寺坂棚田 〜畦道をのんびり散歩〜


 

【埼玉県 横瀬町 平成24年5月19日(土)】
 
 風薫る5月。この時期、どこの野山に出かけても輝くような風景を目にすることができます。じっとしてはいられない季節ですね。さて、その5月も半ばを過ぎました。朝食を終えたら天気予報に促されるようにドリーム号で出発。目的地は山梨県の昇仙峡、だったのですが、首都高4号線に乗ったとたんにナビからは事故渋滞の情報が。小仏トンネル(都県境)の先まで3時間かかるとのことなので、渋滞の尻尾に突入する前の国立府中ICで下りることにしました。とりあえずコンビニの駐車場に入って作戦の練り直し。おやつを食べながらの協議の結果、秩父にある棚田に行ってみようということになりました。なにしろ妻が無類の棚田好きなのです。
 
                       
 
 目的地を変更したyamanekoたちは、八王子バイパスから国道16号に入って埼玉県の入間市へ。そこから国道299号に折れてひたすら走ると、飯能市街を過ぎたあたりから一気に自然度が高まります。道は高麗川の蛇行に沿って徐々に高度を増していくのです。途中、西武秩父線の正丸駅でトイレ休憩をして、さらに走って峠のトンネルを抜けると、そこから秩父盆地の始まりです。
 12時15分、横瀬町の中心部に到着。横瀬町は秩父盆地の東の縁に位置していて、国道299号で秩父盆地入りすると盆地の入口に当たるところにあります。町民会館横の道に入って国道を外れ、田園風景の中を走ります。200mほど走ると大きな駐車場があったので、ここに車を停めることにしました。

 駐車場

 車を降りてうーんと伸びをすると、固まっていたからだがほぐれ細胞内に新鮮な空気が行き渡るようです。棚田はここから少し坂道を登ったところにあるようで、車道もあるのですが(民家があるから当然)、看板には車はここに置いておくようにと書いてあったので、ここは素直に歩いて行ってみることにしました。確かに静かな生活の場によそから車がたくさん入り込んできたら迷惑ですよね。

 

 横瀬川を渡る橋から既に坂道になっていて、結構斜度も急です。しばらくえっちらおっちら登っていくと、右手に農地が広けてきました。雑草がはびこっていないので休耕田ではないようです。これから粗起こしでしょうか。それにしても平地が少ない山里のこと。長い時間をかけて一生懸命に開墾し、田んぼにしていったんでしょうね。すごいことです。ここの棚田は地区の名前をとって「寺坂棚田」と呼ばれているそうです。

 

 もう少し登ると水を引いている田んぼもありました。山からの水をどんどん流し入れています。まだ冷たいでしょうから適度な水温になるまで自然の日射しで暖める必要があります。

 

 棚田の最上部までやって来ました。駐車場からの標高差は50mほどです。いやー、気持ちのいい風景ですね。正面には武甲山が鎮座しています。この山は石灰岩採掘のためにその姿を大きく変えてきました。山頂の三角点も何回か移動され、そのたびに標高を下げてきたのだそうです。現在の標高は1304m。こちらから見える面はスパッと切り取られたかのように採掘されています。手前に見える中世の古城風の建物は、三菱マテリアルの工場です。
 こうやって見ると上の田んぼから水を入れることがよく分かりますね。田んぼが褐色に濁っているということは水を入れてまだ間がないということでしょう。その下には粗起こしをした田んぼ、更に下にはこれから掘り起こす田んぼです。
  寺坂棚田では往時約300枚以上田んぼがあったそうですが、就農人口の減少からか一時期ずいぶん休耕田が増えたそうです。それが現在では地域外からの棚田の保全活動が活発になってきているようで、「寺坂棚田学校」のHPには、こんな説明がありました。

 

 最上部の田んぼは既に田植えが終わっていました。小型の手押し式田植機なら使えるでしょうが、一枚一枚の田んぼが小さく不定型なのでそれでも大変でしょう。作業をしている人に話を聞いてみると、いろいろ楽しみながらやっているようでした。例えば、ある田んぼでは、稲が実ったときに水田アートになるように色の違う複数の種類の苗を図案にしたがって植えるといいます(この日はまだ図案作成段階でした。)。また、蛍を見ながら夕涼みをするイベントもあるようで、これがまた人気で多くの人が訪れるのだとか。今年は7月7日の七夕に行うので是非来てみてと言われました。

 

