大久野島 〜これはもはやシャジャンボ?〜


 

【広島県竹原市 平成15年11月22日(土)】
 
 11月の定例観察会も終わり、次の12月は自分が当番。なんとかなるとは思いつつも、まったくノープランというのも参加者の皆さんに申し訳ないので、そろそろ準備をしなくては。本番は12月21日(日)で、指導員たちによる下見を1週間前の14日(日)に行うので、今回は下見の下見といったところです。

 大久野島
 2番桟橋

 竹原市忠海港を出発した「フリッパー号」はわずか10数分で大久野島に到着。ここ大久野島にはフェリーも就航していますが島内での移動には車は必要ありません。周囲わずか4qあまりの島ですから。ちなみにこのフリッパー号の定員は111名。えっ、そんなに乗れるの?って感じですが。
 
 この島には住人はいません。大正時代までは数戸の民家があったそうですが、昭和に入り島が軍の毒ガス製造拠点になったときから島内に民家はなくなりました。戦後、昭和25年にこの島が国立公園に編入され、昭和37年には国民休暇村がオープンし、今では釣りやテニス、キャンプなどで、年間17万人が訪れるレジャーの島になっています。その姿からはこの島の暗い過去を窺うことはできませんが、小さな資料館と島のそこここに残る毒ガス工場の遺構が、決して埋めてはならない重いメッセージを投げかけてくるようです。
 
 島の南東部にある2番桟橋からトコトコ歩いて10分で登山口に到着。南から山頂を目指すことになります。この島の大部分は丘陵状の山地で平坦地は少なく、その最高点は標高約100mです。

 ヤマブドウ

 温暖な瀬戸の小島のこと。たくさんの陽光をあびて植物は豊かに果実をむすんでいます。
 あぁ、ポカポカしていい気持ち。本番当日もこんな気候だったらいいのだが。

 クサギ

 真っ赤な萼とのコントラストがみごとなクサギの実。なんとも不思議な瑠璃色をしています。

 クスノキ

 クスノキの実も深みのある濃紺、いや青味がさした黒といった方が適切か。
 常緑樹の葉はまだお役ご免というわけにはいきません。乾燥する冬を乗り切ってから来年の葉と交替です。

 キチョウと
 アキノキリンソウ

 コシダが生い茂る法面にただ一株残るアキノキリンソウ。その花にキチョウが訪れていました。あたりを見回しても花らしい花は見あたりません。成虫の姿で冬を越すキチョウにはかけがえのない命の糧でしょう。
 カメラを近づけても逃げません。気温が低いので活動が鈍っているのでしょうか。

 シャシャンボ  でかい!

 登山道の脇はシャシャンボだらけ。これがまた大粒で、日光をたっぷり浴びているせいか甘いこと! 本番のときにはもうないだろうな。
 ぱっと見ブルーベリーと見間違うくらい大きなものも。助手いわく「ここまで大きいと『シャジャンボ』だね」 おまえはオヤジか。

 山頂

 あっけなく山頂に到着。360度の展望です。天気が良ければ本番のときはここで弁当かな。

 山頂からの西側の景色

 瀬戸の島影を眺めるとよく思うことがあります。氷期(最後の氷期は約1万年前まで)にはこの海の水がなく、今見えている島は山の頭頂部だったということ。
 想像してみてください。この水を全部取り去ったときの景色を。深さ50m〜100mの谷が刻まれていて、その底には川が流れていたことでしょう。海底地形から想像すると、このあたりでは東から西へ向かって大きな川が流れ、今の斎灘(蒲刈島の南沖)まで流れ下ると広い平野が広がっていたと思います。そして更に南西に流れて豊後水道を南下し、足摺岬のはるか南でようやく海に注いだのだと思います。

 下りは島の北側に下りることにしました。

 北の岬
 (対岸は本土)

 この島は昭和32年と昭和56年に山火事で広い範囲の山林が消失しています。島のほとんどを占める山林には高木のアカマツ林が発達していたそうですが、山火事でほとんどなくなってしまいました。あとにはヒサカキやネジキ、コバノミツバツツジ、ヌルデ、ウラジロノキなど、草本ではススキやコシダなどが残ったのみだったそうです。その後、復旧としてクヌギ、ヤマモモ、アカマツ、フサアカシアなど十数種を植栽したそうです。

 フサアカシアのつぼみ  ウラジロノキの実

 下山路はほどよく整備されていていますが、花崗岩が風化した土質で滑りやすくなっていて注意が必要です。

 ホコリタケ

 バフンウニ、ではなくホコリタケです。これを見つけるとつい突いて遊んでしまうのはなぜでしょうか。

 タイドプール

 北の岬の先端に到着。
 今は干潮で、テーブル状の岩場にたくさんのタイドプールができていました。対岸との間の海はまるで川のように潮が流れていました。
 
 島を南から北に縦断したので、今度は西側の海岸線に沿って戻ることにしました。東側は日陰になって肌寒いからです。このルートは毒ガス工場の遺構と休暇村のテニスコートが隣接している不思議な光景を目にすることになります。

 島の南側にある休暇村まで戻ってきました。
 このあたりにはウサギがたくさんいます。毒ガス工場の実験動物だったものが生き延びて増えたなどと、まことしやかな話も耳にしますが、実は昭和30年代後半に対岸の忠海小学校で飼われていたものを移入したというのが真相のようです。現在は島内に300羽弱が暮らしているそうです。

 ここから桟橋に向かうまでの間に、この春環境省が開設した「大久野島ビジターセンター」があります。瀬戸内海の、特に大久野島の自然や歴史についての展示があり、レクチャールームまで完備していますが、環境省の専従スタッフはいません。もったいないことです。せめて地元のボランティアスタッフでも養成して、この施設をフルに活用してほしいものです。

 ビジターセンター

 さあ、あとはもとの桟橋にもどるだけ。
 下見の下見はこれで終了。結局楽しんだだけで終わってしまったようです。こうなったら本番前週の下見に賭けるしかありません。
 なんとかなる、たぶん…。

 本日の助手、H.Y