三段峡 〜気分爽快 渓流トレイル〜


 

【広島県北広島町、安芸太田町 平成17年5月21日(土)】
 
 5月も下旬に入りました。梅雨入り前のこの季節。一年のうちでも宝石のように輝いている季節です。
 幸い天気も上々。今日は会社の後輩と三段峡を歩いてみることにしました。

 三段峡は北広島町(旧芸北町)の樽床ダムから安芸太田町(旧戸河内町)の柴木集落までの全長13q。これまで柴木から黒淵までとか、葭ヶ原から三段滝までとか、パーツごとに散策したことはありましたが、始点から終点まで歩き通したことはありませんでした。なので、今日は緑を楽しみながらゆっくりと歩き通してみたいと思います。

 三段峡入口

 三段峡の正面玄関は最下流の柴木になります。ここにはJR可部線の終着駅だった三段峡駅があったところ。「あった」と過去形になっているのは、一昨年の秋に廃線になってしまったからです。
 三段峡は国の特別名勝に指定されていて、春は新緑、夏は納涼、秋は紅葉を求めて多くの観光客が訪れていました。特に今ほど車社会が発達していなかった昭和期には、この可部線が果たした役割は大きかったのです。
 ここ柴木には旅館や土産物店が並んでいますが、廃線から1年半経った今ではひっそりとした佇まいを見せていました。様子を聞いた土産物店のおばちゃんも苦笑して首を振るばかりです。
 
 さて、今日の出発点はここではありません。近くの駐車場にドリーム号を残してタクシーを呼び、R191を北上して三段峡の始点になる樽床ダムに回り込みます。
 タクシーの運転手さんはバックミラーでこちらを見ながら「お客さん、今日は何かの調査ですか?」 普通の観光客は全ルートを歩き通すなんてことはしないのでしょう。

 聖湖  樽床ダム

 10時、樽床ダムに到着。堰堤の上の車道を渡りきったところにある広場で下車して、折り返すタクシーを見送りました。
 静かです。濃い緑の山々に覆い被さるような青空。遙か下の方からドウドウと放水の音が聞こえてきます。聖湖の水位はやや低め。梅雨を見越して水位を下げているのでしょうか。

 ダム下

 このダムは重力式といって、ダム自身の重さで水を支える形式のものだそうで、断面図を見ると三角定規を立てたような形をしています。用途は発電。42mの高さから見下ろすと緑の海に吸い込まれていくようです。

 遥か先まで

 ここから続く渓谷の先を遥かに臨み、はやくもワクワクしてきました。空には一筋の飛行機雲。すぐに消えることなく長く線を引いて残っているところを見ると、上空の空気は湿っているのかも。このぶんだと夕方には薄雲が広がるかもしれません。
 
 さあ、いよいよスタート。まずはダム下に向かって一気に下っていきます。その先に三段峡の五大景観のうちの一つ「三ツ滝」があるのです。
 ジグザグの下り道には、チゴユリ、チャルメルソウ、ウワバミソウ、ツクバネソウなどなど。ヤグルマソウはもう花茎を伸ばしています。高度を下げるにしたがって滝の音が大きくなってきました。

 三ツ滝

 三ツ滝は畳岩と呼ばれる大きな岩に挟まれた滝で、細かく見ると5段になっています。写真では伝えきれないほどの迫力があり、音、水量ともに豊かです。この場所では今から6年前に広島自然観察会で定例会を行いました。yamanekoが初めてレポートを書いた回だったので、特に印象深く記憶に残っています。

 竜門

10時35分、「竜門」までやってきました。両岸に迫る岩に流れを狭められ、水の勢いが一層増しています。水路の幅は5mほど。ここでは隣に立つ人との会話もままならないほど激しい水音です。

 ヤグルマソウ

 ナツトウダイが地味な花をつけていました。シオデはこれから蔓を伸ばすところ。イワカガミの葉はまだしっとりと柔らかかったです。
 片側に常に水の音を聞きながら気分爽快なトレッキングが楽しめます。道は遊歩道というほど整備されたものではなく、登山道というほど急峻でもありません。地面は土や岩で、道のほとりには観察の対象物が溢れています。コアジザイのつぼみが開花の準備をしているその足下では、オオバタネツケバナが白い花をたくさんつけていました。

 足どりも軽く

 どこか近くでカジカガエルが鳴いています。沢の音とベストマッチ。このカエルはなかなかいいノドを披露してくれます。でも姿は簡単には見せてくれません。

 シマヘビ

 そのカジカガエルを狙っているのか、シマヘビが葉陰からそっと顔を覗かせていました。今日はマムシにこそ出会えませんでしたが、シマヘビに3回、ヤマカガシに1回出会うことができました。ここ数年ヘビなど見たことがないという同行の後輩は、相継いでの出会いに「ヘビの確変(確率変動)状態に入ったみたい。」と驚き気味です。

