高館山 〜陶芸の里を見守る山〜
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【栃木県 益子町 平成22年12月23日(木)】
師走も後半に入り、新聞やテレビでは今年一年を振り返る特集が組まれる時期になりました。早いものです。
日々気ぜわしさばかりが募りますが、こんなときこそ静かな場所に身を置いて、来し方行く末に思いを巡らせるのがよいのでは。と、そんな精神修養のような動機ではないものの、やっぱり野山でのんびりしたいので、年末の大掃除もうっちゃって出かけることにしました。
場所は栃木県南東部、陶芸の里「益子」。益子町のちょうど真ん中あたりに位置する高館山に登って、その後益子焼でも見て帰ろうという流れです。
東京を午前8時に出発。東北道をひた走り、途中から北関東自動車道に入って、真岡ICで高速を下りました。その後長閑な田舎道を30分ほど走って、10時半に益子町の城内坂という観光客が多く訪れる地区に到着しました。ここは益子焼のお店が集中している地区で、昔ながらの佇まいの店もあればギャラリー風なしゃれた店もたくさん並んでいました。
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窯元共販センターという益子焼のショッピングセンターのようなところがあって、そこの駐車場にドリーム号を停めることにしました。上の写真は駐車場の隣にあった陶器のお店。共販センターとは別の個人経営のお店で、民家を改造したらしく、玄関先が展示スペースになっていました。付近にはこういう店があちこちにありました。
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共販センターの入り口にはどでかい狸が。大きすぎて愛嬌がないですが、どうやら「ポン太」という名前のようでした。ポン太饅頭なるものも売られていました。
益子焼は、江戸時代末期に始まる食器、水瓶などの実用器を主体とした焼き物で、厚手の素材に茶や黒の釉薬で大胆な構成の絵付けをするのが特徴なのだそうです。ただ、材質の特性上重たく、割れやすいのだとか。益子焼が全国的に有名になったのは、浜田庄司という陶芸家が花器や茶器などの民芸品製作を手がけ、後に人間国宝に指定されたことがきっかけだそうです。以上、HPなどから仕入れたミニ知識でした。
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今日のルートは、共販センターを出てから国道230号線を東に向かい、登山口がある「益子の森」を目指します。そこから高館山に向かって上り始め、山頂を踏んだ後は反対側に下りてぐるっと回って帰ってくるというものです。
10時50分、駐車場をスタート。天気はすばらしい冬晴れで気持ちいいですが、気温は低いです。店の看板代わりなのか益子焼で作られた猫らしきものがあちこちにありました。こんなのを見て回ってもおもしろいです。
須田ヶ池 |
道の脇に大きな池が現れました。須田ヶ池という農業用のため池のようで、水鳥がたくさん憩っています。ときおりカモの鳴き声がする以外は静かな空気に包まれていました。
フォレスト益子 |
11時20分、益子の森の入り口までやってきました。雑木林の向こうになにやらモダンな建物が。案内板によると、これは「フォレスト益子」という町営の施設で、レストランや宿泊、研修室などの複合施設のようです。駐車場にはけっこう車が停まっていましたが、人影はありませんでした。
登山口 |
登山口はこのフォレスト益子のすぐ近くにありました。里山らしく登山道もよく整備されているようです。ところどころに平均台や前屈台などの木製のストレッチ器具が設置されていて、散歩道といった感じです。
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しばらく尾根の上を歩いてから振り返ったのが上の写真。遠くに足尾山地の山々が見えます。その上の雲は日本海側からやってきた雪雲でしょう。
展望台 |
ルートをちょっとそれて展望台に行ってみましょう。山上の砦をイメージさせるような木製の建物ですが、接合部を鋼板で耐震補強してあり、かなりしっかりした展望台です。
西方向 |
展望台にも誰もいませんでした。風の音もなく、静かです。上の写真は西の方向(正確には西北西か)の展望。関東平野の北の端、遠くに足尾山地が横たわっています。中央やや右の高い山は日光の男体山です。
ふもとの方からSLの汽笛が聞こえてきました。きっと真岡鐵道のSLでしょう。望郷の念を起こさせるなんとも懐かしい響きです。yamanekoが子供の頃育った家は駅の近くにあり、駅の構内は遊び場だったのです。小学校5年生くらいの頃まで蒸気機関車が走っていました。構内には貨車の引き込み線や機関車に水を補給するための煉瓦造りの塔があったりして、子供の興味は尽きませんでした。D51の重連走行のド迫力は今でも忘れていません。
益子の町並み |
鬼怒川の河岸段丘に開けた益子の町。人口2万5千人弱の町ですが、平成の大合併を生き延びた町です。
北東方向 |
北東方向に横たわるのは茨城県との県境の山々です。富士山のように均整のとれた山が見えますが、あれは芳賀富士(272m)。芳賀というのはこの辺りの地名で、益子町は芳賀郡に属しています。
高館山 |
真南には高館山。もろ逆光です。
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さて、登山道に戻りましょう。展望台より先は、散歩道という雰囲気ではなく、登山道っぽくなってきました。木々が葉を落としているので明るい道です。
吊り橋 |
途中に吊り橋がありました。下は川ではなく、道路をまたぐ橋です。
堆積岩 |
