笠取山 〜多摩川の最初の一滴〜


 

 (前編)

【山梨県 甲州市 平成20年10月18日(土)】
 
 秋、ど真ん中。この週末の天気も上々です。今回は、昨日仕事をしながらふっと思い浮かんだ山に行ってみることにしました。多摩川の最初の一滴が生まれる山、笠取山です。東京都の最高峰が雲取山なので、多摩川の源流は雲取山にあると思っている人も多いようですが、多摩川の源流は山梨県にあるのです。
 前々から行ってみたかった笠取山。さあ、今回もたっぷりリフレッシュするぞ。
 
                       
 
 午前5時30分、ドリーム号とともに出発。首都高4号線から中央道に入り、八王子の先で圏央道へ。青梅ICで一般道に下ります。そこからは青梅街道をさかのぼり、奥多摩湖を過ぎるとやがて山梨県。道の左右から山が迫り、くねくねと曲がりながら少しずつ高度を上げていきます。このまま行けば柳沢峠を越えて甲府盆地へ行き着きますが、今日は峠は越えません。その手前、つづら折れで一気に高度を上げる、通称「おいらん淵」という所から右手の細い林道に入ると、その先5qほどで一ノ瀬と呼ばれる隠れ里のような集落に行き着きます。特に荒れているわけではありませんが、人の気配がほとんど感じられません。ここは昭和40年代には500以上の人々が暮らしていたそうですが、今では50人を切り、まさに限界集落となっています。もちろん子どもは一人もいないので、分校の校舎もひっそりとしていました。登山口はここから更に数q奥にあります。

 作場平(登山口)

 8時45分、登山口のある作場平に到着しました。なんだかんだで出発から3時間以上かかっています。この不便さがオーバーユースから山を守り、静かな山歩きを約束してくれるのですが。
 駐車場はざっと30台くらい停められる広さ。先客でほぼ埋まっていましたが、入口近くにかろうじて停めることができました。山登りをする人の朝は早いのです。辺りはときおり梢の葉音や鳥の鳴き声がする以外は静寂。朝日が差し込み、今日の素晴らしい天気を予感させます。

 歩き始め

 装備を整え、準備運動をして、9時ちょうどに出発。目指すは山頂、そして多摩川の最初の一滴が滴る場所「水干」です。この辺りの標高は約1300m。笠取山山頂が1953mですから、標高差は650mほどになります。


Kashmir 3D
 本日のルート

 しばらく行くと、渓流沿いに看板があり、こんなことが書いてありました。「緑色に輝く苔が見えますか。この苔こそが上流に広がる森林の豊かさの象徴なのです。もし上流の森林のあちこちが荒れ、山崩れがあったり洪水が発生し土が削られたりすると、大雨ごとに大変多くの土砂が流れ出します。この土砂が育ちはじめた苔を削り取り、渓流は荒れた状態になってしまいます。このように源流部の渓流はその上流に広がる森林を映す鏡であり、森林を守り育てるということは渓流を守り育てるということなのです。」 この看板は東京都水道局が設置しているもの。この辺りの山々は東京都の水道水源林になっていて、その広さは約2万ヘクタール。山梨県なのに東京都が所有する土地なのです。ちょっとピンときませんが、要は東京が山梨の土地を購入したということです。江戸時代末期から明治時代初期にかけて、水源地域の多くの森は焼き畑などが原因の山火事で荒れ地になっていたそうです。そのため、ちょっとしたことですぐに洪水が発生し、また、雨が降らない日が続くとすぐに川が干上がったのだそうです。安定的に大量の水道水を確保する必要のあった当時の東京府は、このような状況に危機感を持って、この辺りの森を買い入れたということです。いくらくらいかかったのでしょうか。

 朝の林

 ヒノキとカエデ類との混交林の下を歩いていきます。カエデ類はウリハダカエデ、ハウチワカエデ、イタヤカエデなど。木漏れ日の中をはらはらと落ち葉が舞っていて、まるで遠来の客を静かに迎えてくれているかのようです。
 また看板がありました。「ちょっと森の中に入ってみませんか。足下から森の優しさが伝わってくるでしょう。森の下にふかふかと足にやさしく感じる土があることが、森が緑のダムと呼ばれる最も大きな理由となっているのです。森に降った雨は地表に茂る草や落ち葉がクッションとなり、やさしく土の中に染み込み、少しずつ下の方に移動し、地下水となります。地下水はゆっくりと土の中を移動し、やがて渓流に流れ出ます。この地下水の流れを支えるものがふかふかとした土とそれを育てる森なのです。」 確かに登山道から一歩それると地面にゴツゴツとした感触はありません。落ち葉の下には分解屋の小さな昆虫や微生物がたくさん生息していて、染み込んだ水とともに森を栄養豊かな場所にしてくれているのです。
 左手の沢からはゴウゴウとした水音。結構な水量です。登山道にはハリギリの大きな葉がたくさん落ちていました。

