八方山 〜北アルプスの花々(八方・前編)〜


 

 (前編)

【長野県 白馬村 平成24年7月28日(土)】
 
 梅雨も明け、夏本番がやってきました。この週末、東京では隅田川大花火大会など涼を呼ぶイベントが各地で開催されるようです。とはいえ、このところ日中の熱が夜になっても冷めやらず翌日に持ち越して更に暑さをかさ上げするという日々が続き、まるで東京自体がピザ釜と化したかのようです。一方、これがこの時期の高山となると、遅い初夏と早い秋との狭間で花々が一気に咲きそろう、一年のうちでもごく限られた輝きの季節です。涼風、雪渓、花畑…。思い描くだけで汗が引いていくようで、両者の落差たるやナイアガラの比ではないでしょう。
 どうにかしてこの灼熱の地を脱出して涼やかな山の上に身を置きたい。そして様々な植物や雄大な景色を見てみたい。当初小さな思いつきだったものが、やがて「どうしても行きたい」に変わり、気がついたらネットで宿を予約し終えていたのです。しょうがない。事態がそこまで進展しているのなら行かざるを得ないか。とういうことで長野県の北の端、白馬まで行ってくることにしました。
 
                       
 
 7月27日(金)、午後10時帰宅。シャワーを浴びて、眠くないのに強制的に就寝。それでも4時間あまりしっかりと仮眠をし、午前3時起床。そしてドリーム号を始動させたのは4時過ぎでした。今日は首都高4号から中央道に入り、山梨県を横断して長野県の諏訪へ。そこから長野道へ分岐して、松本を過ぎ、豊科ICで一般道へ。ここまでで東京から約230q。さらにそこから北上すること50qで目的地の白馬村に到着します。中央道の釈迦堂PA、双葉SA、そして長野道の梓川SAで休憩をとって、白馬村に着いたのは9時30分。はるばる来たぜ白馬村、です。

 八方山(八方尾根)

 白馬村に入って目についたのは、どこかで見覚えのある滑り台、いやスキーのジャンプ台。そう、ここは長野オリンピック、スキージャンプ・ラージヒル団体で日本が金メダルを獲得した栄光の地なのです(写真中央の緑色の構造物がジャンプ台)。吹雪の中の原田選手の泣き笑い顔を思い出します。奇しくも今日はロンドンオリンピックの開会式。14年間のときを超えた因縁を感じつつ、ゴンドラ駅近くの駐車場に車を入れました(一日500円也)。

 
 Kashmir 3D

 今回は、初日に白馬村の八方山、二日目に小谷村の栂池自然園を訪れようという計画。いずれも主稜線上ではありませんが、北アルプスの北端部の自然を感じることができると思います。なにより両方ともゴンドラなどでかなり上まで上がれるというのが嬉しいです。


Kashmir 3D

 本日の目的地、八方山は、有名な八方尾根の途中にある鉤鼻状のピークです。山頂を踏んでもその先は下りにはならずにさらに上っていて、最終的には北アルプスの主稜線上にある唐松岳に至ります。今日は八方山の先にある八方池まで往復する予定。そこまでは軽装でも大丈夫(ただし天候次第)ですが、八方池から先の八方尾根は本格的な登山装備が必要になります。
 山麓の駅からゴンドラに乗ると標高差600mを一気に上がり、標高1400mの兎平というところまで連れて行ってくれます。そこからリフトを2本乗り継いでさらに250mあまり高い八方池山荘まで上がると、そこが山歩きの起点になります。標高は1830mです。
 ところで、この2本のリフトが素晴らしかった。山肌をなぞるようにして上っていくので、足先が草花に触れそうなほど近いのです。シモツケソウやクガイソウ、オオバギボウシなど、様々な花が次々と現れては後方に流れていき、まるで縦スクロールの映画を見ているような感覚になりました。

