箱根旧街道 〜いにしえの道に浅い春を感じて〜


 

【神奈川県 箱根町 平成30年2月24日(土)】
 
 立春から3週間。春とは暦ばかりで、毎日寒い日が続いています。そんな中、南関東地方はこの週末、特に土曜日はぽかぽかのお出かけ日和という予報。暖かいとなると花粉の飛散が気になりますが、なまった体に喝を入れる意味でも野山歩きに出かけようということになりました。目的地は、大観光地、箱根。その中の元箱根にある屏風山です。標高は948mですが、登山口のある箱根関所跡の辺りとの標高差は200mほど。一汗かくくらいの運動量だと思います。
 
                       
 
 小田急線の車内で大声でしゃべり合う高齢3人組に辟易しながらも、小田原駅、箱根湯本駅と乗り継いで、芦ノ湖畔の元箱根までやってきました。時刻は10時少し前です。まだ人影も少ない街はシンと冷えていて、とてもぽかぽかといった陽気ではありません。あと気になっていたのは、バスの車窓から見えた屏風山の山肌。しっかりと雪に覆われているではありませんか。確かに、天気予報は東京(都心)のもので、これをうっかりここ標高750mの高地に当てはめて考えていたのが間違いでした。もちろんアイゼンなど持ってきてはいません。熟考(正味3分)のうえ、目的を屏風山登山から箱根旧街道歩きにあっさり変更。いや苦渋の決断でした。
 ということで、時間もできたので、まずは箱根関所跡に行ってみることにしました。

 箱根関所

 箱根の関所は、江戸時代の初期に江戸の守護のために設けられたものだそうで、同様の役割の関所が53箇所もあるそうです。中でもここ箱根のほかに中山道の木曽福島、碓氷、東海道の新居は規模も大きく、最も重要な関所とされていたのだそうです。箱根の関所の周辺にも5箇所の脇関所があって、抜け道にも目を光らせる鉄壁の守りを誇っていたのだとか。現に江戸時代を通じて関所破りの事件は5、6件のみだったそうです。もっとも未遂で捕まった事件はたくさんあったようで、関所側も関所破りとなると不名誉なことなので、できるだけ未遂案件とし、罰を与えて放免するという取り扱いだったようです。

 番所

 これは遠見番所からの眺め。 関所を見下ろせる丘の上にあります。手前の建物が足軽番所、奥が大番所です。
 資料館も含め、ゆっくり見学して、施設を出たのは11時過ぎ。既にお腹が空いたので歩く前に近くのうどん屋さんで昼食をとることにしました。温かい山菜うどんでほっこりと。


 Kashmir 3D

 今日のルートは、まず関所跡前から国道1号線を遡ります。途中、国道と併走する形で遺っている旧街道を歩きながら元箱根へ。そこからは上り坂となり、峠を越えてからはひたすら下っていきます。元箱根から甘酒茶屋を経て畑宿まで、65m上って400m下る行程。最高点の標高は800mです。

 スタート

 11時40分、腹ごしらえを終えて、あらためてスタートです。ここからしばらく国道1号線に沿って歩道を歩きます。

 旧街道入り口

 やがて道の左手に旧街道の入り口が現れました。ここからしばらく国道と併走します(本当は国道の方が併走したのですが。)。

 杉並木

 どうせ歩くならアスファルトの道よりこんな街道の方がいいですね。そしてこの立派な杉並木。いずれも目どおり3mはあろうかという大杉ばかりです。樹齢はどのくらいでしょうか。なんか向こうから黄門様一行がやって来てもおかしくない雰囲気ですね。

 シダの胞子葉?

 これはメデューサの髪、ではなくシダのようです。マメシダの胞子葉がこんな形をしていますが、ちょっと長すぎるような気もするし、何よりこんなにモジャモジャしていません。なんだろう。

 ミヤマシキミ

 茶色ばかりの世界で鮮やかな赤い実を見ると、冷えた頬に血が通ったような暖かさを感じます。これはミヤマシキミの実でしょうね。



 日陰の箇所はカッチカチに凍結していました。滑って後頭部でも強打したら洒落になりません。こんな場所はおずおずと進みます。



 恩賜箱根公園を過ぎたところで展望が開けました。開放感満点です。
 芦ノ湖の湖水を挟んで正面に駒ケ岳。左奥には富士山も望めます。さすがは昔皇室の離宮があったところだけあって、眺めは一級品ですね。

