奥多摩むかし道 ~秋の渓谷に「祈り」を辿る(後編)~


 

 (後編)

【東京都 奥多摩町 令和3年11月13日(土)】
 
 奥多摩むかし道を水根から氷川に向けて辿る野山歩き。後編です。(前編はこちら
 

 Kashmir3D

 小河内ダムのほとりを9時25分にスタートし、紅葉を楽しみながら全体の3分の1程度歩いてきました。馬の水飲み場を過ぎたところで、時刻は11時前です。

 縁結び地蔵

 道ばたには人々の祈りの痕跡がそこここに。これは縁結び地蔵だそうです。写真では分かりづらいですが、右の石にはレリーフ上にお地蔵様の姿が彫ってありました(首から下は埋もれていました。)。左の石はというと何やら文字が彫ってあって、かろうじて「馬」という文字は読み取れました。
 先ほど出てきた虫歯地蔵にしても牛頭観音にしても、昔の人々が生活していく上での問題解決方法として「祈る」というものが重要だったことがうかがえます。祈るくらいしかほかに手立てがないというのもあったでしょうが。



 紅葉に包まれながら歩く感じで、ここまで全く疲労感がありません。

 しだくら吊橋

 また吊橋が現れました。しだくら吊橋です。橋のたもとに人が集まっているのは、渡る順番を待っているということ。同時に渡れる人数が制限されていてるからです。渡って戻ってくるだけなんですが。



 これだけ待たれていると落ち着いて渡れませんよね。



 黄葉に飾られた道。鮮やかすぎないのもいい感じですね。 

 惣岳観光トイレ

 奥多摩むかし道にはこのようなトイレが何箇所かあります。ここは「惣岳観光トイレ」。清潔に保たれていました。

 惣岳の不動尊

 立派な鳥居が現れました。惣岳の不動尊だそうです。階段を登って参拝を。
 「惣岳」とはこの辺りの地名のようですが、現在の地図にも昭和初期の地図にもその名の地名は見当たりません。ただ、このお不動さんの裏手の高いところを通っている青梅街道に惣岳トンネルとバス停「惣岳」があり、どうやらピンポイントでこの辺りが惣岳のようです。御前山の西隣り、尾根続きに惣岳山(1350m)というピークがあって、そこを源頭とする谷がこの近くで多摩川に出会っているので、いわば惣岳山に至る道の出るところ、あるいは惣岳山に続く谷を正面に望めるところ、ということでこの辺りを惣岳というのではないかと。(yamanekoの想像)



 明治時代に地元の僧や篤志家によって成田不動を勧請したものだそうです。霊験あらたかで高名な神仏を拝みたくても、当時はそうそう出かけていけるわけもなく、このように神仏の分神を身近な地に移して日常的に参拝するというのが現実的だったのでしょう。でも、勧請に当たっては往復の路銀も必要だし、それなりのお礼(お布施?)もいったでしょうから、どうしても村の篤志家に頼ることになるんでしょうね。逆に言えば、そういうことができる村はある程度裕福な村であって、それもできない寒村も多かったことでしょう。



 小春日和の野山歩きをのんびりと楽しみます。
 こちらは現役の民家さんのようで、見事に積み上げられた薪に目を奪われました。この辺りは梅久保という集落で、道沿いに何軒かの民家がありました。



 振り返ると惣岳渓谷の向こうに倉戸山が望めました。あの山肌にケーブルカーが架かっている姿を想像すると…、やはり違和感ありますね。



 こちらは進行方向。谷の向こうの山は、氷川の裏山、本仁田山(1225m)の南東稜線上にある峰のようです。



 ダム建設のために敷設された鉄道の高架です。建設されて65年なので、まだしっかり残っています。
 その下の段(赤い「止まれ」の道路標識がある)が青梅街道。右側に白鬚トンネルが見えています。現在の青梅街道ももともとダム建設のために造られたもので、氷川から戸河内ダムの高度に向かって徐々に高度を上げていっています。ここまでは奥多摩むかし道の方が青梅街道より低いところを通っていましたが、この辺りで逆転し、ここからはむかし道の方が高い位置を通ることになります。



 青梅街道には合流せず、その手前の分岐を渓谷に沿った右手の道に入ります。ここから舗装が途切れていました。

 耳神様

 注連縄があったので見てみると「耳神様」という神様でした。解説板によると、耳の病気にかかったときに、穴の空いた小石を見つけてきてここにお供えし平癒を祈ったのだそうです。ご神体とおぼしき岩にも真ん中に穴が空いていました。さっきの虫歯地蔵と同じで、祈るしかないということだったのでしょう。

