「もみのき荘」を中心に、キャンプ場、テニスコート、体育館、サイクリングコース、スキー場(クロカンもOK)などが配され、休日には家族連れなどで賑わいます。
ここは高速道路を通れば広島市から1時間余りで着く距離ですが、それでも西中国山地のど真ん中。辺りは深い森が広がっています。今年は度重なる台風襲来で山の木々が傷んでしまい、紅葉は望めないかと思っていましたが、それでも今が見頃とあって山々はそれなりに美しい錦を身にまとっていました。
開会 |
午後1時、開会です。
今回のテーマは「人と野生動物との共生」。中国山地は地形的になだらかで、農耕や牧畜、炭焼きなどで山ひだの奥まで人間の活動が入り込んできた歴史があります。当然に野生動物と人間との活動範囲がクロスし、その接点で様々な軋轢が生じるわけです。
折しも今年は日本各地でツキノワグマの出没が相継ぎ、人身被害も数多く報告されています。今日は広島県の指導員の中から日頃野生動物に関わる機会の多い藤田さんと吉岡さんにそれぞれ違った視点で捉えたレクチャーを行ってもらい、その後、「NPO日本ツキノワグマ研究所」の米田一彦理事長から、クマと人との共生について講演をいただくというプログラムです。米田さんは、マスコミ各社への寄稿や出演、また、日本国内のみならず極東アジアまで含めた生息地調査などで、現在超多忙を極めている方。そんな中、貴重な時間を割いていただくことができました。
藤田さん |
まず、「もみのき森林公園周辺に生息するけものたち」と題して、藤田指導員からのレクチャーです。
この公園は標高900m前後。背後の小室井山は1072mです。森を構成する樹木は、ブナ、ミズナラなどが中心で、その中に大きなモミが散在するというもの。そこに暮らすけものといえば、キツネ、タヌキ、テン、イノシシ、そしてクマなどです。
コンニチワ |
いくつかの剥製を前にして、藤田さんから、生物学的に見たグループ分けをしてみようと問いかけがありました。みんなの前に並べられたのは、イノシシ、テン、キツネ、アナグマ、タヌキの5種です。
何人かがチャレンジしてみましたが、色や形に惑わされてなかなか正解が出ません。
答えを聞いてみると、キツネとタヌキは同じイヌの仲間、テンとアナグマは同じイタチの仲間、イノシシはこれらとは別の仲間だそうです。「へ〜。でもタヌキとアナグマってどう見ても仲間っぽいよね。」という声に、「適応収斂かもしれませんね。」と藤田さん。適応収斂とは、似たような環境で暮らすうちに顔形や体つきが似てくること、だそうです。(長い間連れ添うと夫婦も似てくると言いますが、これも適応収斂か。)
藤田さんによると、姿形のみならず、その生息環境や行動パターンなどを関心を持ってよく見てみれば、次第に理解が深まってくるとのこと。都会に住む人々はもちろんのこと、いわゆる田舎に住む人々でさえも、辺りに暮らす動物にあまり関心を持っていない、言い換えれば「こだわって」いない、のだそうです。「共生する」とは、まさにそのものにこだわっていくこと。野生動物の生態に、またそれらの暮らす環境にこだわっていくことなしに共生はありえないということです。
日本に生息する哺乳類は約100種。その4割近くが固有種なのだそうです。ニホンオオカミやニホンカワウソは明治以降、人との軋轢により絶滅してしまいました。動物愛護先進国のイメージが強いイギリスであっても日本よりかなり早い時期にオオカミ、イノシシ、クマが絶滅しているとのこと。ヒトは他の動物にとって大きな脅威となっていることは間違いないようです。
ヒトの出現は長く見積もっても今から約500万年前。タヌキやイノシシはそれよりもずっと前から地球上に暮らす、いわば「先住民」。もう少し先輩に敬意を表してもよいのでは、という柔らかい表現が藤田さんらしいところです。
吉岡さん |
次は「人と野生動物との軋轢の現場から」と題して、吉岡指導員からレクチャーです。
彼はつい最近まで、まさにその軋轢の現場に行政という立場で関わってきました。今日はその際の現場のナマの様子を写真を見ながら分かりやすく次のように解説してくれました。
「有害獣」という言葉があります。それは田畑を荒らすイノシシであり、シカであり、サル、タヌキ、ヌートリアのことです。しかし、この動物たちからすれば、里山の荒廃や山野の市街化など人間の手によって変わりゆく環境に適応しながら、したたかに生きてきただけのこと。環境に適応して生きていくことは基本的には人間自身も同じであり、この場合「有害」とはその本質を指すものではなく、あくまでも「人間にとって不都合な」という意味にすぎません。
