倉見山 〜富士山絶景展望の山歩き(後編)〜


 

 (後編)

【山梨県 西桂町 令和5年12月14日(木)】
 
 富士山の絶景を楽しむ野山歩き。後編です。(前編はこちら
 

 Kashmir 3D

 午前9時15分に三つ峠駅を出発。倉見山の西斜面を直登する厄神ルートで主稜線まで登ってきました。時刻は11時20分です。

 杓子山

 主稜線に出ると山頂はすぐそこ。慌てずに歩きます。左手には緩い台形の大きな山影が。その上底部分の右角が杓子山、左角が鹿留山です。そういえば最近は算数で台形の面積の公式を教えないと聞きました。「(上底+下底)×高さ÷2」、声に出して読みたい日本語じゃないですがなんとなく語呂がいいので、一回覚えたら忘れません。



 山頂直前で少し下り、また登り返します。



 おお、あそこが山頂では。

 倉見山山頂

 11時25分、無事に倉見山山頂に到着しました。山頂には誰もいません。というか、登り始めてここまで誰にも出会いませんでした。さあ富士山の絶景を独り占めするぞ!



 どーん。。。評判に違わぬ絶景。型にはまりすぎてなんか絵みたいです。



 山頂部。北側斜面になります。綺麗ですが凄まじい世界でしょうね。この瞬間にも登っている人がいるのだろうか。

 昼食

 せっかくなので富士山を見ながら昼食を。セブンで調達した弁当。なんか茶色ばっかで色味が良くないです。搬入前のタイミングだったのか弁当の棚にはこれしか残っていなかったので、選択の余地はありませんでした。でもそこそこ美味かった。

 三ツ峠山

 北西方向に三ツ峠山。木々が葉を落とすこの時期だから望める景色です。

 下山開始

 山頂での滞在時間20分。下山開始です。ここからは西に延びる主稜線を下って行きます。

 小ピーク

 すぐに鞍部が現れ、その先に小ピークが。倉見山山頂より10mほど低いですが、より富士山に近い位置にあるので「見晴台」と呼ばれているようです。ところがこの鞍部からピークまでの道が少しスリルがありました。斜面を右から回り込むように登っていくのですが、その道がズルズルに滑りやすく、谷は遙か下まで落ち込んでいるのです。両手を使って登りました。

 見晴台

 見晴台というだけあって確かにここからの眺めも素晴らしかったです。でもさっきの登りの緊張感が残っていて、落ち着いて眺める感じではありませんでした。笑



 さあここからは正面に杓子山を見ながら歩いて相定ヶ峰へ。こんな感じだと安心して歩けますね。 



 見晴台から相定ヶ峰までは30mほど下って40mほど登り返す形になります。その鞍部は両側が切れ落ちたヤセ尾根になっていました。道幅は80cmほど。でも木が生えているから怖さはありません。生えてなかったらちょっと慎重になるようなところです。

  相定ヶ峰

 12時5分、相定ヶ峰までやって来ました。ここでもさりげなく富士山が見えていますね。ここの分岐を左に向かうと杓子山に至ります。yamanekoは直進。

 稜線下り

 さあここから長い稜線下りの始まりです。左手はヒノキの植林地。右手はカラマツでした。カラマツは針葉樹にはめずらしく落葉樹で、この時期は既に葉を落としています。寒い地域でヒノキを育てるには風よけにカラマツを植えると聞いたことがあります。ここもそうなのかもしれません。



 ところどころに倒木がありますが、これは台風などの仕業でしょうか。なかなか撤去するのも難しいですよね。



 寿駅に向かう道は、左手に富士山を見ながらの稜線下りです。

 南アルプス遠望

 正面の眺望はこんな感じ。最奥の銀嶺は南アルプスです。右から悪沢岳、赤石岳、少し離れて聖岳。いずれも3千m超の峰々です。手前には足和田山(写真中央)、その右のギザギザは十二ヶ岳で、両者の間に河口湖や西湖があります。広大な奥行きの空間ですね。

