多摩丘陵でフットパス 〜小野路界隈〜


 

 「小野路界隈」

【神奈川県 町田市 平成26年7月6日(日)】
 
 毎月カレンダーを破るたびに思うのですが、本当にあっという間に月日が過ぎて行きます。しかももう7月。今年も半分が過ぎたということです。いや、大げさでなく愕然というかなんか嘆息してしまいますね。とはいえ今年の前半は入院・手術や転居などそれなりにあれこれあったわけではありますが。
 さて、野山歩きです。雨続きで山から足が遠のいているこの頃、わずかな梅雨の晴れ間を逃さずにフットパスを歩いてみることにしました。今回は「小野路」という地域。開発が進んでいる多摩丘陵の中でもまだ昔ながらの自然が残っているエリアだそうです。
 
                       
 
 まずは電車で多摩センターへ。そこからは神奈中バスに乗り換えます。バスは丘陵の尾根を越えて南側へ。この辺りは鶴見川の源流域にあたり、浸食による丘陵の開削が進み小さな谷戸が複雑に入り組んだ地形をしています。バスの行き先は小田急線の鶴川駅。乗客はそこそこいて、半分はお年寄り、もう半分は大学生といったところ。多摩地域には大学などの文教施設が多くあり、しかも自然豊かな立地なので、のどかな里山風景を走るバスにも若者が大挙して乗ってきたりするのです。

 小野路バス停

 乗車時間は10分ほど。小野路というバス停で下車しました。この辺りは昔でいえば谷戸の最奥部にあたり、これから峠を越えるといった場所、すなわち大きな集落などはなかったようなところだと思われますが、現在建っている建物は比較的新しめで、平成に入ってから宅地化が進んだといった感じのところです。商業施設などは見当たらず静かな集落ですが、鶴川への主要な連絡道となっているので、車の交通量は多めです。


Kashmir 3D

 今日のフィールドは、小野路の谷戸(谷戸と呼ぶには大きすぎるけど、谷のような急峻な地形とも違う。広く大きな谷戸。奥まで民家が入り込み、昔から他の集落とをつなぐ街道なども整備されている。)と西側の小山田地区との間にある谷戸(こちらも街道が通っている。)に挟まれた丘陵地。その中にも小さな谷戸が入り組んでいて、そこを巡るルートです。

 入口

 バス停の目の前に野菜の無人販売所があり、その脇の小道に入って行きます。

 この森がこの場所の本来の姿なんでしょうね。 小道は小さな沢に沿って緩やかに上っていきます。湿度が高いですがそんなに不快感はありません。

 100mばかり進むとT字路に突き当たりました。ここは左へ。更に丘を登って行くとポッカリと森が開け、ビニールハウスが現れました。地元の農家さんの畑でしょう。

 カボチャの花

 この花はカボチャ。今が花の時期なんですね。

 道路脇にのびのびとヒマワリが。もう夏なんですよね。

 ベニバナボロギク

 ベニバナボロギクには強い日差しが似合います。ボロギクとはサワギクの別名のことで、紅色でない(単に黄色い)ボロギクはノボロギクといいます。「ベニバナ」も「ノ」も明治期以降に入ってきた外来のものだそうです。今では日本の野山にしっくりと溶け込んでいますね。まず在来のサワギク(ボロギク)があり、ノボロギクが入ってきて、野に咲くボロギクだからノボロギクと命名。そしてその紅色バージョンが入ってきてベニバナボロギクと命名、という順番でしょうか。ただ、そもそもサワギクとノボロギクはそんなに似ていないんですがこのへんの感性が不思議です。

 この温泉饅頭みたいなキノコは…。

 ビニールハウスの先には丘の斜面に畑が広がっていました。細かく区割りされているところをみるとレンタルの農園なんでしょう。数人がしゃがみ込んで作業をしています。この先まで狭いとはいえこの山の中に舗装路が伸びているのは、こういった農地があちこちにあるからなのだと思います。

 

 丘をほぼ登りきったところに何やら建物が。 近づいてみると牛舎でした。宅地化が進んだ多摩丘陵とはいえここなら牛舎の匂いで苦情が出たりはしないでしょう。それにしてもここでウシに出会うとは…(妻の影響でyamanekoもウシ好きになってきました。)。

