陣馬山 〜白馬いななく山へ〜


 

【東京都 八王子市、神奈川県 相模原市 平成21年11月8日(日)】
 
 日に日に秋が深まっていきます。もう晩秋といって良い時候。ニュースでも「この秋一番の冷え込みとなるでしょう」というフレーズを何度か耳にしました。歩道を行き交うマフラーやコート、街路樹の落ち葉、通りに差し込む午後の日差し、など目に映るあれこれに季節の深まりを感じます。
 こんな時季にはゆっくりと静かな山歩きをしたいもの。そこで今回は東京西部、都県境にある陣馬山で晩秋を楽しむことにしました。
 
                       
 
 今日はJRの電車で移動。中野駅で7時56分発の中央特快に乗り換え、終点の高尾駅を目指します。ラッシュまでではないものの車内は十分に混んでいました。学校行事的な中学生の一団が立川で降りてようやく座席が空いたので、座って辺りを見渡すと、車内にはyamanekoと同じような山歩きスタイルの人たちが目立っていました。多くはミシュラン三つ星の高尾山に向かう人たちと思われます。高尾山は今大人気ですから。ガイドブック片手の外国人ハイカーもめずらしくありません。

 陣馬高原下バス停

 8時35分、高尾駅に到着。北口のバス乗り場は人でごった返していました。どの乗り場もすごい行列で、なんと路線バスでありながら臨時便が出ていました。紅葉の季節ですからね。所定の発車時刻に本来の便と一緒に発車。それでもyamanekoを乗せたバスも超混雑でした。
 バスははじめ郊外の住宅地を走っていましたが、川原宿というところから北浅川沿いの谷間に入り込み、窓の外は一気に山奥の風景に変わっていきました。そして9時15分、バスの終点、陣馬高原下バス停に到着。ここまででも道はかなり狭く、離合困難な箇所もたくさんありましたが、ここからはさらに細く、かつクネクネ道になっていきます(最終的には和田峠という峠を越えて神奈川県側に続いています。)。
 2台のバスから降りた100人くらいの人々があらかた出発した後、ゆっくりとストレッチを済ませておもむろに出発しました。今日はめずらしく息子と二人です。

 道祖神

 集落の端にあった道祖神。一般に「どうそじん」と読みますが、この字で「さいのかみ」とも読みます。「さい」とは「塞」とか「障」の字が充てられ、防ぐという意味で、村境や峠などにあって、集落に疫病や悪霊などが入り込むのを防ぐ神様ということなのだそうです。ちなみに左端の仏塔には今年話題だった阿修羅像が彫られていました。

 晩秋

 和田峠方面に向かって車道を歩いていきます。最奥の民家の庭からは残り柿が。山里の秋は一段と深まっているようです。


Kashmir 3D

 今日は、このまま車道を歩き、途中の「新ハイキングコース入口」というところで左手の谷筋に逸れ、陣馬山山頂を目指します。陣馬高原下バス停の標高が320m、山頂が857mなので、標高差は530mほどです。山頂からは神奈川県側に下り、途中の栃谷集落を経て、落合というところまで歩きます。そこからはバスで藤野駅に出て、電車に乗り換えて中央線で東京に戻ってくるというルートです。

 案下川

 北浅川は案下川と名前を変え、その流れはもうこんなに細くなっています。いい雰囲気ですね。

 分岐

 午前10時、歩き始めて30分で新ハイキングコース入口にやってきました。ここから左手の細い道に入り、しばらくは谷沿いの道を歩きます。

 ヒノキ林へ

 小さな流れを渡ってヒノキ林の中へ。この辺りから山肌にとりつき、稜線まで一気に登っていきます。
 いったいどういう風の吹きまわしか、息子が山歩きに付き合うのは初めてのこと。これまでも誘ったことはありましたが、その都度「とんでもない。何を好きこのんで。」といった反応だったのに。ひょっとしたら衰え始めた父親の山歩きが心配になってきたのかもしれません。

 チゴユリ

 登山道脇のチゴユリ。何ともいえない色合いに黄葉しています。初夏に白い花を付け、秋に実を熟し、そして今最後の彩りを見せている。見ようによってはただの枯れ草ですが、この花が今に至るまでを思うと、足を止め、しゃがみ込んで、写真に収めたくなる。こういうちょっとした心の動きを感じられることも山歩きの楽しみのうちの一つなのです。