 富士山

 その富士山をアップで。今yamanekoたちは箱根火山の内側(二重の外輪山の中)から富士山を眺めています。箱根火山は富士山よりもずっとずっと歴史が古いんだそうで、富士山が噴火を繰り返し今の秀麗な姿になる過程をずっと見てきたんだと思います。太古、ここから眺める富士山もちょっと違った姿だったんでしょうね。

 駒ヶ岳山頂

 駒ヶ岳の山頂部を望遠で覗いてみるとロープウェイの山頂駅がありました。これには何年か前に乗ったことがありますが、山頂部の異世界感が特筆モノなんですよね(こちら)。RPGに出てくるような風景なんです。
 さらに前には別にケーブルカーもありましたが、こちらは既に前回訪れたときには廃止になっていました。

 一里塚

 しばらく行くと「一里塚」との標識が。「葭原久保の一里塚」だそうです。普通一里塚として残っている史跡の脇には目立つ大木があったりするのですが、ここの場合杉並木のどれもが大木なので、逆にさっぱり目立ちません。立て札の解説には次のような記述が。
 「江戸幕府は、慶長四年(一六〇四年)、大久保長安に命じ、江戸ー京都間に、一里ごとに旅人の目印として、街道の両側に盛り土をしました。そしてここではその上に○を植えました。この塚は日本橋より二十四番目にあたります。」(○は文字不鮮明) 大久保長安といえば佐渡金山や石見銀山を開発した人物。家康からの信頼も厚く、マルチな才能の持ち主だったようです。
 今回初めて知りましたが、「一里塚」は塚というだけあって元々は盛り土だったんですね。

 元箱根

 旧街道は一里塚の先でまた車道と合流します。この朱い鳥居は箱根神社の一ノ鳥居。神社自体はこの先にあります。
 もともと箱根山は山岳信仰が盛んなところ。中央火口丘の最高峰、神山を御神体として、そこを拝める駒ヶ岳の山頂に箱根神社の元宮(奥宮)が置かれたそうです。その後、麓の芦ノ湖畔に里宮が置かれ、こちらが現在の箱根神社だそうです。確かにこの鳥居越しに奥宮のある駒ヶ岳が望めますね(その奥にあるはずの神山はここからは見えませんが。)。

 ウバユリ?

 鳥居の先から山側に登る道に入りました。観光バスなどが通るメインの道路は国道1号線で、その裏道のようなルートです。
 これはユリの刮ハですね。ウバユリでしょうか。もう完全にドライフラワーになっています。

 ヤマアジサイ

 こちらのドライフラワーはヤマアジサイ。枯れても自然の造形美を魅せてくれています。



 ほどなく左手にまた旧街道が現れました。この小径に入り、すぐ先で車道を歩道橋で跨いで、こんどは右手の山肌を登っていきます。



 山道はこんな感じ。一気に江戸時代にタイムスリップしました。

 石畳

 石畳は畳というにはあまりにも凸凹。しかもその間を氷が埋めています。石のザラザラと氷のツルツルで歩きにくいったらありゃしない。油断すると滑ってのけぞったり、つんのめったりしそうです。



 細い車道を横断して、街道はさらにその先の森の中へと延びています。



 少し雪が増えてきたように思えます。地図を見ると峠まではもう少しのようです。



 苔むした岩の表面。雪で背景が白一色になったから、この苔に気付くことができました。無精髭のようなものは胞子葉ですが、この時期はもう胞子を飛ばした後で、役目を終えていると思います。



 いよいよ最高点。標高800mです。これから下っていきますが、膝を痛めませんように。



 日当たりの良いところはこんな感じ。のんびりと歩けます。前を行くのは外国のカップルで、「この道で合っていますか」といった意味のことを聞かれたので、アセアセしながら二、三言会話をしました。そういえば、この旧街道を歩いているのは(そもそもそんなに多くはないのですが)、どちらかというと外国人の方が多いようです。トレイルを歩く文化があるからでしょうか。

