百蔵山 〜締めくくりは見通し良く〜


 

【山梨県 大月市 平成24年12月23日(日)】
 
 2012年、平成24年もいよいよ押し詰まってきました。なんだかんだ言っても今年もあと1週間です。この一年に起こった日常生活の諸々は、数次にわたる忘年会で一応締めくくった形になっています。ここはひとつ野山歩きの方もということで、最後の3連休に締めの野山歩きをすることにしました。メンバーはいつもの中年3人組(大宮のTさん、葛飾のMさん、yamaneko)です。
 
                       
 
 今年最後に向かうのは山梨県大月市にある百蔵山(ももくらさん)。端正な山容の上に花の百名山にも選ばれている、ハイカーに人気の山です。
 東京から中央線で西に向かって都県境を越えると、そこから笹子峠までの約30q、線路の左右に登山に適した山がずらっと並んでいます。この間に駅が10箇所。どの駅からも登山口までのアプローチがよいとあって、休日の朝は登山装備の人で車内が賑わっています。
 さて、中年3人組はというと、7時35分新宿発の中央特快に乗って終点の高尾駅へ。そこで甲府行き各駅停車に乗り換えました。山梨県に入って、上野原、四方津、梁川と駅に停車するたびにハイカーが下車していきます。車内がずいぶん空いてきた頃、yamaneko達も大月駅の一つ手前の猿橋駅で下車しました。到着時刻は8時53分です。

 猿橋駅

 猿橋駅の駅舎は思ったより立派でした。でも駅前には見事に何もなく、広大なロータリーが広がっているのみ。ときおり送り迎えの車が出入りするだけで、それも行ってしまうとあとは静寂です。
 今日の天気は回復傾向で午前中から晴れるという予報でしたが、未だどんよりとした寒々しい空です。自販機のコーヒーで体を温めて出発しました。


Kashmir 3D

 今日のルートは、ここ猿橋駅から国道20号に出て、すぐに北に折れ、桂川を渡って更に中央道をくぐります。そこからは山裾に点在する住宅の中を登る道となり、最上部にある浄水場の奥が登山口。反時計回りに百蔵山の山頂を目指し、西側の谷筋を下って再び登山口へ。あとは来た道を下りて行きます。中央道まで戻ってきて元気があったら、名勝の猿橋を見物してから駅に戻るというものです。

 中央道の奥に百蔵山

 国道20号から北に向かって折れるとこの風景。桂川を渡ります。谷は深く、川底までは20mくらいはありました。赤い橋は中央道です。この辺りは2つの川が合流する場所なので、山間の地にしては比較的広い空間が広がっています。その奥にすそ野を広げている百蔵山。標高は1003mあります。
 この辺りが今日のルートでもっとも低いところで、標高約300m。登山口が約550mなので、山頂までの標高差700mの3分の1は住宅地の舗装路を歩くということになります。

 

 結構な傾斜の道をひたすら登っていきます。早くも汗ばんできて、途中で上着を脱ぎました。Tさんにいたってはタケノコのように何回も服を脱ぎながら登っています。
 道沿いに住宅が連なっていますが、あまり人影はありませんでした。休日の朝だからか。20年くらい前、この辺りの分譲住宅地の広告が当たり前のように東京の新聞に載っていたのを覚えています。当時はバブル末期の頃。通勤時間2時間というのも別段驚きもしない頃でした。

 

 登山口

 10時すぎ、登山口までやって来ました。出発から1時間、何度も休憩しながらの到着です。昨日の雨で登山道がぬかるんでいるかもしれないので、腰を下ろしてスパッツを装着。ついでに汗を拭き、荒い息を静めます。

 ヤマコウバシ

 登山道脇に枯れ葉を枝に付けたままの木が。これはヤマコウバシです。周りの木が葉を落としても、この木は春までこのまま。なのでよく目立つのです。ヤマコウバシは雌雄異株で雌株には花も咲きちゃんと結実しますが、未だ雄株の存在が知られていないという不思議な木です。

 

 やはり舗装路よりふかふかの山道を歩く方が気持ちがいいですね。でも辺りは茶色一色。花の百名山なのに、登る時期を完全に間違えていますね。

 

