戦場ヶ原 〜神々の戦の舞台〜


 

【栃木県 日光市 平成19年5月20日(日)】
 
 5月も下旬、もう完全に初夏といって良いくらいの日々が続いています。暦の上では春は3ヶ月くらいはありますが、実際に植物たちが初々しい姿を見せる期間はごく短く、あっという間に過ぎていってしまいます。でも、この足早に過ぎていく季節をさかのぼる方法があります。その一つは北に向かうこと。そしてもう一つは標高の高い場所に行くことです。ということで、今回は標高が約1400mほどの奥日光戦場ヶ原に行ってみることにしました。


Kashmir 3D

 午前7時、今日も新ドリーム号とともに出発です。首都高川口線から東北道へ。埼玉を縦断し、群馬をかすめてどんどん北上。栃木の中央部から日光宇都宮道路へ分岐して、いろは坂の手前まで。この間ずっと高速道路のみです。渋滞もなく快適なドライブでした。この辺りで標高800mくらい。ここからヘアピンカーブが連続する第二いろは坂(下り線専用)を登って一気に1200mの中禅寺湖畔へ。男体山が湖畔までせり出している水際を走り、さらにもう一段上がったところが目的地の戦場ヶ原です。

 赤沼自然情報センター

 9時30分、赤沼自然情報センターに到着。ここは戦場ヶ原の南端にあたり、今日の野山歩きの起点になります。車外に出てみて思わず「寒ぶっ」。気温わずか7度、ちょっと季節をさかのぼりすぎたかもしれません。
 装備を整え、ストレッチをして、まずは自然情報センターで様々な情報収集です。ちなみにもうツキノワグマが活動を始めているとの情報も。
 このセンターは栃木県立日光自然博物館の附属施設で、しっかりした若い解説員の方がおられました。箱を造っただけで運営はさっぱり…という施設も多い中、ここのような施設は大好きです。

 戦場ヶ原入口

 国道を横切って戦場ヶ原入り口へ。時刻は10時ちょうどです。ちなみに、今横切った国道はこの先湯ノ湖畔をとおり、そのまま金精峠へと上っていきます。そして峠の向こうは群馬県。背後に尾瀬をかかえる片品村に至ります。
 


Kashmir 3D

 道はまだ早春の気配さえも感じさせないズミとカラマツの林の中を行きます。寒々とした梢を揺らして通り過ぎていく風。林全体が低く唸りを上げているようです。
 
 今日は、ここからしばらく西に向かい、小田代ヶ原方面との分岐を右手に分かれて、戦場ヶ原の中心部に入っていきます。
 湯川沿いに延びる木道をたどるとちょうど戦場ヶ原の縁に沿って歩く形となり、広大な湿原を前庭として、その背後に屏風のようにそびえる山々が雄大なパノラマを造り上げているのを眺めることができます。
 さらに進むと、小田代橋のあたりを境に、それまでの平坦な地形から林間の渓谷となり、わずかずつ高度を上げていきます。そしてその渓谷のどん詰まりが湯滝。これは戦場ヶ原よりもさらに一段高いところにある湯ノ湖の縁から流れ落ちるド迫力の滝で、あまりにも大きいため戦場ヶ原の中程からでも遠くその姿を認めることができるほどです。
 滝の横手の道をたどって斜面を登り、湯ノ湖の縁にでると、目の前には湖を取り囲むように居並ぶ山々。温泉ヶ岳や金精山など白根山から派生する国境(くにざかい)の稜線がのしかかるように迫ってきます。
 湯ノ湖の北岸には湯元温泉という小さな温泉町があり、その一角にある日光湯元ビジターセンターが今日の終着点です。ガイドブックには、歩行距離約5.5q。歩行時間2時間30分。花を楽しみながらの所要時間は3時間30分とありますが、さてスローペースには自信のあるワタクシ、いったいどのくらい時間がかかるでしょうか。

 
 今日はおそらく肌寒いだろうと厚めの服を用意してきたのですが、歩き始めてもやっぱりそれでは足りずレインウエアを着込んで寒さをしのぐ始末。いくら奥日光といってもしょせん関東だからと侮っていたかもしれません。6月も近いというこの時期にこの寒さとは、まるで北海道なみです。

 木道を行く

 戦場ヶ原は、人々の進入による荒廃を防ぐために木道が設置されています。基本は右側通行。ときおり待避線のように複々線になっているところもありました。
 この時間、空模様は晴れ間がのぞいていますが、ちぎれた雪雲がときおり太陽を隠すといった感じ。午後には晴天との予報です。気温は相変わらず低く、指先がかじかんでしまいました。

