堂平山 〜外秩父で静寂山歩(前編)〜


 

 (前編)

【埼玉県 東秩父村 平成23年3月5日(土)】
 
 冬晴れの日、都心から見て西の方角には純白の富士山が秀麗な姿を見せてくれます。あまりにも美しいのでどうしても富士山にばかり注目してしまいがちですが、その前衛に位置する関東山地の辺縁の山々も、特に荒天の翌日などには驚くほどくっきり見えたりして、じっくり見出すと時間を忘れてしまいます。

 

 南端の丹沢・大山から北端の外秩父の山々まで、その距離約80qの稜線はなかなか壮観です。その中で、以前から気になっている北端の山。都心からは北西方向に当たり、その背後に遠く浅間山が姿をのぞかせる山があります。

 

 調べてみると笠山という山で、その隣にある堂平山とセットで気軽に歩ける山と紹介されています。そしてこの堂平山こそが山頂からの眺望が素晴らしいとのこと。「気軽に歩けて眺めがいい」となると、これはやっぱり行ってみなくては。ということで、花粉の飛散も本格化してきた今日この頃ですが、眺望を楽しんでくることにしました。今回は久しぶりに一人での山歩きです。
 
                       
 
 池袋発7時44分の急行で一路東武東上線を北上。9時前に終点の小川町駅に到着しました。そこからは小ぶりの路線バスに乗り換えて、これまた終点まで。どんどん山間に入り込んでいきます。

 白石車庫バス停

 9時40分、終点の白石車庫前に到着しました(「車庫」といってもバスの回転場があるだけです。)。道はここからつづら折りで山肌を上っていき、定峰峠へと続いています。この辺りは地図で見る限りは谷をさかのぼったどん詰まりのようなところと思っていたのですが、実際に来てみると周囲にはそこそこ民家がありました。
 バスを降りると、風もなくて思ったより暖かいです。せせらぎの音に惹かれて覗いてみると横を槻川が流れていました。ものすごくきれいな水です。この辺りは生活は決して便利ではないでしょうが、自然はほんとに豊かなようです。

 今日のルート

 今日のルートは、ここ白石車庫バス停を起点として、ここから白石峠を目指して登っていきます。白石峠からは稜線の道を辿って堂平山、笠山と歩き、最終的に皆谷(かいや)という集落に下りてくるというもの。皆谷はさっき通り過ぎてきたところです。
 バスは小川町をほぼ満員で出ましたが、終点で降りたのは10人くらい。ここから林道を定峰峠に向けて登る人と、yamanekoと同じ白石峠に向かう人とでほぼ半々に分かれました。

 スタート

 9時55分、トイレとストレッチを済ませてからスタートです。民家はありますが人影は見えませんね。長閑です。

 ソシンロウバイ

民家前の畑にソシンロウバイが。畑と行っても野菜とかではなく樹木が植えられているものです。天気予報では今日一日「晴れ」。花弁が朝日を透かして輝いています。ちょうど満開で、辺りには甘い匂いが漂っていました。

 馬頭観音

 しばらく行くと道の辻に馬頭観音がまつられていました。近くに解説板があり、次のような説明が。
 「古い峠道では、道の神として、しばしば馬頭尊(観音、観世音)が見られます。馬の背を利用して荷物を運搬した昔、険しい坂道で馬がたおれることもありました。飼い主は、馬のたおれた場所に供養の塔を建て、また危険な所には、観音様の加護を祈って碑を建てました。これが今日にのこる馬頭尊で、これは徳川時代中期から、自動車交通が発達し、荷駄が衰退する昭和10年代頃まで造られていました。(環境庁・埼玉県)」
 馬頭観音ってそういうものだったんですね。重い荷物を背負い、鼻息も荒く、湯気が立つほど汗をかいて幾度も幾度も峠を越えていく馬。長い間苦楽をともにした馬。その馬が路程半ばで息絶えたとしたら。石碑の一つでも建てて供養したくなるのも分かるような気がします。
 静かに手を合わせてから、再び歩き始めました。

 

 舗装路を歩いて行きます。辺りはもう完全に山の中。川沿いの日陰には雪が残っていますが、気温は次第に上がってきているようです。今日は風がないからいいようなものの、風があったら花粉が大量に飛ぶと思います。あらかじめ持参の目薬を差しておくか。

 霜柱

 道路脇の斜面一面が霜柱、という場所がありました。霜柱の高さは約5p。みな同じ高さに揃っていて、先端が軽くカール。まるでビーバップハイスクールのヒロシの髪型のようです。

