高尾山 ・ 影信山 〜冬と春の狭間で〜


 

【東京都 八王子市 平成20年3月1日(土)】
 
 先週、強烈な春一番が吹いて以来、花粉と黄砂がどっと押し寄せるようになりました。早くも今日から3月。飛んでくるものはうっとうしいですが、同時に春の足音も聞こえてくる時期。なんとなく心弾む季節です。
 今日は職場の後輩B君と、東京の奥座敷と呼ばれる奥高尾を歩いてみることにしました。
 
                       
 
 8時過ぎ新宿発の京王線で高尾山口駅を目指します。B君はというと、千葉在住のため朝早く高尾に来るのが辛いと考えたらしく、昨日の仕事が終わってから八王子まで移動して、あらかじめ予約しておいたビジネスホテルに泊まったようです。(ずいぶんリキが入っているようです。)

 清滝駅

 9時3分、京王高尾山口駅に到着。後輩と合流して、まずはケーブルカーの清滝駅に向かいます。といってもケーブルカーに乗るわけではなく、駅の左手に登山口があるのです。今日歩くのは6号路といって、谷沿いの道。山頂直下まではひんやりとした日陰の道になると思います。


Kashmir 3D

 高尾山の山頂まで登ってしまうと、そこから先の奥高尾は尾根筋の道になります。城山、影信山と歩いて、さらに陣馬山まで歩く人も多いですが、今日は影信山からふもとに下って、バスで高尾駅に戻ってくるコースです。

 6号路入口

 9時30分、清滝駅前を出発。まだひんやりとした空気の中をしばらく歩いていくと、左手に6号路入口が現れます。我々の他にも前後して数人が6号路に入っていきました。

 シャガ

 登山道脇にびっしりと並ぶシャガの葉。このように法面一面に生えるシャガは土留めの役割を果たしているのだそうです。シャガは5月頃に薄紫のあでやかな花をつけます。花自体は派手な造りなのですが、自然では薄暗い林の縁で見かけることが多く、なんとなく陰気な印象を受けるのは自分だけでしょうか。

 ヤマアジサイ

 流れを右に見ながらゆっくりと歩いていきます。まだほとんど花のないこの季節。でも、ところどころにヤマアジサイのドライフラワーが残っていました。

 直立した粘板岩

 「硯岩」という標識に辺りを見渡してみると、板状に亀裂の走った堆積岩が、ほぼ直立した形で露出していました。この辺りの岩石は中生代(恐竜の時代)に海底に堆積した土砂が岩石になったもの。当然に水平に積もっていったものですが、その後の地殻変動で膨大な力を受け約90度傾いて直立してしまったのです。どえらい力です。

 モミの種鱗  モミ

 道が沢から離れ、やや高いところを辿りはじめると、路傍にモミが現れはじめました。足下に散らばっている種鱗(マツぼっくりでいうところの一枚一枚のへらのような部分)でその存在を知ることができます。
 この辺りまで来るとだんだん汗ばんできて、アウターを一枚脱いでリュックに詰め込むことになります。ついでに休憩して、おやつのあんパンを食しました。

 山頂近く

 沢筋のどん詰まりまで行くと、そこから道は山肌にとりつきジグザグに高度を稼いでいきます。ほどなく明るい尾根筋の道になり、そうするとすぐに山頂です。

 山頂  ビジターセンター

 11時15分、山頂(599m)に到着。スタート地点からの標高差は約400mです。あれこれ観察しながら登ったので1時間45分かかりました。でも予定では2時間を見込んでいたので、これでも余裕です。(普通の人は1時間くらいで登ってしまいます。)
 山頂からは丹沢山塊が目の前に見えました。本来であれば富士山の姿も正面に望めるはずなのですが、春が近いせいか今日は霞んでいて、いったいどこに雲隠れしてしまったのかという感じです。この時間になるとケーブルカーを使って来た観光客も多くなり、展望台は子どもたちの歓声で賑わっていました。
 そしてちょっと早めの昼食を。コンビニで買った巻き寿司弁当とおかずには軟骨のから揚げ(つまみとして売っていたもの)、それとデザートにフルーツゼリーです。

 奥高尾

 11時50分、高尾山山頂を後にして、再出発です。ここからはずっと明るい尾根道。正面の梢越しにこれから向かう山々が見えました。
 道は雪解け、というか霜柱解けでところどころぐちゃぐちゃにぬかるんでいます。また、この霜柱が完全に氷と化して分厚いアイスバーンになっているところも少なからずありました。今日のために新調したというB君の靴はすでに悲惨なことになっていました。

 一丁平  津久井

 何度かアップダウンを繰り返し、見晴らしの良い一丁平というところに到着しました。南向きに立木が伐採されていて展望が確保してあり、津久井の街並みが箱庭のように見えました。
 写真で分かるとおり、この辺りの土は赤土。関東ロームと呼ばれる火山灰土です。地理的に富士山や箱根火山群からの噴出物でしょう。(関東平野北部の火山灰土は上毛や信越国境の山々からのものです。)

 城山へ

 高尾山から城山までは道幅も広く、登山道といった雰囲気はありません。整備されたハイキングコースといったところです。

 城山山頂  高尾山

 12時40分、城山山頂(670m)に到着。ちょっと休憩です。ここには大きな電波塔があり、これは直線距離で40q離れた自宅のベランダからも確認することができる大きさです。また、ここには立派な茶屋があって、なめこ汁とかを売っていました。
 来た方角を振り返ると手前の稜線の奥に1時間前に昼食をとった高尾山の山頂が見えました。思ったより遠くに見えてちょっと意外。あそこからトコトコ歩いてきたのです。

