富士五湖 ~富士山に行ってあえて湖~


 

【山梨県 富士河口湖町・山中湖村 平成23年5月4日(水)】
 

 

 上の写真、どっかで見たことはありませんか。そう、千円札と旧五千円札の裏にデザインされている本栖湖北岸からの富士山です。均整のとれた美しさですね。もっとも、この写真には重大な点でお札との違いがあって、それは湖水に逆さ富士が映っていないこと。早朝で陽光が左手真横から差しているからか、湖面にはぼんやりと影が映っているのみでした。残念。
 
 さて、全国的にGWです。例年ほどではないにせよ、電車も高速道路もそれなりに混んでいるようなので、どうも出かけるのは億劫になりがち。もっぱら家の近所をウオーキングして過ごす毎日です。
 それでも1日くらいはどこかにということで、行楽地中の行楽地「富士山」に行ってみることにしました。といっても登る気は更々なくて、富士五湖巡りをしようというものです。


Kashmir 3D
 

 富士五湖は、富士山北麓に弧状に散らばる湖で、いずれも富士山の噴火により堰止められてできたものだそうです。その周辺には、青木ヶ原樹海や湧水で有名な忍野八海などの見所も多く、観光地としては横綱クラス。なのでGW中の混雑も半端なく、それなりの計算と覚悟をもって出かける必要があります。
 ということで東京を発ったのは午前5時。さすがに中央道は順調に流れていて、うまく渋滞を避けることができました。ただ、目的地に着いたのが午前7時で、やや時間をもてあまし気味になりましたが。

 オオヤマザクラ(?)

 まずは最西端に位置する本栖湖へ。南岸にある駐車場はまだ車もまばらでした。
 ちょっと肌寒いですが周囲を散策です。オオヤマザクラでしょうか、葉と花が同時に展開していています。関東地方では標高800m以上の高地に分布するそうで、富士五湖周辺にも多いサクラです。

 本栖湖(南岸より)

 上の写真は本栖湖南岸からのもの。本栖湖は河口湖や山中湖ほど観光地化されていなくて、コテージやキャンプ場が点在する静かな雰囲気です。これは精進湖や西湖も同じです。定期遊覧船もあるようですが、この時間、釣り客がまばらに小舟を出しているのみでした。
 本栖湖は、五湖のうち最も水深が大きい湖で、138mあるそうです。面積では3番目。水面の標高は900mで、精進湖や西湖とほぼ同じとなっています。この3つの湖は水面変動が連動しているとのことで、水面下で水脈が通じていると考えられています。ちなみに「本栖」の名の由来は、度重なる噴火で非難していた人々がその都度元々住んでいたところに戻ったことから、「元住」が転じたということのようです。

 カスミザクラ(?)

 白い花弁、緑の花柄。生育環境からもカスミザクラではないかと思います。こちらも満開でした。

 精進湖(南岸から)

 本栖湖をぐるっと回ったあと、精進湖へ。こちらは五湖のうちでもっとも面積が小さいです。周囲に平地はほとんどありません。写真でも分かるように対岸が近いです。水深も15mと浅く、これは河口湖や山中湖とほぼ同じ。でもそれぞれ水面の標高が大きく異なり、水深が同じということに関連性はないようです。
 精進湖は、先ほどの本栖湖に比して水中の栄養度が高く、生物相が豊かで、ヘラブナやワカサギも生息しているそうです。

 西湖(東岸から)

 本栖湖の次は西湖へ。道路は順調に流れています。
 西湖を巡る最近の話題としては、やっぱりクニマスの発見でしょう。もともと大正時代からヒメマスの放流が行われていたようで、その後昭和初期に秋田の田沢湖からクニマスの受精卵が送られ、孵化させた後に放流が行われたとのこと。その後の消息はようとして知れず、75年経った去年、ここでずっと命をつないできたことが分かったという、日本版シーラカンスのようなものです(大げさに言うと。)。
 西湖の面積は五湖のうち4番目ですが、水深は73mと本栖湖に次いで2番目に深いです。クニマスは本栖湖にも放流されたとのことなので、本栖湖でも湖の深いところで今もじっとしているかもしれませんね。
 ところで、一番に西にあるわけでもないのになぜ西湖というのか不思議に思い、あれこれ調べてみたら、どうやら隣の河口湖に対して西側にあるから「西湖」の名が付いたということのようでした。

 

 西湖の北東に見える峰。右が十二ヶ岳、左奥が鬼ヶ岳です。湖畔から見るとのしかかるように聳えています。

 西湖まで巡り終えた時点でまだ午前9時。時間ありすぎです。なので鳴沢にある温泉施設「ゆらり」でゆっくりすることに。ちょっと行楽っぽくなってきました。
 開館は10時だったので、それまで付近を散策して時間つぶし。10時にはちょっとした行列ができるほど人が集まっていました。温泉は各種の風呂があり、なかでも写真と同じアングルの富士山を見ながら入浴できる露天風呂が最高に気持ちよかったです。ネットでクーポンをプリントして行くと、一人あたり200円引き(1200円→1000円)になります。
 
