至仏山 〜尾瀬を臨む花の山(前編)〜


 

 (前編)

【群馬県 片品村 平成22年8月7日(土)】
 
 8月、盛夏です。今日は、夏が来れば思い出す、遙かな尾瀬のその西端に位置する至仏山に登ることにしました。yamanekoは未だ尾瀬ヶ原自体にも行ったことがないのですが、それはまたの機会にとっておいて、今回は同じ尾瀬でも山の方で野山歩きです。
 
                       
 
 尾瀬へのアクセスは、はっきり言って不便です。例えば、群馬県側からのアプローチとしては、片品村の戸倉温泉(尾瀬ヶ原から約15キロ手前)まではマイカーで入れますが、そこから先鳩待峠まで分け入るには乗り合いのタクシーやバスに乗り換える必要があり、さらにその先、尾瀬ヶ原までの約3キロは徒歩となります。これは尾瀬の環境保全のために意図的に行われていることです。
 このようなアクセスの不便さゆえに、特に日帰りの場合にはスタート時刻を早朝にセットしておかなければなりません(それでも日帰りでは尾瀬エリアのうちの一部のみしか訪れることはできません。)。

 尾瀬エリア
 Kashmir 3D
〔今回のルートを大きな地図で〕

 前の晩、早めに就寝して午前1時半に起床。2時にドリーム号で出発。2時30分練馬ICから関越道に乗り、3時40分沼田ICを下りて国道120号線へ。4時40分に片品村の戸倉第1駐車場に着いたときには、辺りはうっすらと明るくなり始めていました。駐車場は既に半分くらい埋まっていて、もう鳩待峠に向かった人も多いようです。ここからの乗り合いタクシーは午前4時には稼働し始めているとのことです。ちょっと時間的に余裕があったので、車内で5時半まで仮眠。5時45分に乗り合いタクシーに乗車して、15分ほどで鳩待峠に到着しました。駐車場代は1日1千円、乗り合いタクシーは片道900円(バスも同額)です。

 鳩待峠

 鳩待峠には山小屋や食堂兼土産物屋などとともに広い駐車場がありました。辺りはまだ朝靄に包まれています。尾瀬ヶ原に向かう人はここから北に向かって峠を下りていくことになりますが、yamanekoは至仏山に向かうので、別の登山口から西に向かいます。ほとんどの人は尾瀬ヶ原に向かうようで、至仏山への登山口に入っていく人はごくわずかでした。

 登山口

 軽くストレッチをして、6時15分、スタートです。登山口の看板には、「至仏山に向かう場合は、午前9時には入山すること」と書いてありました。

 前後に人影はなく、静かな山歩きです。思わず深呼吸を。

 朝靄が残る森の中を行きます。その靄を朝日が照らしてちょっと幻想的な雰囲気。

 マイヅルソウ

 登山道の両側にマイヅルソウの丸い実が連なっています。マーブル模様で宝石のようです。

 今日の天気予報は「晴れ」。見上げるとくっきりとした青空です。でも、そこは山のこと。夏の山は日が高くなるにつれどうしても雲が出てきやすいです。眺望を楽しむなら早い時間ですね。

 シャクジョウソウ

 足下にぱっと見キノコのようなものを発見。これはシャクジョウソウです。葉緑素を持たない腐生植物で、褐色のギンリョウソウといった感じ。本来はもっと背が高くスマートになります。シャクジョウソウを初めて見たのは岡山県の鯉ヶ窪湿原でのこと。もう10年前になります。そういえば鯉ヶ窪湿原は「西の尾瀬」と呼ばれていました。

 アリドオシラン

 アリドオシランです。花冠の大きさが8ミリほどの小さなランです。数株が寄り集まった群落とも呼べないほどのものでした。この花に出会うのは2年前の谷川岳以来です。

 足元の岩

 「至仏山=蛇紋岩=滑りやすい」と頭にインプットされていましたが、足元を見ると花崗岩質の岩石に覆われていました。どうやら蛇紋岩が現れるのは中腹以上のようです。また、至仏山は蛇紋岩質の山であるが故に独特の植物相を持っていると言われていますが、それは蛇紋岩から溶け出すマグネシウムイオンが他の植物の進入を阻止しているからだそうです(詳しい理屈はyamanekoにはよく分かりません。)。至仏山の森林限界が他の山に比して低いのも、中腹以上が蛇紋岩で覆われていることと関係があるのかもしれません。逆に言えば樹林帯のうちはこのような花崗岩が基盤となっているということでしょうか。

