開田高原 〜山深い木曽路のその奥へ(前編)〜


 

 (前編)

【長野県 木曽町 令和5年7月30日(日)】
 
 猛暑日が続いた7月。梅雨が明けると暑さは更に勢いを増し、ちょっと外出しただけで撃ち抜かれるような日差しにやられてしまいます。どこかスーッとするような所はないものか。と考えて、長野県の木曽地方にある開田高原に行ってみることにしました。
 ”木曽路はすべて山の中である”で始まる島崎藤村の「夜明け前」の序章には、木曽路がいかに険しく山深いかが記されていますが、開田高原は更にその奥に位置し、標高もぐっと高くなります。アスファルトからの照り返しとか空調の排熱とか、嫌な暑さとは無縁の地ではないかと期待が高まります。あと、朝夕の涼しさにも。
 
                       
 
 朝食後、ドリーム号Vで出発。日曜日の午前中なので渋滞は覚悟していたのですが、車は普通に流れていました。圏央道から八王子JCTで中央道へ。快調に走って甲府盆地に入り釈迦堂PAで休憩。長野県に入って岡谷JCTで長野道と分かれて伊那谷(伊那盆地)へ入り、辰野PAでもう一度休憩して、伊那ICで一般道に下りました。
 そこからは中央アルプスを貫通する伊那・木曽連絡道路を通って木曽谷へ。木曽谷は伊那谷に比べるとかなり狭く険しい地形ですが、古くから人や物資の往来が盛んで、中世には中山道の「木曽路十一宿」と呼ばれ賑わったところでもあります。現在でもここには国道19号線やJR中央本線が通っていて、交通の大動脈となっています。

 Kashmir 3D

 木曽福島で木曽谷と分かれ、西側にある開田高原に向かいます。木曽福島の標高が800m弱。開田高原は1100mから1300mくらいですから、結構高度を上げることになります。イメージとして山をいくつも越えた奥にある隠れ里のような所を想像していたのですが、上がってみると、開けた視界の先に雄大な御嶽山を臨む、伸びやかな気持ちになれる高原でした。
 開田高原に入ってすぐのところにあるのは末川という地区です。 時刻は1時前。まずは名物の蕎麦をいただいて、その後、水生植物園に行ってみることにしました

 水生植物園

 水生植物園は国道の脇にありました。駐車場とトイレがありましたが、目立った案内板もないので、多くの人はただの休憩エリアと思うかもしれません。



 早速湿地に渡された木道を歩いてみます。

 ミズギボウシ

 これはミズギボウシですね。葉はギボウシの仲間では最も細身。花は多くは付かず、俯き気味に咲きます。湿地に似合う花です。

 ノリウツギ

 ノリウツギが満開です。枝を水にひたして皮の内側から粘液を取って、それを紙漉きの際の糊として利用していたことからノリウツギの名が付いたそうです。

 ハンゴンソウ

 これはハンゴンソウですね。漢字では「反魂草」。魂を呼び戻すという意味です。手のひらのような葉が風に揺れる様子を、冥界に向かう魂を手招きして呼び戻す仕草に見立てたもの。確かに夕方の寂しい時間にこの花に出会ったりすると、名付けの妙に得心したりします。

 ワスレナグサ

 この水生植物園はワスレナグサがウリのよう。ちょうど満開の時期でした。花の大きさは1cmほどですが、一面に咲く様子が目を引きます。
 ところで、ワスレナグサの「忘れな」とはどういう意味でしょうか。今まで特に気にもかけていませんでしたが、よく考えるとあまり聞かない言い回しです。主に西日本で「するな」を「すな」、「来るな」を「来な」と「ら」を抜く表現があるように「忘れるな」が「忘れな」となったのか。調べてみると、ワスレナグサを漢字で書くと「勿忘草」。「忘れること勿(なか)れ」ということで、すなわち「忘れてはならない」という意味だそう。「勿忘」を「わすれな」と読んだ訳ですね。方言が由来ではなかったですが、結果同じ意味だったというオチ。

 ツリフネソウ

 ツリフネソウ。長い花柄の先に花冠が吊り下げられています。最近知ったのですが、ツリフネソウの「釣舟」は生け花の道具のことで、吊して使う花器の名前だそう。一節分の竹を舟形に切ったもので、カヌーのような穴が空いていてそこに花を生けるようになっているのが一般的のようです。
 古い商家の土間の梁に川船が吊られているのを見たことがありますが、その様子に似ているからツリフネソウだと思っていました。実はワンクッションあって、吊られた舟に似た花器があって、その花器がモチーフだったんですね。ところで、ツリフネソウの花の形をした釣舟はあるんでしょうか。



