多摩丘陵と生田緑地
「丘陵」とは、平坦な面はないものの、山地と呼ぶには起伏が小さい地形のことをいうのだそうです。多摩丘陵は東京都多摩南部から神奈川県東部にかけて広がる丘陵地で、おおざっぱに言えば多摩川と境川に挟まれた地域ということになります。
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多摩丘陵の成り立ちは概ね次のようなものです。
多摩丘陵は、基盤となる第三期層の上に洪積層がほぼ水平に乗っているのが特徴(基盤の地層と地形の凹凸との関係が深い房総丘陵などとは異なるタイプ。)。この構成は武蔵野の台地や段丘と同じですが、そのできた時代が台地や段丘より数十万年古いために、より長く浸食作用を受けて、谷がよく発達し、平坦面がなくなってしまったものです。そのため、多摩丘陵を遠くから眺めると、その稜線の連なりはあたかも平坦であるかのように見え、それは堆積した洪積層の上面にほぼ一致しています。
この多摩丘陵上部の洪積層というのは、御殿峠礫層、おし沼礫層などと呼ばれる地層と、その上に重なる多摩ローム層以上の関東ローム層を指します。これらの地層のうち御殿峠礫層(多摩センター周辺に分布)は古相模川の堆積物ですが、おし沼礫層(生田緑地から南、鶴見川にかけて分布)など多摩丘陵東部の地層は海成層で、遠い昔、この丘陵東部まで海が進入してきたことを示しています。
一方、その下の基盤となっている第三期層は上総層群と呼ばれる地層。武蔵野台地の地下全域にわたっては上総層群が厚く分布しているのですが、この地層の続きは武蔵野台地の南側と西側で地表に露出していて、多摩丘陵をはじめとする丘陵の主要な構成層となっています。
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生田緑地は、神奈川県川崎市多摩区の枡形、東生田、長尾を中心とした地域にある公園です。
この辺りには約5万年前から人が定住し始め、長く狩猟採集の生活をしてきたと考えられています。浸食が進んだ多摩丘陵には、里山の奥にまで入り込んだ谷地(やち)と呼ばれる細い平地(他に「谷戸(やと)」や「谷津(やつ)」と呼ばれることもあります。)がたくさんあり、弥生時代になるとそこで耕作し畑作や稲作をして暮らしていたそうです。やがて集落ができ村となり、里山と谷地との恵みを受けながら、安定した生活を営むようになりまた。そして、そのような生活は昭和中期まで続きました。
生田緑地での観察フィールドは公園の北西部にある森。長い間の人間との共生を経て、いわゆる二次林の姿をとどめています。
谷地の入口は北にあり、南に向かって二又に伸びています。丘の部分が比較的乾燥した林であるのに対し、谷地の部分は湿潤で、湧き水を集めた小さな川が流れています。人々は丘の林から燃料となる薪炭を得、谷地では田畑を耕して作物を収穫していたのです。
観察フィールドには木道が整備されていて、里山全体を散策することができます。もちろん木道をはずれて里山に入り込むことは禁じられています。
正面入口から枡形山を経るルートの他、西口駐車場から入るルート、また、北端の住宅地から入るルートもあります。