 弁慶の腕ぬき岩

 耳神様のすぐ近くに「弁慶の腕ぬき岩」という大きな岩がありました。高さ3mほどの目立つ岩で、下の方に大人の腕が入るほどの穴が空いているので、ここを往来する人の誰いうとなく弁慶が穴を突き抜いた岩ということになったようです。yamanekoも腕を入れてみたところ、ちょうど血圧を測る機械のような感じですっぽり肩まで入りました。しかし「弁慶の○○岩」というのが多いこと。日本各地で弁慶が力自慢を披露していたようです。




 11時25分、白髭神社の下までやって来ました。ここから左手の山肌に沿って長い石段が続いています。

 白髭神社

 白髭神社と聞いて墨田区にある白鬚神社を思い出しました。神社自体には行ったことはないですが、橋や病院や団地の名前に白鬚の名が用いられていて、有名なんです。調べてみると白鬚神社は各地にあるそうで(「鬚」の字が、「髭」だったり「髯」だったりする。)、総本山は滋賀県高島市にある白鬚神社なのだそうです。ここの場合、社殿にのしかかるような大岩(秩父古生層の石灰岩)が御神体とのことで、祭神はほとんどの白鬚神社で猿田彦命のことろ、ここは塩土老翁(しおつちのおじ)という神様なのだそうです。これは希なことなのだとか。

 小休止

 11時35分、ここらで小休止です。奥の下の方に見えている青いものは青梅街道の境橋。ここでは青梅街道は奥多摩むかし道の20mほど下を通っています。

 境橋

 境橋の直上から。青梅街道は、トンネルを出て橋を渡ってまたすぐトンネルに入っていました。

 境集落

 休憩後、再び歩き始めます。すぐに境集落が見えてきました。



 境集落の上にも鉄道跡が残っています。この資源、何かに活用できないか。って、これまでもそんなことを考える人はたくさんいたでしょうし、それで放置されたままになっているということは、なかなか難しい問題とかあるんでしょうね。



 ここからは、谷を回り込むように左手の山の中腹を通っていきます。

 小中沢観光トイレ

 境集落を通り過ぎて、小中沢の谷筋に至るとそこにまたきれいな観光トイレがありました。その名も「小中沢観光トイレ」。こういう施設がそこここにあると安心して歩けますね。

 不動の上滝

 ちょっと谷の方に入ってみると滝が見えました。「不動の上滝」だそうです。この下手にお不動さんが祀られていて、その上部にある滝だから「不動の上滝」。でもお不動さん自体は探せませんでした。

 ゴマナ

 不動の上滝を後にして歩いているとゴマナに出会いました。久しぶりの花です。

 ランチ

 時刻はちょうど12時。道ばたにベンチがあったので、ここで昼食にしました。もろ道ばたですが、通る人もまばらなので気にしない気にしない。メニューはカップラーメンです。お湯は水筒に入れて持ってきました。



 食後にコーヒーまで飲んでくつろいだ後、再び歩き始めました。
 この先で道は青梅街道に突き当たりますが、その手前で左手の階段に入ります。ここから見ても結構な斜度ですな。



 登りきると尾根を越える感じで反対側へ。

 檜村集落

 坂を下ると檜村集落です。これまでの集落の中で最も規模が大きいようです。



 集落の中の道を下っていくと、右下を走る青梅街道に合流。でも、むかし道はその手前の桜の木のところで左手に入ります。



 この辺りの紅葉もピークを迎えていますね。



 また民家が途切れ、山の中の舗装路を歩いて行きます。途中、石仏が2体。文字が刻まれていましたが、yamanekoには読めませんでした。
 石仏が安置されているところがなんか陳列棚みたいですが、これはもともとあった石仏を移転させることなく擁壁工事を施したということでしょうね。

 ナンブアザミ

 これはナンブアザミでしょうか。総苞片がトゲトゲですね。この時期、もう訪れる虫も少ないでしょう。



 おっとここにも線路跡が。なんか見れば見るほどもったいないですね。今はどこが所有しているんでしょうか。活用しないにしても撤去するにもお金がかかるのでしょうから、大変ですよね。いずれコンクリートも朽ちてくるでしょうし。クラウドファンディングとかでなんとかならんですかね。(まったくの大きなお世話)



 檜村集落からはずっと緩い上り坂が続いています。陽気がいいので汗ばむくらい。

 リュウノウギク

 リュウノウギク。このタイプのキクは「キク属」というグループになり、多くは海岸部に分布しているそうですが、リュウノウギクは山地で生きる派。関東地方以南で普通に見られるそうです。