 あぜ道の木陰に腰を下ろしておにぎりをほおばります。遠くからキジの鳴く声が聞こえてきて、何とも長閑です。子どもの頃、田植えといえば親戚一同が集まる大イベントでした。yamanekoの故郷は平地で、圃場整備もされていたので、実家の田んぼは長方形でした。そろばん玉みたいなのが等間隔についているナイロン製の紐を田んぼの両端に渡して、横一列に並んだ大人がこのそろばん玉を目印に苗を植えていくのです。一列植えたら紐をずらしてまた次の一列を植えるという作業を繰り返していきます。子どもだったyamanekoは大人の荷物がまとめて置いてある畦道でその様子を眺めていたものです。でもすぐに飽きてしまって、用水路に入って遊んでいました。畦で食べる昼食のおにぎり(握り飯と言った方が的確かも。)がまた美味。お茶は大きなヤカンで持って行っていて、ヤカンの蓋をコップ代わりに飲んでいました。ああ懐かしい。

 ヘビイチゴ

 食後は畦道自然観察です。
 この鮮やかな実はヘビイチゴですね。ちょっとおどろおどろしい名前ですが、これは中国で蛇が食べるイチゴだと考えられていたからだとか、また、ヘビが出そうなところに生えるから(野生のイチゴはたいがいそうですが。)とか、そんな由来があるのだそうです。別名を「クチナワイチゴ」。クチナワ(朽ち縄)とは蛇の古名だそうです。食べても味がなくもさもさしていて、ジューシーとは真逆な食感。決して食用には向きません。
 ちなみにヘビイチゴによく似た種にヤブヘビイチゴというのもあるそうです。「やぶ蛇」って…。

 ホタルカズラ

 蛍葛(ほたるかずら)。なかなか風情のある名前ですね。花があっちにぽつり、こっちにぽつりと蛍の明かりのように点々と咲く様子から名前が付いたということです。葛(かずら)と言うくらいなので蔓性でしょうか。これまであまりそんな印象は持っていませんでしたが。

 ヤグルマギク

 これはヤグルマギクですね。園芸種です。この花を見ると子どもの頃家の花壇に咲いていたのを思い出します。小学校に、家に咲いている花を新聞紙にくるんで時々持って行っていました。教室の花瓶に飾ってもらうために。グラジオラスとかダリアとかも。親が持って行きなさいと持たせるのですが、何か恥ずかしかったのを覚えています。

 

 ぶらぶらと下っていくうちに、いつのまにが駐車場の近くまで戻ってきていました。駐車場の脇には大きなキリの木が数本あって、今まさに満開の状態でした。ミツマタやヤツデの木があると昔付近に民家があったということが分かるように、キリも山里の集落と切っても切れない関係がある木です。材は軽くて狂いが少ないという特徴があり、建具に用いられてきたのはご存じのとおり。桐のタンスといえば、嫁入り道具の定番でしたもんね。中国原産ですが古くに日本に入ってきて、人々の生活に密着してきた歴史を持つ木です。

 ヤマボウシ

 ヤマボウシです。これは駐車場を作ったときに公園整備の一環として植栽されたものだと思います。ピンクの花びら、のように見えますが、これは萼で、中央の丸い部分に小さな花の蕾が寄り集まっています。
 
 のんびりと棚田を散策して、まったりしたところで、次は秩父の牧場に行って牛でも見ようということになりました。妻は無類の牛好きでもあるのです。

 

 牧場に向かう途中の山里で見かけた風景。休耕田が一面のポピー畑になっていました。誰に見せるというものでもなく、普通の道ばたの田んぼがちょっとした極楽浄土状態になっているのです。何箇所かで見かけたので、農家さんの最近のトレンドなのかもしれません。

 

 彩の国ふれあい牧場

 ずいぶん走りましたが、皆野町と東秩父村との境にある山の稜線部を開拓して開いた「彩の国ふれあい牧場」にやって来ました。まず驚いたのは人の多さ。ここに来るまでは心細くなるような細くて急な山道を通ってきたので、急に賑やかな牧場に出て、どっか違う世界に迷い込んだ感じがしました(yamanekoが来た道とは反対側から登ってくる道はいい道だったようです。)。
 標高は700mくらいでさほど高くはありませんが、見晴らしがきいて素晴らしい開放感です。牛も羊もヤギも存分に鑑賞しました。ところで写真右手に見えるピーク。これは笠山という山で、去年の春に登ったことがあります(こちら参照)。なんとこの笠山、約60q離れた新宿のyamanekoの家からよく見える山なのです(少しだけ親近感を覚えるのは何だろうか。)。
 
 もともと昇仙峡を目指して出発した今日の野山歩き。行き先を秩父に変更して丸一日遊びましたが、なかなか楽しい一日となりました。遠い子どもの頃の記憶が呼び起こされて、何か深いところから気分転換ができたような気がします。
 風薫る5月、まだまだ楽しめそうです。