 ダンコウバイ(左)とミズナラの落ち葉。こういった特徴のある葉は分かるんですが…。

 ウスタビガの繭殻

 明らかに周囲から浮いている蛍光グリーン。ウスタビガの繭です。でも今は空き家。ミミズク型をしていて愛嬌がありますね。頭の部分に当たるまっすぐなところは、がま口のようにパカッと開く構造になっています。枝に葉が繁っているときは上手く隠れていたのでしょうが、今となってはその色が仇となって遠くかららでもよく目立ちます。もう羽化して使用済みだから見つかってもかまわないのかもしれません。

 扇山への分岐

 ゼーゼーと荒い息で山腹を登ること30分。稜線に出ました。ここから山頂までは尾根道になります。
 しばらく行くと扇山との分岐がありました。扇山は百蔵山の東隣りにある山で、ここから尾根伝いに回っていくことができるようです。百蔵山と扇山、あとこれらの北にある権現山とで「郡内三山」と言うのだそうです。「○○三山」ってどこにでもありますね。ちなみに郡内とは大月、都留地方の昔の呼び名で、甲府を中心とする国中(くになか)とで甲斐国を二分する形になっているのだそうです。そういえば河口湖町出身の知り合いが、今でも何かにつけ郡内は国中に対抗心をもっていると言っていました。「県内の政治経済の中心は国中だけど、こっち(郡内)は東京に近いからね」とか。

 

 分岐から先は傾斜が一段と増していました。足元の落ち葉がズルズルと滑って、余分に体力を使います。ロープは張られていましたが、体重を預けるにはちょっと心許ない感じでした。

 

 11時10分、山頂部の平坦な部分に出ました。百蔵山の山頂は東西に200mほどの細長い平らな地形になっているのです。
 とりあえず立ち止まって息を整えます。容赦ない急登にyamanekoは酸素不足の金魚さながらでした。

 

 そしてほどなく山頂に到着。先客が20人くらいいました。すでに皆さん食事をしているようです。
 ちょうど雲間から日が射してきて、辺りが一気に明るく。山頂到着を祝ってくれているのか?

 南西方向

 山頂からは南側の眺望が開けています。南西方向には大月市街と、ちょうど1年前に登った高川山が見えました(こちら)。この方向には富士山が見えるはずですが、今日は霞んでいて無理のようです。大月市には「秀麗富嶽十二景」というものがあって、これは市内の山々から見える富士山の風景を集めたものだそうです。ここ百蔵山は七番山頂とされていました。扇山は六番、高川山は十一番だそうです。

 

 山頂の南斜面は暖かい日差しで絶好の休憩ポイント。さっそく昼食にしましょう。

 ランチ

 今日はカレーヌードルと味付け卵、唐揚げです。お湯はステンレスボトルに入れてきました。

 

 山頂にあった石碑。「百蔵大明神遺跡」と彫り込んであります。昔ここに百蔵大明神という神社があったということでしょうか。「遺跡」というとはるか弥生時代とかその辺りの構造物を想像しますが、神社というからにはもっと新しいものでしょうね。でも、この山のゆったりとした姿を見ると、太古から信仰の対象になったであろうことは想像に難くありません。
 ところで、この百蔵山周辺には犬目、鳥沢、猿橋という集落があり、これらと相対する位置に九鬼山という山があることから、この地には桃太郎伝説があるとのこと。なんとなく後付けっぽい感じはしますが、言われれば確かにおもしろいですね。

 

 山頂で30分ほど休憩して、下山にかかりました。午前中とは違って日だまりの山歩きです。やっぱり一年を締めくくるのにはこんな感じでなくては。

 オケラ

 花がないので花殻でも。これはオケラ。魚の骨のようなトゲトゲが特徴です。

 アセビ

 ああ、こんな青々とした植物を見るとホッとします。古来、松などの常緑樹をおめでたいものとしてきたのは、この生命力を感じさせるところからでしょうね。褐色の世界で光沢のある緑色がよく目立っていますが、同行のTさんの田舎ではアセビのことを「境木(さかいぎ)」と呼んでいたそうです。よく目立つので、山林の境界に植えていたのだそうです。

 分岐

 11時55分、隣のピークとの鞍部までやって来ました。ここが分岐になっていて、yamaneko達は道を左にとって谷筋に下りて行きます。

 七保集落

 分岐から北側の谷を見てみると遙か下に集落が。地図で七保という集落であることが分かりました。谷をさかのぼる道は松姫峠を越えて小菅村までつながっているようです。

 

 明るい登山道を下る中年3人組。暖かくて気持ちいいです。

 

 途中、踊り場的になっている場所があって、そこからの眺めもなかなかのものでした。

 

