高幡不動尊 〜のんびりと秋の一日〜


 

【東京都 日野市 平成20年9月20日(土)】
 
 都心から西へ約30q。いわゆる三多摩地区のうちの南多摩に高幡不動尊はあります。平安初期の創建といわれ、不動明王を本尊とする真言密教の古刹で、関東三大不動のうちの一つなのだそうです。
 また、このお寺は新撰組副長土方歳三の菩提寺(歳三は地元日野の生まれ)でもあります。新撰組結成前から函館戦争で北の大地に倒れるまでの生涯を描いた司馬遼太郎著の「燃えよ剣」は何度も読み返した愛読書で、先日もあらためて読み返してみて、その余韻もあり、今回、高幡不動尊を訪ねてみようと思ったわけです。ついでに裏山(?)には散策コースもあるようなので、ちょっとした観察もできそうです。
 
                       
 
 都心からは首都高4号線、そしてそのまま中央道と高速を走り、国立府中ICで下りて30分ほど。この辺りは多摩丘陵の縁にあたり、周囲は商業地区や住宅街となっています。

 不動堂

 高幡不動尊にほど近いコインパーキングに車を入れて、徒歩で境内に入ったら、なんと参拝者用の広い無料駐車場が。どのくらい広いかというと入口に交通整理のおじさんが配置されているくらい。一瞬、しまったと思いましたが、まあ信心深く参拝に来たわけでもないので、コインパーキングでよいのかもしれません。

 八十八箇所参拝コース入口

 地図によると高幡不動尊の裏山は「都立多摩丘陵自然公園」なのだそうですが、それらしい表示はどこにもなく、どうみてもお寺の裏山です。山内には八十八箇所参拝コースが設けられていて、札所番号を示す看板(金属製のなかなか立派なものです。)とお地蔵様があちこちに鎮座していました。それぞれの看板にはその番号に応じた本家(?)四国八十八箇所の各お寺の名前も付記されていました。
 ちょうどいいので、このコースを巡ってみたいと思います。

 ヒガンバナ

 ヒガンバナです。今年もそんな季節になったんですね。このヒガンバナは本当に計ったように彼岸に花を咲かせます。
 ヒガンバナにまつわる話はたくさんあって、観察会などでこの花を見かけると話題に事欠きません。そのうち今日はヒガンバナの韓国での呼び名について。日本でも数百の名前をもつヒガンバナですが、韓国では「相思華」と呼ぶのだそうです。ヒガンバナは冬場に葉を繁らせて地下の球根に栄養を蓄え、春になると葉が枯れて地上にはその痕跡も残しません。そして秋になるとすっと花茎を伸ばして花を咲かせ、また2週間ほどで地上から姿を消してしまう。花と葉はお互いに出会うことはないのです。 「花は葉を思い、葉は花を思う」。なんとも心に響く名前ですよね。

 ヤマホトトギス

 ユニークな花で目を引くのはヤマホトトギス。花被片が反り返るのが特徴で、よく似たヤマジノホトトギスは水平に開き、ホトトギスは漏斗状に斜め上に向かって開きます。ホトトギスの仲間には花に斑点があって、これを鳥のホトトギスの胸にある斑点に見立てて名が付けられたということです。

 ミズヒキ(果実)

 赤と白の小さな花を付けるミズヒキですが、写真のものはその白花。で、花の後の果実です。すすりかけのソバみたいなのは残った花柱で、これで動物の体などに引っかかって遠くまで運ばれていくという仕組みです。実の大きさは3oくらいでしょうか。

 カラスウリ

 ぷっくりと膨らんだカラスウリの果実。この縞模様は果実が熟してオレンジ色になる頃には消えてなくなります。ところで右の写真。茎のところどころが膨らんで縞模様っぽいものも見てとれます。ここが膨らんで果実になるのかと一瞬思いましたが、花でないところに実がなるわけはありません。調べてみたところ、これは「カラスウリクキフクレフシ」と呼ばれる虫コブで、ウリウロコタマバエの寄生によって作られたものだそうです。虫コブの名前は、「寄生される植物名」+「虫コブができる部分」+「形態的特徴」+「フシ(虫コブのこと)」という並びで命名されることが多いそうで、「カラスウリの茎の部分に膨らむように作られる虫コブ」だから「カラスウリクキフクレフシ」です。分かりやすいというか安易というか…。

 巡礼の小径

 八十八箇所巡りの小径はこんな感じ。まだヤブ蚊がけっこういて、何匹もにごちそうさせられるハメになりました。

 トキリマメ

 レモンイエローの小さな花を付けるトキリマメ。よく似たのにタンキリマメというものもありますが、慣れると葉の質や形状で見分けがつくようになります。ところでいつも使っている山渓の図鑑「野に咲く花」のトキリマメの写真に撮影場所が日野市とありましたが、もしかしてここのものだったりして(って、日野市も広いですからね。)。

