多摩丘陵でフットパス 〜下堤から小野路〜


 

 「下堤から小野路」

【東京都 町田市 平成28年6月19日(日)】
 
 平年並みに梅雨入りした関東地方ですが、その後まとまった雨が降ることもほとんどなく、蒸し暑さだけが増しています。関東地方の水瓶と言われる群馬北部のダム貯水量は5割を切っていて、今年は52年ぶりの大渇水になるかもしれないとのことです。そんな毎日ですが、たまには外で汗を流さなければ体調を崩してしまいそう。ということで、今回はフットパスを歩いてみることにしました。
 
                       
 


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 コースは「下堤から小野路」。スタート地点は多摩丘陵の高台に広がる鶴川団地の西端、和光学園前に設定されていますが、コース名になっている「下堤」はこの団地から坂を下った小野路川沿いにある地域の名前のようです。

 井の花バス停

 多摩センター駅前のバスターミナルから鶴川行きのバスに乗車。尾根幹線を越えて南側に入ります。尾根幹線とは正式には「南多摩尾根幹線道路」といい、多摩ニュータウンの南端を東西に走る道路です(並行するように北端には多摩ニュータウン通りが走っています。)。この辺りは浸食が進んだ丘陵地で、大小の谷戸と尾根が入り組んだ地形になっています。そういった谷戸の一つをバスは下っていき、「井の花」というバス停で下車しました。ここからスタートする方が下堤には近いです。
 時刻は12時ちょうど。まずここから20mほど直進し、引き返す形で写真左に見える壁の上の坂道を登っていきます。

 ヤナギハナガサ

 道端に咲いていたヤナギハナガサの花を真上から。南アメリカ原産の帰化植物で、戦後に帰化したとされています。

 トキワツユクサ

 トキワツユクサ。こちらも南アメリカ原産の帰化植物で、日本へは昭和初期に観賞用として持ち込まれたとのことです。ツユクサの仲間ですが、ツユクサの花弁は2個ですよね。

 ヤマモモ

 鶴川団地の縁に沿って歩いて行き、和光学園の正門を過ぎた先で民家の小径を左折。しばらく行くと大きなヤマモモに出会いました。

 ヤマモモ

 ちょうど実がたわわに実っていました。ヤマモモという名前ですがモモとは無関係で、実の形もまったく似ていません。まだこの状態では酸っぱくて、これから黒熟すると甘くジューシーになります。子どもの頃よく口の周りを赤黒くして食べていました。

 キンカン

 更に住宅地の中を歩いて行くと、庭木のキンカンが実っていました。生で食べると果肉は甘苦く、中心部は酸っぱいんですよね。なので、もっぱら砂糖で甘く煮詰めて瓶詰めにしたりして食べていました。

 ゼニアオイ

 これはゼニアオイ。ヨーロッパ原産で江戸時代に観賞用として持ち込まれたものだそうです。さっきのヤナギハナガサやトキワツユクサと同じように、今ではあまり見向きされなくなり、路傍で生きている花です。一つ一つにちゃんと向き合うときれいな花なんですけどね。

 和光学園

 生活道路の細い坂道を上がっていくと民家が途切れました。振り返ると和光学園の向こうに鶴川団地の家並みが見えています。

 カシワ

 カシワの木に若い実ができています。コナラやクヌギなどブナ科の木は開花したその年に実を成熟させるものと翌年に成熟させるものとがあり、カシワは「その年派」。ちなみにコナラは「その年派」でクヌギは「翌年派」です。

 坂を登り切ると幼稚園があり、その脇を通って更に進むとこんな感じの道になります。一気に野道感が高まってきました。ときどきバイクや自転車の若者が通るのは、この道が和光学園や鶴川団地方面への抜け道になっているからだと思います。

 オカトラノオ

 稲穂のように花穂を垂れるのはオカトラノオ。夏の花です。
 森の向こうから野球の声が聞こえてくるのは、すぐ近くに運動公園があるからでしょう。尾根沿いに残された雑木林の幅は案外狭く、住宅地や農耕地と隣接しています。

 アケビ

 ヤブの中にアケビを発見。これを見て、10年くらい前、阿佐山の登山口でアケビを食べたのを思い出しました。それにしても記憶って不思議ですね。これまで完全に忘れていた光景が突然頭の中に映し出されるんですから。きっと脳内には膨大な記憶がストックされていて、そのほとんどは死ぬまで再び映し出されることはないんでしょうね。実は生まれてからの全記憶がストックされていたりして。今際の際に走馬燈のようによみがえる記憶もその中からセレクトされたものなのかも。