 木道は湯川にそって蛇行するので、様々な方角の風景を楽しむことができます。上の写真は東の方角。ドーンと存在感のある山が男体山(2484m)。その左、灌木の上にちょんと頭を出しているのが大真名子山(2375m)、さらに左の山は太郎山(2367m)です。現在立っているところから正面の山々までの距離を考えると、その間に驚くほど広大なスペースが広がっています。
 この戦場ヶ原、中世の戦乱に飲み込まれた場所なのかとおもいきや、その名の由来は伝説によるものなのだそうです。
 それは遠い昔のこと、、中禅寺湖の所有権をめぐって、下野(しもつけ)の国の男体山の神と、上野(こうづけ)の国の赤城山の神が戦いを繰り返していたそうです。あるときこの争いに雌雄をつけるべく、男体山の神は大蛇に、赤城山の神は大百足に姿を変え、ここ戦場ヶ原で決戦を繰り広げました。結果は、終始劣勢を強いられていた男体山の神が、奥州に住む小野猿丸に援軍を頼み勝利を収めたのだそうです。(ちなみに小野猿丸は奈良時代に実在した人物だといわれています。) 
 周囲を山々に囲まれた広大な平地。この圧倒的なスケールの風景の中に立つと、ここが大蛇と大百足が壮大な戦を繰り広げるのには申し分のないステージだったのだろうと納得できます。

 変わってこちらは北西の方角。荒々しい山容の山は日光白根の山塊です。正面に見えているのはその前峰ともいうべき外山(2204m)で、その奥には雪雲に隠れて見えませんが白根山(2578m)がそびえているはずです。外山の右端のくびれた部分に湯滝があり、今そこを目指して歩いています。この雲の様子では湯滝の奥の湯ノ湖のあたりは雪が降っているでしょう。その向こう、群馬県側から雪雲が押し寄せてきているのが分かりますね。
 戦場ヶ原の歴史は、男体山の噴火で流れ出た溶岩が川をせき止め、湖ができたことから始まるのだそうです。その湖がその後の火山活動による噴出物などによって埋められ、そこに植物が生育し、それが枯れた後も寒冷な環境のために分解されずに泥炭となって積もってできた湿原、それが戦場ヶ原です。今から約1万年前の出来事だそうです。遠い昔、この辺りは満々と水を湛える湖だったということですね。

 カラマツ

 ようやく春の気配を感じさせるものを発見。カラマツの葉の芽吹きです。カラマツは漢字で書くと「落葉松」。その名のとおり秋に葉を落とす落葉樹です。針葉樹としてはめずらしいですね。

 ミヤマウグイスカグラ

 こちらも春を待ちきれない蕾。ミヤマウグイスカグラです。どちらかというと日本海側の山地に多く分布するのだそうです。ふつうのウグイスカグラとの違いは、葉や花に腺毛が多いこと。これは実った果実も同じなんだそうです。

 コバイケイソウ

 踏み入ったら靴の周りに水がしみ出してきそうな湿潤な場所にコバイケイソウの青々とした葉が伸び始めていました。コバイケイソウは亜高山帯の湿地に群生し、夏になると涼しげな白い花を穂状に咲かせます。若葉はみずみずしく見るからに美味しそうですが、有毒です。しかもかなり強いそうです。実際にウルイと呼ばれ食用にされるるオオバギボウシの葉と間違えて食べてしまい、中毒症状を引き起こす事故がときどき報じられます。

 河原

 倒木も自然に朽ちるのを待つのが基本。この冬の雪の重さに耐えかねて倒れてしまったのでしょうか。

 ホザキシモツケ

 夏の戦場ヶ原を代表する植物、ホザキシモツケの花殻です。もちろん去年の花です。シモツケソウが濃桃色の小さな花を散房状に付けるのに対して、こちらは穂状に近い形で花を付けることからこの名が付きました。もともと寒冷な湿地に生育するもので、本州ではここの他は霧ヶ峰に分布しているのみなのだとか。今は頭を垂れていますが、花期にはすっくと直立しています。

 早春の風景

 木道は湯川とつかず離れず続いています。遠くには雪雲に覆われた白根山。この冷たくピーンと張り詰めた空気が緩む頃、戦場ヶ原に本格的な春が訪れるのだと思います。あと半月はかかりそうですね。

 ヤチボウズ

 湯川の水際にこんもりと盛り上がった植物が。これはスゲの仲間が株を作っているもので、「谷地坊主」と呼ばれるもの。水位が変動するところにできるものだそうです。本体部分は古い根などが密生して球状になっていて、その上部にその年の青々とした葉を茂らせます。この新しい株が水に浸からないようにこんもりとした土台を作っているといった方が分かりやすいかもしれません。なので水位の変動幅の大きなところにあるものほど、ヤチボウズのサイズも大きいのです。

 青木橋付近

 湿原の中程、青木橋までやってきました。時刻は11時すぎ。近くの休憩場所でデイパックを下ろし、しばし休憩です。上空に青空のエリアが広がり、明るい光が降りそそぐようになりました。ベンチに腰かけアンパンを食べていると、近くの梢からアオジの鳴き声が。ああ、なんか時間の流れもゆったりとしているような気になります。