 ダンコウバイ

 こちらはダンコウバイ。きつい上りで視線が足元にいきがちですが、頭上に現れたダンコウバイが背筋を伸ばしてくれました。下から見上げる黄葉。ダンコウバイは葉っぱの形に特徴がありますね。

 稜線の道

 稜線に出るとご覧のような登山道。よく手入れされたヒノキ林ですが、それでも林床は薄暗いです。

 千枚岩

 表土から露出している岩は厚さ数センチの板状の岩が積み重なったもの。この辺りの地質は小仏層群といって、中生代白亜紀(今から1億年くらい前)に海底に堆積した砂岩や泥岩などの堆積岩が、その後の造山運動による褶曲などの過程で広い範囲で熱や圧力を受け(これを「広域変成作用」というそうです。)、粘板岩や千枚岩に変成したものだそうです。もともと海底に堆積してできたものなので、本来水平に積み重なっていなければならないはずですが、これがだいたい60〜70度くらい傾斜していることからすると、造山運動の力がいかに巨大なものであったかを推し量ることができます。

 クロモジ

 林床をポッと明るくするクロモジの黄葉。植林されたヒノキ林もここのようにしっかりと間伐され、手入れがされていると、林床にも適度に光が届き、クロモジやヤマブキなどの低木も育ちます。そしてこれらの木々が表土の下に根を張ることにより、雨水で表土が流されることを防いでいるのです。

 自然林も

 標高が上がってくると、尾根を境に南東斜面はヒノキ林、北西斜面は自然林という区分けになってきました。地権者が異なるのでしょうか。自然林の方は明るいですね。

 ガマズミ

 ガマズミの黄葉には透明感がありますね。今は緑色の色素(クロロフィル)が壊れて、葉の中にもともとあった黄色の色素(カロチノイド)が目立つようになった状態でしょう。やがて黄色の色素も壊れて茶色になっていきます。

 小さな紅葉

 こちらは地面にすれすれのところにあった小さな紅葉。イロハモミジでしょうか。おそらく去年落ちた種子が今年発芽し、たまたま日光が当たる場所にあった果報者が葉を広げ、一夏の間光合成で栄養を蓄え、一人前に紅葉したということでしょう。赤く色づくのは、秋になって葉柄のつけ根に離層というシャッターができて、葉で作られた糖分が行き場を失い、葉の中で赤い色素(アントシアン)に変化するからだそうです。

 枝垂れ紅葉

 さながら「枝垂れ桜」ならぬ「枝垂れ紅葉」といったところ。辺りはいつのまにか薄暗いヒノキ林から落葉広葉樹林に変わっていました。

 隣の尾根筋へ

 もうじき隣の尾根と合流するところまで登ってきました。登山道はこれまでの尾根筋をはずれ、トラバース気味に隣の尾根筋に移ります。

 合流点

 上の写真で右から左へと登っていく道が和田峠からやってきた登山道。そこへ写真手前から合流しました。山頂が近いせいか明るい朝日が差し込んでいます。合流点のシンボルツリー的な木はイロハモミジ。ここから上は過去に園地化された形跡があるので、植栽されたものかもしれません。それにしては洞ができるほど立派な木ですが。

 視界が開けてきた

 山頂直下に位置するお椀状に窪んだところに出ました。谷の頭というか谷の始まりというか、そういう場所です。下草は刈られています。黄葉しているのは、たぶんイヌブナでは。(葉っぱを確認するのを忘れていました。)

 リュウノウギク

 日当たりの良い場所を好むリュウノウギク。本日初めての野草の花です。花は少し元気がないようですが、無事に受粉を果たせることができたでしょうか。でも、まてよ。園芸用のキクはほとんど挿し木で増やしていたと思いますが、野生のキクの種子や果実ってどんなだったっけ? タンポポ属やボロギク属、センダングサ属などのキクの種子は思い浮かびますが、リュウノウギクなどのキク属の種子が思い浮かびません。うーん?