 終点近し

 「男子滑降スタート地点」という標識を過ぎたらまもなく終点の八方池山荘駅です(こんなところから滑り下りていたのか!)。下界は晴れていましたが、ここまで来ると雲に手が届きそうで、どんよりとした天気に。ガイドブックで見事な雪渓を見せていた北アルプスの山々も、ほとんどその姿を隠してしまっています。

 オオコメツツジ

 リフトを降りて、準備体操をして、トイレを済ませたら10時45分。さあ、ようやく山歩きのスタートです。
 いきなり初めて見る植物が現れました。葉や枝振りなど全体の印象はツツジですが、花は2p程度と小さく、やや透明がかった白色をしていて、なにより花冠が4裂しているのがツツジとしては違和感があります。リフト降り場の近くの売店で買った簡易図鑑によるとオオコメツツジとのことで、やっぱりツツジ科でした。主に北陸から東地方南部にかけての日本海側に分布しているそうです。

 ハクサンタイゲキ

 ハクサンタイゲキは漢字で書くと「白山大戟」。「大戟」とはトウダイグサ科の植物の中国での呼び名だそうです(文字自体の意味は、大きな矛(ほこ)のこと。)。大戟の根から同名の漢方薬が作られるとのことで、薬効は浮腫、腹水、胸水だそうです。名前といい薬効といい、相当強そうですね。
 遠い昔、先人たちは試行錯誤を繰り返しながら薬草を探したんでしょうね。薬も適量を誤ると毒ですから、不幸にして命を落とした人も少なくなかったのではないでしょうか。

 ヨツバシオガマ

 4つのシダ状の葉が輪生するのが特徴のヨツバシオガマ。花の形にも特徴があって、まるで鶴の頭部のような形をしています。この花に初めて出会ったのは谷川岳のこと。当時は珍しいと思ったものですが、その後、乗鞍岳や立山など高山では普通に目にすることに。シオガマギクの仲間では最もポピュラーな存在なのだそうです。

 ミヤマアズマギク

 アズマギクの高山適応型だそうです。本来、黄色の筒状花と紫色の舌状花とのコントラストが鮮やかな花ですが、写真のものはイマイチ。でも濃淡の個体差が大きい植物だそうです。

 チングルマ

 チングルマは高山植物の代表選手。花自体をまじまじと観察してみても他の花に比べて特別に愛らしいわけでもありませんが、おそらく群生したチングルマが風に吹かれてみんなが揃って小刻みに揺れる姿が可愛いのだと思います。その様子には「健気」という言葉がぴったり。

 イブキジャコウソウ

 日本に自生する唯一のタイム(ハーブ)だそうです。伊吹山で多く見られ、芳香があることからこの名が付いたといいますが、yamanekoにはあまり匂いませんでした。そもそも香りが強いとされる各種スミレですら鼻を近づけても匂わないほどの臭い音痴。長年の花粉症で嗅覚が鈍くなっているのでしょうか。

 タテヤマウツボグサ

 深い紫色のタテヤマウツボグサ。低山で見かけるウツボグサより一段と濃いように感じます。見た目もウツボグサによく似ていますが(相違点は葉が幅広で葉柄がほとんどないことなど。)、単なるウツボグサの高山適応型ではなく、完全に別種なのだそうです。

 キンコウカ

 キンコウカ。金色に光る花ということで、星形の花の様子から付けられた名前でしょう。数年前、尾瀬・至仏山で見た群落は見事でした。こことの共通点は蛇紋岩質の山中のやや湿ったところということ。そうえいば谷川岳もそうでした。
 秋口には葉がオレンジ色に紅葉します。

 クルマユリ

 クルマユリは茎葉が6個輪生する姿を車輪に例えて名が付けられたもの。花冠はコオニユリに似ていいますが(一回り小ぶり)、葉は左右に互生するコオニユリとは明らかに違っています。

 ハッポウウスユキソウ

 蛇紋岩質の高山に生える八方尾根の特産種。ミネウスユキソウの変種だそうで、葉の幅が狭くやや斜め上に向かって付くのが相違点とのことですが、単体で見てもよく分かりません(並んで咲いていたら違いに気づくかもしれませんが。)。薄雪草の名は、白い軟毛が生える葉の様子を、地面をうっすらと覆う雪に例えたものでしょうね。