 三ツ峠山

 右手には三ツ峠山。壁みたいな山容で、こちらの直登もきつそうです。山に登って不思議なのは、山頂から他の山を見ると実際より向こうが低くみえるのです。例えばこの三ツ峠山は倉見山より標高が500mくらい高いですが、見た目同じくらいか少し高いかなくらいに見えてしまうのです。実際は倉見山の1.5倍の高さがあるのですが。逆に三ツ峠山からこの倉見山を見ると、実際以上に低くちょっとした丘くらいにしか見えません。

 分前尾へ

 主稜線の中程に「分前尾」と呼ばれる小ピークというか尾根の張り出しがあり、その手前では少し傾斜が緩みます。この「分前尾」、なんと読むのか、どういう謂われがあるのか、いろいろ調べてみましたがよく分かりませんでした。
 ここからは推測ですが、地形図を見るとその尾根の張り出し部分から北側に向けて支尾根が2本、V字形に出ています。これを西桂町方面から見ると、手前側に支尾根が分け出ているように見えるので「分前尾」と言うのではないかと考えました。西桂町HPの資料を見ると地形の様子が分かりやすいです(こちら)。ちなみに、尾根上の特定の地点を「○○尾」と名付ける例は他にもあります。宮島の博打尾とか。

 ヤマツツジ

 ほとんど葉を落としたヤマツツジの枝にはこのまま冬を越す葉が残されていました。ヤマツツジは半常緑とされ、春に出て秋に散る春葉と、夏から秋に出て越冬する夏葉があるそうです。なぜそんなことになっているのか。全体的に見ると、春葉は樹木全体を覆うように繁りますが、夏葉はぽつりぽつりと枝に残る程度です。夏葉はその付け根にある冬芽を保護する役割があるのではないでしょうか。

 道標

 分前尾を少し下ったところにある道標。軽くステップするように下って行きます。



 枯れ色の世界からヒノキの植林地へ入りました。この緑色になんだかホッとします。

 倒木

 これは大きな倒木ですね。下をくぐるとき頭をぶつけないように気をつけないと。



 ずいぶん下りてきました。麓の町が近く感じます。

 ノイバラ

 ノイバラの果実。今日は花にほとんど出会わないので、こういう地味なものにも目が行きます。

 堂尾山公園

 12時55分、堂尾山公園に下りてきました。公園と名が付いているものの、ただの広場みたいにがらんとしています。なんでも数年前までは東屋があったみたいですが、老朽化して取り壊された模様。



 この公園からも綺麗な富士山を望めました。でも、目の前の高圧電線がちょっと残念。
 この公園には桜の木がたくさんあったので、きっと春には花見に来る人も多いと思います。桜に富士山で花見なんて最高ですね。麓からのここまでの標高差250mを歩いて登ってくる必要はありますが。

 石碑

 広場には石碑が二つありました。左側のは自然石に「蠶影大神」と彫られていました。「蠶」は「蚕」の旧字体です。おそらく蚕の神様に養蚕が上手くいくよう祈願したものと思います。右側のは製材された石碑に「尾神社」と彫られていました。



 堂尾山公園を過ぎると南に突き出した尾根の先端に向かいます。相変わらず落ち葉が積もっていて滑り落ちそうです。

 富士見台

 1時10分、富士見台に到着しました。案内板には「関東富士見百景」、「国土交通省認定」とありました。

 御大現る

 ああ、この風景は圧巻ですね。視界の中で富士山がとてつもなく広い範囲を占めていて、おまけにスポットライトが当たっているみたいで、神々しくもあります。今日見た富士山の中で一番迫力がありました。百景の中でも上位に食い込むのではないでしょうか。
 ちなみに、百景といいつつ128景選定されているみたいです。その内訳を見てみると、わざわざ「関東」と付いているのに山梨県内や長野県内の場所が選ばれているのも腑に落ちませんが、富士山の半分以上を占める静岡県内の場所がまったく選ばれていないのももっと納得感がありません。どうやら「国土交通省関東地方整備局が管轄エリア内で選んだ富士見百景」というのが実体を表す表現のようです。