 霜柱

 休憩後、小仏峠に向けて再び歩き始めます。アイスバーンと化した急な下り坂を用心しながら歩いていると、誰が割ったのか氷の穴が空いていました。断面の厚さは5pくらいあり、霜柱が固まったものであることが一目瞭然です。

 小仏峠

 13時10分、小仏峠まで下りてきました。標高は548mです。昔はここを越えて甲州や信州に向かったんですね。今はこの下に中央本線と中央道が通っています。
 ところで2万5千分の一の地図に石碑の地図記号が記載されていたので、いったいどんなものがあるのかと思っていたところ、碑文には明治天皇が休憩をされた場所という意味のことが刻まれていました。ただ休憩しただけでこんな立派な石碑が建つなんて。

 中央道

 峠から西を見ると木立の向こうに中央道が蛇行していました。休日の午後には数10qもの渋滞が発生するポイントです。「中央道は小仏トンネルを先頭に猿橋バス停まで30qの渋滞。通過には1時間半かかります。」 徐行と停止を繰り返しながらラジオから聞こえてくるこのフレーズを何度聞いたことか。やっとの思いで小仏トンネルを抜けても「府中バス停を先頭に…」、さらには「高井戸出口を先頭に…」などと渋滞の波状攻撃を受けることになります。

 スギの雄花

 おのれ宿敵!ってスギに悪気はないのでしょうが、花粉症の原因としてちょっと影響が大きすぎです。yamanekoはここ数年、毎年1月下旬から薬を飲み続けていて、そのおかげかシーズン中でも比較的症状は軽く、マスクもほとんど使わなくて済んでいます。以前はひどい鼻づまりに悩まされ、いつも息苦しさと睡眠不足で辛い思いをしていました。今年もいよいよピークの時期を迎えます。花粉症18年目の春です。

 影信山へ

 小仏峠から次の影信山までは急な上り坂が続きます。両側は切り立った斜面。そこに植林されたスギが文字どおり林立していました。さながら敵陣のまっただ中に乗り込んでいくかのような心境です。

 山頂直下

 額に汗がにじんできました。やがて林が途切れ影信山山頂(727m)に到着。時計を見ると13時45分です。ここにも立派な茶屋があります。

 今日のコース

 山頂から南東方向の眺め。左奥が高尾山、右手前が城山。そこからぐるっと右手の尾根筋を回り込んで、今いる影信山までやってきたのです。今日歩いた行程の大部分を一望にすることができる、本当に気持ちいい眺めです。
 ここでもしばし休憩。B君は若干疲れ気味。持参したコーヒーをサービスして疲れを癒します。

 都心方面

 さあ、ここからは東側に下っていきます。遠くには都心方向の市街地が見えているのですが、さすがに新宿の高層ビル群は霞んでいて確認することはできませんでした。目の前にはアメリカンな一群が。おそらく同じ方向に下りていくでしょう。

 テイカカズラ

 林の縁に葉を並べるテイカカズラ。葛(かずら)の名のとおり蔓性の植物で、幼木のときは写真のように地面に這うようにして広がっています。テイカは漢字では「定家」と書き、これは藤原定家のこと。名の由来は、能の演目の「定家」というものなのだとか。あらすじは、式子内親王を愛した定家が、その死後も内親王を忘れることができずに、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓に絡みついたという情念の物語。でも、実際に両者がそのような関係にあったかは不明(というより否定的)だそうです。それというのも、式子内親王が亡くなったのは53歳のとき。当時定家は40歳で、年齢差が13歳もあったから。とはいえ定家の日記に内親王の亡くなる前後のことが詳細に記されているそうで、かなり近い間柄であったことは確かのようです。ちなみに、定家が亡くなったのは内親王の死後さらに40年が経ってから。もし愛する人の死後40年もの間思い続けていたとしたなら、その思いの強さから何に生まれ変わっても不思議はありませんよね。

 無事下山

 14時40分、アスファルトの道に出ました。小仏トンネル東側の登山口です。雨水による浸食でここまで登山道がやや荒れていたので、少し歩きづらかったです。振り返ると芽吹き前の茶色の山(影信山ではありません)が、春を感じさせる青空をバックにして「お疲れさん。こっちももうそろそろ起き出すか。」って言っているようでした。

 小仏バス停

14時50分、小仏バス停に到着。ここは京王バスの終点で、回転用の広場があり、すでに1台停まっていました。休日のこの時間帯は1時間に3本。20分間隔の運転です。このような山の中にしては多い方ではないでしょうか。しかも、待機しているこのバスが発車するのかとおもいきや、発車時刻前になんと回送バスが2台連なってやってきて、時間が来るとこの2台が同時に高尾駅目指して発車したのでビックリしました。これは下山してきた登山客のために輸送態勢(?)を強化しているのでしょう。yamanekoたちと一緒にさっきのアメリカンな一群も乗り込みました。
 
 高尾駅に向かうバスの車内ではyamanekoもB君も熟睡。終点の高尾駅でかろうじて目が覚めて下車し、次いで中央本線の快速に乗り込んだのですが、こちらでも爆睡。yamanekoが中野で先に下りるときに声をかけてもまったく起きる気配がなかったので、最後には両肩を揺すって起こし、分かれました。
 それにしても心地よい疲労でよく眠れました。今日は最後まで楽しい一日でした。