大野山 〜大地せめぎ合う山塊(前編)〜


 

 (前編)

【神奈川県 山北町 令和3年5月9日(日)】
 
 山々をパッチワークのように彩っていた濃淡の緑色。それが一様に、そして一気に濃くなり始めました。陽に照らされて緑が輝いています。そろそろ春とも別れの季節ですね。今回は西丹沢の入り口に位置する大野山(723m)に行ってみることにしました。山の上部が牧場になっていて、東名高速を御殿場から東京に向かって走っていると嫌でも目に入ってくるちょっと目立った存在の山です。山登りのサイトを見ると、大野山は子ども連れでも登れる親しみやすい山とのこと。山頂まで車道が通じているので(牧場がありますから)、なんなら登山すらすることなく頂に立つこともできます。
 
                       
 
 登山前提で山頂を目指すとなると、登山口の最寄りの駅まで電車で移動するのが一般的です。JR御殿場線の山北駅からスタートし、一つ先の谷峨駅に下りてくるパターンとその逆のパターンがありますが、今回は逆パターンの谷峨駅から登り、山北駅をゴールとすることにしました。

 谷峨駅

 9時34分、谷峨駅下車。どこかチロル風の小さな駅舎です。車内には朝帰り風の若者たちもいましたが、yamanekoと共に下車したのは山登りの格好をした人と自転車を抱えた人など。まずは広場でストレッチです。

 Kashmir3D

 今日のコースは、谷峨駅からいったん酒匂川まで下り、川を渡って急な山肌の車道を登り返します。嵐という集落から山道へ。最初は樹林の中を登り、中腹からは開けた草原状の急斜面をジグザグに登っていきます。山頂に到着した後は反対側に下り、途中から舗装路を歩いて、ゴールの山北駅に向かうというものです。



 時刻は9時50分。そろそろ出発しましょう。うだうだしているうちに上りの電車が入ってきました。

 大野山遠望

 駅前の県道を100mほど歩き、右折して陸橋で国道246号線を跨ぎます。「246」ということはこれをまっすぐ戻ると渋谷に着くということですね。
 正面の高架は東名高速。ちょうど都夫良野トンネルを出たあたりです。そしてその奥に大野山の山頂部が見えていますね。草原状なので明るい色をしています。これからあそこまで行くわけです。

 用水路

 坂を下りきると農地が広がっていて、そこには用水路が。子どもの頃、まさにこんなところで遊んでいました。

 嵐橋

 酒匂川に架かる吊り橋までやって来ました。「同時に渡れる人数は十人です」なんてちょっと気になる注意看板が。前の女性に「お先にどうぞ」と譲ってしまいました。

 オニグルミ

 橋のたもとで面白いものを見つけました。オニグルミの雌花序です。V字型のものは雌しべの柱頭。その下にある子房の部分が膨らんで実が熟し、その中にあの堅いクルミができます。不思議ですね。



 橋の中程から振り返るの図。ニッポンの物流の大動脈、東名高速の姿が雄々しいです。現在、この奥に第二東名(御殿場−伊勢原)を建設中。

 クサノオウ

 橋を渡りきったら左折し、車道を歩きます。これはクサノオウの花ですね。ケシの仲間で、茎を折ると白い乳液がにじんできます。



 しばらく行くと分岐があり、ここを右手に登って行きます。

 クワの実

 おっ、クワの実が色付いていますね。これが黒紫色に熟してくると食べ頃です。完熟すると実を取っただけでジューシーな果汁が染み出し、指先が紫色になります。当然口の周りも。甘くて美味しいんですよね。

 シロダモ

 こちらはシロダモ。白く輝いているのは今年展開した若葉で、表面に金色の軟毛がびっしり生えています。その下にあるのは去年の葉。テカテカで厚くしっかりしています。若葉の軟毛はほどなく脱落し、すぐに下の葉のようになっていきます。

 シャガ

 シャガの花ですね。漢字では「射干」と書くようです。「射干」は中国ではシャガと同じアヤメ科のヒオウギを指す名前だそう。日本ではこの花に「射干」の文字を当て、音読みで「シャガ」と呼んだのですね。ちなみに、ヒオウギは「檜扇」(ヒノキの薄板で作った扇)と書き、これは葉の付き方の様子が檜扇を広げたところに似ているから付けられた名前だそうです。



