三渓園 〜庭園散歩で秋集め〜


 

【横浜市 中区 令和3年10月10日(日)】
 
 「三渓園」 横浜の臨海工業地区と山手の住宅街に挟まれた異空間のような場所にある日本庭園です。初めて東京に移り住んだ30数年前から「行ってみようか」と話題に上ってその都度うやむやになってしまっていた場所ですが、今回ようやく実行に移すことになりました。その三渓園で小さな秋の印しを集めてみようと思います。
 
                       
 
 家を出るときにはパラパラ降っていました。でも今日の天気予報は晴れだったはず。電車で移動している間に雨は上がったようでしたが、横浜駅で根岸線に乗り換えて目的地最寄りの根岸駅で下車したときもいまだどんよりとした曇り空でした。本当に晴れるのか?

 三渓園 正門

 根岸駅前からバスに乗って本牧バス停で下車。そこから住宅街の中をトコトコ歩いて三渓園の正門に到着しました。時刻は11時50分です。
 この庭園は明治の実業家、原三渓が造った自宅兼庭園とのことです。そもそも原三渓がどういう人なのかまったく知りませんでしたが、いやそもそも三渓が人名ということも知りませんでしたが、なんでも生糸貿易で財をなした人のようです。
 庭園の敷地面積は5万3千坪ということで、ちょっとどのくらいの広さなのか感覚的につかめません。どうやら奥に見える山もこの庭園の一部のようです。借景ではなく自前の山なんですね。そう考えると広さが実感できます。

 正門事務所

 入園料は大人700円なり。良心的な金額設定です。それにしても、これだけのものを維持するには相当費用がかかるでしょうね。パンフレットを見ると財団法人化して運営しているようですが、個人所有のままでは莫大な税金と維持費で潰れてしまいますよね。貴重な文化財も散逸してしまうでしょう。
 三渓園は内苑と外苑に分けられていて、内苑は原氏が私庭としていたエリアで、外苑は造築当初から一般公開していたエリアだそうです。当時から私有地を一般に開放していたという姿勢に好感を覚えますね。なにしろ正門には「遊覧御随意」の表札が掲げられていたそうです。ご立派。

 大池

 正門から入ってすぐに大きな池が。その名も大池です。ここから見えている全てが三渓園(の一部)。今日は、大まかにこの大池を周回する形で、途中途中の枝道に入りながらあちこち見て回る予定です。

 庭園の住人

 地域ネコ。「いらっしゃい」と声をかけられたような気がしました。

 蓮池

 散策路を挟んで大池の反対側には細長い蓮池がありました。ハスの葉が密生しています。

 蜂巣

 ハスの実です。既に種子は落ちていてその跡が穴になっています。
 ハスは古名を「はちす」といい、このハスの果実が蜂の巣に似ていることに由来しているそうです。



 砂利の道をのんびりと歩いて行きます。それにしても、これが個人の庭だったとは。

 鶴翔閣

 この建物は鶴翔閣といい、元は三渓の住まいとして建てられたものだそうです。今は貸出施設として運営されていて、この日は結婚式の披露宴が行われていました。
 見上げると白い空のその白味がみるみる薄くなり、奥にある青空が透けてきました。予報どおり急激な天気の回復です。

 ネムノキ

 ネムノキはマメ科の植物。そのことはこの果実を見るとよく分かります。エンドウ豆の鞘のような姿をしていますね。ずいぶん薄っぺらいですが。

 大池

 あっという間に秋晴れになりました。その明るい光の下、大池が静かに横たわっています。ちなみに、あの山の向こうには住宅街が、そしてのそ先には工業地帯が広がっているという驚き。

 ツワブキ

 内苑に入る御門の前にツワブキが咲いていました。晩秋からどちらかというと初冬に咲く花というイメージですが。若干季節を間違えたか。

 ガマズミ

 ガマズミの実はルビーのよう。深紅の輝きです。秋の深まりを感じますね。

 臨春閣

 内苑の庭園です。池を抱えるように鍵型に建てられているのは臨春閣という江戸初期の建物。紀州徳川家が建てたものを大正時代に移築したものだそうです。

 イナカギク

 イナカギク。別名をヤマシロギクともいいます。秋の野辺でよく見かける野菊です。



 午前中とは打って変わっての爽やかな陽射し。同じ日か?

