金剛山 〜大展望と修験と戦の山(後編)〜


 

  (後編)

【大阪府 千早赤阪村・奈良県 御所市 平成30年5月20日(日)】
 
 初夏の金剛山での野山歩き。後編です。(前編はこちら


 Kashmir 3D

 金剛登山口から登り始め、尾根道のメインストリート、千早本道を歩いて山頂部にやってきました。そしてこれから国見城跡で小休止です。

 国見城跡

 国見城跡は広場になっていて、たくさんの人が休憩していました。時計まで設置されているということは、ここを訪れる人が多いという証でしょう。帰りのバスに乗り遅れないよう注意を促す役割もあるのかもしれません。
 ちなみに「金剛山頂」と掲げられていますが、金剛山の最高標高点はここではなく、500mほど東側にある葛木岳。でもそこは葛木神社の後背にある神域のため立ち入り禁止なので、代わりにここに設置しているのだと思います。眺めも良さそうですし違和感はありませんね。

 北方向の眺望

 で、その眺望がこちら。大阪平野から大阪湾、さらにその先には六甲の山並みまで見渡せます。
 ところで「国見城」というだけあってここはいにしえの軍事施設。鎌倉時代末期、楠木正成が千早城の出城として金剛山の山中に設けた多くの要塞のうちの一つでしょう。ここからなら河内だけでなく、和泉、摂津も一望です。

 転法輪寺

 ひとしきり眺望を楽しんだ後に、折り返して転法輪寺に向かいました。このお寺は西暦665年(遣唐使とかやってる時代)に、修験道の開祖役小角(えんのおづぬ)が建立したものだそう。一言主を鎮守としたということで創建当初から神仏習合のスタイルだったようです。一言主とは、日本古来の出雲系の神で、吉事も凶事も一言言い放つことで実現できるという力を持った神だそうです。なんか怖いですね。
 以来1200年間この地で修験道の根本道場として栄えたとのことですが、例によって明治の初め廃仏毀釈によって廃寺とされ(一言主を祀る神社部分のみ存続)、その後戦後になって真言宗の寺として再興されたのだそうです。

 クリンソウ

 池の畔にクリンソウ。僧が持つ錫杖のようでもあります。



 さて、ここから伏見峠に向かって、尾根道を歩き少しずつ高度を下げていきます。

 葛木神社

 こちらが一言主を祀る葛木神社。社殿は大社造りでこれは関西では珍しいのだとか。一言主が出雲系の神様だからでしょうか。ここの裏山が金剛山の最高峰、葛木岳です。
 それにしても明治初期の神仏分離とそれに続く廃仏毀釈ってすごいことだったんでしょうね。ちょっとしたパラダイムシフト。ただ、当初は分離が主目的だったものが民衆による激しい廃仏毀釈運動に発展していったのだそう。それだけ寺院の特権に反感があったということかもしれません。



  おお、箱根旧街道の杉並木みたい。でもここは標高1000mの尾根上ですが。非日常感たっぷりです。

 一の鳥居

 しばらく行くと鳥居が見えてきました。「一の鳥居」です。この尾根も参道だということですね。ここの鳥居のように順番が振られている場合は、外側にあるものから「一の鳥居」、「二の鳥居」、「三の鳥居」とされるのが一般的なのだそうです。
 ところで、神社につきものの鳥居。本来的にはゲートなんでしょうが、横をすり抜けようと思えばなんなくできるわけで、まさに心理的なゲートということでしょう。ここから先は神域だぞと。ただ、どうやら神社が作られるようになる前の時代から鳥居らしきものは存在していたようで、単に2本の木に縄を渡しただけのものが原初の姿だっただろうと言われています。なるほど。
 そういえば鳥居の上に鳥が居るのをあまり見たことがないような気がします(語源は諸説あるよう。)。


 ちはや園地

  ひたすら尾根を下って行くと急にレジャー感満載のところが現れました。ちはや園地といい、大阪市の外郭団体が運営しているようです。



 ログハウス調の休憩所もありました。キャンプやバーベキューも楽しめるそうです。

 大峰山脈

 ちはや園地から望む大峰山脈。紀伊山地の脊梁をなす山並みで、方角としては南東方向になります。昔から山岳修験が盛んなエリアで、長大な稜線自体が「大峰奥駈道」と呼ばれる修験の地となっています。最高峰は八経ヶ岳(1915m)です。

 飛行機雲

 上空ですれ違う二本の飛行機雲。今日は上空の空気に湿気が多いのか、飛行機雲がくっきりモクモクとできています。

 トチノキ

 再び尾根道を下っていきます。下界ではとうの昔に花期が終わったトチノキがきれいに咲いていました。花の数の割には実になるものは少ないです。だいたい木自体が大きく、しかも高いところに花を付けるので、なかなか目の高さで花を楽しめることはあまりないんですよね。