 つづら折りの車道をしばらく登っていくと何やら建物が。入り口のゲートが閉まっていて中には入れませんが、どうやらNEXCO中日本の施設のようです。ちょうど都夫良野トンネルの出口脇に建つ形になっていました。ところで、この東名高速も中央道も都内が起点になっているのですが、その都内区間も含めてすべてNEXCO中日本の事業範囲なのだそうです。てっきり少なくとも都内はNEXCO東日本だと思っていました。

 谷峨駅付近

 眼下に先ほど降り立った谷峨駅が見えました。写真左の赤っぽい屋根の建物がそうです。そこをスタートして写真右に見切れている陸橋を渡って、農地の中を歩いてきたのです。酒匂川はここからは手前の木立に隠れて見えません。

 嵐集落

 10時25分、民家が数軒現れました。ここは「嵐」という集落で、酒匂川の河畔から標高差にして100m上がったところになります。矢印の看板があるとおり、ここが登山口になります。民家の裏手なので静かに行きましょう。



 登り始めはこんな感じ。緑が濃いですね。



 ときどきこんな明るい場所も。昔は畑とかあったのかもしれません。

 ジシバリ

 ジシバリはその名のとおりしばしば地面に広い群落を作りますが、個々の花を見てみると華奢な感じです。葉もしなやかです。



 しばらく行くと害獣除けのゲートが現れました。これはどっちからの侵入を防いでいるのか。普通は山から麓への侵入を防ぐのでしょうが、ここは山上に牧場もあるので、下から上へ?



 植林地の際を行きます。この辺りはあまり手入れがされていないようでした。

 ヒメウズ

 これはヒメウズの刮ハですね。去年の果実で、先端が裂けて種子があらかた飛び出てしまっています。ウズとは「烏頭」と書き、これはトリカブトのことですが、こちらは毒性は強くはなく、系統的にはオダマキに近い種類だそうです。



 登山道がマーブル模様になっています。その中を歩く気持ちの良さよ。心身がリフレッシュされていくのが実感できました。

 ギンラン

 ギンランを見つけました。涼しげですね。薄暗い環境を好む花です。



 10時45分、舗装路に合流しました。この道は先ほどの嵐集落から延々と迂回を続けてここにつながっているのです。

 頼朝桜

 道に覆い被さるように生えている桜の大木がありました。解説板によると、頼朝桜といい、町指定天然記念物だそうです。言い伝えでは、昔、源頼朝がここを通った際、杖をついて休んでいたら、その杖が根付いて桜になったということだそうです。荒唐無稽な言い伝えは別として、天然記念物に指定されているということはサクラとしては巨樹なんでしょうね。(別の看板には、頼朝がこの地に立ち寄った記録はないとのミもフタもない記述が…。)



 頼朝桜からほどなく、トイレ施設がありました。ここで舗装路を離れ、トイレ右側の小径を上がっていきます。

 大野山山頂部

 トイレ施設に隣接して休憩用の東屋があり、そこからの大野山山頂部の眺めがこれです。緑が濃くなったこの時期でも草原エリアとのコントラストはくっきりしています。

 ハコネウツギ

 これはハコネウツギか。涼やかですね。

 アカメガシワ

 アカメガシワの若葉はその名のとおり赤いです。これは葉の表面を覆う短毛が赤い色をしているから。この毛は成長の過程の早い時期に脱落し、緑色の葉となります。展開して間もない弱い葉を紫外線などから守っているのだと思います。