 夏空の下、観察を続けます。確かに嫌な暑さではありません。

 ミズチドリ

 山中や高原の湿地に生えるミズチドリ。名前の「千鳥」は花の形に由来するんでしょうね。ラン科の植物には他にも「千鳥」の名を持つものが多くあります。例えば、キソチドリ、テガタチドリ、ノビネチドリなど。

 アカバナ

 アカバナ。秋に葉が紅葉することから「赤花」だそうです。花は薄桃色。これも湿地に生える花です。

 ハンゴンソウ

 ハンゴンソウの花序を上から。もともと背の高い花なので、このアングルで見ることはあまりありません。

 チダケサシ

 チダケサシです。花をアップで見ると繊細な紙細工のよう。淡い桃色がいいですね。



 ワスレナグサの群落。薄雪が積もったよう。

 ワスレナグサ

 この花の名前は中世ドイツの物語に由来するそうです。青年が恋人のためにこの花を摘もうと川に下りた際に、足を滑らせ溺れてしまったそう。流れに沈む間際に岸にこの花を投げ、自分のことを忘れないでと言葉を残したのだそうです。日本には明治時代に移入された外来種。物語を踏まえて和名を付けたんですね。

 ムシトリナデシコ

 こちらも外来種で、江戸時代に持ち込まれたムシトリナデシコ。茎の上の方の節から粘液を分泌して虫がくっつくからこの名前となったそうです。野生化していますが今でも観賞用に庭に植えられたりもしています。

 山際へ

 木道は山際にも続いていたので、そちらの方にも行ってみます。

 フシグロセンノウ

 森の縁を歩きます。これはフシグロセンノウ。薄暗い中でもよく目立ちます。これでもナデシコの仲間。

 ヤマゼリ?

 これはヤマゼリか。極小の花を密生させています。

 高原の夏空

 道路を挟んで反対側にも行ってみます。こちらでは湿地ではなく水路沿いに生えている植物を観察することになります。

 ゲンノショウコ

 ゲンノショウコ。よく見ると西洋的な綺麗な姿をしています。ゲンノショウコには赤紫色のものもありますが、関東周辺には白色のものが多く見られるそう。東京に引っ越してきてから「白いのもあるのか」と逆にびっくりしました。

 サケバヒヨドリ

 サケバヒヨドリ。ヒヨドリバナの仲間で、葉が深く裂けているのが特徴です。

 ヨメナ

 ヨメナは基本的には薄紫色ですが、ときどき白色のものもあります。

 ミズチドリ

 塔のように伸びたミズチドリ。草波からニュッと突き出ています。

 サケバヒヨドリ

 草原を彩るサケバヒヨドリの紅。なかなか趣があります。生け花の素材にもなりそう。

 ルドベキア

 ルドベキア。これはどっかの家から逸出したものでしょう。花冠が大きく色も鮮やかで、存在感がありました。園芸植物ですからね。

 ノアザミ

 アザミの見分けは難しいですが、これはノアザミか。たくさん突き出ている雄しべを触ると、その雄しべからにゅーっと白い花粉が押し出されてきます。どういうメカニズムか、刺激を受けるとそうなるようです。

 コオニユリ

 コオニユリ。緑色一色の中でよく目立っていました(赤色と緑色は補色の関係)。俯いて咲くのは大事な花粉を雨から守るためでしょうか。訪れる虫は長く出ている雄しべにぶら下がって蜜をもらいます。

 ノリウツギ

 盛夏。ノリウツギが勢いよく繁っていました。強い日差しの下でも負けていませんね。

 イヌゴマ

 ムムム、これは? 田んぼの畦に生えていました。高さは20cmほど。葉には皺があって、対生しています。花の様子なども参考としつついろいろ悩んで、イヌゴマではないかというのがyamanekoの見解。イヌゴマは70cmくらいになり花と花との間ももうちょっと広いですが、そこは成長途上ということで。

 ハス

 小さな池に睡蓮が。綺麗です。睡蓮には多くの園芸種があるそうで、これもそのうちの一つではないかと思います。ちなみに、日本に自生するスイレン属の植物はヒツジグサ一種だけだそうです。

 バイカモ

 これはバイカモ。よく似た外来種もありますが、この環境下にあるものは在来種ではないでしょうか。細長い藻のようなものが葉で、水上に花を咲かせます。流れがないと生きられないようで、水槽などで育てることは困難とのこと。



 駐車場に戻ってみるとだーれも来ていませんでした(白い軽自動車はトイレ掃除に来た地元の方)。時刻は15時。そう広くはない水生植物園でしたが、のんびり散策しました。
 今日はここから8kmほど離れた西野地区まで移動して温泉宿に泊まります。明日は御嶽山の中腹に上がって(もちろんロープウェイで)、高地に特有の植物などを見る予定です。(中編に続く