 振り返ると、ここまで下りてきた稜線が見えました。写真右の山は杓子山です。
 さて、下山を続けます。

 庶民の心の拠り所

 しばらく行くとちょっとした広場に祠や石碑がありました。写真奥側から歩いてきて振り返って撮ったものです。以前は野山歩きの途中でこういったものに出会っても特段興味は湧かなかったのですが、最近はそれがどういったものなのかちょっとだけ興味が出てきて、一応何が書いてあるのか読んだりしています。遠い昔、この場所に祠を建てた人々がいること、その背景には疫病や飢饉などに苦しんだ暮らしがあったであろうこと、そして、その想いを託した証が時を超えて目の前にあることを思うと、はからずも名もない人々の真摯な想いに触れたような気がするのです。とまあ、大げさに言うとそういうことなんですが、単純にただ歳をとったということでしょうね。
 
 それで、祠や石碑を見てみると、写真奥の小屋は祠を保護していたもので、中の祠とともに朽ちかけていました。その手前の石造りの祠には「平成八年十月 講中」と記されていました。おそらく奥の祠から御神体を移す形で石の祠を建てたものと思われます。そして少し離れて立つ手前の石碑には「役行者神変大士」と彫られていました。「役行者」(えんのぎょうじゃ)は飛鳥時代の呪術者で修験道の祖とも言われています。調べてみると、「神変」(しんぺん)は人知の及ばない不思議な力を持つという意味で、「大士」は菩薩のこと。つまり「役行者神変大士」とは役行者を讃える尊称なわけですね。ただ、元々仏教とは関係のない人物なのに菩薩の称号を贈るのは変ですが。なにか仏教界側からの思惑も感じます。



 ここから麓まではすぐなんですが、斜度がぐんと増してきました。



 山道の脇に大きな岩があり、その上にも石碑が建っていました。よく見るとここにも「蠶影神」と記されています。昔から養蚕が盛んな地域だったんでしょうね。この位置だったら麓から拝めていたのかもしれません。



 おお、笹藪の向こうに民家が見えてきました。



 最後は急な階段を下ります。ここで転んだら大笑いです。

 下山終了

 1時30分、麓の道路に出ました。ここまで怪我もなく、無事に下りてくることができました。結局今日一日、山では誰にも出会いませんでした。こんなことは珍しいです。
 さて、後はゴールの寿駅まで歩くだけ。



 再び中央道をくぐります。

 東電明見取水口

 桂川は水量も多く、中流域に当たるこの辺りでは滔々と流れています。そしてその水を灌漑や発電に利用するための取水施設があちこちにあり、そういう構造物を見るのも面白いです。なにしろ昔から「水争い」という言葉があるように、水をいかに均等に分けるかに知恵を絞った施設が今も日本各地に見られ、現役で活躍していたりします。ちなみにここで取水された水は5kmど下流にある発電所に送られています。



 途中、倉見山がよく見える場所がありました。ここからだと双耳峰のように見えます。奥のピークが倉見山で、手前が相定ヶ峰だと思います。

 富士急行の車窓から

 下山地点から1kmちょっと歩いて寿駅に着きました。そこでちょっと面白いことが。駅舎の前まで歩いてくるとちょうどそのタイミング電車が入ってきて、駅の入口、改札、電車のドアが一直線に重なったのです。yamanekoとしてはまったく立ち止まることなく真っ直ぐ電車に乗り込みました。待ち時間ゼロ、というか歩いていたら電車に乗っていた、みたいな感じでした。車内に入って椅子に座り、動き始めた電車の中から撮ったのが上の写真。改札から電車までホームの幅しかありません。駅舎も公園の東屋みたいで面白かったです。
 帰りは大月駅でJRに乗り換えて家路につきました。
 
 おそらく今年最後の野山歩き。楽しく終えることができました。来年もあちこち歩き回りたいと思います。