 ツクバネウツギ

 これはツクバネウツギの花。ラッパ状の花冠の内側にオレンジ色の網目模様があるのが特徴です。

 伏見峠

 11時40分、伏見峠に到着しました。ここを右手に折れて谷筋を下っていきます。

 念仏坂

 写真では平坦に見えますが、実はものすごい急傾斜です。その名も念仏坂。

 ミズナラ

 ある程度標高の高いところでないとみられないミズナラ。里山などで見かけるよく似た葉はコナラです。ミズナラには葉柄がほとんどないのも特徴の一つです。

 ヤブデマリ

 ムシカリやカンボクなどよく似たものがいくつかありますが、これはヤブデマリ。葉脈がくっきりしていて、葉の裏面にまで浮き出ています。白い装飾花に囲まれるようにしている小さなつぶつぶが両性花の蕾。これから順次咲いていくと思います。装飾花は一見裂片が4個に見えますが、実は極端に小さなものが1個あって、全部で5個なんです。いったいどういう意味があるんだろう。

 クリンソウ

 これはおそらく自生のクリンソウ。涼しげです。



 脇の支谷からの流れ。小さな滝がいくつもありました。



 伏見林道沿いにもつかず離れず小さな流れが下っています。先ほどのような支谷の流れを集めて、水量は豊富です。

 ビロードイチゴ

 おっ、これはビロードイチゴでは。図鑑には個体数が少なく比較的珍しいとの記述。若い枝にビロード状毛が密生しますが、そのうちとれてしまうそうです。バラ科なので棘があり、その先端がJ字に曲がっています。

 奔流

 登山道沿いの小さな流れは、白い飛沫を光らせながら踊るように下っていきます。その水音もキャラキャラと楽しげに聞こえます。ああ、気持ちが解放されますな。

 大トチ

 道の脇に大きなトチノキが現れました。近くに看板が設置してあり、それには「千早のトチノキ」とあります。高さ約25m。推定樹齢は300年だそうです。大きな樹木ってそこにあるだけでなぜか心が落ち着きますね。
 時刻は12時。ここで腰を下ろして昼食にしましょう。

 昼食

 今日の昼食はカップラーメン。半熟ゆで卵をラーメンに入れて、崩しながら食べるのがyamaneko流。大トチを見上げながら水音をBGMに食べるラーメンは格別でした。

 オウギカズラ

 昼食兼休憩を終えたら再び歩き始め…、ようと思ったら、すぐ足下にこんな可憐な花が。これはオウギカズラですね。シソ科の植物ですが、ランナーを伸ばして広がるので「カズラ」の名前が付いているのだと思います。「オウギ」は葉の形が似ているからなのだとか。(似ているか?)

 ウツギ

 ♪卯の花の匂う垣根に…、唱歌「夏は来ぬ」の一説です。卯の花とはこのウツギのこと。この歌を聴くと小学校の木造校舎を思い出します。音楽室の空いた窓からこの歌を合唱する声が聞こえてきたシーンです。あれは現実だったのか、それとも後に脳内で構成されたイメージなのか。よく分かりませんが、妙に懐かしい光景です。



 道の傾斜が緩くなってきました。もうそろそろゴールが近いのか。

 ゴール

 木立の先にアスファルトの道路と駐車場が見えてきました。ここがゴールです。時刻は12時25分。急な下り坂が続いたのでちょっと膝がガクガクしています。

 千早ロープウエイ前バス停

 道路に出ると目の前にバスのロータリーがありました。ここがバス路線の終点で、折り返して行きます。時刻表を見ると5分後に南海バスの方が出発するよう。金剛バスの方は15分後です。金剛バスで富田林駅に戻るつもりでしたが、このバスに乗って河内長野駅に出ることにしました。なんという好アクセス。
 ところでここのバス停の名前は「千早ロープウェイ前」ですが、実際にはロープウェイの乗り場までは結構な距離があり、しかも上り坂。きっとこれだけの回転場を作れる開けた場所がこの先になかったんでしょうね。

 金剛山

 乗車後、程なくしてバスは出発しました。食後間もないので、すぐに睡魔の虜になってしまいました。
 そして30分弱で河内長野駅に到着。ここには南海と近鉄の双方が乗り入れていて、近鉄の方に乗ると当初予定していた富田林駅を経由の路線に合流することができます。
 その富田林駅に向かう途中の車窓から、金剛山の雄大な姿を望むことができました。どっしりとしていて、やや大げさですが神々しさすら感じます。太古、この山に修験の場を求めたのも分かるような気がします(あくまでも気がするだけです。)