 

 10時20分、舗装路と分かれて山道に入ります。道はコンクリート舗装されていますが、その上にスギの落ち葉やら崩れてきた小石やらが散らばっていて滑りやすい。それでもまだ車が通れそうなほどの幅があります。一方、舗装路はというと、ここから左手にUターンするように山肌を上っていき、どうやらその先にある民家まで続いているようです。地図を見ると確かにその先はなだらかな地形になっていて、細山という集落名が書いてあります。しかしすごいところに住んでいるものですね。

 案内板

 道の所々に写真のような案内板があり、迷うことなく歩くことができます。この看板はこれから先も下山するまで案内してくれました。きっと今日のコース以外にも、この付近のハイキングコースのいたるところにあるのだと思います。

 ガレ

 10時半、道はいよいよガレの山道になってきました。しかも急傾斜。道の真ん中をわずがに水が流れています。ところが登っていくとこの水が凍っていて、つるつるに。きっと雪解け水が凍っていて、それがまた少しずつ溶けているのでしょう。
 しばらくすると道は歩きやすい山道に戻りましたが、ところどころ雪道に。雪は固くしまっていて、何日か前に降ったものと思われます。

 槻川

 槻川の川幅はもうこんなに狭くなっています。せせらぎとも呼べないくらいに。水はあくまでも澄んで、きらきらと陽光を反射していました。槻川の「槻」とはケヤキのことなのだとか。その昔、この川の流域にはケヤキがたくさんあったんでしょうね。

 小橋

 10時40分、小さな橋を渡りました。この辺りまで来ると、雪道だったり、日だまりの道だったりと、周囲の状況によって道の様子もめまぐるしく変化します。

 

 春浅いこの時期だからこその明るい雑木林。風もなく驚くほど静かで、こんな野山を歩くのは何より楽しいです。もうじき生命みなぎる季節がやってくるというワクワク感もあるからでしょう。
 林の向こうに稜線が見えています。ということは峠まではもうすぐか。(実際にはまだまだでした。)

 ホオノキ

 ホオノキの集合果が落ちていました。集合果、つまり果実が寄り集まったものです。大きさは15pほど。ちょうどマンゴーくらいの大きさです。このホオノキ、なかなか戦略的な木で、葉や根から他の植物を駆逐する物質を放散して自分の生育地を確保するのだそうです。ホオノキに大木が多いのもそのせいなのかもしれません。このような植物は他にもあり、例えば、セイタカアワダチソウなんかが有名ですね。セイタカアワダチソウが大群落を形成するのもこの働きによるものですが、やがて自分たちが放出した物質にやられて、勢力が衰えていくのだそうです。盛者必衰の理ですね。

 

 乾いた道と雪道とが交互にやってきていましたが、やがて雪道オンリーに。見た目はきれいですが、雪は固く凍っていてツルツルとよく滑ります。地表温度と反比例するように体は暑くなってきたので、上着を1枚脱ぎました。こうやってこまめに体温調節をしないと汗が冷えて風邪をひいてしまいますから。
 
 いつのまにかせせらぎの音が聞こえなくなっていました。この辺りが槻川の最初の一滴が滴る源頭でしょう。

 クマシデ

 ん? これは何の葉っぱ。1枚の大きさは1.5pくらいです。 いやいや、これは葉ではなく、クマシデの果実。胡麻粒みたいなのが果実で、果苞と呼ばれる葉っぱみたいなもの根本にくっついています。果実を遠くに飛ばすための仕組みですね。この果苞はビールのホップのような果穂となってぶら下がっています。左の写真はその残骸です。

 源流の碑

 11時、白石峠のすぐ下までやってきました。東屋と「槻川源流の碑」があり、その上のガードレールの向こうが峠です。

 白石峠

 で、峠に上がってみるとこんな感じ。ここは舗装された林道が4本と、非舗装の林道が1本の計5本が集まっているポイントです。ただ、今日はそのうちの2本が路面凍結のため通行止めになっていました。
 さて、ここでしばらく休憩です。

 笠山

 北の方角に笠山が。今日はあの山を越えて向こう側に下りていきます。いやぁ、それにしても見事な快晴です。そして静か。無音の世界です。

 

 あんパンを食べて、10分ほど休憩して、再スタート。東に向かって延びる林道に入り、すぐに左手の登山道に入っていきます。

 急登

 スギ林を抜けると明るい坂道になりました。けっこう急です。

 

 それがすぐに雪道に。ほんと、足下がころころ変わります。ところでこの轍はいったいどうやってつけたんだ?