 林間の小径

 青木橋を過ぎると、道は湿原の際の林の中を通るようになります。木道の周囲の自然も湿原とはまた違ったものになっています。

 タチツボスミレ  フデリンドウ

 下界(?)ではとうの昔に花の時期を終えたタチツボスミレやフデリンドウも、ここではまだ咲き始めたばかりです。

 泉門池付近

 小田代ヶ原からの小径と合流してしばらくのところに泉門池という場所があります。ちょっと大きめの休憩場所となっていて、いくつかのグループが昼食をとっていました。ここは水辺まで下りられるようになっていたので、水際まで近づいて手で水をすくってみました。やっぱり冷たいです。それと驚くほど透きとおっていて、川底がくっきりと見えていました。

 ヒメイチゲ

 小田代橋を渡ると、ここからは両側に山が迫る渓流になります。
 今日会いたかった花のうちの一つ、ヒメイチゲに運良く会うことができました。他の植物の葉に隠れて、ともすれば見過ごしてしまうほど小さい(10pくらい)のですが、それでも4、5株見つけることができました。
 ヒメイチゲは本州中部地方以北の亜高山から高山に生える植物。3個輪生する茎葉が特徴です。

 シロバナエンレイソウ

 こちらも白い花。シロバナエンレイソウです。白磁のような色合いの白。早春の林の中がよく似合う花です。ところで、この姿でユリの仲間といわれても今ひとつピンときませんよね。葉も平行脈ではないし。

 ワチガイソウ

 もう一つ白い花。白い花弁をバックに雄しべの葯の赤紫色が印象的なワチガイソウです。水分の多い湿原に比べてやはり山林の方が暖まりやすいのでしょうか。歩き始めの湿原よりこちらの方に一足先に春がやってきているようです。

 アスナロ

 ヒノキの仲間のアスナロ。葉は鱗のようですがこれでも十字対生です。葉裏の気孔帯はW字型をしていて特徴的なので間違うことはありません。ちなみにヒノキの気孔帯はY字型、サワラのはX字型です。(うまくできています。)

 オオカメノキ

 渓流のほとりに立つオオカメノキ。林の奥の方からザーザーという音が聞こえ始め、それが少しずつ大きくなってきています。これはさっき戦場ヶ原から見えていた湯滝の音でしょう。

 湯滝

 落差約60m。垂直に落ちるのではなく、純白のしぶきが大迫力で斜めの岩盤を流れ下ってきます。滝のてっぺんはすぐに湯ノ湖です。時刻は1時ですが昼食はもう少し我慢して、湯ノ湖の向こう岸にある湯元に着いてからにしましょう。

 鳥の楽園

 滝壺の周辺にはオオルリやキビタキがたくさん集まってきていて、その鳴き声で人々を楽しませてくれるだけでなく、自らも梢を飛び立って曲芸飛行のような飛び方をした後、また梢にもどる、といったことを繰り返していました。最初、何をしているのかよく分かりませんでしたが、どうも湯滝周辺で大量に羽化しているカゲロウを空中で捕食しているのだということに気がつきました。たくさんのごちそうを前にして鳥たちも大忙しです。

 戦場ヶ原

 滝の脇の階段を上がり、滝の上の先端にやってくると、これまで歩いてきた戦場ヶ原を一段高いところから見渡すことができました。写真手前の水しぶきは滝の先端部で、ここから流れ落ちています。そうか、太古の昔ここには湖があったのか。

 湯ノ湖

 振り返るとそこには湯ノ湖が。正面奥に湯元の街があり、その背後にあるのが温泉ヶ岳です。日光の街の方からやってくると、中禅寺湖の段、戦場ヶ原の段、湯ノ湖の段と雛段状の地形を登りながら、その最奥部、つまりどん詰まりまでやってきたことになります。温泉ヶ岳の左手の鞍部が金精峠で、群馬県側に抜けるルートになっています。(今ではトンネルで峠を越えます。) 峠の山には雪渓も残っているし、今でも雪が舞っているようです。

 湯元

湯ノ湖の畔を歩いてようやく湯元に到着。時刻は2時15分でした。ここには数件の温泉宿があり、冬には規模は小さいもののスキー場としても賑わうそうです。遅くなりましたがとりあえず昼食をとってから、ビジターセンターにも寄ってみたいと思います。

 ビジターセンター

 湖畔の食堂で食後ついうとうとしてしまいました。最後に日光湯元ビジターセンターへ。ここには15年くらい前に仕事で来たことがあります。レンジャーの方から仕事の大部分は許認可などのデスクワークだという話を聞いて意外に感じたのを覚えています。当時はもっと古く小さな建物だったような気がするので、現在のものはその後建て直したものだと思います。
 
 さて、季節をさかのぼる今回の野山歩きもここで終了。ここからはバスで新ドリーム号が待っている赤沼まで戻ります。バスの出発を待っているとき、チラチラと白いものが舞っていました。峠の山々に降る雪がここまで飛ばされてきたものでしょう。本当に今日は5月下旬なのか。下界では冬物の服も暖房器具もみんな押し入れに片付けているというのに、ここにはまだ冬が居残っているのです。

 パンパン

 30分後、車に戻ってみると、朝出がけにコンビニで買ってきたお菓子の袋がパンパンになっているではありませんか。ここの気圧が低いのがよく分かりました。