 カラマツ林

 しばらく行くとまた看板です。「人工林の話。少し空を仰いでみませんか。まっすぐに天を突いて伸びているカラマツが目に入りましたか。高さは30m以上もあります。この辺りは以前荒れ地だったのでヒノキを植えましたが、冬の寒さのため多くのものが枯れてしまいました。そこで寒さを防ぐ目的で、寒さに強いカラマツを先に植え、育てたカラマツ林の中にヒノキを植えたところうまく根付くことができました。その後手入れをし現在のような大きな林になりました。このように人の手で植えられ手入れされている林を人工林と呼びます。この辺りのカラマツは1926年、大正15年に植えられたものです。」 今から80年以上も前に植林された林だったんですね。戦後の木材需要を満たすために各地に植えられたスギ林の多くが今や荒れ果ててしまっているのとは対照的に、立派に育ち、今も水源林の役割をしっかりと果たしているようです。当時植林に携わった人たちがこの姿を見たら、きっと感慨深いものがあったでしょうね。
 カラマツは漢字で書くと「落葉松」。林を渡る風に吹かれて、小さな葉がパウダースノーのようにさーっと降ってきていました。
 
 歩き始めて15分。早くもうっすらと汗をかいてきました。今日の予報は快晴とのこと。都心は気温が20度以上になるとの予報でした。でもここはひんやりと涼しくて気持ちいいです。

 ヤブ沢と一休坂の分岐

 9時35分、ヤブ沢への分岐までやってきました。坂道が続き、もう暑いといった感じ。ちょっとここで水分補給をします。直進すればヤブ沢を経て笠取小屋へ。yamanekoはここを右に折れて急登となる一休坂を登り、笠取小屋を目指します。

 一休坂の入口

 分岐を過ぎるとこんな感じ。この坂がぐんぐん傾斜を増していきます。

足下にはミズナラの落ち葉が多くなってきました。カサカサと落ち葉を踏みしめ歩く。梢越しに吹いてくる風、朝日に輝く紅葉。いい雰囲気です。

 おお、燃えるようなモミジ。思わず足を止めて見上げてしまいました。まるで朝日に照り映えて燃え上がっているかのようです。

 オオカメノキ

 オオカメノキの黄葉。控えめな黄色でなかなか風情があります。
 続いてハウチワカエデ、次はトチノキの黄葉…。紅葉ばかり見ていてなかなか前に進めないぞ。

 ハウチワカエデ

 ハウチワカエデが自ら発光しているかのよう。眩しいです。

 紅葉のトンネル

 紅葉のトンネルをくぐって登っていきます。それにしてもこんな楽しい山歩きはそうそうありません。たっぷりと楽しまなくてはもったいない。

 京都などの庭園の紅葉とはまた違った、天然の芸術といった趣です。例えるのなら、ジミー大西の絵画のよう(?)。

 ここで一日過ごすという手もありですが、今日の目的はあくまでも水干。帰りにまた楽しむこととして、先に進みましょう。

 十字路

 9時45分、十字路に出ました。左はヤブ沢、右は馬止、と書かれています。道が交わるところにミズナラの大木が。とてつもない存在感です。根元から株別れしているようになっているところをみると、昔は定期的に伐採され利用されていたのだと思います。それが大木になるにつれてこの辻のシンボルとなったのでしょう。きっと樹齢も相当なものになると思われます。これまでこの大木の木陰で休んだ人は数限りないでしょうね。

 一休坂

 傾斜が更にきつくなってきました。このあたりまでは張り出した尾根の稜線部分を歩いてきましたが、この先道は尾根の左側の山腹をたどり、やがて谷筋に出ると小さな流れに沿った道に変わります。

 しばし休憩

10時5分、約1時間経ったのでここで少し長めの休憩をすることにします。場所としては一休坂尾根(ヤブ沢分岐から笠取小屋の稜線まで)を3分の2近く来たあたり。標高は1650mくらいです。
 ポカリを飲んでまずは人心地着けましょう。地面に座ってしまうと次の歩き出しががしんどいので、ストックをお尻にあてがって体重を預け立ったまま休憩しました。

 カラマツ林

 10時15分、10分間の休憩でまた歩き出します。この休憩であっという間に汗が引いていきました。

 木立の先に見える稜線がだんだん目の高さに近くなってきました。沢の音もかなり下の方から聞こえてきていて、ずいぶん登ってきた感じです。

 高度を上げるにつれ、カラマツの紅葉がますます渋い色合いになっていきます。バックの青空とのコントラストも素晴らしいです。
 10時25分、いよいよ谷のどん詰まり。ここから稜線を目指してジグザグの急登にとりかかります。日頃の不摂生がたたってか早くも息が切れぎれ。昨晩4時間しか寝ていないのもダメージです。休み休み少しずつ前進。ちょっと休むと、空気が乾燥しているのと気温が高くないのとで汗がスーッと引いていきます。そしてまた一歩。