 エンレイソウ

 エンレイソウの実。丸々と太っていますね。熟すと甘酸っぱくて美味しいらしいです(未検証)。

 日光白根山遠望

 7時、東から南にかけての視界が開けてきました。登山道が1897mピークの南側斜面を巻いているあたりです。遠くの稜線で頭一つ抜きん出ているのは日光白根山。標高2578mで関東以東の最高峰です。その右手のピークは2338mの錫ヶ岳です。

 ナンブアザミ

 朝日を浴びるナンブアザミ。至仏山ではお馴染みのアザミだそうです。ナンブアザミには変種が多く、鶴寝山でみたタイアザミや衣張山で見たイガアザミなどもこの変種とのことです。

 武尊山

 南の方角、木立の向こうに武尊山の無骨な姿が垣間見えました。ここからは10qほど離れています。

 キツツキのマンション

 針葉樹の枯木。天に向かってまっすぐに立っています。立派ですね。幹をよく見てみるとたくさんの穴が空いていて、キツツキの集合住宅になっていました。

 ミヤマタムラソウ

 登山道は再び稜線の道となり、樹林帯の中に入りました。
 ミヤマタムラソウです。別名をケナツノタムラソウといい、花弁の外側に軟毛があって、ナツノタムラソウの変種だそうです。

 クロトウヒレン

 クロトウヒレンはシラネアザミの高山適応型なのだとか。茎頂に頭花が団子状になるのは花柄がほとんどないからでしょう。茎には狭いながらも翼がありました。

 ハリブキ

 ん? これは何だっけ? 実を見ても葉を見てもさっぱり分かりませんでしたが、刺々しい茎と葉腋の形から「ひょっとしてウコギ科か?」と見当をつけて調べてみると、なんと図鑑の隅に載っていました。こういうときって嬉しいです。名を漢字で書くと「針蕗」。確かに葉の大きさはフキくらいありますが、粗く裂けているのでフキのイメージとは遠いですね。

 タケシマラン

 みずみずしい赤い実をぶら下げているのはタケシマラン。ちょっと小ぶりだったので、もしかしたらヒメタケシマランかもしれません。花は5月から6月にかけて、ツリバナのように下向きに咲きます。

 ヤマナメクジ

 木道が朝露に濡れてツルツル滑ります。おお、その木道に大きなナメクジが。ヤマナメクジですね。危うく踏みつけそうになりました。

 7時半、見晴らしのいいところに出てきました。1935mピークの北東側斜面あたりです。正面には至仏山の山頂が見えていますが、まだずいぶんと距離がありそうです。30mくらい先に大きな岩が露出していて(写真左)、先行する登山者がそこで眺望を楽しんでいますが、なにしろ登山道脇が様々な花でいっぱいなので、なかなかそこまでたどり着けません。

 花畑

 ピークからの斜面に広がる花畑。少し湿潤な環境のようです。

 ミネウスユキソウ

 ミネウスユキソウの苞葉はまさに山肌を覆った薄雪のよう。こちらもウスユキソウの高山適応型です。

 ヒメシャジン

 シャジンとは「沙滲」と書き、ツリガネニンジンのこと。ヒメと付くのは全体に小ぶりだからでしょうか。デジカメにしてはいい青が出ました。

 タカネシュロソウ

 シュロソウの高山適応型、タカネシュロソウです。これでもユリの仲間です。

 ハクサンシャジン

 んー、花がいっぱいです。ハクサンシャジンも夏の高山でよく出会う花ですね。

 尾瀬ヶ原遙か

 約10分かけて大きな岩のところまでやって来ました。北方向に尾瀬ヶ原が見えます。写真では霞んでしまっていますが、その先には燧ヶ岳も見えました。尾瀬ヶ原は標高1400mに広がる大湿原です。標高1400mというと、以前住んでいた広島県の最高峰(恐羅漢山)よりも50mも高いことになります。