 カキノキ

 民家の庭先にカキノキの青い実が。自宅にカキが生るなんてうらやましいです。

 辺りが開けてきました。ここは左手の小径へ。 

 小さな尾根を超えると住宅地に。ちょっとした集落です。普段の買い物とかはどうしているんだろう。

 給水場

 さらに進んでいくと東京都水道局の小野路給水場が現れました。災害時など断水したときに水を配給するところだそうで、都内に約200箇所あるうちの一つだそうです。しかしなんでこんな一番高いところに? 災害時にこの山の上までどうやって来るのか。きっと大渋滞ですよね。おそらく平時は給水場に溜めている水を高低差を利用して周辺地域に配水しているんでしょうね。

 ここは給水場の外壁に沿って直進。

 南西方向

 木立を抜けると展望が開けました。けっこう高いところを歩いていたんですね。望んでいるのは南西方向で、遠くにはうっすらと丹沢山地が見えています。

 東光寺

 尾根道を更に進むと眼下に立派なお寺が現れました。谷戸の最奥部に位置している本堂からここの尾根までお寺の敷地が続いているようで、斜面に鐘楼や供養塔などが雛壇状に配置されています。ルートはここを下っていきます。

 坂を下って本堂の前へ。背後のラスボスみたいなものは千手観音。円錐状の納骨堂の上に立っていました。

 別所交差点

 お寺から更に下ると、別所交差点に至りました。この道は鎌倉街道です。

 交差点を横切って、今度は西側の谷戸を遡っていきます。どうやらこの谷戸の中はみな休耕田になっているようでした。

 みどりのゆび管理緑地

 どんどん入っていくと谷の幅は狭くなっていきます。ここは「みどりのゆび」が管理している緑地。「みどりのゆび」とはフットパスの普及を行っているNPO法人です。

 関屋の切り通し

 谷戸のどん詰まりには「関屋の切り通し」と呼ばれる小さな峠がありました。江戸時代、この道を通って徳川家康の遺骨を運んだのだとか。家康といえば日光東照宮に墓があるはずですが、なぜ江戸城より西にあるここを通ったのでしょうか。調べてみると、当初家康の遺骨は駿府の久能山に埋葬されていたそうで、それを日光に移す際に通ったものとのことでした。そのルートを御尊櫃御成道というそうで、大久保長安が大名行列が通れる規格に整備したとのことです。大久保長安は石見守でyamanekoの故郷でも偉人として慕われている人物(実際に本人が石見に赴任したかは知りませんが。)。ちょっとした縁を感じました。

 切り通しを抜けるとこの風景。ここ、東京か?

 小野路宿

 谷戸筋まで下ると民家が増えてきました。この辺りは小野路宿といわれるところです。ここは別のフットパスコースの起点にもなっていて、yamanekoも2年前、ここから正面に見える丘の方に歩いて行ったのを覚えています。(そのときの様子はこちら

 小野路宿からは引き返すような形で再び山の方に上っていきます。この道、結構車の往来がありましたが、どうやら恵泉女子大方面への抜け道になっているようでした。

 一本杉公園裏入口

 尾根幹線に出る手前で一本杉公園への入口がありました。ここはなんか裏口っぽい感じでした。

 古民家

 公園内には古民家が何棟か保存されていました。これまで見てきた古民家に共通する点として、入口は右側で縁側がその左側にあります。そういえば田舎の親戚の家もそうでした。これって風水的な何かでしょうか。

 ザクロ

 ザクロの花が満開。夏の花ですね。

 一本杉公園

 園内はこんな庭園風な感じ。ここには水が流れる浅い水路などもあり、夏には水遊びをする家族連れで賑わっているようです。通りを挟んで西側には野球場などのスポーツエリアもあり、なかなか人気の公園のようです。

 ナツツバキ

 ナツツバキの小枝もゆったりと風に揺れていました。

 スポーツエリアとはトンネルで繋がっています。yamanekoたちは手前の階段(写真左側)から橋上の道に上がっていきます。

 一本杉公園通り

 公園の中を通る気持ちの良い道路に出ました。いかにもニュータウンの道路といった感じです。

 正面に尾根幹線が見えてきました。ここで今回のフットパスは終了です。ここからはバスで多摩センターに戻ります。時刻は14時55分。約3時間のブラブラ歩きでした。
 フットパスも数えて今回で13回目でしたが、まだまだ知らないところが沢山あるようです。また気が向いたら歩きたいと思います。