横倉山 〜牧野が歩いた学究の山〜


 

【高知県越知町 平成17年8月12日(金)、13日(土)】
 
 四国自然観察の旅2日目。天狗ノ森の早朝観察を終えて、朝食を済まし、次なる横倉山へ向けて出発です。
 天気は今日も素晴らしい夏空。暑くなりそうです。
 9時過ぎに天狗荘を発って、まずはふもとの旧東津野村を走るR439まで一気に急降下していきます。つづら折れなんて生易しいものじゃなくて、ドリーム号のステアリングがどうにかなるんじゃないかってくらいのクネクネ道でした。
 ようやくR439まで降りてきてもこの道も似たようなもので、離合もできないような道が山ひだに沿って延々と続いていました。旧仁淀村でR33に合流したときにはホッとしたほどです。

 横倉山

 10時30分、越知町に到着。まずは地元のスーパーに寄って昼食用の弁当をゲットします。
 ふもとから見る横倉山はごつごつとしていて存在感は満点。特に最も手前にそびえるカブト嶽の部分は難攻不落の要塞のようにも見えます。これから林道を車で登っていって標高550mくらいのところにある第三駐車場から山歩きを始めることにします。林道の入口の標高が約60mなので一気に500m近く登っていくことになります。やっぱり四国の山は険しい!

 この山の標高は三角点のある場所で774m。でも、その奥の山塊とつながっているので、横倉宮やその奥の空池の辺りでは800mを超え、さらにその奥では1000mを超えるピーク(上の写真の左隅に顔をのぞかせている)へとつながっています。すなわち横倉山は独立峰ではなく、大きな山塊から張り出した稜線の前衛に当たる山ということになります。

 登山口

 横倉山は、日本の植物学の基礎を築いたといわれる牧野富太郎氏が研究のフィールドとしたことで有名で、ヨコグラノキやヨコグラツクバネ、コオロギランなど氏がこの地で発見し命名した植物は多くあります。また、この山は平家伝説の残る歴史の山でもあります。源平の戦いの最終章、壇ノ浦で命を絶った幼帝安徳天皇ですが、実は側近とともに生き延び、この山中で23歳になるまで暮らしていたというものです。今でも山深い森の中に宮内庁が管理する陵墓参考地があります。(ただ、いかんせん宮内庁が参考地として認定したのは戦前の話なので…)

 登山道

 11時15分、山歩きスタート。広葉樹の林の中を登っていきますが、風がないので汗がドッと噴き出してきました。

 杉原神社

 やがて巨大な杉木立の中に神社が現れました。この神社は杉原神社といって、平家の守護神である熊野権現が祀ってあるそうです。それにしても大きな杉です。大人5人が手を伸ばしてようやく届くほどの太さ。(大人5人が手をつないで輪を作っているところを想像してみてください。びっくりするほど大きな円になりますから。) 高さも半端ありません。往々にして寺社林というのは伐採されないので大きな木が残りやすいのですが、こんな巨大なものが何本も、ドーン、ドーンと立っている。しかも天に向かって真っ直ぐに。圧倒されました。

 モミジガサ

 この時期は草本の花は少ないのですが、それでもいくつかは目につきます。モミジガサはこれから咲き始めるといった感じ。一方、ギンバイソウの花期は終わり果実を膨らませつつありました。
 
 午後1時、稜線に出たところで少し遅めの昼食にすることにしました。ちょうど小さな休憩所のようなものがあります。この場所のすぐ近くに横倉宮がありますが、これは帰りに寄ることにしました。

 安徳天皇陵墓参考地

 昼食後、安徳天皇の陵墓とされるところへ行ってみました。立ち入り禁止の看板には「宮内庁」の文字がありましたが、頻繁に手入れされている感じはしません。それでも鳥居や柵はまだ新しく、10年くらい前に建て直したもののようにも見えました。
 しかしいかに深山とはいえふもとに大きな集落があるようなこの場所で、15年間もの間本当に源氏の追っ手から隠れ果せたのでしょうか。

 馬鹿だめし

 稜線に沿ってぐるっと回り込むと眺望所があり、ここからは横倉宮の裏手にある絶壁を見渡すことができます。この断崖は「馬鹿だめし」と呼ばれ、断崖の先端まで行って下をのぞき込めるのは常人ではできない、すなわち馬鹿だ、ということでこの名前が付けられたのだそうです。ちなみに高いところが苦手なyamanekoにとってはどんなに馬鹿になってものぞき込むことはできません。(キッパリ)

 ヤマジオウ

 空池に向かう途中の登山道に淡い色合いの花を見つけました。シソ科のヤマジオウです。蔓のようなものを延ばしていたので、おや?と思ったのですが、どうやらこれは地下茎が地表に出たものだったようです。葉にも花にも短い毛が密生していました。

 横倉宮

 横倉宮まで戻ってきました。祀られているのは安徳天皇です。創建は安徳天皇がこの地で亡くなった西暦1200年といわれていますが、その後たびたび修改築されているようです。現在の社殿は明治30年に建てられたもの。それでももう100年以上も経っているんですね。
 この横倉宮の裏手に馬鹿だめしの断崖があります。その裏手に回り込む途中に牧野氏が発見したヨコグラノキがありました。よく見ると高いところに丸くて赤い果実を実らせていました。
 
 時計は午後2時半を回りました。今日はこの後ふもとにある「自然の森博物館」に寄って、夕方までに高知市内に入る予定。そろそろ下山を開始します。本当はこの山で黄色い花を付けるジョウロウホトトギスに逢いたかったのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。

 ヨコグラノキ(植栽)

 下山後、「自然の森博物館」の庭に植栽されたヨコグラノキがあったのでゆっくりと見てみました。葉の付き方は互生ですが、右、右、左、左、と付いているのが特徴です。

 ジョウロウホトトギス(植栽)

 午後6時、高知市内の宿に到着。ユースホステル「酒の国共和国」です。一昔前のユースをイメージしていたのですが、行ってみると新築の落ち着いた大型住宅といった感じ。中も明るく清潔でお洒落な雰囲気でした。何よりご主人が以前酒造メーカーに勤めていたとのことで、食堂には高知の地酒がいっぱい。美味かったです。

 よさこい祭り(後夜祭)

 夕食後、よさこい祭りの後夜祭に行ってみました。簡単にいえば和製サンバカーニバルといった感じですが。そのド迫力にビックリ。ものすごいパワーです。やっぱりこれは見るより参加した方が圧倒的に楽しいでしょう。(見るだけでも十分楽しめます。)


 3日目は高知市内の五台山にある牧野植物園です。五台山といっても高さは100mちょっとで、丘のようなものです。

 牧野植物園(入口)

 入口は山頂部にあり、そこから少し下ったところに回廊でつながれた建物があります。

 ハマボウ

 日差しが厳しく、日陰をたどって歩いていきます。

 本館には体験学習室や映像ホール、レストランや売店など。展示館には牧野富太郎の生涯を年代に分けて分かりやすく紹介してあり、また、植物の進化や分類、社会・人との関わりなどを解説してあります。
 この植物園内には牧野氏の様々な時代の写真がありますが、いずれも穏やかな笑顔で映っていました。なかにはお茶目なものもあり、老境に至っても子どもの心を忘れない人だったことが伺われます。

 カノコユリ

 午後2時、遅めの昼食を終え帰途につきました。帰りは高知ICから高速道路に上がり、瀬戸大橋を渡って広島まで。約300qを走って無事帰り着きました。
 でも、盛りだくさんの3日間だったのに疲れが出ないのはなぜだろう?