新宿御苑 〜巨木たちの公園〜


 

【東京都 新宿区 平成19年1月27日(土)】
 
 丸の内から都庁が新宿に移転してもうずいぶん経ちますが、東京の「都心」というとどこになるかご存じでしょうか。やはり都庁のある新宿? それとも東京駅のある丸の内? いやいや議事堂のある永田町じゃないの? ひょっとして皇居周辺では? それなりに理由のありそうな街はいくつかありますが、東京都が定める「都心」とは、大手町、丸の内、有楽町、内幸町、霞ヶ関、永田町、日本橋、八重洲、京橋、銀座、新橋となっていて、かなり広い地域を指すようです。
 では新宿はというと、やっぱり「副都心」だそうです。現在副都心は7箇所もあるのだそうですが、新宿は渋谷、池袋とともに「3大副都心」とされています。なんと副都心に指定されたのは昭和33年。東京タワーがお目見えした年で、その歴史は50年近くにもなるのです。映画「三丁目の夕日」の頃から副都心だったのですね。(他の副都心は最近指定されたものです。)
 
 右の図で、皇居の東側から南側にかけて明るく表示しているのが東京都の定める「都心」。3大副都心は都心の西側、いわゆる「山の手」と呼ばれる地域に位置しています。
 ちなみに、7つの副都心とは、新宿、渋谷、池袋のほかに、上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎、臨海。(商業施設の集積やターミナル機能を考えると上野・浅草が副都心というのはまあ分かるとして、大崎や錦糸町・亀戸までが副都心とはちょっと意外でした。ひょっとして都心地域をぐるっと囲むように副都心を配置したかっただけではないのか?)
 
 今日はその新宿副都心に隣接する新宿御苑に行ってみました。家からわずか2qあまり。歩いても行けそうな距離にありながら、普段はあまり訪れることがありません。ぶらっと散歩気分で楽しんできました。
 
                        
 
 新宿御苑は環境省が管理する「国民公園」。国民公園とは聞き慣れない言葉ですが、他には皇居外苑や京都御苑などが国民公園なのだそうです。この辺りには新宿御苑の他にも、明治神宮、代々木公園、神宮外苑、赤坂御用地と、大きな緑地がたくさんあります。いずれも目を見張るような巨木がごろごろ(赤坂御用地だけは入ったことはありません。東宮御所ですから。)。樹木ウオッチングが好きな人にはたまらないエリアです。

 大木戸門

 新宿御苑の正門は敷地の南東にありますが、そこはいつも閉まっています。実質的な正門は北西の角にある新宿門で、来園者の6、7割はこの門から入場するのだそうです。でも今日は北東の角の大木戸門から。時刻は2時過ぎ。冬の柔らかな日差しが公園を穏やかに包んでいました。

 玉藻池

 大木戸門から入ってゲートの自動改札をくぐると、正面に玉藻池があります。外人さんが好みそうな日本庭園です。
 新宿御苑は徳川家康の家臣、内藤清成の江戸屋敷の敷地で、1590年に家康の江戸城入城と同時に授かったもの。この玉藻池は内藤家の庭園「玉川園」の一部なのだそうです。当時、この内藤家の敷地は東は四谷、南は千駄ヶ谷、西は代々木、北はなんと大久保まであったとか。地図で見ると現在の新宿御苑のゆうに5倍はありそうです。新宿は古くは「内藤新宿」という地名で、江戸から西に向かう街道(後の甲州街道や青梅街道)と鎌倉街道が交差する宿場町だったのです。おそらく内藤家の敷地があることで名がついたのでしょう。現在も新宿区内藤町という町名にその名が残っています。

 紅梅

 梅の木にぼちぼち紅い花が開き始めていました。「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」、そんな感じです。

 ヤマモモ

 「イギリス風景式庭園」という広いエリアに向かう途中にこんもりとしたヤマモモの木がありました。近寄ってみるとこれがどうして、かなりでかい。街路樹などで剪定に剪定を重ねられ本来の樹形からはほど遠いヤマモモをよく目にしますが、これはあるがままの姿です。