とはいえ、農家は日々被害に遭います。照る日も降る日も丹精して育てあげた作物を、収穫前にやってきて食い荒らす。しかも、きれいに食べてくれるのならまだしも、一口ずつ囓って食い散らかしている様子を見ると、さぞや農家さんは無念のことと思います。その被害の現場が自家消費のための菜園などであればまだしも、生計を支える生産物であるならばなおさらです。
農家さんも自衛の策を講じますが、それもなかなか功を奏さず、とどのつまりは「なんとかしてくれ」と行政にボールを投げてくることになるのだそうです。行政としては、農家に対して捕獲用の檻の設置を許可し、また、猟師さんに駆除を依頼することになります。でもこれは根本的な解決にはつながるものではありません。
そういう農家さんに対して、数々の経験を踏まえ彼はこう言うのだそうです。「むやみに殺すことはない。来るヤツは山に追い返せ。ヤツらが人間社会に関わりを持ちたがらないように仕向けることが肝要。そのためには、まず相手を知り、工夫を重ね、人任せにせず、また、一人だけで取り組まず、なにより決して諦めずに対峙すべし。」と。
実際に農作物の無惨な被害の様子を目の当たりにし、また一方で罠にかかって暴れる動物をその手で取り抑えたり害獣駆除として殺された数多くの動物の姿を見てきた彼にとって、「共生」のもつ意味を語るのは容易なことではないかもしれません。考えさせられるレクチャーでした。
米田さん |
休憩をはさんで、いよいよ米田さんの講演です。演題は「クマと人との共生」。講演といっても高いところから話をするといったものではなく、参加者の中に入り込んで、独特の味のある口調で話しかけてくるといった感じです。
米田さんは、約30年前に秋田県庁に入庁。まもなく自然保護課に配属になり、当時ツキノワグマの追跡調査を日本で初めて実施したそうです。その中で、クマを含め動物の死を数多く見てきたとのこと。そして、クマを取り巻く環境が極めて複雑であることに驚いたそうです。なにしろクマには値段があり(クマの胆嚢は現地価格でン十万円!)、既得権もある。クマによる被害もあり、また、愛玩の対象でもあるのです。これはクマに対して様々な思惑を持っている人間がいるということです。
県庁時代、秋田市の北東に位置する太平山周辺を研究のフィールドとし、その頃ほとんど生態が分かっていなかったクマを追い、調査を続けたそうです。
その後県庁を退職しフリーとなって、90年に広島県に転居して、研究のフィールドを西中国山地に移しました。この地域のツキノワグマは絶滅の危機に直面しているのです。(四国では絶滅間近、九州ではすでに絶滅したといわれています。)
広島県にやってきてビックリしたのは、人家の近くにクマが生息していること。東北ではクマは山奥にいるものだったのです。そして、民家の裏には普通に罠が仕掛けてあったりして、日常的な密猟が行われていることにも驚いたのだそうです。(西中国山地のツキノワグマは環境省RDBで「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されていて、原則として捕獲することは禁止されています。) 中にはイノシシ用の「くくり罠」に誤って掛かってしまい、足が3本になっているクマを見かけることもあったとか。
里に現れたクマを捕獲して、殺すことなく山に放す「奥山放獣」を日本で最初に提案したのも米田さんです。山に放す際、唐辛子スプレーなどで「里に下りるとひどい目にあう」という記憶を植え付け、次から下りてこないように工夫しているのだそうです。
直近の生息数調査では480頭(±200頭)のツキノワグマが西中国山地に生息しているといいます。これは種を維持していくために十分な数だとは到底言えないものなのだそうです。