 槐木観光トイレ

 12時45分、槐木(さいかちぎ)集落までやって来ました。ここにも観光トイレがありました。解説板には「羽黒坂からの急坂と檜村からの坂を登りつめたところ。槐木の巨樹が地名となりました。馬力・大八車や背負荷の上り荷・下り荷の人々休み場として賑わった所です。」 

 サイカチ

 そのトイレの横にサイカチの巨木が。高さ15m、目通り3m。これがこの集落の名の由来となった木ですね。

 馬頭観音

 サイカチの木の道を挟んだ反対側に立派な祠がありました。中には馬頭観音と念仏供養塔が。いずれも江戸中期のものだそうです。これまで数え切れない人がここで手を合わせて、道中の安全を祈ったのでしょうね。



 馬頭観音から少し行くと、ガードレールが切れているところがあり(写真正面奥)、そこから細い山道が谷に向かって下っていました。奥多摩むかし道はそちらになります。



 陽射しが届かない谷間を行きます。下の方に鉄道跡が。さっきは頭上に見上げたのに。槐木に向かって上っているうちにいつの間にか逆転していたようです。



 石畳の道。奥多摩むかし道も終盤に近づきました。今日の野山歩きを思い返しながら足を運びます。



 梢の向こうに登計集落が見えました。その横にあるおむずび型の山は愛宕山。

 廃線跡

 道の右手下に線路跡が現れました。この先で踏切のようにクロスします。まだレールも残っているんですね。

 羽黒坂

 廃線と分かれると民家が現れ始めました。この辺りの急な坂が羽黒坂だそうです。転げるように下って行きます。

 羽黒三田神社

 坂の途中に鳥居と参道が。羽黒三田神社のもののようです。本殿はここから尾根道を登っていったずっと先にあるようでした。なのでパス。

 「起点」

 13時ちょうど。奥多摩むかし道の氷川側の起点に到着しました(写真奥の突き当たり)。水根側の起点を出てから3時間35分。のんびり歩いたつもりでしたが案外早く着いてしまいました。突き当たりを右に曲がるとすぐに青梅街道です。



 青梅街道に出るとこんな感じ。大都会か。この交差点のすぐ先にある橋を渡ると奥多摩駅です。

 本仁田山

 橋の上から日原方向を望む。本仁田山も見えています。今日一日秋晴れに恵まれました。ありがとー!(誰にとはなく)

 三本杉

 駅に向かう前に道の反対側にある奥氷川神社に寄ってみることに。シンボル的なこの三本杉は樹齢650年。鎌倉末期に植えられたのものだそうです。都内のスギでは最も樹高が高く(43m)、都の天然記念物に指定されているのだとか。

 奥氷川神社

 奥氷川神社。「奥」とは奥多摩の「奥」かと思ったら、違うようで、大宮にある氷川神社、所沢にある中氷川神社と並んで「武蔵三氷川」と呼ばれていて、前、中、奥の「奥」だったようです。この三社は一直線に並んでいるという話もあるようですが、地図で確かめてみるとそうでもありませんでした。
 奥氷川神社の創建は西暦122年とのことで、ずいぶん古いなと思いましたが、大宮の氷川神社(氷川神社があったから大宮と呼ばれたわけですが)の方は紀元前473年といいますから桁違いです。ただ当時は「○○天皇○年」といったように天皇の在位を基にした年数表示だったのですが、在位期間が100年前後の天皇もいたりして、そもそも実在したのかあやふやのようです。まあ、どえらく古いことは間違いありません。

 奥多摩駅

 さて、あらためて奥多摩駅へ。この駅は昭和19年の開業から昭和46年までは氷川駅でした。この地が氷川と呼ばれていたのは、もちろん奥氷川神社があったからでしょうね。何しろ築1900年ですから。

 むら㐂

 次の電車まで30分くらいあったので、駅横の路地を入ったところにある「むら㐂」という飲み屋に入ってみました。まだ1時過ぎですが(開いていたので)。



 四畳半くらいの広さに鈎型のカウンターで5、6席。中で女将さんが晩の仕込みをしていました。座るとマンツーマンの距離感です。生ビールを注文するとアテに胡麻豆腐が付いてきました。我慢しきれず、一口飲んでから今日の締めの写真を。
 女将さんは、この店のお客さんは山帰りの人が多いこと、今朝は駅前のバス停は大混雑だったこと、この辺りにも熊は出ること、など、仕込みをしながらいろいろ教えてくれました。
 
 今日は紅葉の渓谷美を楽しみに来たのですが、はからずも昔の人々の祈りに触れながら歩くというプラスワンがありました。帰りの電車では、その小さな満足感に加えビールの効用もあって、いい気持ちで家路につくことができました。