 イギリス風景式庭園

 なんと表現して良いか。ちょっと唐突感のある風景です。西陽を背にしてそびえ立つ現代のバベルの塔はNTTドコモビル。右奥には都庁のツインタワーです。ところで、NTTドコモビルの頂上の尖塔が実は建設時に残されたクレーンであることは有名な話(都市伝説?)。通常、高層ビル建設の際のクレーンは、完成間近になると、一回り小型のクレーンをつり上げて設置し、もとあったクレーンを分解して吊りおろします。これを何回か繰り返してクレーンを小さくしていき、最後はそれ自体を分解してエレベーターで下ろすのが一般的だそうですが、このビルの場合、ビルの形状からそれができず、完成後もクレーンが残されたということです。

 ケヤキ

 葉を落としたケヤキの巨樹です。毛細血管のように枝を伸ばしたその威容。かなり引いて撮りましたが、それでもフレームに入りきりません。太いとはいえたった一本の幹で放射状に広がった枝を支えています。でも不思議と見ていて不安定感はありませんね。それどころかどっしりとした力強さすら感じます。なんというか、「命」のイメージを形にするとこういう形になったりするのではないでしょうか。

 正門方向

 南西の正門方向を見ると、プラタナスの並木が遠くに並んで見えます。その手前のテントは「新宿御苑100周年パビリオン」。
 内藤家江戸屋敷は、明治5年、「内藤新宿試験場」として果樹や野菜の研究の場となり、数年後、「新宿植物御苑」として皇族の御料地となったそうです。その後明治39年に新宿御苑に改名されたとのことで、そのときから数えて今年で100周年なのだそうです。
 背後に見えるビル群は赤坂の街です。時を超えて内藤清成が現在の新宿御苑に立ったら、いったいどんな言葉をもらすでしょうか。

 三波川冬桜

 苑内に冬桜が咲いていました。プレートを見ると「三波川冬桜」とあります。品種名でしょうが、どこかスッキリとしたその花の姿とともに、その名前も何となく頭の片隅に残っていました。家に帰ってから調べてみると、三波川とは群馬県南西部の旧鬼石町(合併により現在は藤岡市)を流れる川で、そこに生育する2回咲きの桜とのこと。ヤマザクラとマメザクラとの雑交配種なのだそうです。

 中の池

 苑内の西の端から東の端へ横切るように、上の池、中の池、下の池が並んでいます。池といってもそれぞれが独立してあるのではなく、もともと川だったところをいくつかに区切って池にしたような造りです。事実この池は渋谷川の源流とされ、ここから明治通り沿いに地下を通って渋谷駅の南側で地上に現れるのです。ちなみに渋谷川はそこから広尾、麻布、芝と流れて、最後は浜離宮庭園の脇で東京湾に注ぎます。

 アカガシ

 これもまた巨大なアカガシです。思いっきり引いて撮りました。比較の対象がないので分かりづらいですが、地面と枝との間がちょうど人間の背丈ほどの高さです。

 プラタナス

 このプラタナスもかなりでかい。(ちょっとしつこいか。) ほんと巨木の多い公園です。
 もともと武家屋敷であったところに、その後は皇室関係の御料地になったことから、木々はむやみに伐採されることなくそれぞれ大きく育ったのでしょう。これは寺社林にもよくあることで、街中であっても鎮守の森にはビックリするほど大きな木が残っているものです。

 千駄ヶ谷門

 御苑の南端にある千駄ヶ谷門までやってきました。今日はここから出てJR千駄ヶ谷駅から家路につきます。ひょっとしたら昔の内藤家の敷地から出ることなく家にたどり着くのかもしれません。

 ペーパーホワイト

 電車に乗る前に駅近くのルノアールでお茶を飲みましたが、苑内で香っていたペーパーホワイト(水仙)の香りが鼻の奥に残っていて、これがコーヒーの香りにかき消されるのが何かもったいないような気がしました。花粉症を発症して以来10数年、毎年春の香りを楽しむことはなかなかできませんが、これからやってくる眩しい季節をみすみすやり過ごすことのないよう、野山や街中をどんどん歩いて、そして五感を使って大いに楽しみたいと思います。