長門峡 〜火山と湖 太古のロマン〜


 

【山口県阿東町 平成15年10月5日(日)】
 
 山陰の小京都津和野から国道9号線を山口方面に向かい、山あいの坂道の果てに県境の峠を登りきると、目の前には高原の田園風景が広がっています。
 ここは山口県阿東町。今日はこの町の南西部にある「長門峡」に行ってみようと思います。
 峠越えしても道は下らず、峠の高さのままで平地が広がっていて、田園風景は南西に下る国道に沿うようにして細長く続いています。ちょっと変わった雰囲気の地形だな、という印象を受けました。すると、長門峡の入り口にある道の駅の解説板にこう書いてありました。
 
 太古(解説板によると50万年以前)、ここには今とは逆の北東方向に向かって流れる川がありました。この川は現在の津和野を通り、益田市辺りで日本海に注いでいました。もっとも当時の海岸線は今よりはるか沖合にあった可能性もあるので、益田市辺りをとおってさらにその先で注いでいたと言ったほうがいいのかもしれません。
 あるとき今の県境あたりでいくつもの火山が成長して盛り上がり、川は分断されました。火山より上流側では川の流れが逆流し、やがてそこには大きな湖ができたのだそうです。「古徳佐湖」です。
 やがて、膨大な水圧に耐えきれなかった部分が決壊し、山を削りながら北西に流れ出し、現在の萩の辺りで日本海に注ぐようになったのだそうです。この決壊により削られた部分が「長門峡」です。そして、古徳佐湖に流れ込んで堆積した土砂(火山灰も?)が阿東町の田園風景を作ったのです。

 長門峡

 ごく簡単に説明すると次のとおりです。

 目を閉じて湖があった頃の風景を想像してみると…。そのころには湖畔で人間の生活が営まれていたかもしれません。
 
 さて、目的の長門峡はというと、紅葉の季節にはまだ早く、渓谷沿いの散策路を歩く人もまばらといったところでした。(道の駅は人でごった返していましたが。)

 ここ数日は雨も少なく、水の流れにも迫力がありません。
 道の脇にはアキチョウジ、ヤマシロギク、チヂミザサなどを多く見かけました。

 ヤマシロギク

 日陰にヤマシロギクの白い花弁が浮き立って見えるようです。

 カワラタケ

 打ち上げられた流木にカワラタケが付いていました。
 このキノコは薬用になるそうで、傘の裏の生菌を乾燥させて煎じて服用するのだそうです。

 ここを激流が削って流れていったのかと思うと、人智を超える水の力のものすごさを感じずにはいられません。

 ギボウシ

 岸辺から伸びるギボウシの刮ハ。その下に水を湛える淵には対岸の岸壁と秋の蒼い空が映り込んでいます。
 静かな午後です。

 コムラサキ

 渓谷の入り口まで戻ってくると、民家の軒先に鮮やかな色を見つけました。
 


 津和野は観光シーズン。綺麗に剪定されたキンモクセイの香りが漂っていました。