 ウシくんとしばらく意思疎通を図ってから、ふたたび歩き始めます。人の手が入った明るく健康的な雑木林です。

 コナラの株はいびつに節くれて、何度も伐採が繰り返されたことを示しています。森の資源を持続的に活用してきた証ですね。

 雑木林の先に十字路が現れました。分岐にはところどころにこんな案内表示が設けられていました。もう舗装は途切れ、軽トラとかなら通れないこともないが、といった感じの山道になっています。

 また森が開け小さな畑が。サトイモが植え付けられていますね。

 ツユクサ

 畑の傍にツユクサが咲いていました。朝咲いてわずか一日で枯れてしまう儚い花。葉先の露と同じ運命を持った花です。

 畑を過ぎてしばらく行くとまた舗装路に突き当たりました。ここは右折。方向的にはバス停の方向に戻るような向きになります。50m先に民家が一軒ありましたが、雨戸が閉められていて、どうも生活の匂いがしませんでした。ここで暮らしているとするとかなり不便なんじゃないでしょうか。いやバス停まで車で3分。案外いけるのかも。

 コマツナギ

 道端にコマツナギの花が。5分咲きというところでしょうか。
 しゃがんで写真を撮っていると小さな子供を連れたファミリーがやってきました。明らかに農作業風ではないので、フットパスを歩いているのでしょう。この先もこうやってのんびりと歩く人たちに数組出会いました。フットパス、そこそこ定着しているみたいです。

 民家の先を鋭角に左手前方向に折れて、畑の傍を歩いていきます。ホトトギスの声とかぶって遠くどこかのグラウンドから高校野球のアナウンスが。「6番、センター、○○君」 長閑です。

 クリ

 これはクリの雌花。というかこれから実になる部分です。すでに雰囲気を醸していますね。

 ムクゲ

 すぐに舗装が途切れ、道は森の中へ。背丈3mあまりのムクゲの木があり、花を付け始めていました。 やがて木立が途切れ、その先の丈の高いササを払いながら進むとまた畑が現れました。農作業の休憩中なのか、談笑する年配の男性2人。一体どこから上がって来んだろうと不思議に思いましたが、反対側からアクセスできる小道がありました。

 浅間神社

 A字形に道が交わるところに出ました。何やら神社があるというので行ってみることに。道から一段上がったところにこぎれいに整備された境内が。浅間神社というのだそうです。そういえば降りたバス停の一つ手前が「浅間下」というバス停でした。この神社の麓という意味なんでしょう。

 神社からは折り返すように山路を進みます。

 アオオサムシ

 と、道の真ん中に何やら動くものが。エメラルドグリーンに輝く甲虫。調べてみるとこれはアオオサムシだとか。オサムシの仲間としてはポピュラーなものだそうですが、ビックリするほど綺麗です。いったい誰のためにこんなにきれいに装っているのか。

 竹やぶ

 ここから道をそれて東谷戸の先端部に向かって下りて行くのですが、下り口がわかりにくく、この辺りをウロウロして2、3回通り過ぎてしまいました。結局、エッ、この藪の道を下るの?というようなところでした。暗い木立の下を下って行くとやがて竹やぶに。ちょうど下から登ってくるグループとすれ違いましたが、yamanekoを見て「やっぱり間違ってなかったんだ。」と言っていたので、その人達も本当にこの道で良いのか不安になっていたのでしょう。確かにその先も両側から覆いかぶさる笹の下をくぐって歩くような道でした。

 ヤブカンゾウ

 ようやく谷戸の奥に下りてきて、耕作地の傍を谷戸の出口方向に向かって歩いていきます。畑の畦から何株かヤブカンゾウが伸びていて濃い朱色の花を咲かせていました。この花はいつも花冠が重たそうです。

 田んぼは谷戸の出口に向かって一枚ずつ低くなっていきます。これだけの数の田んぼを潤すのに十分な量の水を供給する谷戸。里山の保水力はたいしたものだと思います。

 シオヤトンボ

 クズの蔓に停まっているこのトンボはシオヤトンボか。シオヤは漢字では「塩屋」と書くそうです。よく似たシオカラトンボといいこのシオヤトンボといい、「シオ(塩)」の名の由来はオスの灰青色の体色から来ているとのことですが、「屋」はなんだろう。

 ネムノキの枝が低く張っているところがありました。ここなら花を近くで観察できます。普通ネムノキは背が高くなるのでこうはいきません。

 ネムノキ

 花火のような花ですが、これは幾つもの花が寄り集まった状態。一つの塊で20個くらいもの花が寄り集まっています。で、一つの花に30本くらいの雄しべがあって、それで花火のような形になっています(花弁はありません。)。雌しべは花の根元の方に小さく付いているのですが、雄しべが受粉の邪魔になりはしないのか不思議です。