米田さんは、最近は極東アジアのクマの研究も進めているそうで、お隣韓国には、全土でなんと約20頭ほどしか生息していないそうです。それも遠く離れた2箇所に10頭ずつ分かれて。もう風前の灯火です。韓国では密猟の横行でここまで減ってしまったとのこと。なにしろ1頭当たり800万円から1500万円もの値段が付くのです。中国の事情はもっと悲惨で、クマを小さな檻の中に入れ、四肢を固定した状態でクマの胆嚢から直接チューブを引き、生かしながら胆汁を採集しているのです。そしてこのクマはこのまま一生を送るのです。米田さんが示す写真には、こんな檻が倉庫にいくつも積み上げられていて、まるで中国のクマを取り巻く暗黒を象徴しているようです。中国ではクマの胆汁は漢方薬として高価で取り引きされています。現に裏にはマフィアが存在するほどのビッグビジネスになってしまっているのだそうです。
ツキノワグマの生態についても楽しい話が聞けました。
ツキノワグマは2月に普通2頭の子供(雄と雌)を産み、子供は二冬目まで母グマと一緒に過ごすそうです。
春にはブナの花芽を好んで食べ、夏はやせ細り栄養状態も悪いですが、秋には食糧事情が良くなり体重が30%も増えるのだそうです。
8月にはウワミズザクラの実を食べるために木に登ることが多く、ときどきクマが上から降ってくるといい、秋、ヤマブドウの蔓を引っ張ろうとすると、間違って食事中のクマの手を引くことがあるとのこと。これは大げさでしょう。でも、事実クマは山ではずいぶんくつろいでいるそうで、例えばクリの木に登ると全てのクリを食い尽くすまでそこに居座り、喰ったらその場で寝ていることも多いのだとか。さすがは森の王者。堂々としたものです。
でもやはりクマも人間は怖いのだとか。米田さんはこれまでに山の中で2千回はクマと出会っているそうですが、クマは決まって逃げるのだそうです。ただし平地に出てきたクマは危ないとのこと。極度の緊張状態にあるからです。この状態で運悪く人間と出会ってしまったら…。クマは我が身を守るため死にものぐるいで人間に立ち向かってくるのだそうです。
一方、人間もクマが怖い。クマに出会って冷静でいられる人間はごく稀でしょう。お互いに出会わないことが一番なのです。クマの聴覚は非常にすぐれていて鈴を付けて歩くのはやはり有効であるとのこと。ただし低音には鈍感なので、高い音色のものがよいそうです。また、意外ですが登山道でのクマとの遭遇は実はあまり多くないとのこと。クマ自身が遭遇を避け、藪の中で登山の一行が往きすぎるのを待って、しばらくしてから道を横切るのだとか。だから、集団から離れて歩くのは危険だといい、また、登山道をはずれてショートカットなどするとバッタリ会うとかいうのだそうです。
「山ではクマは近くにいる。そして、じっと人間をやり過ごしている。」 米田さんのこの言葉が妙に現実味をもって迫ってきました。
とはいえ、出会ってしまったらどうするか?
クマとの距離が20mあれば、目をにらみながらゆっくり後ずさりすること。山では走って逃げることは不可能だそうです。では襲ってきたら?低い体勢で迫ってきて目前でガーッと立ち上がるので、屈んで両手で頭部と頸動脈を守り、最初の一撃をかわす。そして覚悟を決めて反撃する、だそうです。
怖っ。やっぱり出会わないことですね。
懇親会 |
今日の公式プログラムが終わると、お楽しみの懇親会。
なんと途中まで米田さんも参加してくださって、講演中には聞くことができなかったもっともっと楽しい話をお聞きすることができました。感謝です。
10月ももう終わり。上気した顔を冷やそうと窓を開けると、虫の音とともに冷たい空気が流れ込んできました。夜は深々と更けていきます。
日の出前 |
翌朝、参加者の皆さんはめいめいに早朝観察に出かけていきました。
yamanekoも少し遅れて外に出てみると、西の空に白々と浮かぶ居待月。吉和冠を見下ろしていました(肉眼では月も吉和冠ももっともっと大きく見えたような気がしたのですが。)。
まだ日の出前。音のない絵画のような世界です。
朝食をとって、しばし休憩。午前中のプログラムは公園内の散策路(バリアフリーコース)の自然観察です。でもyamanekoを含め数人のスタッフは早くも昼食の準備に取りかかります。
今日の昼食は屋外でバーベキュー。鮎の塩焼きやシシ鍋、燻製も用意します。
昼食準備(まだ朝ですが) |
火を熾したり野菜を切ったり、準備はちゃくちゃくと進みますが、いかんせんその量が多い! 途中で自然観察の方を案内をしているスタッフに携帯を入れて、急遽応援を頼むことになりました。
燻製器軍団 |
スタッフの持参した一斗缶燻製器も大車輪の活躍。チーズ、ゆで卵、ささみ、ウインナー、ししゃも、かまぼこ、サーモン、なんとタクアンまで。なんでも燻製にしてしまいます。
昼食会 |
