宮島・長浦、江ノ尻浦、大川浦 〜海岸植物調査〜


 

【広島県宮島町 平成17年5月5日(木)、5月8日(日)】
 
 世の中ゴールデンウイークのまっただ中。「海外脱出組が過去最高に」とかいうニュースが流れていましたが、まったく無関係です。せめて国内で温泉旅行でもというところですが、東京から一向に帰省する気配のない娘、模試に追い立てられている(ふりをしている)息子、疲労回復のため朝起きたらとりあえず眠ろうとする妻。家族旅行なんてあり得ません。
 ということで他に用もないので、去年に引き続き宮島の海岸植物調査に参加することにしました。→去年の調査

 5月5日(木)、今年1回目の調査です。
 9時、宮島桟橋2階の自然保護官詰め所前に集合。メンバーは宮島PV(パークボランティア)の面々、20人ほど。
 去年、長浜、小なきり浜、杉之浦、包ヶ浦の計4箇所を調査し終えているので、今年は残りをできるだけ潰していくことになります。
 まず、メンバーを三つの班に分けて、それぞれ2〜3箇所を担当します。1班は多々良潟、上室浜、下室浜。宮島に車を渡して現地に向かいますが、江ノ浦から先は離合もできないような道で、一般の観光客はほとんど立ち入りません。2班は樫ノ木浦と青海苔浦。島の裏側です。やはりこちらも包ヶ浦から先には民家もなく、観光客どころか島民とも出会いません。もちろん道も激細です。そしてyamanekoの3班は長浦と江ノ尻浦。こちらは山道さえないので船(メンバー所有)で現地に向かいます。

 潮風が気持ちいい

 本土との間の大野瀬戸をカキ筏を避けながら進んでいきます。全身で受ける潮風が何とも気持ちいい! このままぐるっと島を回って戻ってくるだけでも満足できそうな感じです。

 長浦

 およそ15分ほどで長浦に到着。当然船着き場なんてものはないので、砂浜に向かって真っ直ぐに船を乗り上げさせて上陸です。
 名前のごとく長い浜です。およそ500mくらいでしょうか。宮島の浜にしては長い方です。
 満潮時の波打ち際のラインから陸側にハマゴウが見られる程度で、海岸植物の群落と言えるようなものはありません。そのハマゴウさえも去年の台風でかなり痛めつけられていました。
 浜と陸域との境界は風化花崗岩の崖がほとんどで、他には小さな川が流れ込むところに後背湿地がありました。ヒトモトススキがかろうじて湿地であることを示しています。あとわずかにハンゲショウがありました。その奥はクスノキ、タブなどの照葉樹林です。

 後背湿地

 後背湿地も陸化が進み、さらに打ち上げられたゴミで荒れています。これでは荒廃湿地です。
 普通、浜に打ち上げられるゴミは満潮時の波打ち際のところに帯状に溜まるのですが、後背湿地にまで大量のゴミが入り込んでいるのは、これもやはり台風の仕業でしょう。ちなみにこの辺り(というか広島湾のどこでも)に打ち上げられるゴミの大半はカキ筏の破損部品です。 

 江ノ尻浦

 長浦での調査を終えると波打ち際沿いに歩いて隣の江ノ尻浦へ。
 宮島の海岸の大部分は岬と岬の間に弧状に連なる小さな浜の連続です。宮島はほとんど花崗岩の島で、花崗岩自体風化が早いのに加え、岬の部分は海水の浸食が最も強く作用するところなので、岬はどんどん後退していき、後には海食台と呼ばれる大きな岩の連なりが残されます。
 上の写真の奥の浜が長浦で、江ノ尻浦との境に岩が直接海に落ち込んでいる岬が見えます。写真手前のゴロゴロした岩も、こちら側の岬の海食台の一部です。

 イワタイゲキ

 江ノ尻浦の植物もほとんど長浦と同じ。陸域との境にイワタイゲキの小群落があることが違いといえば違いでしょうか。あと、ここの後背湿地は規模が大きく、谷の奥に向かって浅い沼が広がっています。それでも手元の地図のそれよりも湿地の面積は小さくなっていました。
 
 午後2時、今日の調査を終えて、再び船で宮島桟橋まで戻ります。
 途中、ふと弥山山頂付近をみると煙が立ちのぼっているではありませんか。ヘリも数機上空を飛び回っています。後で聞いたところによると山頂直下にある霊火堂が全焼したとのこと。ここには弘法大師ゆかりの「消えずの火」が千二百年にもわたって消えることなく燃え続けていたのですが、ニュース映像では消防が思いっきり消火していました。大丈夫だったのでしょうか。
 


 5月8日(日)、2回目の調査です。
 今日も3班に分かれます。1班は船で須屋浦へ。2班と3班は車で室浜まで行き、そこからは山道を歩いて大江浦と大川浦に向かいます。室浜には広島大学理学部の実験所があり、ここに車を停めさせてもらいました。

 徒歩で調査地へ

 室浜からの道は細い山道で、概ね海面から30mくらいの高さのところをアップダウンしながら延びています。この道にもあちこちに倒木がありました。
 歩くこと1時間。2班と大江浦で分かれて、さらにその先の大川浦に向かいます。

 大川浦

 大川浦は思ったより小さな浜で、岬から岬までおおよそ200mくらいです。
 この浜から一歩奥まったところには人家や農耕地の跡が見られます。戦後まもなく人が入植した歴史があるそうですが、今ではわずかな痕跡を残しているのみです。この浜で海に注ぎ込む川は岩船岳から延びる谷を流れ下ってきていて、水量もそこそこあります。これも入植地としてここが選ばれた理由の一つかもしれません。
 満潮時の海岸線と陸域との幅が極めて狭く、海岸植物はほとんどありません。わずかに見られたハマゴウも、浜ではなく陸(小さな川が作ったデルタ部分)に展開しています。
 浜には石組みの護岸の跡がありました。こちらもほとんど崩れています。入植当時、道がないので船で人荷を運んだのでしょう。そのための船着き場だったのかもしれません。


 
 ツルグミ

 この浜にはあちこちにツルグミが実っていました。中には一つの樹木を覆い尽くしたものも。とても食べきれません。

 カキひび

 この辺りの浜には、「カキひび」が作られています。「カキひび」とは、ホタテの貝殻をネックレス状につなげたものを吊しておく粗朶(そだ)のことで、満潮時には海中に没し、干潮時には海面上に現れるように設置されています。海水に浸かったり出たりするうちにカキが付着し、それをしばらくここで成長させるのです。そしてある程度育ったら沖合のカキ筏へ。ちなみに「ひび」は「たけかんむり」に「洪」と書きます。
 
 大川浦は規模が小さかったので調査も短時間で終了しました。また室浜まで歩いて戻らなければならないのですが、今日は大潮でちょうどこれから干潮に向かう時間帯なので、波打ち際沿いに歩いて戻ることにしました。
 小さな岬を二つ越えて大江浦のメンバーと合流。こちらは大川浦よりかなり大きい浜です。
 ここから先はサクサク歩いて、往きに要した時間の4分の1くらいの時間で室浜に到着しました。途中、須屋浦での調査を終えた1班の面々を乗せた船が、ホーンを鳴らしながら沖合を追い抜いていきました。