 出合滝

 11時5分、「出合滝」です。滝自体は葉陰の奥に見え隠れしていますが、滝壺の淵の大きさがこの滝のスケールを物語っていました。ここの水量も豊富です。滝にばかり気を取られていて気付くのが遅れましたが、足下にコケイランが3本、姿勢良く立っていました。今日はこの先何度もこの花と出会うことになります。

 餅ノ木

 11時25分、餅ノ木に出ました。ここには恐羅漢山へと続く大型林道が三段峡を横切る形で通っていて、全コース中唯一この辺りにだけ開けた景色が広がっています。
 下界ではとっくに散ってしまったフジがまだ咲いていますが、一方でホトトギスの声が夏の訪れを告げています。

 渓畔林

 道ばたにコマユミの白い小さな花が揺れています。向こう岸の岩の上に咲いているピンクの花はキシツツジか。
 昼前なので腹の虫が鳴き始めていますが、できれば三段滝まで我慢したいところ。地図で確かめるとあとわずかですから。

 三段滝

 12時10分、三段滝に到着。上流側からやってきた我々は、滝の落差と同じ高さを下って、ようやく滝の正面に回り込みました。ここで昼食です。
 三段峡の名の由来となった滝だけあって、そのスケールも大きい。奥行き120mの中に3段の滝が構成されています。滝の高さは下段が役10m、中段と上段はそれぞれ7〜8m、滝下の淵の深さは約10mだそうです。もちろん五大景観のうちの一つです。
 滝を最奥に、その前に広がる淵を取り囲むようにして緑の壁がそそり立っていて、まるで大自然のオペラハウスのよう。もちろん本物のオペラハウスに入った経験なしですが、そこはそれ、想像力がたくましいもので…。
 この風景を見ながら食べる弁当は、たとえそれがコンビニで買ったものだとしても、満足度200%です。(昭和的表現)

 ハナイカダ

 食事を終えて一息ついて、12時30分、三段滝を出発しました。ここからはまず猿飛に向かい、次いでその先にある二段滝を目指します。
 道の脇にタニギキョウやラショウモンカズラが出てきました。同じ渓谷のなかでもエリアによって植物が微妙に入れ替わります。

 猿飛

 1時10分、「猿飛」の船着き場に到着。ここ猿飛は両岸に絶壁がそびえ立つ中をボートで進んでいきます。船着き場には人影がありませんが、「舟がないとにきはこのロープを揺すってください。」との看板が。どうもちょうど今は舟が猿飛の奥の船着き場に行っているようです。船頭さんが伝うロープを揺すってお客さんが来たことを知らせるのです。さっそく揺すってしばらく待つことに。
 やがて猿飛の奥からボートがやって来ました。みたところ70歳代の船頭さんが猿飛の解説をしてくれました。それによると、両側の岸壁の高さは30m、壁と壁との間は3mほど、奥行きは50mほどで、水深は7mあるのだそうです。水はあくまでも澄んでいて、エメラルドグリーンの水をとおして川底の石まできれいに透けて見えます。猿飛の名の由来は、この絶壁の上を猿が飛び交っていたことからとのこと。
 岸壁にはイワタバコの葉が伸び始めていました。7月半ばには壁一面にピンクの花を咲かせることでしょう。

 二段滝

 猿飛を抜けると、そこには岸壁に囲まれた直径80mほどの円形の空間があって、その一角からものすごい水量の滝が落ちていました。「二段滝」です。滝の高さ15m、幅3mほどで、その轟音が円形の岸壁にこだまして、体にもビンビン伝わってきます。水しぶきがこれまたすごい。飛沫のカーテンが日光に輝きながらたなびいていく様子が幻想的ですらあります。上陸して、しばらくこの自然の中に身を置いてみることにしました。
 この二段滝、見た目はどうみても1段です。それもそのはず、昭和63年の集中豪雨で上部の1段目の岩盤がはぎ取られ一段滝になってしまったのです。この現象は「滝の後退現象」といって、滝は岩盤を削りながらどんどん奥に向かっていくのです。もっとも「どんどん」といっても数万年単位の時間の流れですが。そもそも猿飛の細い隙間もこの滝が後退していった形跡で、もとは猿飛の入口にあったこの滝がいったいどのくらいの時間をかけて今の位置までさがってきたのか、想像すると気が遠くなってきそうです。
 ちなみに猿飛も二段滝も五大景観のうちの一つです。