準備すること3時間半。ちょうど観察組も戻ってきました。
けっこう風が冷たく寒いので、まずシシ鍋が大人気。バーベキューも鮎もあつあつを食します。そして次から次に繰り出される燻製に皆さん大喜び。特に燻タマは絶品との評価を受けました。
昼食会はまだまだ続いているのですが、yamanekoはその輪をそっと抜けだし、一人で自然観察コースを歩いてみることにしました。
ウリハダカエデ | イタヤカエデ |
休日とはいえ静かな散策路です。バックが青空だともっときれいなのですが…。
アザミの仲間 |
この季節、数少ない花のうちのひとつです。はたして訪れてくれる虫がいるのだろうか。
木々の多くは葉を落としているので、林の中は明るいです。足下には落ち葉が敷かれ、歩くたびにカサカサといい音がします。
熊棚 |
クリの木に熊棚が数個作られていました。熊棚とは、クマが木の枝に陣取って周囲の枝をたぐり寄せながらクリの実を食べる際に、食べ終わった枝を次々と自分の尻の下に敷いていってできた、いわばクマの座布団です。
紅葉の道 |
ぐるっと回って昼食会場に戻ってきました。
ちょうど食材も食い尽くして、そろそろお開きの時間のようです。来年の当番の山口県の方にバトンタッチして、二日間に渡った交流会が終了しました。また次回が楽しみです。
ハイ、チー (パチリ)、 ああっ! |
今から10年前、平成6年7月12日の未明、広島市内の住宅街にツキノワグマが出没し、運悪く出会った人にケガを負わせたのち、射殺された「事件」を覚えている人は(少なくとも広島市民には)多いと思います。このクマが歩き回った地域はまったくの市街地。夜中に千鳥足の大トラを見ることはあっても、クマなどとは想像もつかないような場所です。夏は山中にエサが少ない季節とはいえ、いったいどこをどうやって歩いてきたのか。彼女(雌でした。)にとっても、ケガをされた方にとっても不幸な事件だったのです。確かこの年の夏も猛暑だった。
彼女のなれの果て |
米田さんは今年のクマの異常出没についてこう話します。
・本来母グマと行動をともにしているはずの今年生まれた子グマが単独で出没している。
・1頭のクマで複数の人が被害に遭っている。
・夏は安定期であるにもかかわらず8月に死者が出た。
・建物への突入と居座りが多発した。
これらは単にエサ不足では説明ができないことだそうです。里山の荒廃や、植林によるブナ科樹木の減少などを理由に挙げる人もいますが、それは今年に限ったことではありません。台風によるドングリ類の落下も、7月から出没していることの説明にはなっていません。今年は何かがおかしいのだそうです。
米田さんは頻発した台風による気圧変化がクマの交感神経に与える影響を疑っているとのこと。興味深い話ですが、目下検証中とのこと。
また、現在山の中ではクマとイノシシとがその種の存亡をかけて闘争状態に入っているのではないかとも予測しています。人はクマの侵入を恐れて、またイノシシの害を防ぐためにも集落ごと電気柵で囲ってしまいました。山ではドングリ類は並作だったものの台風でほとんど落ちてしまい、今クマもイノシシも飢餓状態になっているというのです。捉えられたクマの胃からは、イノシシの毛とともにクマの毛まで出てきているそうです。共食いをしているのです。クマの出没にこんなのっぴきならない事情があったとは。
広島、島根、山口の三県は、保護管理のため、年間駆除頭数の上限の目安を3県全体で48頭としています。ちなみに昨年度の実績は三県で36頭だったそうです。それが今年度は10月末で既に160頭も駆除されています。この事実をどう捉えるか。
また、奥山放獣も必ずしも順調ではないようです。東北地方や中部山岳のような深い奥山は中国地方にはありません。近畿地方でも捕獲したクマを放す場所が見つからず、射殺する例が相次いでいるそうです。放すのに適した場所が他の自治体だった場合にはそこの同意が必要となり、実際には拒否されることが多いのだそうです。
山にいても食べるものはなく、里に下りると殺される。
クマにとってみれば、いったい何をどうすればいいのか。この先本当に絶滅に向かってしまうのか。人間は学習してくれないのか。誰か教えてくれと言いたいところでしょう。
(もみのき荘玄関の剥製) |
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