自然教育園 〜都心に残る武蔵野〜


 

【東京都 港区 平成21年2月7日(土)】
 
 寒い日が続いています。でも、今年はまだ都心で雪は降っていません。一昨年がそうだったように今年も暖冬のようです。
 今日は港区にある科博の付属施設「自然教育園」に行ってみようと思います。

 自然教育園入口

 今日はドリーム号でやってきました。ここは山手線の内側、白金の高台にある高級住宅街の一角にあります。yamanekoは10数年前までその高級住宅街の片隅のごくフツーの住宅に住んでいました。なのでこの辺のことはよく知っています。休日は近くの外苑西通りのコインパーキングが無料になるので、そこに停めるとトコトコ歩いて行ける距離なのです。この通りはいつの頃からか「プラチナ通り」などと呼ばれ、お洒落な店が並ぶ有名な場所ですが、表通りを一歩入ると昔ながらの商店とかがあったりして、落ち着いたいいところです。yamanekoはその後広島で10年近く暮らし、東京に戻った後も毎月この近くの散髪屋さんに通っています。
 
                       
 
 大都会の中にぽっかりと残された森、それが自然教育園です。
 この場所は室町時代には「白金長者」と呼ばれる豪族が住んでいたと伝えられ、当時盗賊や野火を防ぐために作られた土塁の跡が園内の外周部や館跡の周囲に残されています。その後、江戸時代には高松藩主の下屋敷となり、明治時代になって軍の火薬庫に、また、大正時代以降は御料地(皇室財産)として、長く一般人は踏み入ることができない場所だったということです。戦後まもなく史跡に指定され、現在までこのような形で開発の手から守られているのです。

 園内の小径

 中にはいるとこんな感じ。とても都心であるとは思えない風景が広がっています。園内にはシイ、マツなどの常緑樹やコナラ、ケヤキなどの落葉樹の巨木が手つかずの森の姿を作っています。また、森の中には静かな池や流れもあり、開けた場所は湿地や草はらなどになっています。鳥や小動物も多く住んでいて、夏にはホタル、冬にはオシドリの姿を見ることもできます。ほんと信じられないような場所なんです。(詳しくはこちら 自然教育園HP

 フクジュソウ  ユキワリイチゲ

 路傍植物園にさっそく早春の使者を見つけました。フクジュソウとユキワリイチゲです。どちらも弱い日射しを一生懸命に求めて咲いていました。

 フキノトウ  セツブンソウ

 フキノトウもまだ顔を出したばかり。食べ頃はもう少し先です。先日節分が過ぎ、暦の上ではもう春。セツブンソウはまさにこの時期にピッタリのネーミングです。

 物語の松

 この巨木は「物語の松」といい、松平讃岐守の下屋敷にあったもの。今も立派に生きています。この場所は様々な歴史を経て現在に至っているわけですが、そのときどきで人間の手が入り管理されてきました。昭和37年に国立科学博物館の附属施設となる前は若いマツ林だったそうですが、自然教育園となって下刈りをやめ自然の遷移にゆだねるようになると、ミズキ、イイギリなどの落葉樹やスダジイ、タブノキなどの常緑樹がマツ林の下に育ってきたそうです。数年後にはその落葉樹に光を奪われてマツは枯れ始め、落葉樹が勢力を伸ばしましたが、今では成長が遅い常緑樹が大きくなるにつれてその落葉樹も下枝などが枯れ始めているということです。やがてこの林は常緑樹林へと替わり、その姿で安定すると考えられています。その姿が南関東沿岸部の気候風土に見合った極相林の姿なのです。

 都会のミラージュ

 園の中央部は低地となっていて、そこに向かって坂道を下っていきます。すると林の向こうに背の高いビル群が。これは約500m先にある恵比寿ガーデンプレイスの高層マンションです。このビルをみると、「ああ、そういえばここは都会のど真ん中だった。」と現実に引き戻されてしまいます。でも、ガーデンプレイスができる前は園内から周辺のビルはまったく見えず、文字どおり都会の中の異空間でした。

 アセビ

 ひょうたん池の畔に咲いていたアセビ。花はこれからといったところで、まだ蕾の方が多かったです。

 湿地

 湿地のまわりは開けていて明るい雰囲気です。以前近所に住んでいたときには、双眼鏡を片手によく鳥を見に来ていました。シジュウカラやカワラヒワ、カワセミなどを見て休日の時間を過ごしたものです。ただ、鳥といえば夜はカラスのねぐらになっていて、夕方何千羽というカラスが一斉に戻ってくるときは、暮れなずむ空の色とも相まって、禍々しい様相を呈するのです。不気味だったなぁ。何しろここは明治神宮とともに東京で最も大きなねぐらなのです。