 午後の光

 1時45分、再び猿飛の船着き場に戻ってきました。あらためて渓流トレッキングのスタートです。
 ミズナラやトチノキ、サワグルミなどの林を抜けていきます。気持ちのいい道です。水辺の近くにはコモチマンネングサやコタツナミソウなどの姿も見えました。

 コケイラン

 コケイランが群落といっていいほど密生しているところがありました。林の奥なので人目につかなかったのでしょう。これからも絶えることなく生き続けてほしいものです。

 葭ヶ原

 2時5分、葭ヶ原までやって来ました。ここは二段滝のある横川川(よこごうがわ)と三段峡本流である柴木川との合流点です。ここには休憩施設がありますが、まだ元気なので素通りです。

 気持ちよすぎる道

 ユウシュンランを一株見つけました。花はついていますがもう終わりかけで、白い色が少しくすんでいました。よく見つけられたものです。向こうから、最後の姿を見てくださいというメッセージを投げかけられていたのかもしれません。
 花といえばこの辺りにはコガクウツギの白い花(正確には萼)が多いようで、あと、上からはツリバナの花がぶら下がっていました。それにしても、イタヤカエデの未熟な翼果がパラパラと道に落ちているのはなぜだろう。台風で落ちたわけでもないだろうに。

 南峰橋

 葭ヶ原から終点の柴木まではずっと川の左岸を歩くのですが、唯一右岸を歩くところがあって、それがここです。この南峰橋を渡って右岸を200mほど歩き、また蛇杉橋を渡って左岸に戻るのです。
 実はもともとずっと左岸に道がついていたのですが、これも昭和63年の集中豪雨で山肌が崩れ(土砂崩れではなく、岩盤が節理に沿って砕かれ崩れ落ちたのです。)、それ以来長く通行止めだったのです。その後2つの吊り橋が架けられ、再び三段峡を歩き通すことができるようになりました。

 サワシバの果穂

 歩き始めて5時間、少し足が重たくなってきました。しかし、観察のネタは尽きません。たとえばこのサワシバ。クマシデやシヌシデの仲間ですが、果穂が長いのが特徴。枝じゅうにぶらさがっていて、ある意味異様でもあります。(そういえば色といい大きさといい、オオムラサキのさなぎがぶら下がっている姿に似ています。)

 黒淵

 五大景観の最後の一つ、「黒淵」にやって来ました。時計を見ると3時15分です。
 ここにも渡し船があるのですが、猿飛とちがってこちらは山肌を巻く道を通れば舟を使わずに歩き続けることができます。ここの淵の水も透き通っていて、中の魚がじっとしていると、まるで宙に浮いているように見えます。
 小休止の後、再び歩き始めます。

 赤滝

 長かったトレイルもいよいよ残りわずかとなってきました。もうおおよそ全行程の9割くらい歩いています。
 この赤滝はスケールはそれほどでもありませんが、その色で目を引きます。これまで、酸化鉄の色なのかと思っていましたが、最近ここに設置された解説板によると、赤いのは藻類の一種(詳しくは「タンスイベニマダラ」という名の藻類)が岩に繁殖しているからだそうです。これは生き物の色だったのか。ビックリです。

 竜の口

 この細い水路も滝の後退現象によって作られたものだそうです。
 ところで、近代になって上流にダムができて、三段峡の水量や流路、浸食の度合いも本来の姿とは異なったものとなったことでしょう。その点について若干よろしくないことだと思っていたのですが、よく考えてみたら、この三段峡に流れる時間は1万年いや10万年単位なのです。そんな中でダムの存在する期間などほんの一瞬にしか過ぎません。あと何十万年も経ってこの渓谷の姿を見たときに、このダムの影響を留めるものが果たしてあるでしょうか。(人類自体、跡形もないかもしれませんが。)

 長淵

 4時、とうとう最後の「長淵」に到着です。ここまでくると激しかった水の流れは穏やかになり、水遊びに最適な河原などもあります。
 
 今日、始めから終わりまで歩き通した三段峡。まだまだ自然が豊かに残されていました。やはりこの険しすぎる地形が大規模な開発の手から守ってきたのでしょう。しかし、大規模林道の延伸など周辺では着々と自然破壊が進行しています。何十万年の時の流れは確かに全てをかき消して行くのでしょうが、それでもそこにあるべきものは、その種の寿命が尽きるまで、そして自然に消えゆくまで、そこにあり続けてほしいものだと思います。

 長淵橋

 さあ、この橋を渡ったら今朝缶コーヒーを買った土産物店のある場所です。その先の駐車場ではドリーム号が待ってくれている。(はず。)
 歩き始めてジャスト6時間。ふくらはぎの張りとともに、心の中の満足感もいっぱいです。