 ノハラアザミ

 大池のほとりを離れて小さな谷戸を上っていきます。
 これはノハラアザミ。乾いた草地に生えるアザミです。葉の縁にある棘はかなり鋭いです。普通のデニム生地くらいだったら平気で突き通るので、ぼんやり触れたりすると「痛っ!」っとなります。

 アメリカイヌホオズキ

 北アメリカ原産のアメリカイヌホオズキ。南アメリカやアジアに帰化しているそうです。普通花の色は薄紫色ですが、白花もあります。花の少ない季節になってくるので、この小さな花にでも足が止まってしまいますね。

 月華殿

 内苑の最奥部に上がってきました。正面に月華殿。江戸幕府開闢の年に伏見城内に建てられた大名の控え所だそうで、これも大正時代に移築されたものだそうです。ちなみに内苑には10以上の建造物があり、その一つ一つが自然に紛れるように点在しています。

 ミズヒキ

 細い軸の両側に赤い実が連なって付いているのはミズヒキ。実の大きさはゴマ粒ほどです。名の由来は、この実ではなく花の方にあって、小さいながら紅白の色をした花が並ぶ様子を、祝儀袋などを飾る水引に例えたものだそうです。

 キササゲ

 高さ10mほどの樹木に何やら大きなインゲンのようなものがぶら下がっています。長さは30pくらいあるでしょうか。葉も結構大きいです。
 これはキササゲ。あのインゲンのような実は鞘になっていて、中に扁平な種子が詰まっています。花は6月頃に咲き、縁が波打ったシャンデリアのランプシェードのような形をしていて、数個が寄り集まって咲くのでなかなか優雅です。
 ちなみに、このサイトのロゴ椿の「楸」はキササゲです。



 苑内を巡る散策路はまるで野辺の小径のよう。晩年の三渓もこの道をゆっくりと散策したでしょうね。功成り名を遂げて我が人生をしみじみと振り返ったりしたのではないでしょうか。

 タイサンボク

 インパクトのある姿。これはタイサンボクの集合果(果実が集まったもの)です。大きさは10pほど。熟すと中に隠れていた朱い果実が顔を出します。タイサンボクは高さ20mほどにもなる高木で、この写真も望遠を使って仰ぎ見るような角度で撮りました。

 ヤブミョウガ

 ヤブミョウガの花と実。野山の半日陰の環境でよく見かけます。ツユクサの仲間です。



 内苑をぐるりと回って、大池の南端に出ました。ここからは外苑になります。
 時刻は1時15分。茶屋があったので、ここで休憩です。お腹もすきましたし。

 三渓園茶寮

 好物のクリームあんみつを発注。パワーをいただきました。

 アオサギ

 お茶を飲みながらまったりと。池に浮かぶ小島の松にアオサギが佇んでいて、なんだか日本画のようでした。



 休憩後は茶屋の背後にある小山に上がってみることに。ここには旧燈明寺三重塔があるとのこと。燈明寺とは京都の木津川にあった寺だそうで、この三重塔は室町時代に建立されたものだそうです。ちなみに重要文化財。

 旧燈明寺三重塔

 大正時代に移築したんだそうですが、いったいどれだけの費用がかかったでしょうか。当時は個人での施工だったでしょうに。(下々のいらぬ心配)

 宝鐸

 屋根の四隅には宝鐸(ほうちゃく)が。ホウチャクソウの名の元になった仏閣の装飾です。

 百年の彼岸

 三重塔の前からはこの眺め。百年前で時が止まった庭園とその向こうに変貌を続けた横浜の街並み。二つの世界を時の川が隔てています。

 松風閣

 三重塔から尾根伝いに苑の南の端に行ってみました。その先端には松風閣という展望施設がありました。

 JXエネルギー根岸製油所

 そこからの眺めがこちらです。眼下には首都高湾岸線。その向こうには製油所のタンクが並んでいます。そして運河を挟んで火力発電所。大正時代の眺めは想像すべくもありませんが、「今昔マップ」(非常にありがたいサイトです。)で当時の地図を確認してみたら、この松風閣のすぐ先が崖になっていてその下が海岸線でした。

 アオギリ

 三重塔に戻ります。途中の尾根道にアオギリがありました。高さ15mほどもある高木です。薄褐色のものは果実が開いたもので、その裂片の縁に種子が何個か付いています。

 ハリギリ

 こちらも高木のハリギリ。名前のとおり幹に鋭い棘があります(木が若いときの方がより鋭い。)。こちらは今が花の時期です。このハリギリもさっきのアオギリも家具材として重宝されるあのキリ(桐)とは別の科のものです。

 旧矢箆原家住宅

 外苑にも10個ほどの建造物があります。こちらは白川郷から移築してきた旧矢箆原(やのはら)家住宅だそうです。建物自体は江戸時代後期のものですが、移築は昭和35年とのことなので、三渓の存命中にはなかったことになります。ちなみにこちらも重要文化財。

 ウメモドキ

 ウメモドキの赤い実。枝下から仰ぎ見るようにして撮りました。

 ホトトギス

 路傍のホトトギス。満開状態です。わが家の鉢植えのホトトギスはまだ蕾も膨らんでいませんが。



 大池の縁をぐるっと回る形で歩いてきました。この先の八ツ橋を渡ると正門に戻ります。
 時刻は2時15分。のんびり2時間半ほどの散策でした。
 
 今日の三渓園での野山歩き。思ったよりもたくさんの秋の印しを集めることができたと思います。良い休日でした。
 この後、バスで横浜駅に出て、駅ビルで昼食をとって帰宅しました。