生田緑地 〜多摩丘陵の冬・2月〜


 

【川崎市 多摩区 平成20年2月11日(月)】
 
 今年は都心でも年明けからこのかた数回の積雪を記録していて、冬らしい冬といったところ。でも、今日は明るい日差しが降りそそぐ冬晴れの日です。
 さて、定点観察の2回目。一月前から季節は動いているでしょうか。

 谷地の上から

 ナビの導くままに新ドリーム号を走らせます。山手通りから甲州街道、環七、そして世田谷通りをまっすぐ。多摩川を渡ってすぐに生田緑地です。(渋滞を避けるルートをその都度考えてくれるので、ありがたい限り。便利になったものです。)
 今日は天気がよいからか、駐車場が10台程度埋まっていました。時計を見ると10時40分。さっそく装備を整えて谷地の上の観察路入口に向かいます。この時期、木々はきれいに葉を落としているので、谷地を挟んだ向こうの丘の上にある専修大学の校舎がよく見えました。

 雪の名残

 観察路の階段を下りていくと、2日前に降った雪が残っていました。この場所は三方を丘に囲まれた北向きの斜面で日当たりが悪いのです。近くの林からときおりコゲラの鳴き声が聞こえてくる以外は生き物の気配を感じません。静かな空間です。

 コナラ

 雑木林に「萌芽更新の実験をしています。」との看板がありました。
 ブナやクリ、クヌギ、コナラなどの広葉樹を伐採すると、翌年には根株から何本もの芽が伸びだし(萌芽)、成長を始めます。これがどんどん成長して次世代の林を形成していくことを萌芽更新といいます。人々が里山を利用しながら生活していた頃には、この萌芽更新は頻繁に行われていました。人々は集落周辺の林の下草を刈って堆肥に使い、小枝などは焚きつけに、そしてある程度育ったコナラなどは伐採して、薪炭にしたりシイタケの榾木(ほだぎ)にしたりしました。しかし、決して伐り尽くすことなく、一回伐った林は手入れをしながら20年くらいは萌芽した若木を育てていきました。その間はまた別の林の木を伐って薪炭材を得ていきます。このような林を地域で数カ所管理しながら生活していたのです。上右の写真は一つの親株から株立ちしたような形で伸びているもの。おそらく何十年かまえに切られた株から伸びたものでしょう。もちろんここでは現在日常生活のためとしては用いませんが、この萌芽更新を里山環境の保全のために行っているのです。昔、人々が下草を刈ったり木を伐採したりして里山を利用する過程で、林には光や風が入るようになり、はからずも微生物や昆虫、小動物が生活できる環境を保ってきたものを、今、目的を置き換えて行っているのです。

 礫層

 観察路の脇の小さな露頭を見てみましょう。ここ多摩丘陵は基盤となる上総層群という地層の上に洪積層が乗っています。生田緑地の辺りではこの洪積層は「おし沼礫層」と呼ばれるもので、かつてこの辺りまで海が湾入していた頃に堆積した、礫(小石)を多く含んだ地層です。同じ多摩丘陵でももう少し内陸側(北西方向)に行くと古相模川が運んで堆積した礫層が広がっています。そしてこの洪積層の上に関東ローム層が降り積もっています。
 ここに露出している小石は、数十万年の時を経て、今こうやって外気に触れているんですね。

 カラスウリの枯葉

 今日は里山の木々を通して冬の白い日差しが差し込んでいます。風もない穏やかな休日。梢からぶら下がったカラスウリの枯葉が小さく揺れています。

 薄氷

 谷地の最奥部にある小さな池。周囲の景色を映し込むその水面には薄氷が漂っていました。ピンと張りつめた空気。しばらく見ていましたが水を飲みに訪れる鳥もいませんでした。(ひょっとして自分がいるからか?)