 剣ヶ峰

 11時20分、突然地図にない道路が現れました。どうやら正面に見える剣ヶ峰の電波塔保守用の道路のようです。道路に下りてすぐに階段を上り返せば剣ヶ峰に至りますが、山頂は眺望が良くないとのことなので、ここはパスです。この道を左手へ、固まった雪をザクザク踏みながら歩いて行きましょう。

 北西方向

 するといきなり眺望が開けました。手前にある定峰峠の向こうに秩父盆地。そしてその奥に関東山地の山塊が続き、最奥に純白の浅間山(2568m)が見えます。

 

 剣が峰の斜面を右に見ながら、緩やかに登っていきます。だーれもいません。

 大霧山

 手前のなだらかな山は大霧山。山腹に牧場があるのでまだら模様をしています。標高は767mでここより100mくらい低いことになるので、ちょっと見下ろす視点ですね。
 遠くの山並みのうち大霧山のピークの真後ろに当たるあたりが草津白根山。そこから稜線を左に辿ると四阿山、右にたどると榛名山があります。

 獣の足跡

 おっと、林道になにやら獣の足跡が。犬にしては明らかにでかいです。直接地面に接地している部分の横幅は6pもありました。足跡のくぼみ全体では横幅10pです。指を開いて踏ん張ったような形で、鋭い爪の跡も残っています。ひょっとしてこれは…。足跡がそのまま山の斜面を駆け上がっているところをみると、クマちゃんかも。

 

 林道と平行して森林学習道と名付けられた山道(林道が敷設される前の道でしょう。)があるので、アップダウンはありますがそっちを歩きます。

 電波塔

 小さなピークの上にはNHKの中継所が。この辺りから周囲の山々を見渡してみると、こんな電波塔があっちにもこっちにもあることが分かります。キー局で発した電波を関東山地の向こう側に中継するためのものでしょうね。この中継所の隣には小さな白い建物があり、看板には「東京大学地震研究所堂平地震観測点」とありました。

 

 「明治百年記念林」という石碑がありました。いろいろ調べてみると、明治元年から数えて百年目に当たる昭和43年当時、政府が音頭を取って、公園を作ったり博物館を建てたりと全国で様々な行事や事業が行われたそうです。植林も各地で行われたようで、ここもそのうちのひとつなのだと思います。高度経済成長まっただ中、まさにこの年日本のGNPは世界第2位に躍り出ました。文明開化以後、欧米にキャッチアップすることを第一の目標にしてきた日本としては、明治100年にしてここまで来たことに感慨深いものがあったでしょうね。国中でお祝いしたくなるのも分かるような気がします。
 時は流れて40余年、就労構造の国際化もあって指標がGDPに変わったものの、守り続けてきた第2位の座をついに明け渡してしまうことになろうとは。

 山頂直前

 正面に山頂が見えてきました。あとちょっとです。

 山頂

 11時45分、山頂に到着しました。雲一つない素晴らしい天気、そして素晴らしい眺めです。
 この天体ドームは、昭和37年から平成12年まで国立天文台の観測所だったところ。廃止後しばらく使われていなかったそうですが、平成17年に地元ときがわ町の体験学習施設としてリニューアルされたものだそうです。すぐ下にはキャンプ場などもあります。

 西方向

 秩父盆地の向こうに関東山地のメインキャストたちが居並んでいます。左手のひときわ異彩を放っているギザギザの山は両神山(1723m)。右奥は浅間山で、その手前は妙義山(1104m)。正面やや右手は荒船山(1423m)です。関東平野に住んでいる人たちには普段見ることができない景色。「あの山の向こうはどうなっているんだろう」と山の縁に登って、別の世界をそこに見た。そんな感じです。

 両神山

 両神山の両肩奥に白い頂の山が見えます。地図とコンパスで確かめてみたところ、左肩の奥にあるのは八ヶ岳、右肩の奥にあるのは蓼科山でした。

 秩父盆地

 一方、手前の峠の向こうに見えているのは秩父の大野原。あの辺りは標高200mくらいの盆地です。秩父太平洋セメントの工場が見えています。

 浅間山

 そして、浅間山をアップで。本体はもとより、外輪山の黒斑山もよく見えます。
 いつまで見ていても見飽きません。とりあえずリュックを下ろして昼食にでもしましょうか。
 
 《後編に続く》