橋を渡ると一層「山道」感が高まってきました。道の脇には堆積岩っぽい岩が露出しています。後で調べてみたところ、新第三紀(約2500万年前から約250万年前まで)の海成の堆積岩とのことでした。新第三紀は火山活動が活発で、日本列島が大陸から離れ日本海が誕生した時期。そんな激動の時代、この辺りは海の底だったんですね。
ゴンズイ |
彩りの少ない山道でゴンズイの実を発見。どっかの枝から落ちてきたものでしょう。紅色が鮮やで目立っていました。果肉の部分が未熟でずいぶん小さいです。普通はもっと大きいのですが。
ヒサカキ |
関東地方ではサカキの代用品として用いられるヒサカキです。ヒサカキを漢字で書くと木偏に令と書きますが、サカキのことを別名「マサカキ(真榊)」というところからすると、案外「非榊」なのかもしれません。
春に里山を歩くとヒサカキの花が臭ってきて、これを嫌う人もいますが、yamanekoは春の到来を感じさせる香りとして、どちらかというと好感を持っています。
ヤママユの繭 |
ヤママユの繭(抜け殻)を見つけました。幼虫はクリやコナラなどの落葉広葉樹の葉を食べるので、雑木林で見つけることが多いです。地面にあったのでちょっと土にまみれていますが、萌葱色のいい色合いですね。成虫は黄土色の大型の蛾です。ちなみに、この繭からとれる絹糸はカイコのものより上質なのだそうです。
ナガバノコウヤボウキ |
数少ないキク科の木本のうちの一つ、ナガバノコウヤボウキです。ドライフラワー状態ですが。
??? |
現地で見たときにはてっきりセンブリだと思っていたのですが、帰って調べてみたところ違うようでした。高さは10センチくらい。何だろう? 真ん中から柱頭らしきものが突き出ています。果実が5つに分かれているので双子葉植物だと思いますが。 ←枯れたギンリョウソウではないかと後日気がつく。
急坂 |
高館山には昔、城が築かれていたそうで、今でも空堀跡や壁のような坂道が残っています。登山道はそんな遺構を巡るように延びていました。
蜂の巣 |
花がなくてもいろいろなものが目にとまります。これはアシナガバチのものと思われる蜂の巣。作りかけで放棄されたようです。途中でスズメバチの襲撃を受けたのか?
冬木立 |
空に向かう冬木立。その姿に何か覚悟のようなものを感じます。
ツルアリドオシ |
ツルアリドオシの実はユーモラス。ひと頃流行ったゲームの「ぷよぷよ」みたいです。目のようなのは花の跡。もともと蕾の段階から2つの花の子房部分が合着していて、必然的に実になったときにこういう形になるのです。
山頂 |
12時30分、山頂に到着しました。標高は302mです。山頂はまさに城跡で、大きな建物が建てられるほどの広さがありました。ここまで上ってくる間にも多くの郭跡があったところをみると、そこそこ立派な城だったようです。
弱い日差しが辺りを包み込む冬日向。ここで昼食としましょう。
石組み跡 |
山頂広場には城の石組みとおぼしき大きな石がごろごろしていました。
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午後1時、じっとしていると寒いので動き出すことにしました。下山開始です。今年の夏は異常な暑さだったのにねえ。
西明寺 |
20分ほど歩いたところで西明寺の裏手に出てきました。上の写真は正面に回ってみたところです。由来によると、天平9年(737年)に行基が十一面観音を刻んで安置したのが始まりとのこと。中世にはかなり隆盛したようで、15世紀から17世紀にかけて建立された山門や三重の塔、鐘楼、閻魔堂などの伽藍が今でも残っていて、そのうちのいくつかは国の重要文化財に指定されていました。
コウヤマキ |
境内の奥にコウヤマキの巨木が立っていました。もともと高木ですが、県の天然記念物に指定されるほど巨大で、樹高30m、幹周り5.4m、推定樹齢750年だそうです。
雄花 |
木の周囲に雄花がたくさん落ちていました。小さな松ぼっくり状の花序がブドウの房のように付いています。
ソシンロウバイ |
境内を抜けるとどこからか甘い香りが。見るとソシンロウバイの花が開いています。この花は年末から咲いているので、初詣の行き帰りに民家の庭先から匂ってくる花といった印象があります。蝋細工のような質感の花弁が冬の花の慎ましさをよく表現しています。
里山 |
参道を下っていくと、やがて里に出ました。畑作も終わり、来年の作付けに向けて準備ができているようです。
高館山 |
あとは農道をゆっくりと歩いて戻ります。途中、高館山を望めるところがありました。写真の左手から上って右手に下りてきたことになります。これぞ日本の原風景といった感じですね。買い物と医療の便が良ければ、将来こんな場所で暮らすのも悪くないかも。まだまだ先の話ですが。
城内坂地区 |
2時15分、ぐるっと回って城内坂地区に戻ってきました。この一帯は道幅も広く、歩道や街路樹も整備されていて、歩いていて気持ちがいいです。道の左右には焼き物の店が並んでいて、観光客もそこそこいました。若い女性だけのグループなどもいましたが、さすがに渋すぎるのでは。それとも「山ガール」の次は「窯ガール」なのか?
yamanekoたちも何か物色してから家路につくことにしましょう。
そういえば昨日(22日)は二十四節気の冬至でした。冬至は「一陽来復」ともいい、これは冬至を境に「陰が窮まって陽にかえる」ことからです。これから少しずつ日が長くなってゆくと思うと、何となく明るい気持ちになってきます。世の中ももういい加減に「一陽来復」となってほしいものですね。ホント。
さて、今年の野山歩きもこれで納め(たぶん)。怪我をすることもなく楽しませてもらいました。でも楽しんでばかりではなく、そろそろ自然に恩返しをすること、そのためには何ができるかも考えなければならないですね。
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