Kashmir 3D

 「カシミール3D」で標高1400m(±20m)の範囲に緑色を付けて表示(それより下は白、それより上はグレー)すると、海面が1400m上昇したときの海岸線を見ることができます。そのとき日本列島は、中部山岳地帯に陸地らしい陸地があるのみで、あとは茫洋たる大海原に小島が点在するといった程度(中国地方はほぼ全部水没しています。)。富士山でさえ現在の伊豆大島くらいの大きさの島になっています。陸地のほとんどは平地はなく、唯一尾瀬ヶ原と日光の戦場ヶ原のみが海辺の平野として存在しているのが分かりました。カシミール3D(50mメッシュ標高)をインストールされている方はパレットの設定を上図のようにしてみるとできますよ。これを使えば、何mの水没地図(?)でも表示することができますね。それにしても、日本を代表するこの二つの湿原が同じ標高にあるというのは単なる偶然なのでしょうか。

 キンコウカ

 さて、また登り始めましょう。
 花畑を一面の黄色に染めていたのはこのキンコウカでした。雄しべの花糸には細毛が密生していて、くっきりとした褐色の葯が目立っていました。

 オオバギボウシ

 この花も湿原など湿ったところを好む花。開花した後より開く直前の蕾の方が淡い紫の綺麗な色をしています。

 イワイチョウ

 出ました、yamanekoのお気に入り。バックにぼんやりと写っているのがイワイチョウの葉です。質は厚く、腎形をしています。

 至仏山

 右奥が今日の目的の至仏山。左手前のピークは小至仏山です。両者の標高差は60mほどです。この写真では至仏山はなだらかな山のように見えますが、こちらから見えない向こう側はざっくりと切り立った急斜面で谷まで落ち込んでいます。

 サンカヨウ

 三たび樹林帯に入りました。サンカヨウの実、ちょっと色が褪せているような。本来もっと濃いコバルトブルーですよね。この実、食べたことはありませんが、もっぱら美味いとの話です。3つしかないので遠慮しておきました。(そもそも国立公園内!)

 ゴゼンタチバナ

 林床にはゴゼンタチバナ。品格のある花です。この夏、この花には何度も逢いました。そのたびに見とれてしまいます。

 オオレイジンソウ

 こちらは初めてお目にかかるオオレイジンソウ。アズマレイジンソウにくらべ黄色みが強く、名前のとおり大柄でした。

 頭上ひらける

 おっ、頭上が開けてきたぞ。ひょっとして…。

 オヤマ沢田代

 登りきったところに広がっていたのはオヤマ沢田代。奥から手前に向かって傾斜している湿原で、広さは陸上のトラックほどはありました。稜線上にこれだけの湿原があるとは。「田代」とは水田のこと。古くは湿原をそう呼んだのでしょう。正面に頂を覗かせているのは小至仏山です。
 時計を見ると8時10分。ここまで約2時間かかっています。花いっぱいで立ち止まってばかりだったもので。ちなみにガイドブックでの標準時間は1時間20分でした。

 イワショウブ

 湿原を覆う緑から頭一つ抜け出るようにして咲いていたイワショウブ。なんとも繊細な印象の花でした。涼しそうですね。

 タテヤマリンドウ

 タテヤマリンドウはハルリンドウの高山適応型。日射しのあるときにだけ花を開きます。

 分岐

 オヤマ沢田代を過ぎてすぐに分岐がありました。左に折れれば悪沢岳を経て笠ヶ岳へと続く道です。
 さて、まだ小至仏山にも着いていませんが、続きは後編で。これから先は蛇紋岩が露出する稜線の道。森林限界を超えるので見晴らしはいいですが、何しろ蛇紋岩は滑りやすいので、おちおち景色に気を取られてばかりはいられません。気を引き締めて行こう。《後編へ続く