 「ゆらり」の中で昼食をとって、昼過ぎに河口湖に向けて出発しました。道は対向車線(西湖に向かう方向)が混んできています。

 河口湖(北岸から)

 河口湖は、五湖の中で最も観光開発が進んだところです。特に東岸を中心として、高度経済成長期の昭和を彷彿とさせるような観光地の姿を留めています。湖岸線の長さでは五湖のうち最も長く、面積も山中湖に次いで2番目です。あと、最も標高の低いところにあります。桂川の流出口に近いことから標高が低くなっているのです。河口湖からは富士山を広大な裾野とセットで望むことができます。やはり富士山の魅力は端正な姿とともにその圧倒的なスケール感ですね。
 河口湖に近づくとどの道も渋滞していて、目的地の大石公園(北岸)まで1時間以上かかってしまいました。

 大石紬資料館

 妻がネットで「大石紬資料館」を見つけていて、ここに行ってみたいというので、初めて中に入りました。この資料館の存在は、去年黒岳に登ったとき下山地点で見かけて知ってはいたのです。中には大石紬を使った和装品などが展示されていて、繭から製品までの加工の過程を展示保存してありました。写真は繭玉で作った満開の桜(?)です。

 山中湖(西岸から)

 河口湖から山中湖へは富士吉田地区を横断する必要があります。ここは中央道から分岐した東富士五湖道路のインターがあり、富士山北麓の玄関口になっていて、休日の渋滞が激しいところです。ナビの抜け道機能を駆使しましたが、結局1時間半くらいかかって、山中湖に着いたのは3時前でした。
 山中湖は、五湖のうちで最も標高の高いところにあり(中禅寺湖、榛名湖に次いで全国第3位。)、また、面積も最大です。標高が高く水深が浅いことから、全面氷結することで知られています。湖から流出する川(桂川)を持っているのは唯一山中湖のみで、あとの4つは内陸湖だそうです(河口湖は江戸時代に洪水調整と灌漑を兼ねた人工の放水路が造られたとのこと。)。
 山中湖は風が強くて湖面に白波が立っていました。かなり肌寒かったです。観光地定番のスワンボートも波間に翻弄される木の葉のようになっていました(ちょっと乗ってみたかったのですが。)。
 
 早朝から観光していたので、そろそろ疲れが。時刻はまだ4時ですがそろそろ帰路につくことにしました。渋滞情報ではすでに小仏トンネル付近で渋滞の列が伸び始めているとのこと。静岡県側に下って東名高速を通って帰る方法もありますが、こちらも激しい渋滞が待っているでしょう。ここは脳内ナビをフル回転させて、道志川沿いの裏道を通ることに決定しました。この道は延々40㎞近くにも及ぶ山間の道で、中央道の渋滞ポイント小仏トンネルをパスして、八王子から中央道に乗ろうという作戦です。
 で、その効果があったのかというと、山道を快調に走ったその先、抜け道を抜けきる手前の津久井湖辺りで渋滞に捕まってしまいました。わずか5㎞あまりを抜けるのに1時間。結局、家に着いたのは7時半で、3時間半かかってしまいました。でも、GW中の富士山からの帰京としては上出来だったのかもしれません。
  


 


Kashmir 3D

 
 

 この富士五湖、今でこそ5つの湖ですが、飛鳥時代や奈良時代には4つだったということです(上のマップにマウスオーバー)。記録に残っている事象として、平安時代初期の貞観6年(864年)に富士山が大噴火し、流れ出た溶岩が当時「せの海」(「せ」は「戔」の右側に「刂」を書く字)と呼ばれていた大きな湖を分断し、精進湖と西湖を造ったとのこと。そして、このとき大量に流れ出した溶岩の上に1200年かけて青木ヶ原樹海ができあがったということです。当時は「湖」という言葉は用いられていなくて、「水海」、あるいは単に「海」と記していたようです。なので、「せの海」の他、「本栖海」、「河口海」だったわけです。ちなみに、この貞観大噴火の5年後に貞観地震(三陸地方に大津波被害があった千年に一度といわれる大地震)が起こったのだそうです。
 また、石器時代以前(紀元前3千年以前)には「せの海」と本栖湖がつながっていた時代があったと考えられていて、これは3つの湖の水面が連動していることからも裏付けられるのだそうです。河口湖は「せの海」との標高差からすると、昔から独立した湖だったのではないでしょうか。
 一方、山中湖は、宇津海と呼ばれた大きな湖だったものが、貞観大噴火から50年あまりさかのぼる延暦19年から21年までの延暦大噴火で忍野湖と山中湖に分断されたとのことで、その後忍野湖は乾いて、湧水口が池として残ったのだそうです。これが現在の「忍野八海」なのだそうです。


Kashmir 3D
 

 巨大地震と富士山の大噴火は連動性があるという説があります。貞観もそうですし安政の大地震と大噴火もそうだったようです。ならば今回の大地震によって富士山の噴火が誘引されるということはないでしょうか。想像すると恐ろしいですね。
 心配してみてもしょうがないですが、そんなことのないように願うのみです。