 ヒメガマ

 ヒメガマの穂がほぐれて、風に飛ばされています。ガマより葉が細いことから「ヒメ」の名が付いているのだとか。穂も、ガマがフランクフルトならヒメガマは魚肉ソーセージほどの太さです。

 カマキリの卵鞘  マユミ

 子供の頃、カマキリの卵(卵を覆っている卵鞘)が着いている場所が高いとその年の雪は深く、低いと雪は少ない、という話を聞いたことがありました。カマキリが積雪量を予測して雪に埋まらないように卵を産むというのです。この写真の卵鞘は1.5mほどの高さにありましたが、その説で行くと東京は大雪です。この卵鞘が着いていたのがマユミの枝。まだ去年の実が残っていました。冬芽は丸く小さく可愛かったです。

 冬晴れの風景

 この風景が東京の港区のものだとは、写真だけ見たら誰にも分からないでしょうね。

 森の小道

 自然教育園の北側にある森の小道を歩いてみます。両側にアオキの青々とした葉が茂っていました。道はこの先でUターンするようにして丘を登っていきます。そこはもともとは土塁だったところで、園を取り囲むように続いています。

 カンアオイ

 丘の上は武蔵野植物公園というエリアで、ここにも様々な植物が。
 カンアオイの花は地面に張り付くようにして咲いているので、標識がなければおそらく見過ごしていたでしょう。こんなところに咲いていていったい誰が花粉を媒介するのかと疑問ですが、やっぱりまだはっきりとは分かっていないそうです。どうやらハエの仲間ではないかということです。(アリじゃなかったのか…。)

 この葉っぱは…

 観察路脇に見覚えのある葉っぱ。これは間違いなくシロモジの葉です。ここは分厚い関東ロームの地層に覆われた場所であることを考えると、やっぱり植栽のものかもしれません。でも、もともとない植物を植栽するかなあ? 自然教育園が。

 武蔵野の風景

 いかにも「武蔵野」という風景。でも外国人の子ども連れが交わす言葉がなんか変な感じ。そういえば昔から外国人の入園者も多かったです。港区は各国の大使館が多くあって、そこの関係者家族も多く住んでいるのです。

 コクサギ

 コクサギの果実です。なんかカシューナッツみたいですが、標識にはミカン科とあります。あの美味しいミカンと同じ仲間の果実とは思えませんね。そういえばサンショウもミカン科だったはず。いったいそれぞれのどこに共通点があるのでしょうか?

 トラノオスズカケ  写真(今年開花したときのもの)

 路傍の何の変哲もない葉っぱのまわりに囲いが設けられ、何やら写真と解説板が立てられていました。「トラノオスズカケ」と書いてあります。
 解説板には「トラノオスズカケは四国、九州の限られた地域に希に見られるゴマノハグサ科の半常緑の植物で、絶滅危惧種に指定されています。(略) 自然教育園のトラノオスズカケは御料地時代の1932年(昭和7年)に牧野富太郎によって発見され、1949年の開園の頃に絶えたとされていましたが、昨年秋に芽生えを発見し今回の開花を見るに至りました。自然教育園は江戸時代松平讃岐守(香川県)の下屋敷でしたが、同郷の平賀源内が下屋敷の一部に薬園を作ったという記録があります。おそらく当時故郷から種子を運んで栽培していたものが野生化したのだろうと推察されます。50年ぶりの再発見なのですが、生きた植物が生存していたとは考えられず、おそらく休眠生の高い埋土種子が、最近のミズキなどの高木の枯死によって林床に光が差し込むようになったことで、発芽が促されたものと考えられます。」とありました。へぇ〜、の一言です。とすると、さっき見たシロモジも…。

 金持ちカルテット
(左上)
 マンリョウ
(右上)
 センリョウ
(左下)
 カラタチバナ
(右下)
 ヤブコウジ

 園内をぐるっと回って、入口近くまで戻ってきました。ここになんとも縁起の良い植物たちが。マンリョウ(万両)、センリョウ(千両)はその名のとおり。カラタチバナは百両、ヤブコウジは十両と呼ばれています。なんかセンリョウだけ色がオレンジっぽいですね。あと、センリョウだけ葉の上に実を付けていますが、あとの3つは葉の下に付けています。それもそのはず、センリョウはセンリョウ科ですが、あとはヤブコウジ科だそうです。ふーん。
 
 ぐるっと回って2時間ほど。ちょうどよい散策となりました。さて、これからいつもの散髪屋さんで髪を切って帰ろうと思います(ここのオバチャンと跡継ぎ息子とは気心が知れていて、世間話をしている間に終わってしまうのです。)。
 家路につく頃には短い冬の日は暮れているでしょうね。