 南側には木立があったので、南東側の眺めを。中央遠方の山は倉岳山(990m)、右手の山は高畑山(982m)。いずれも秀麗富嶽十二景の山です。それらの手前には桂川が削った谷が伸びていて、そこに中央道、中央本線、国道20号線と、交通の大動脈が通っています。

 

 さて、ここからは檜の植林地を下っていきます。

 トキワイカリソウ

 左右非対称の長いハート型の葉。イカリソウですが、この時期に葉が残っているということはトキワイカリソウでしょう。

 カヤ

 鋭く尖った葉をもつのはカヤです。これに似た植物は多くありますが、触ってみて痛ければカヤかモミ。モミの方が大型で、先端の針が2本あります。カヤは1本です。

 駐車場

 12時25分、登山道が終わり駐車場に出ました。楽をしようと思えばここまで車で来られるわけです。

 大山祇神社

 ここに大山祇神社という石造りの社がありました。荒れていたものを地元の篤志家が作り直したものだそうです。その功績を称え顕彰碑も建っていました。瀬戸内海の大三島に大山祇神社という大きな神社があり、全国に一万余ある山祇神社の総本社になっているそうですが、ここはここ自体が「大」山祇神社になっているんですね。何か関係があるのでしょうか。

 

 駐車場からは舗装路を下っていきます。
 タンキリマメかトキリマメの実です。両者は葉を見ればその違いが分かるのですが、実の状態ではなかなか判別が難しいです。赤と黒のコントラストが鮮やかで、これを見るとつい写真を撮ってしまいます。

 

 途中、両側の木立の間に百蔵山の山頂が。ずいぶん下りてきたものです。

 

 公園化されたところに出てきました。ここは浄水場の裏手。サクラの木が植えられているので、花見シーズンには人で賑わうのだと思います。

 マユミ

 ほどなく今朝登りはじめた登山口まで戻ってきました。その手前にピンク色の実で飾られたマユミが。青空をバックに暖かみのある色合いで、「お疲れ様」と声をかけてくれたような感じです。

 百蔵山

 浄水場からは朝来た道を下っていきます。振り返ると百蔵山の端正な姿がすっきりと見えました。これは人気があるはずです。

 岩殿山

 中央道の近くまで下りてきました。西隣にある岩殿山の威容がよく見えます。この山は南面に礫岩の大岩壁があって、戦国時代には難攻不落の山城があったそうです。
 さて、時刻は1時すぎ。時間もあるので名勝の猿橋に寄ってみましょう。ここからは1q弱です。

 猿橋

 15分ほど歩いて猿橋に到着。あっけないほど普通のところにありました。橋のたもとにお土産屋さんや食堂があるだけです。
 猿橋は木造の刎橋(はねばし)では日本で唯一現存する橋だそうです。岩盤に穴を開けてそこに刎板と呼ばれる板を差し込み、その上にまた刎板重ねて先に延ばしていくという構造になっています。刎板に屋根の庇(ひさし)のようなものが付いていますが、これは刎板が雨で腐食しないようにするためのものだそうです。
 猿橋は鎌倉時代にはこの地にあったという言い伝えがあるそうですが、正確なところは定かではないとのこと。少なくとも江戸中期には刎橋として存在していた記録があるそうです。

 

 橋の下は深い渓谷。両側の岩壁がせり出して近くなったところに橋が作られたことがよく分かります。ちなみに正面の橋は県道に架かる鉄骨橋です。
 猿橋を見物してから国道20号をトコトコ歩いて猿橋駅に向かいます。途中にあった酒屋でMさんが地酒を調達していましたが、これは東京に帰り着く前に空になってしまいました。今日は新宿まで戻って反省会兼忘年会をすることになっているのに。
 
 さて、今年もいろんなことがありました。関越道ツアーバス事故、笹子トンネル天上板崩落など大きな事故があったり、隣国との間では領土問題でぎくしゃくもしました。でも、明るいニュースもありました。ロンドンオリンピックでメダル最多とか、前田健太ノーヒットノーラン、サンフレJ1制覇など。スポーツ以外でもスカイツリー開業や中山教授のノーベル賞受賞(iPSが何なのか未だに分からない)もありましたね。あと、明暗は分かりませんが政権交代というのもありました。来年はいったいどんな年になるでしょうか。今日の山歩きのように、初めは曇りでも後に見通しが良くなるような一年であってほしいです。