 多摩都市モノレール

 木立の間から多摩都市モノレールが見えました。近くに高幡不動駅があるのです。多摩都市モノレールは南多摩と北多摩を結ぶ交通機関で、多摩市の多摩センター駅から東大和市の上北台駅まで、その路線総延長は16qになります。1本(モノ)のレールを跨ぐ形の跨座式で、羽田の東京モノレールもこの方式ですね。一方、レールから吊り下がる懸垂式というのもあり、こちらは千葉都市モノレールが有名です。東京の交通機関は都心を中心として放射状に整備され、都心との往復には便利なのですが、郊外同士での往き来は必ずしも便利とはいえません。このモノレールもそのへんの解消を狙って作られたものです。(さらなる延伸も検討されているようです。)

 尾根筋

 尾根筋に出ると午後の日射しが西から斜めに差し込んできます。この尾根は南西に向かって延びていて、間は団地で埋められているものの、その先の多摩動物園の丘陵まで続いています。

 ヒヨドリバナ

 ヒヨドリが鳴く頃に咲くことからこの名が付いたとのことですが、留鳥(北日本に分布するものは冬に暖地に移動するそうです。)として年中見かけるので特にこの時期に鳴いているという印象はありませんね。冬場の静かな公園にピーヨ、ピーヨと甲高い鳴き声、足下からは枯葉をふむ乾いた音、そんな木漏れ日の散策をするのが好きです。

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 木製の階段部分から見事に生えて(?)いるキノコ。あれこれ調べてみましたが、結局何だか分かりませんでした。もともと菌糸の状態で通年を過ごしているキノコが、ある一定の気温、湿度の条件が揃うと子実体というこの姿に変身するというそのライフサイクルがおもしろいです。朽ち木などがら生えている様子を見ると、まさに「木の子」。(でも木の本当の子は、その実であり種ですよね。)

 下山

 1時間あまりで巡礼の道を巡り終えました。下りてきたところは境内の奥の方にあたる場所。さすが関東三大不動のうちの一つというだけあって、境内もやけに広いです。

 五重塔

 立派な五重塔。さぞやその由緒も深きものがあると思いきや、昭和50年代に建立された鉄筋コンクリート製。確かに木造の歴史あるものならもっと有名になってますよね。もともと関東地方にある最も古い五重塔は大田区の池上本門寺のもので、1607年の創建だとか。ちなみに近世より前に建立され現存する五重塔は全国で26基しかなく、そのうち関東地方に4基ほどあるのだそうです。五重塔というと、平安時代とかその辺りをイメージしますが、現存する五重塔の多くは江戸時代に作られたもの。関東地方にもそこそこ残っているのもうなずけます。

 殉節両雄之碑

 ちょっとした自然観察を終えて、あらためて土方歳三縁のものを見て回りました。写真の碑は明治21年に建てられた近藤勇、土方歳三を偲ぶ「殉節両雄之碑」です。統治システムのパラダイムシフトが起こった明治維新。その中で不器用にも忠節を貫いたこの二人を時代の埃に埋もれさせてならないとの想いがあったのかもしれません。撰文は漢学者の大槻磐渓、書は鳥羽伏見の戦いの頃から新撰組を支援していた医者(後の軍医総監)の松本良順だそうです。この碑の建立の話が起こったのは歳三が函館で戦死してからわずか7年後の明治9年。当時はまだ旧幕府軍関係者に対する詮議が厳しかったのではないかと思われますが、そのなかでこのビックネームの尽力により碑が作られたことは、両雄の生き様が当時の人々の心の琴線に触れるものだったからだと思います。時代は大きく動いても、日本人の精神的な美意識はその軸をずらすことはなかったのでしょう。
 この後、奥殿の展示室(参観料300円)に行ってみました。展示物の多くは密教に関するものでしたが、順路の終わりの方に新撰組関係の資料もありました。榎本武揚や大鳥圭介の自筆の書、新撰組十番隊隊長原田左之助の脇差しなど。なかでも天然理心流の道場で使われていた木刀には激しい討ち合いで削れた跡がのこっていて、これにはグッと心をわしづかみにされました。今からわずか150年前に、燃えたぎるような心を持てあまし、剣とともに稲妻のごとく時代を走り抜けた男たちが本当にいたのだということをあらためて知らされ、しばらくその場から動くことができませんでした。
 
 今日はいつもの野山歩きとはちょっと違いましたが、秋の一日をこんなふうに過ごしてみました。