 二子山

 途中に展望スペースあったので、寄ってみました。正面に見えるのは二子山。この山は、駒ヶ岳や神山、台ヶ岳などとともに中央火口丘を構成する山で、箱根火山のうちで最も遅くにできた山だそうです。現在は植生保護のため立ち入りが禁止されています。写真の右2つのピークが下二子山、左に見切れているのが上二子山です。



 下り道は登りに増して危ないです。我が妻、腰が引けてますね。

 サンショウ

 これはサンショウの幼木。あの独特の香りが…分かりませんでした。



 路傍にて。苔むしたお地蔵さんかなと近づいてみると、どうやら宝塔が崩れたもののようでした。道中の安全を祈念して置かれたものでしょうか。

 県道732号線

 車道が現れました。急に現代に引き戻されたような感じです。これは県道732号線、箱根湯本から畑宿を経由して元箱根に至る道です。今歩いている旧街道が東海道で、それに沿うようにこの道が敷かれました。現代では箱根駅伝で有名な、宮ノ下を経由するルート(国道1号線)がメインとなっています。一方、さらに県道732号線に沿うように箱根新道(こちらも国道1号線)が通っていて、強羅などの温泉街や元箱根をすっとばして三島方面に向かう人はこちらを通ります。
 さて、ここも横切ってまた山道に入っていきます。



 穏やかな午後。春近い野辺の道、といった雰囲気です。

 甘酒茶屋

 1時25分、甘酒茶屋に到着しました。江戸時代、街道の整備が進み、旅人のためこの箱根地域にも9箇所の茶屋が置かれたとのことです。やがて明治に入ると歩いて旅をする人も少なくなり、現在はここ1軒が残っているのみだそうです。
 当初の予定では、関所跡のところにある登山口から屏風山に登り、ここに下山してきて終了。甘酒飲んでここからバスで箱根湯本に戻るという計画でした。旧街道の峠であの雪だったのですから、屏風山に登ったら結構辛いことになっていたかもしれません。



 トイレ休憩の後、再び歩き始めます。歩き出しは歩道。ここから一気に高度を下げていきます。



 ヘアピンカーブの車道を串刺しするように階段で急降下していきます。



 正面に見えるのは塚原山、弁天山など。あの稜線部をマツダターンパイクという、走り屋には有名な道路が通っています。こんなに何本も道が通っているなんて、やっぱりこの辺りは交通の要衝なんですね。



 階段が地味に応えます。ときどき膝の屈伸をして歩きます。



 小休止。昔はこんな急坂を徒歩や籠、馬などで越えて行ったんですね。雨が降ってぬかるんだりしたら最悪だったでしょう。

 ヤブニッケイ

ヤブニッケイの大きな木がありました。葉がテカテカですね。照葉樹ってヤツです。



 小さな谷筋ごとに短い橋がかかっています。ここは甘酒橋。この辺りにも甘酒を売る茶屋があったのかもしれません。



 またまた車道に合流しました。車道の方はまさに小腸のようにくねっています。ここからしばらく歩道歩き。



 この辺りから箱根新道がくねくねに参入してきて、双方の道路が近接し、でも交わらず、DNAの二重螺旋のようにもつれながら高度を下げていきます。プールのウォータースライダーのように。

 アオキ

 何度目かの山道。これはアオキの実です。実は赤いですが、葉が濃緑なのでアオキなんですね。



 木陰からチラチラと集落が見えてみました。そろそろ旧街道歩きも終わりに近づいてきたようです。

 畑宿

 2時20分、畑宿集落の裏手に出てきました。

 白銀山

 畑宿は、箱根寄木細工の発祥の地だそうです。これぞ「精密美」といったもので、外国人が喜びそうな工芸品ですよね。
 今日はここが終点。街道自体は箱根湯本まで続いていますが、ここからは車道歩きも多くなるため、ここで終わりにします。

 畑宿バス停

 寄木細工の店をみて一休みしてからバスで箱根湯本に戻りました。車内ではいつもの通り爆睡でした。
 湯本についてからは、まず帰りのロマンスカーのチケットを買って、喫茶店でお茶をして、お土産を物色。人混みを歩き、観光地の賑わいを存分に味わいました。
 今日は楽しい野山歩きになりました。さあ、花粉はこれからが本番。春の到来を楽しみに、これからも野山を満喫したいと思います。