休山 〜早春の瀬戸で空中散歩〜


 

【広島県呉市 平成17年2月27日(日)】
 
 2月の定例観察会は呉市にある休山(やすみやま)。先週の日曜日だったのですが、yamanekoはインフルエンザで寝込んでいたので欠席してしまいました。
 ということで、今日はそのリベンジです。

 音戸大橋

 ドリーム号は朝日を正面に見ながらクレアライン(広島と呉を結ぶ自動車専用道)を呉市まで走り、そこからさらに南下して音戸の瀬戸公園に向かいます。
 本土から半島状に突き出た部分と倉橋島との間にある狭い水路を「音戸の瀬戸」といい、瀬戸内海の数ある「瀬戸」のうちでも風光明媚なことで有名です。その昔、浅瀬だったこの瀬戸を平清盛が開削したといわれ、それにまつわる逸話もあれこれ残っています。
 ここは安芸灘と広島湾とを結ぶ海上交通の要衝で、潮の流れも速く、また、大型フェリーから貨物船、高速船や小さな漁船に至るまで一日5千隻以上の船舶が行き来する海の難所でもあります。
 倉橋島から本土への架橋はその距離だけを考えればそう難しいものではありませんが、航行する船舶の大きさを考えると桁下を長くとらなければなりませんでした。そこで昭和37年、当時としては全国的にも珍しいループ橋を建造したのです。倉橋島側のループは鉄筋コンクリート製で900度(2回転半)、本土側は山肌の斜面を利用したループでS字の後に540度(1回転半)。車で通ると今どっちを向いているのか分からなくなりそうです。
 
 10時、音戸大橋を見下ろす音戸の瀬戸公園を出発。桜の並木が見事です。


Kashmir 3D

 今日はここから半島部を稜線沿いに北上し、休山の山頂を目指します。その距離約8q。ずっと舗装された車道を歩くことになりますが、天気もまずまずだし、楽しい山歩きが期待できそうです。

 海原の道

 歩き始めてまもなく、桜の里公園の展望台に寄ってみました。ここからは安芸灘側の眺望が広がっています。
 朝日に水面がキラキラと輝いていて、本当に鏡のよう。yamanekoの故郷の海、日本海とはえらい違いです。その鏡のような水面に残された船の航跡が、まるで海にも道があるかのように遠くまで続いていました。

 稜線を行く

 休山の標高は500m。決して高い山ではありませんが、ほぼ海抜0mから延々と登り続けるので、それはそれで結構きついです。ときどき通り過ぎる車もエンジンをうならせながら登っていきます。

 カクレミノ

 さすがは沿岸部の山だけあって、昨日登った二ヶ城山とは風景が違います。
 まずカクレミノが多い。幼木から立派な成木まであちこちに。あとはコナラ、ヌルデなど。低木ではヤブツバキ、ヒサカキ、ヤツデ、ツツジの類も多いようです。

 クロキ or モチノキ

 小さな花をみつけました。現場では「クロキだな。」と判断していたのですが、帰って図鑑を見てみると、どうもモチノキのようにも見えます。葉は革質でほぼ全縁ですが先の方にわずかに鈍い鋸歯があり、この点をみればクロキです。でも花を見ればクロキにしては雄しべの数が少なく、この点ではモチノキに似ています。花芽の付き方、樹皮などは双方共通しています。図鑑でも両者はよく似ていると記述されていて、見分けるポイントはクロキには枝に目立った稜がある点だとか。これを知っていれば…、まだまだ観察が不十分でした。残念!

 左手には江田島がすぐそこに見えます。江田島は倉橋島と橋でつながっていて、ある意味陸続き。全般的になだらかな丘のような島ですが、北の方にはとがった峰を持つ古鷹山もあります。その間の水道にはあのイラク復興支援にも参加した海上自衛隊の輸送艦おおすみ(おそらく)が停泊していました。
 また一隻、フェリーが音戸の瀬戸に入っていきました。

 音戸の瀬戸全景(左:安芸灘、右:広島湾)  中央やや右に音戸大橋

 10時55分、高烏台(たかがらすだい)に到着。ここから音戸瀬戸の水路が一望にできます。狭く曲がりくねった水路。これは確かに海の難所だ。さしずめミニマラッカ海峡といったところか(行ったことないけど)。ただしこの海峡に出没するのは海賊ではなく、庶民の足として親しまれている渡し船ですが。
 高烏台は平清盛が音戸の瀬戸開削のときに沈む夕日を扇で招き返して突貫工事を進めたといわれる伝説の地です。沈む夕日さえも引き戻すほどの権勢を誇っていたというたとえ話でしょう。明治時代にはここに砲台が築かれました。軍都広島を守護するために広島湾一帯の島々には多数の砲台が築かれています。日露戦争の直前の頃の話です。

 シロダモ

 シロダモの葉はいつ見てもいきいきとして伸びやかな感じがします。
 標高が上がってくると周囲にはオオバヤシャブシが優勢になってきました。あとシャリンバイやネズなども見られます。
 時計の針はすでに11時半を回っています。いまだ延々と続く上り。
 昔の田んぼの跡があります。小さな谷地を段々に区切った猫の額ほどの田んぼで、もううち捨てられてからかなりの年月が経っているようです。日本で有史以来の慢性的な米不足が解消したのはようやく近年になってのことです。それまではこのような稲作にはあまり適していない場所であっても開墾し、作付け面積を拡大していく必要があったのでしょう。
 しかしこの道沿いはゴミの不法投棄が多いな。

 三津峰山山頂

 11時45分三津峰山に到着。ここからは呉の街が一望にできます。
 本来なら休山の頂上で昼食としたいところでしたが、さすがに腹が減ってもうこれ以上歩く気になれません。ここで昼食をとることにしました。今日もカップラーメンです。