 イロハモミジ

 朝日に輝くイロハモミジ。日本に生まれてよかったと、しみじみ思います。

 山頂近し

 山肌をジグザグに登って高度を上げて山頂に向かいます。最後のこの坂が思いのほかきつかった。

 いよいよ

 急に頭上が開け、茶屋が見えました。山頂です。

 山頂

 11時10分、山頂に到着しました。約2時間かかっての山頂です。山頂には樹木はなく、広々として、白馬の像が天に向かっていなないていました。ここに来たのは実に13年ぶりです。この白馬は陣馬山のシンボルとなっていますが、もともとは50年くらい前に京王電鉄がここを観光地として売り出すために建てたものだとか。その際にこの辺りを「陣馬高原」と名付けたのだそうです。それまでは「陣場山」という字で表記されていたそうです。現在の2万5千分の1の地形図には「陣馬山(陣場山)」と表記されてます。ちなみに「陣場山」の方の由来は、北条氏を攻めた武田氏がここに陣を張ったことによるともいわれています。

 北西方向

 北西方向はこの展望。正面にはこの春に登った生藤山がドーンと見えました。高い山ではありませんが、ここから眺めると重量感がありますね。
 山頂には、富士見茶屋、清水茶屋、信玄茶屋と3軒の茶屋があり、和田峠まで車で上がってきたお手軽組も含め、大勢の人で賑わっていました。

 東方向

 東は都心方向です。さすがに白く霞んでいて、双眼鏡を使ってもよく見えませんでした。

 南西方向

 南西方向にはうっすらと富士山が望めました。ここからの距離は約50q。結構遠いですね。手前の山並みのグラデーションは、二十六夜山、赤鞍ヶ岳、御正体山などです。

 おにぎり弁当

 ちょっと早めですが昼食としましょう。今日はコンビニ弁当ではありません。妻が早起きして作ってくれたものです。(その後、熱を出して3日ほど寝込んでしまいました。いや、マジで。)

 北方向

 弁当を食べながらのんびりと。正面に見える山は青梅の奥にある大岳山と御岳山です。ここからの距離は約12q。

 下山開始

 山頂で1時間ほど過ごして、下山開始です。下りは神奈川県側へ。栃谷尾根という尾根に沿って下ります。

 ギボウシ

 ギボウシの葉が色づいていました。なぜか登山道の階段状の横木の下に生えているものが多かったです。もともと湿ったところを好む植物なので、階段の下に集まる雨水を求めてのことでしょうか。

 尾根道

 下山路もヒノキの植林地の中。こちら側もよく手入れされているようです。延々と下っていきますが、ヒザへの負担を考えて、歩幅は小さくゆっくりと。

 サガミジョウロウホトトギス?

 サガミジョウロウホトトギスか、これは? 神奈川県西部の丹沢一帯にのみ分布すると聞いていましたが。葉の様子と実の付く位置、あとここの地理的条件からそう考えましたが、どうでしょうか。そうだとすると2ヶ月前には黄色の貴婦人のような花を咲かせていたことでしょう。

 秋をまとう

 ヒノキの幹に黄葉したヤマノイモの蔓が巻きついていました。地味なヒノキが華やかな衣裳を身にまとって、スポットライトを浴びているようです。

 タンキリマメ

 タンキリマメの赤い莢と黒い種子。下山路にも興味をそそるものがいろいろとありますね。

 クヌギ林

 ずいぶんと下りてきました。この辺りはクヌギ林。人々が昔から薪炭林として利用してきたところだと思われます。

 栃谷集落

 しばらくすると急な斜面に畑が切り開かれているところに出ました。その下には栃谷集落の民家が見えてきました。深い谷の山肌に階段状に20軒ほどの人家が集まっています。ここに集落ができた経緯は分かりませんが、谷の底では日照が確保されないので、水の便は悪くても高い斜面に暮らし始めたのでしょう。昔、栃谷に暮らす人々は薪炭を駄馬に積んで、自らも背負い、峠を越えて八王子まで売りに行き、米などに替えて戻ってきたのだそうです。その苦労がいかばかりであったか、目の前の山々の険しさを見ると想像に難くありません。

 ヤブラン

 ヤブランの種子です。光沢のある黒が都会的ですね。周囲は山里ですけど。

 アワコガネギク

 集落の外れに秋の日をたっぷりと浴びてアワコガネギクが咲いていました。少し盛りをすぎたところでしょうか。今日目にした二つ目の花です。

 落合

 1時40分、落合集落まで下りてきました。早くもふくらはぎが張っています。バス停に行ってみると、1時間に1本のバスが、なんと10分後にやってくるという幸運。ここで軽くストレッチでもしながら待つことにしましょう。
 
 藤野駅でもホームに下りてすぐに電車がやって来るという接続の良さ。あとは今日一日の楽しい山歩きを思い起こしながら帰るだけです。息子も口にはしませんが少し疲れている様子。慣れないことをするから。でもまた誘ってみようと思います。