 この時間、既に下山してきている人も多くいました。Tシャツ1枚の軽装の人も目につきます。ひとたび天候が崩れると辛いことになるのですが。

 モウセンゴケ

 食虫植物と言われて連想するのは、ウツボカズラやハエトリソウ、あとこのモウセンゴケなどが主なものではないでしょうか。可憐な花でおびき寄せて粘着質の葉で絡め捕る、この手のテクは人間界だけのものではないんですね。漢字で書くと「毛氈苔」。毛氈とはいわばフェルトのことで、葉から伸びる毛がフェルトの繊維の絡まった様子に似ているということでしょうか。「コケ」と名が付きますがもちろんコケの仲間ではなく、立派な種子植物です。確かに花茎を伸ばしていない状態はコケに見えないこともないですが。

 オオバギボウシ

 涼しそうな風景を演出してくれているオオバギボウシ。ところで、なんでこんなに高いところに咲いているのでしょうか。麓からじわじわと何千年もの時間をかけて登ってきたのでしょうか。それとも大地が浸食され山岳を形成する前からこの地にいたのでしょうか。そうなると何万年も前からいたことになりますが。

 ミヤマコゴメグサ

 花冠がわずか1pにも満たないミヤマコゴメグサ。でもその形といい配色といい、なかなか存在感があります。特に下唇にある黄色い斑紋が目立っていて、これはおそらく訪れる虫へのメッセージなのではないでしょうか。ランディングポイントしての。また、上唇はやや紫色を帯びるものもありますが、写真のものは特に濃い紫色をしていました。

 キバナノカワラマツバ

 低地でも見られるカワラマツバの高山適応型で、カワラマツバが白い花を付けるのに対し、これは写真のとおり黄色い花を付けます。葉を見ると名前に「マツバ(松葉)」と付くのが納得できますね。

 ハッポウタカネセンブリ

 タカネセンブリの変種のハッポウタカネセンブリだそうです。初めて見ました。花冠の大きさは1p程度。花弁の中央にあるのは蜜腺です。

 ニッコウキスゲ

 緑の中に鮮やかなオレンジ色。云わずと知れたニッコウキスゲです。夏の亜高山帯の定番です。この花は各地で様々な呼ばれ方をされてきていて、ニッコウキスゲもそのうちの一つだったもの。すっかりメジャーな呼び名になっていますが、標準和名としては「ゼンテイカ」だそうです。漢字で書くと「禅庭花」。なんか意味ありげですね。

 辺りは相変わらず雲の中です。でも視界は数百mから悪くても30mくらい。歩くのに支障はありません。

 ミヤマダイモンジソウ

 「大文字草」ということで、花冠が「大」の字をしている花です。なので、下2個の花弁が長くなっているはずなんですが、写真のものは字が下手なんですね。5個とも同じような長さになっています。

 ユキワリソウ

 雪解けの頃に咲くからユキワリソウ。高さ10pほどの大きさで、風に揺れる様子が可憐です。サクラソウの仲間で、これも蛇紋岩地帯に多い種だそうです。ただ、植物分類学上の名称ではなく「雪割草」となると、ミスミソウやイチリンソウなど日本各地で様々な花を雪割草と呼んでいるようです(中にはショウジョウバカマやハシリドコロまでも。)。

 マイヅルソウ

 yamanekoとしては思い入れの深いマイヅルソウ。広島に住んでいた頃、この花に会いたくて県北部の比婆山に何度も足を運びました。そのたびに花期を逃していて、来年こそはと悔やんだものです。初めて実物を目にしたときには感動しました。

 このあたりで標高は1950m。2000mが近いわけで、あちこちに残雪が見られました。雪の表面で冷やされた空気が白く漂っています。
 時刻はちょうど12時。どこかに腰を下ろして昼食にパンでもほおばりましょうか。(この続きは「中編」で。)