 ハンノキ

 先ほどのコナラに比べて湿ったところを好むハンノキ。ほとんど湿地といったところでもすくすくと育っています。背の高い木です。

 雪解けの流れ

 それでも日の当たる場所は、遠いながらも春の気配を感じることができました。地層をくぐって浸みだした水はやがてちいさな流れとなり、幾年もかけて積もり重なった落ち葉から溶け出した栄養分や土中のミネラル分とも相まって、下流やその先の海にまで恵みを与えるのです。

 冬晴れの里山

 谷地の幅が広くなってきました。このくらいの広さがあると以前は立派な畑や水田として利用されていたことと思います。

 竹林

 集落のある平地と里山との緩衝地帯として竹林が広がっている風景もよく目にします。竹は成長が早く均質に生育するので、これを加工して生活器具として活用できる便利な存在だったのです。筍も季節の食材として重宝されました。昔は竹林も人の手によって管理され、周囲に深い溝を掘って「根切り」をするなどして耕作地や薪炭林にまで拡大しないようにされていました。現在では放置された竹林が全山を覆い尽くしてしまうような勢いで拡大しているところもあり、問題になっています。風にあおられざわざわとうねる竹林の様子は趣があるのですが。
 そんな日本中の野山に見られる竹ですが、そのほぼすべてが中国から持ち込まれた外来種なのだとか。ちょっと意外ですね。8世紀頃に中国から貴族の観賞用として持ち込まれ、限られた場所で栽培されるのみだったのだそうです。現在のような竹林があちこちで見られるようになったのは16世紀頃から。竹取物語は貴族の荘園での物語だったのか。

 梅の蕾

 もう少しでほころびそうな蕾。この花が咲き始めると、この梅園を訪れる人も多くなるでしょう。
 よく「梅に鶯」といいますが、実際には梅にウグイスが訪れているところはあまり見かけません。ウグイスはその鳴き声はよくとおりますが、姿を見せることはめったになく、むしろ「藪に鶯」といったところが実態なのです。

 ジュズダマ

 ジュズダマのドライフラワーです。ジュズダマは果実を包んでいる苞鞘(もともと花の基部にある苞葉の鞘だったところ)と呼ばれる部分が硬く丸い壺状になり、これを糸でつないで数珠にしたことから名が付きました。右の写真はその苞鞘が脱落した跡です。
 ジュズダマの栽培種がハトムギです。

 定点写真

 谷地が二又に分かれるところ。先月と同じアングルでの定点写真です。ここからは確認できませんが、木々の枝先には葉芽や花芽が着々と活動の準備をしていることと思います。

 谷地の出口

 谷地の出口が見えてきました。観察路の左右は茅場になっています。茅(カヤ)もまた里山周辺で暮らす人々にとっては欠かせない生活資材でした。主に屋根の部材として利用してきたものですが、茅場そのもののもつ水質浄化という効用も見逃せません。

 イチョウ

 戸隠不動跡までやってきました。平成5年の火災で本堂が焼失したとき、境内に立っていたこのイチョウは炎に炙られる格好になりました。本堂側の樹皮は死んでしまい、今では生きている反対側の樹皮がこちら側を包み込むように伸びてきているのが分かります。
 痛手を負った分逞しく生きようとしているのか、芽の大きさも普通よりも大きめです。

 丘の上の広場

 ここは人の手によって公園化に伴い樹木が植栽された場所。春には花見、秋には紅葉狩りと、園地としての広場になっています。

 ヒサカキ

 落葉広葉樹の里山の中にあって常緑樹の緑は新鮮です。西日本ではこのヒサカキが優勢で、どの山に入ってもお目にかかります。春にはヒサカキの花の独特の匂いで山中が満たされるほどです。

 ヤマザクラ

 木肌の色と模様で一目でそれと分かる山桜。緑が萌えはじめた山肌にヤマザクラの淡い紅色が浮き立つ様子は風情があります。特に山全体が雨上がりの靄にけぶるようなときなどは、ことさらです。

 メジロ

 梢の間を行ったり来たりしているメジロ。木々が枝を落としている冬の間は、鳥たちを観察するのには絶好の季節です。コンパクトデジカメではこのくらいが限界。もっとも鳥を撮るだけの忍耐力と集中力にはあきらかに欠けているので、機材のせいにするわけにはいきませんが。
 
 一年のうちで今が最も寒さが厳しい時期です。でも、好天に恵まれたおかげでこんなに明るい気分で散策することができました。今日は五感を研ぎ澄まして春の気配を感じてみました。確かに少しずつ近づいてきているようです。そして、来月はいっそう春めいてきていることでしょう。舞い飛ぶ花粉にひるむことなく、来月もまたこの谷地に来てみようと思います。
 
 

  多摩丘陵と生田緑地