 フタリシズカ

 フタリシズカ。中央に花軸が2本あります。これを二人の静御前(源義経の愛妾)に例えた名前なんでしょうが、実際には1本から5本くらいまで個体によって様々です。

 キンラン

 キンランもギンランと同じく少し日陰になった林の中を好んで咲きます。花も背丈もキンランの方が大きいです。



 森の中を登っていると右足がチクッとしました。くるぶしより10cmほど上辺りです。丹沢山系にはヤマビルが多く、登山口でそのことは頭にあったのですが、その後特に注意はしていませんでした。まさかと思ってズボンをたくし上げてみると、なんと分厚い登山用靴下の上にいるではないですが。どうやら靴下の上から血を吸っていたようです。すぐに引き剥がし、急いで靴下を下ろしてみると、やっぱり噛まれた後があり血が付いています。ちょっと驚きましたが、左足もチェックし他には付いていなそうだったのでそのまま歩き始めました(本当はヤマビルを見つけたらその場で切断して殺してしまわなければなりません。血を吸うとその後大量に卵を産むのだそうです。)。
 ヤマビルは血を吸うときに血が固まりにくくなる成分を注入するとのことで、歩き始めた後もなかなか血は止まらなかったようです。後で休憩時に確認してみると、靴下がたっぷり血を含んで凝固していました。

 コゴメウツギ

 白い小さな花を小米に例えたコゴメウツギ。ウツギと名が付いていますがウツギの仲間ではなく、バラの仲間です。秋には和テイストの黄葉を見せてくれます。



 11時10分、林道を横切って、その先にある東屋の脇を登っていきます。

 無人販売

 東屋の横にコンテナボックスが置いてあって、中を見ると手作りジャムなどが入っていました。どうやら無人販売のようです。1瓶400円。美味しそうだったので一つ買って帰ることに。そして、お金を料金入れの缶に入れ、なにげなく瓶の裏側を見ると、なんとラベルに「賞味期限 5月4日」と書いてあるではないですか。もしやと思い他の商品も見てみたのですが、すべて5月4日でした。うーむ、まあ「消費」ではなく「賞味」だし、そもそも買う前によく確認しなかったわけだし、もやっとしつつリュックにしまいました。(結局家でも食べませんでした。)

 ウマノアシガタ

 東屋から5分、森を抜け頭上が開けました。草原エリアに出たのです。
 これはウマノアシガタ。別名をキンポウゲともいいます。明るい環境を好む花で、花弁の表面が金属光沢を持っているのが特徴です。

 ホタルカズラ

 光がふんだんに届くエリアになると花が増えますね。これはホタルカズラ。澄んだターコイズブルーをしています。

 ニワゼキショウ

 ニワゼキショウは高さ10cmほど。さすがにアヤメの仲間だけあって、花自体は華やかです。名前の「ニワ」は「庭先に咲く」という意味だと思いますが、その名のとおり平地の草っ原などで目にする花です。

 南側の眺望

 振り返ると南側の眺望が開けています。正面は足柄の山塊で鳥手山(665m)や矢倉岳(870m)など。こことの間にある谷にJR御殿場線が通っていて、今朝降り立った谷峨駅があります。同じ谷には東名高速や国道246号線なども通っています。そして、足柄山塊の向こう側にあってうっすら山影が見えているのが箱根の山々で、矢倉岳の右肩に見えているのが金時山、左肩に見えているのが明神ヶ岳です。

 イヌガラシ

 この黄色の小さな花はイヌガラシ。漢字では「犬芥子」と書き、それほど辛くなく役に立たない芥子菜という意味の名前です。花弁が4個というのはアブラナ科に共通の特徴。ちなみに、「芥」一文字で「からし」という意味なので、「芥子」はカラシの種子ということ。この種子は和からしの原料ですね。



 見上げると草原と空しかありません。開放感満点です。

 御殿場方面

 御殿場方面の眺望。東名高速がうねりながら延びています。昔から人間様はこの隘路を利用して往き来したのでしょうね。東海道本線が明治22年の開通以来現在の御殿場線のルートだったものが、昭和9年に箱根の南側を長いトンネルで抜けるルートになったのは、この地形に沿った鉄道のままでは高速大量輸送は困難との判断があったのでしょう。(そういえば、丹那トンネルの難工事の話は小学校の教科書にも載っていた記憶があります。)
 東名高速がこのルートなのは、きっと距離が短いからでしょう。



 さあ、眺望を楽しんだら山頂を目指しましょう。まだまだ距離はあります。(続きは後編で。)