 海自の桟橋

 眼下の桟橋には海上自衛隊の第4護衛隊群や第1潜水艦群が展開しています。海上自衛隊には呉の他に4つの地方隊があり、横須賀(神奈川県)、佐世保(長崎県)、舞鶴(京都府)、大湊(青森県)に配置されていて、それぞれ太平洋、東シナ海、日本海、オホーツク海を睨んでいるのかなと推察されますが、呉の場合は?と考えるとよく分かりません。昔の軍都の名残なのでしょうか。
 呉港を挟んで対岸には海上保安大学校。ここは海上保安庁の幹部候補生を養成する機関で、全国でここにしかありません。
 その奥には広島湾が広がっていて、遠く広島の市街地が見えます。
 
 昼食を食べて人心地ついたのですが、なにしろじっとしていると寒いのです。12時ちょうど、また歩き出すことにしました。

 休山山頂と灰ヶ峰(奥)

 小鳥が多くなってきました。何種類もの鳴き声が聞こえます。冬の間よく見かけたジョウビタキは春の訪れとともに北の方へ帰っていくでしょう。代わってキビタキなどの夏鳥がやってくるのです。
 12時20分、梅の木峠までやってきました。正面にようやく休山の山頂を見ることができました。その奥には呉市街地を背後から見下ろす灰ヶ峰の姿も見えます。
 
 12時25分、宮原へ下る道の分岐にやってきました。帰りはここを下って呉の街(宮原5丁目)に出る予定です。でも今は直進して山頂を目指します。
 道路脇の斜面の日陰には雪が残っています。この辺りは広島市内と比べ常に1、2度気温が高いのですが、ここ2、3日の冷え込みで呉にも雪が降ったようです。

 山頂

 道はつづら折れを繰り返し、最後の上りにさしかかりました。息が上がります。
 12時50分、ようやく山頂に到着。駐車場を挟んで左右にテレビの中継アンテナがそびえています。あとは立派な展望台。
 まずはコーヒーを飲んでゆっくりしましょう。風さえしのげば日差しは暖かいです。

 山頂からの眺望(安芸灘側)

 安芸灘が明るく暖かそうに見えます。これはもう春の海です。正面には下蒲刈島から連なる芸予諸島、左手には野呂山、右の方には遠く四国の山並みが見えます。眼下の谷間を飛んでいたトビが上昇気流を捕まえてグルグル輪を描きながら上空に舞い上がっていきました。瀬戸の海は本当にのどかです。

 山頂からの眺望(広島湾側)

 ひるがえって広島湾側を見ると、呉市街と呉港、その向こうに低く細い島影の江田島、奥にテーブル状の能美島。遠くには広島湾に浮かぶ峠島や似島の姿も見えます。遙か中国山地には雪雲が。
 呉市は今月20日に周辺の音戸町、倉橋町、蒲刈町、安浦町、豊町を編入して、人口約25万人の市として再スタートします。元の呉市の基幹産業だった造船は長い不況をくぐり抜け、今では各社とも数年先までの受注がめいっぱい詰まっているそうですが、一方の合併相手の各町はほとんどが島嶼部の町で、果樹栽培や漁業の他はこれといった産業がないのが実情のようです。合併後も編入された町の人々が郷土の誇りを失うことなく暮らしていけていればよいがと、つい大きなお世話なことを考えてしまいます。

 アセビ

 1時20分、山頂を出発します。登ってきた道を引き返すのですが、道が尾根の東側をとおっているときは風が当たらないのでポカポカと暖かいです。歩きながら目を閉じると、まぶたの裏に木漏れ日の明暗が感じ取れます。気持ちいい山歩きになりました。

 谷を下る

 1時40分、宮原への分かれ道まで戻ってきました。ここを右手に折れて、谷底に向かって急降下して行きます。

 ヤブニッケイ

 やがて民家が現れ始めました。どこからか梅の香りが漂ってきます。高台から見る港の風景が日常にある暮らし。なんかちょっと憧れるものがあります。霧笛の音などが聞こえてきたりするとますますいい雰囲気。
 住宅街というか商店街というか昔ながらの町に出てきました。坂の街、宮原地区です。通りの向こうに造船所のクレーンが見えています。港町らしい風景です。

 宮原5丁目  バス停前

 2時15分、宮原5丁目のバス停に到着。時刻表をみると2時23分のバスがあります。これでとりあえず音戸渡船口まで行けば、そこからはドリーム号を停めている音戸瀬戸公園までは目と鼻の先です。おっと、バスが来ました。
 バスは坂の街の町中を走ります。まるで等高線をトレースするように、地形に沿ったくねくねとした道を進んで行きます。乗客のほとんどは呉市街で買い物を終えて帰途につく人たちのようです。車窓からの風景も長閑なものです。

 音戸の瀬戸公園

 2時45分、スタート地点の音戸瀬戸公園に戻ってきました。
 今日はもっとポカポカと暖かい春の山歩きになるかと思っていましたが、思いのほか風が冷たく、雲に日差しが遮られたりすると肌寒く感じるほどでした。
 でも春は着実に近づいてきています。今年の冬は寒かったのでどの桜もしっかりと低温刺激を受け開花に向けての準備を整えていることでしょう。(桜の花の開花には休眠を打破するために一定の低温を経験することが必要といわれています。) あと一月、開花の時期は例年より遅いようですが皆いっせいに見事に咲いてくれると思います。
 これから先、野山を歩くたびに春の足音を間近に聞くようになるでしょう。楽しみです。

 休山全景
 (瀬戸見町から)