 東谷戸を抜けて車道に出ました。この道の手前までが小野路と呼ばれる地域で、この道を渡った向こう側は小山田地区になります。この車道を500mほど南下して、今度は「奈良ばい 」という谷戸に入っていきます。

 奈良ばい谷戸

 奈良ばい谷戸の入り口はこんな風景。yamanekoは田舎町の出身ですが、そこから更に山奥の田舎にあったおばあちゃんちに遊びに行くとこんな感じの風景が広がっていました。一瞬で当時の思い出がフラッシュバックしてきて、しばし目を閉じる。牛小屋の匂い、蝉しぐれ、川面の輝き、目を開けるまでのわずかな時間に大脳皮質のアーカイブから懐かしい記憶が蘇ってきました。タバコの葉を乾燥させる小屋もあったなあ。

 イモカタバミ

 これはイモカタバミですね。このまま鉢植えで花屋の店頭に並んでいても違和感ないくらい可愛いです。もともと観賞用に入ってきて帰化したものらしいので、当たり前か。

 

 アキノタムラソウ

 アキノタムラソウ。シソの仲間です。下から順に咲いていっているのがわかりますね。

 ノカンゾウ?

 普通のノカンゾウよりかなり赤みの強い色。園芸種でしょうか。だとしても、こんなところにポツンと一株だけあるものだろうか。→ヘメロカリスという園芸種

 コナラ

 大きなコナラの木が。この木がモニュメント的に残されているのは、土地境界の目印だったとか一里塚のような路程標だったとか、何か理由がありそうです。小野路の集落と小山田の集落とを結ぶ道ですからこの木の下で汗を拭いたり雨宿りした人も数知れずでしょうね。

 

 ヤマトシジミ  ジャノメチョウ  ベニシジミ

 たて続けに出会った小さな蝶を3種。左からヤマトシジミ、ジャノメチョウ、ベニシジミ、です。なかなかじっとしていてくれませんでした。
 道は谷戸の最奥部に向けてじわじわと上っていきます。やがて左に折れる道が現れました。案内板によると浅間神社に至る道とのことです。さっき道に迷いかけたところをそのまままっすぐ歩くとここに出るということです。ここは直進。すると今度は右に折れる道が現れました。ここは右折です。ちなみにここを直進すると、雨戸のしまっていた民家のところに出るようです。丘陵の上部は広くなだらかに起伏する地形で、そこを縦横(?)に道が連絡しているのです。 ここから今日の最高点小野路城跡に向かって登っていきます。

 ホオノキ

 シュッと伸びたホオノキ。高さも15mくらいはありそうです。幹の色といいきれいな株立ちといい、何か育ちの良さ?のようなものを感じました。

 コナラの林

 傾斜が緩やかになってきました。この辺りはよく手入れされている雑木林。歩いていて気持ちいいです。

 やがて道がY字に分かれているところにやって来ました。正面の丘の上が小野路城跡のようです。

 小野路城址

 解説板によると、小野路城は、平安時代末期(1170年代前半)にこの辺りを支配していた小山田氏が築いた出城で、本丸を含む二つの廓とそれを囲む土塁や空堀からなっていたのだそうです。ここからさっき歩いてきた奈良ばい谷戸を通って本城の小山田城と連絡していたようです。城といっても当時の城は平屋建ての簡素なもので、その出城となるともはや砦のようなものだったのではないかと思います。敵襲に備えて周囲の木立は切り倒されて、眺めは良かったのではないでしょうか。今は小さな祠がこの城址を守っていました。

 ヤマユリ

 城跡から下りてY字の分かれ道を左に辿ります。ここからは尾根の道になります。ただ木立に遮られて眺望はありません。道端に一株だけヤマユリが。立派な花冠で一株だけでも見栄えがします。

 尾根道をしばらく歩くと森の中に小屋が現れました。数人の男の人が談笑しています。ここは「図師・小野路歴史環境保全地域」の管理組合事務所だそうです(図師とは、今日歩いたエリアの南側の地域の名です。)。ここは分岐点になっていて、角に道祖神が祀られていました。