 稜線目指して

 右手からせせらぎの音が聞こえてきます。目的地である水干からの流れ出しではありませんが、この流れも多摩川となり東京湾に注いでいるんですよね。
 おっ、稜線が見えてきた。あとちょっと。こういうのが見えると励みになります。

 笠取小屋

 10時45分、稜線に出ました。と同時に笠取小屋に到着です。小屋の前の広場にあるベンチに数名の登山客が休んでいました。
 この笠取小屋をはじめ付近の稜線上にある小屋は、大正時代以前に荒れ地に苗木を植えたり、その後の手入れをしたりするために、当時の東京市によって建てられたものなのだそうです。今では山小屋として宿泊はもちろん、美味しい水で淹れたコーヒーも提供してくれています。

 大菩薩嶺

 南の方角に眺望が開けていて、正面に大菩薩嶺が望めました。「あの山は何ですか?」と聞いてきた3人組は、これから源流の水を汲みに行って、今夜スナックで水割りにして飲むのだそうです。昨夜も遅くまで飲んでいたとのことで、世の中いろんな目的で山に登る人がいるものだと思いました。
 この小屋まで来たら、なにかもう終わったような感じがしてまったりしてしまいましたが、実はまだ山頂までの全行程の3分の2が終わったに過ぎません。これからも結構距離があるんですよ、これが。

 トイレ

10時55分、再び山頂に向けて出発。ここから山頂直下まではなだらかな道を行きます。

 小高い丘

 しばらく行くと小高い丘が。案内板には「小さな分水嶺」とあります。なんだなんだ?

 小さな分水嶺

11時10分、小さな分水嶺に到着しました。どうやらここは多摩川、荒川、富士川の3水系の分水嶺のようで、ここに降った雨は写真のとおり別々の旅に出ることになります。
 多摩川は全長138q。ここから流れ下るとすぐに東京都に入り、下流では神奈川県との県境を流れて東京湾に注ぎます。東南東に向かって概ねまっすぐに流れています。荒川は全長173q。この先秩父盆地を下り北東に向かった流れは、埼玉県の熊谷市辺りで大きく弧を描き、一転南東に向かいます。源流から一貫して埼玉県を流れますが、最後に東京都に入り東京湾に注ぎます(埼玉県は海に面していませんからね。)。富士川は全長128q。甲府盆地を南下し、富士山の西側を通って静岡県に入り、最後は駿河湾に注ぎます。ちょっと年配の方なら、電気の周波数がこの川をはさんで西が60Hz、東が50Hzとなっていることはよくご存じだと思います。昔は引っ越しなどで家電製品の周波数の切り替えが必要になったものですが、最近の製品は自動で切り替わるようにできていて、周波数の違いなど意識することはなくなりましたね。
 源流からの距離では荒川が、流域面積では富士川が、流域人口では多摩川が、それぞれ他の川より秀でています。

 古札山

 小さな分水嶺からの展望。北西の方角には目の前に紅葉の古札山(2112m)。そしてその左はるか奥には左右に大きく裾を広げた国師岳(2592m)、その左裾には黒金山(2332m)です。

 目の前に、ドーン

 11時20分、小さな分水嶺を出発。するとすぐに上の写真のような景色が。道はここからいったん下ってすぐに登り返し、笠取山の山頂に向かって一気に上り詰めています。まるで壁のような斜面です。

 山頂

 双眼鏡で山頂を見てみると、何人かの人影が。あそこに立つためには目の前の急坂を登り切らなければなりません。

 急登

 急坂にとりつくとすぐにゼーゼーと息が荒くなりました。分かりやすい体です。上の写真はほとんど真上に向いたアングル。すぐ上を登っている人が転がって落ちてきそうです。

 サラサドウダン

 急坂の途中に見事に紅葉しているサラサドウダンが。高さ5、6mはあり、この種としてはかなりの大木です。ちょっと近くまで寄ってみましょう。

 張り出した枝の下に入って見上げるとこんな感じ。圧倒されそうです。7月の花の時期もそれは見事でしょうが、この紅葉も「ものすごい」という形容詞を付けたくなるほどです。

 落ち葉その1・サラサドウダン

 今回は花に出会うこともなさそうなので、これから下山するまで落ち葉に注目してみたいと思います。

 山頂

 11時45分、どうにか急坂を上り詰め山頂に到着。登り始めから3時間弱です。山頂にざっと30人くらいの先客が。ちょうどお昼時なのでみなさん弁当を広げて談笑していました。

 雁峠

 山頂からは北方向が木立に遮られて展望がありませんが、北西の甲武信岳や三国岳、南の方は大菩薩嶺や白く霞んだ富士山、東には東京都の最高峰の雲取山などが望めました。上の写真は南西の展望。眼下には古札山との鞍部となっている雁峠。遠くには国師岳がどっしりと構えています。
 さあyamanekoも空いた場所を探して昼食にしましょう。こんな風景を眺めながらとる食事。三つ星以上ですね。 《後編へ続く