 道祖神

 道祖神というと男女が並んだレリーフ的な彫刻をイメージしますが、五輪塔も多いのだそうです。村の境界に置かれることが多く、ここのようにちょっとした峠のようなところで見かけることがよくあります。塞ノ神(さいのかみ)といって、疫病や災厄が村に入ってくるのを防ぐ役割があったのだそうです。
 ここの分岐を左に折れるとそこからは舗装路。万松寺谷という広い谷戸に向かって下っていきます。

 万松寺谷戸

 下りきって万松寺谷戸の奥を眺めたところ。谷戸というには幅が広過ぎますね。さっき正面の尾根を右から左に歩いてきたのです。
 ここからはバス通りに向かって歩いていきます。

 民家も出てきて、庭先の柿の木には実が付いていました。

 六地蔵

 途中からふたたび山路に入り六地蔵の前を通ります。赤い帽子と前掛けをした姿はおなじみのもの。でも、お地蔵さんって6体で並んでいるところをよく見かける気がします。「六地蔵」という名が付いていることからも6体であることに何か意味がありそうです。
 で、調べてみたところ、「六道輪廻」の思想に基づくものだとか。六道輪廻とは、人間を含め全ての生き物は6つの世界に順に生まれ変わるというものだそうで、それぞれの世界を地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道といい、この順番に生まれ変わるのだそうのだそうです。何やらヤバそうな世界ばかりですが、次は天界かと少し安心したりもします。信心次第なのでしょうが。で、6体のお地蔵さんはそれぞれの世界を守護する役割があるのだそうです。それぞれに名前も付いていましたが聞いたこともないようなものばかりでした。著名な僧侶や地元の有力者などの墓所の入り口に置かれていることが多いとのことです。

 ヤマホトトギス

 ヤマホトトギスです。よく似たものにヤマジノホトトギスという花があり、花被片が下向きに反り返るのがヤマホトトギス、水平程度に開くのがヤマジノホトトギスと覚えたりしますが、花被片が折れ曲がっている部分に紫色の斑紋があるのがヤマ…、ないのがヤマジノ…、という覚え方もあるそうです。

 小野神社

 交通量の多い車道に出ました。この道は昔は「鎌倉 みち」と呼ばれ、鎌倉と武蔵国の国府があった府中とを結んだ道だったそうです。この辺りに小野路宿の入口があったとのこと。その辻の傍には立派な神社があって、これが小野神社だそうです。平安時代後期に小野篁(おののたかむら)の子孫が武蔵国の国司として赴任してきて、この地に篁の霊を祀ったことに由来するのだそうです。参道の階段を上ってみると街道の辻の周辺がよく見渡せ、往時の宿の家並みなど想像してみました。山間に開けた平地に簡素な家屋が散在していたんでしょうね。人の往来も盛んだったんでしょう。今から千年も前の話です。

 小野路宿里山交流館

 小野神社の隣には小野路宿里山交流館という施設がありました。ここは小野路の文化や歴史に触れる施設として、また、里山を散策する人の休憩施設として、去年オープンした町田市の施設だそうです。建物は江戸時代の旅籠を改修したもので、レンタルスペースや地元物産の販売、軽食を取ることもできます。

 冷やしうどん

 時刻は2時。まだ昼食をとっていないのでここで食べることに。地元の野菜を使った冷やしうどんを注文しました。素朴な風味のちょっと変わった麺でした。ミョウガの香りが涼味を増してなかなかに美味かったです。コロッケは別注文です。

 食事を終えたら最初に降りた小野路バス停に向かいます。センターラインもない狭い道でありながらガードレールが設置されているのが交通量の多さを物語っていますね。実際歩いていてすぐ脇を車がびゅんびゅん通り過ぎていくのでちょっと怖かったです。

 ハンゲショウ

 道路脇の用水路(町並みに合わせてきれいに整備されていました。)を飾るようにハンゲショウが咲いていました。強い日差しを跳ね返して涼しげです。
 
 今朝、出がけに見たニュースでペルーのエルニーニョ委員会(そんな委員会があるとは。)が、海面温度の上昇が収束に転じ今年はエルニーニョが大規模なものにはならなかったと発表したと。今年日本は冷夏との予報でしたが、案外暑い夏かもしれません。今日はそんな猛暑を予感させるような暑さでした。フットパスを歩くのもこれで3回目。まだまだいろんなコースがあるので、暑さにめげずにまた歩いてみたいと思います(なにより近くてお手軽。)。